第19話
次の日の放課後、アメリアは第2図書館に来ていた。テストで間違えた問題の確認をするためだ。
変わることなく静かなこの場所は、様々な雑念が湧き上がってきそうな今でさえ、アメリアを集中の世界へと連れて行ってくれる。
一心に問題の解き直しをし、一息ついたとき。やはり彼から声をかけられた。
「アメリア。」
「ルーカス様……。」
ルーカスは、困ったように微笑んでいた。先日の話もあり、なんとなく気まずいが、きっと彼も何を話していいのか分からないだろうから、アメリアから話しかけてみる。
「ルーカス様も復習ですか?」
「ああ、君も?」
アメリアは小さく微笑んで頷いた。
「今回は、君に負けてしまったからな。ちなみにどこを間違えた?」
ルーカスはアメリアと並んで腰をかけ、ノートを覗き込んだ。アメリアはノートを指しながらルーカスと間違えた箇所を確認していく。
(こうして確認していくと、私とルーカス様は間違える傾向が違うわ。ルーカス様はどちらかというとケアレスミスが多くて、私は長文での減点が多い。同じような点数でもこうも違うのね……。)
先日のことなどなかったかのように穏やかな時間が流れていく。アメリアはホッとして――油断していたその時、ルーカスは彼女をじっと見つめ、ノートをめくりかけた彼女の手をそっと握った。
「アメリア。」
アメリアは、気恥ずかしくてルーカスのほうをみることができず、俯いていた。自身の心臓の音が聞こえる。
「君と話しているとなんでこんなにあっと言う間に時が経ってしまうんだろうね。」
「そう……言っていただけると……嬉しいです。」
アメリアは、高鳴る心臓の音を抑え込むかの如く小さく絞り出すように返した。
「アメリア、夏休みは予定はあるかい?」
「ええ……特に予定はありません。」
「よかったら、当家の領地に来てみないか。僕のことを知ってほしいんだ。」
ルーカスは柔らかな微笑みを浮かべていたが、その瞳の奥には真剣な色が見えた。
アメリアはしばらく考え込み、小さく息をついて答えた。
「少し考えさせていただけますか?すぐにお答えできず申し訳ございません。」
「謝らないで。むしろ考えてもらえることが嬉しいから。」
ルーカスは嬉しそうに微笑んで、きゅっとアメリアの手を握り、名残惜しそうにそっとその手を離した。
「これ以上は君を困らせてしまうと思うから、先に行くね。」
ルーカスは颯爽とその場を立ち去った。アメリアは彼に握られた左手をじっと見つめながら、先ほどのルーカスの誘いについて考えを巡らせていた。
アメリアは図書館を出て、学院の石畳を歩きながらも心の中の迷いと向き合っていた。
(ルーカス様、流石に今回は本気だったと私でも気がついたわ。何がきっかけで彼の状況が変わったのかはわからないけども。領地に行くってことは婚約者候補になるってことよね。とりあえずお母様とお父様の耳に入る前に私に直接打診してくださったのは誠意を感じるわ。たぶんお母様の耳に入ったら確定になってしまうもの。お父様はどう思っているかわからないけども。)
空が夕闇に染まりつつある。
彼女はふと足を止め、顔を上げて見慣れた道を見渡した。心がどこか宙に浮いているような感覚に囚われている。
その時、頭の中にアレクシオの顔がよぎった。彼の笑顔、さりげない優しさ、そして先日の浮かない表情――。
学院の門を出て馬車に乗り込んだアメリアは、御者に声をかけた。
「フォルツィ商会の本部まで行ってくれる?」
–
フォルツィ商会の敷地は広く、庭には整然とした花壇が並んでいる。夕暮れの赤い光がその花々を照らし出し、美しい陰影を作っていた。
アメリアが敷地内に足を踏み入れると、玄関前で使用人に出迎えられた。
「ラクロワ家長女、アメリアでございます。ご嫡男のアレクシオ・フォルツィ様は学院のクラスメイトでして、本日は彼にお話があって参りました。突然の訪問となり、申し訳ございません。」
「ラクロワ様、本日はお越し下さり、ありがとうございます。あいにくアレクシオ様は商談で出かけております。もしお時間お許しいただけるのでしたら、応接間でお待ちいただければと思いますが、いかがでしょうか。」
「構いません。お邪魔いたします。」
アメリアは軽く礼をして、使用人の後をついていった。玄関ホールの扉をくぐると、華やかな装飾が目に入った。高い天井、壁には上品な装飾が施されており、フォルツィ家の財力と品格を感じさせる空間だった。
応接間で出された紅茶を飲みながら、アレクを待っていると、控えめなノックが聞こえ「ラクロワ様、奥様がアレクシオ様が戻られるまでの時間、話されたいと申しておりますが、よろしいでしょうか」と、使用人に声をかけられた。
アメリアは少し緊張しつつ(せっかくのお申し出だものね)と、申し出を承諾した。
「こんにちは、ラクロワさん。いつも愚息がお世話になっているね。」
部屋に入ってきたのは切れ長の瞳で赤毛の大柄の女性。気さくで明るい印象である。
「いえ、こちらこそお世話になっております。」
「あの子、気になる女の子がせっかく来たってのに、タイミングが悪いわね。あ、今日お客様からいただいた評判のお菓子があるから食べる?アレクもお菓子は好きなんだけど、せっかくだから内緒で先に食べちゃいましょ。」
アレクの母は、いたずらっ子のように笑った。
(間違いなくアレクのお母様だわ。笑顔がそっくり。)
笑顔につられて緊張が解け「いただきます」と微笑んで答えた。
ふたりは「これおいしいですね」などと、和やかな雰囲気でお菓子を食べながらお茶をしていた。
「それにしてもアメリアさん、本当に美人ね。こりゃアレクが気になってしょうがないのも仕方ないわ。」
「いえいえ、そんな……。」
「それでいて、控えめで優秀ときた!あの子、顔だけはいっぱしだから、ぐいぐいくる女性が周りに多くて、アメリアさんのような女の子はいないのよね。一応、男爵位は持っているから貴族とのお付き合いもあるけれども、子爵、伯爵が多いし。リッチモンド家は侯爵だけど、ほら、特殊だから。」
アレクの母はそういって、ブンブンと剣を振るジェスチャーをする。
「だからね、名門ラクロワ家のお嬢さんと仲良くさせていただいているって聞いたときは、びっくりしたのだけど、アレク、頑張ってんのね。本当に仲良くしてくれてありがとうね。」
アレクの母はそう言うと、言葉に似合わない上品な仕草で紅茶を一口飲み、アメリアに優しい笑顔を向けた。
「いえ、むしろ私のほうがアレクにたくさん助けてもらっているんです。課外授業で無理して倒れてしまった時も介抱してもらったり、考査期間中も差し入れを持ってきてくれたり。自信がなくなりそうな時はいつも前向きな言葉もかけてくれたり。本当に彼には感謝しているんです。だから、彼が最近元気がない様子を見て、私にも何かできるようなことはないのかな、とずっと考えていて……。」
アレクの母の優しい笑顔に引きづられ、少し冷めた手元の紅茶を見つめながら、アメリアは想いをつらつらと話していた。アメリアが話している間もアレクの母は優しく彼女に微笑んでいたが、ふと口を開いた。
「だってよ、アレク。アメリアさん、困らせてどうするの。夏休み、アメリアさんに手伝ってもらいましょうよ。」
アメリアがびっくりして振り返ると、応接間のドアが開き、気まずそうにアレクが入ってきた。
「……ただいま帰りました。母さん、アメリアは特待生で忙しいんだよ。うちのごたごたに巻き込むわけには……。」
「あんたもそろそろ腹を括りなさい。アメリアさんを困らせたいわけじゃないんでしょ?いいじゃない、またきっとあなたはアメリアさんを助けるだろうし。いい? 私がアメリアさんがいいって言ってるの。もう、決定だから。」
そう言うと、アレクの母はアメリアのほうを見てニッと笑った。アメリアはその笑顔にホッとして、ぎゅっと膝の上で拳を握った。
「というわけです、アレク。ここで借りを返させて。」
アレクは額に手を当ててため息をついた。
「……わかった。」
アレクの母は納得したかのように頷いて「じゃあ、アレクも来たことだし、私は失礼するわね」と、言ってその場を立ち去った。
アレクは母の後ろ姿を見送ると「アメリア、送っていく」と、声をかけた。
–
二人が乗ったフォルツィ商会の馬車は、すっかり暗くなった街路を進んでいた。
「本当に良かったの?夏休み、うちの手伝いになんか来て。予定はなかった?」
一瞬、ルーカスの顔が思い浮かんだが、アメリアは「だって大切な友人のピンチじゃない。あなたが課外授業の時、颯爽と私を助けてくれたように、私も少しかっこよくなりたかったのよ」と、いたずらっ子のように笑った。
それを聞いたアレクは目を丸くしたが、次の瞬間には蠱惑的な笑みを浮かべアメリアに言った。
「へぇ。君は僕のことかっこいいと思ってくれていたんだ?」
アメリアは「もう!」と、普段のように言おうとして、ふと考えた。
アレクの事でここ数日悩んでいたのだ。少しくらいやり返したっていいだろう。
「うん。私、あなたのこと好ましく思っているのよ?」
今度こそアレクはびっくりしたようで、耳の先を赤くして、片手で顔を覆った。
「……ほんと、君には叶いっこない……。」
その様子を見たアメリアは満足げな顔をして、声をあげて笑った。
馬車は夜の街をゆっくりと進み、次第にラクロワ家の敷地に近づいてきた。白い石造りの門柱が月明かりに浮かび上がり、整えられた庭木が風に揺れている。ランタンの光がアメリアの顔をほのかに照らし、彼女はふと窓の外に目をやった。
(ルーカス様にお断りの手紙を書かないと。)
馬車が静かに止まり、御者が扉を開ける音がした。アメリアは微笑み、アレクに「ありがとう」と、小声で告げて馬車を降りた。その姿を見送るアレクは、ほんの一瞬何かを言おうとして口を閉じ、微笑んで手を振った。
アレクは、小さくなる彼女の後ろ姿を見つめ、彼女が玄関から自宅に入ったのを確認した後、困ったように笑い、ポツリとつぶやいた。
「本当にどうしてくれるんだ。こちらこそありがとう。アメリア。」
次回更新は2024年11月26日予定です。




