第14話
始まったガゼボでの時間は、まるで世界が穏やかに時を止めたかのようであった。柔らかな日差しが降り注ぎ、ルーカスの淡いブロンドがキラキラと輝く。彼の空の色と同じ瞳は伏せられ、絵本の中の王子様そのものである。
ルーカスが穏やかに口を開いた。
「季節ごとに違う花が咲くんだけど、特にこの時期のバラは見事だろう?いつ来ても新鮮な気持ちになれる場所だよ。」
アメリアは頷きながら、バラに目を向けた。
「ええ、本当に素敵ですね。」
「そういってもらえるとありがたいね。こうした芸術的に価値が高い場所を維持することは、文化保護を促進するし、僕たち貴族の責任のひとつだと思うよ。実際にこういった場所は、新たな人との繋がりや信頼を育むためにも利用できるからね。」
ルーカスの言葉に、アメリアは静かに耳を傾け、ゆっくりと口を開いた。
「そうですね。ただ、私は前モンヌ伯爵の弟君様の愛情がこもったお庭だなと感じていて。今ではなかなか見られなくなった原生種に近いバラもちらほらと植栽されていますし。丁寧に育て上げたバラはかの方にとっては我が子のようではなかったのかなと想像してしまいました。」
アメリアの言葉に、ルーカスは少し驚いた表情を浮かべた。しかし、すぐに優しい笑みを浮かべ、静かに頷く。
「君は本当に純粋だね。僕には思いもよらなかった考えだよ。」
アメリアは、彼の答えに一瞬困惑した。
(ルーカス様の言う”価値”も理解はできるのだけど、ね。私は少し子供すぎるのかしら。)
給仕が、優雅にお茶を注いでいく。蒸気がふわりと立ち上がり、バラの香りに混じって温かな紅茶の香りが漂う。アメリアは静かにカップを手に取り、優雅な所作で一口飲んだ。
「きっとこの庭園が美しいのは、そういった前の家主様の想いを、きっとグレイフォード家の庭師の皆さんが引き継いで丁寧に手入れされているからでしょうね。」
アメリアは周りの景色を見渡しながら微笑んだ。
ルーカスも一口紅茶を飲み「そう言ってもらえると嬉しいね。僕もひとつ責任が果たせた気がするよ。」と、少し誇らしげに答えた。
「責任……ですか。」
アメリアは何かを考えるかのように呟いた。そして少し言葉を選びながら、続ける。
「ルーカス様は、幼い頃からずっとそうした責任を感じてこられたんですか?」
ルーカスは少し驚いたようにアメリアを見つめ、そして微笑んだ。
「そうだね。僕はずっとグレイフォード家の跡継ぎとして、期待に応えるために育てられてきた。だから、こうしてあらゆる場面で家のために最善を尽くすことが僕の使命だと思っているよ。」
少し間を置いて、彼女はもう一度尋ねた。
「ルーカス様は、それを心から望んでいるのでしょうか……?」
ルーカスは一瞬戸惑ったように見えたが、すぐに表情を引き締め「もちろんだよ。僕はグレイフォード家を守ることが自分の使命だと信じている。それが、僕に与えられた役割だからね」と、答えた。
アメリアはその答えに頷きながらも、心が小さくざわついているのを感じた。
アメリアは再び紅茶を一口飲みながら、続けてルーカスの話を聞いていた。彼の声は穏やかで、知識も豊富だ。ほどよく冗談も言い、相手への配慮もある。しかし、そのどこにも彼自身の感情や思いが見えないことに、アメリアは気づき始めた。
「ルーカス様は、日々、多くを考えながら過ごしているんですね。素晴らしいです。」
アメリアは軽く微笑んで言った。
「ありがとう、アメリア。君もきっと、これから大きな責任を背負っていくことになるだろうね。君なら、どんな困難も乗り越えていけるはずだよ。」
ルーカスは穏やかに微笑んだ。
「そういえば……君は将来、どんなことをしたいと考えているんだい?」
アメリアは一瞬戸惑った。
(……私?)
ルーカスが自分に何かを聞いてきたのは、この時間の中で初めてのことだった。
「私は……。」
アメリアは何かを逡巡するかのようにぽつりぽつりと話し始めた。
「まだ、具体的に決まってはいませんが、誰かのために何かをしたいと思っています。小さい頃から、お父様の姿を見て育ってきましたから、何か役に立てることがあれば、それを見つけていきたいな、と。私自身ができることは限られているので、その中で”大切にしたい誰かのために何かをしてあげたい”と思うのです。それが私の責任かなと思っています。」
ルーカスはわずかに目を開き、静かに紅茶を口にした。何かを考えている様子であったが、ふと口を開く。
「君ならきっと、誰かのために大きなことができるだろうね。僕も、君がそんな未来を歩んでいくのを応援しているよ。」
そう言うルーカスの横顔は、少し寂しそうであった。
「さあ、次は庭をもう少し散策しようか。」
ルーカスが立ち上がり、手を差し出す。
アメリアはその手を取ったが、心の中では、問いが芽生えていた。彼と何かが噛み合わない。まだその答えが見つからないままだった。
–
夕やけの光が通りに差し込む中、アメリアとルーカスはギャラリーを後にして、並んで歩いていた。バラの甘い香りが漂い、静かに夕闇が迫っている。
「今日は楽しかった?」とルーカスがふと問いかけた。彼の声は少し心配の色を帯びていた。
「ええ、とても……素敵な時間でした。」
アメリアは俯いたまま微笑んだ。
ルーカスは軽く頷いて、視線を前に戻した。
「僕も君と過ごせて、とても良い一日だったよ。こうした時間は、あまり持てないからね。」
アメリアは彼の言葉に頷きながら「ルーカス様はお忙しいですからね……でも、こうしてお誘いいただけて嬉しかったです」と、返した。
二人の会話は穏やかだが、アメリアは心の中で先程の噛み合わない感覚について逡巡していた。あの瞬間感じた小さな違和感は、今や無視できないものとなり、その心当たりについてふと気付いた。
(ルーカス様は、グレイフォード家という大きな責任の中で過ごしているのね。きっとそれは、私が想像もつかないほどの重責なんだわ……。なんとなくルーカス様という人がわかったような、逆にわからなくなったような、そんな日だったわ。)
「君は……いつも誰かのことを考えているんだね。僕も少し見習わなければいけないかもしれないな。」
横を歩いていたルーカスはぽつりと呟いた。彼自身でも驚くほど自然に出た言葉だった。
「そんな大したことはないですよ。大切な人たちのために、自分ができることをしたいなと、気持ちのままに行動しているだけです。」
アメリアは茜色に色づく空に目を向けながら答えた。
ルーカスは、夕焼けの光を瞳に宿した彼女の横顔をじっと見ていた。少し耳の先を赤くして。
「君は……本当にすごい人だよ。」
彼は、控えめなトーンでそう言ったが、その言葉には何か新しい気付きが込められているようだった。
アメリアは困ったように笑って「でも、もう少し私は色々考えて行動しなければならないですよね。自分らしく過ごさせてもらっている両親には感謝しています。」と、冗談めかして居心地の悪さを誤魔化した。
ルーカスはその言葉に、再び何か考えているようであったが、その後は言葉を発することはなかった。
馬車が待つ場所に近づき、二人はゆっくりと歩みを止めた。ラクロワ家の御者が馬車のドアを開ける音が、夕暮れの静けさの中に響いた。
「今日は本当にありがとうございました。美術鑑賞はあまり経験したことがなかったので、とても新鮮な気持ちでした。」
「僕の方こそ、ありがとう。君と過ごす時間は……本当に特別だった。」
ルーカスの声には、少しだけ深い感情が混ざっていた。それは、今日一日を通してはじめてのことであった。
御者がドアを閉める。
その刹那、「アメリア、また学院で会おう。」とルーカスは言った。
アメリアが窓越しに彼に対して頷くと、少し彼の目は潤んでいて、その姿は、いつもよりいくぶんか幼く見えた。
ルーカスをその場に置いて、馬車は出発した。
(なんだか少し疲れたかも。)
アメリアは馬車の心地よい揺れに身を任せていた。1日の疲れからかうつらうつらと微睡み始める。馬車の石畳を踏む音が穏やかに響き、ラクロワ家までの家路を優しく包みこんでいた。
次回更新は2024年10月29日予定です。




