第1話
初めてのなろうです。お手柔らかにお願いします。
澄み切った春の空が広がる朝、エグランテア学院の広い講堂は、入学式に集まった生徒たちで埋め尽くされていた。
この狭き門をくぐることができた少年少女たちは、各々が華やかな衣装に身を包み、今か今かと開式を待ちわびている。そう、彼らが夢に描いた新生活は、正にこの時始まるのだ。
アメリア・ラクロワは講堂の中、前方左端から3番目という絶妙な位置に腰を下ろし、戦々恐々とその時を待っていた。周りの華やかな空気に馴染めず、少しだけ肩をすくめて。
特待生として成績優秀者に選ばれたことは誇らしい反面、目立つのが苦手な彼女にとって、この場はあまり居心地のいいものではなかった。
(やっぱりこういう場は慣れないわ……。)
目の前の壇上に目をやりながら、心の中でそっとため息をついた。今日の式典では成績優秀者として名前を呼ばれ、壇上に立つことになっている。彼女にとっては、その瞬間が何よりも気が重かった。
「それでは特待生を発表します。アメリア・ラクロワ。」
校長の声が高らかに響き渡る。アメリアは一瞬、心臓が跳ね上がるのを感じながらも、何とか立ち上がり、ゆっくりと壇上に歩を進めた。拍手が耳に届くが、アメリアはその音の中に自分を沈め、ただ淡々と時間が過ぎるのを待っていた。
壇上から見下ろすと、整然と並んだ新入生たちの顔が見えた。中には見知った顔もあるが、ほとんどがこれから始まる学院生活で関わることになるだろう初対面の人々だった。アメリアは緊張を隠すために軽く息を吸い、校長の続く呼び名に耳を傾けることにした。
「ルーカス・グレイフォード。」
校長の声が再び響くと、会場の雰囲気が一瞬で変わった。整列していた生徒たちの視線が一斉に動き、注目が壇上に移る。ルーカス・グレイフォードと呼ばれた彼は、アメリアの座っていた席のひとつ後ろの席から立ち上がり、完璧な微笑みを浮かべながら優雅に歩を進めた。
耳の上で切りそろえられた透き通るようなブロンドヘアをきっちりと固め、淡い空色の涼やかな瞳をもつ彼は、まさに王子のようで、周囲の視線を一身に集めていた。
アメリアも友人から聞いていたので彼の存在を知ってはいたが、こうして実際に目の当たりにするのは初めてだった。
彼の端正な顔立ちと品のある立ち振る舞いに、あまり異性に興味がないアメリアでさえ思わず見入ってしまった。
ルーカスは壇上に立つと、その完璧な微笑みで会場の空気をさらに華やかにした。アメリアは隣に立つ彼の存在感に圧倒され、更に緊張も相まって、やっとのことで立っていた。
その後も何名か特待生の名前が呼ばれたが、会場中の視線は彼に注がれ、そのまま特待生の発表は終わった。
(お陰さまであまり目立たなくて済んだわ、良かった……。)
–
式典が終わると、アメリアは気が抜けた様子で講堂を後にした。
教室に戻ると、アメリアを待っていたのは友人のエミリー・バートンだった。
エミリーはふわふわとしたハニーブロンドに大きな琥珀色の瞳が特徴的な可愛らしい女の子で、彼女の兄ふたりにいつも守られているような存在だった。
まさに、長女であるアメリアとは対照的に庇護欲をそそる彼女ではあるが、幼い頃から仲が良い友人である。エミリーはアメリアを見ると、大きな瞳を輝かせて駆け寄ってきた。
「ミー!一緒のクラスなんて、もう最高!ねぇ、先ほどのルーカス様を見た?本当に素敵だったわ!まるで絵本の王子様みたいで、思わず見惚れちゃった!」
エミリーは興奮気味に話し、アメリアの手を取りながら席に着いた。ここ数年、貴族社会では自由恋愛の風潮が広まりつつあった。元男爵令嬢の現王妃が元王である元王太子とドラマティックな恋愛の末に結ばれたことで、「身分に縛られず、自分の心に従った恋愛をしよう」というムードが貴族の間にも浸透していた。特に若い世代の貴族子女たちの間では、恋愛や婚約の相手を自らの感情や相性で選ぶことが尊重されるようになりつつあった。
エミリーはまさにその時代の象徴のような存在で、貴族や身分に関係なく様々な相手にときめいていた。今は騎士団のジャックに夢中だが、それでもルーカスのような理想の貴族子息とも知り合いになりたいと思っているようだ。
「ジャックも素敵だけど……ルーカス様みたいな素敵な人とお友だちになりたいの!せっかく学院に入学できたんだから、色んな人と出会ってみたいし!」
アメリアはエミリーのその自由奔放な姿勢に少しだけ呆れながらも、彼女の情熱が羨ましくも感じられた。エミリーのように自分の気持ちに正直に生きることは、アメリアにはまだ難しかったからだ。
「まあ、確かに素敵な人ではあったわね。でも、私とは違う世界の人だなと思うわ。」
「でも夢見るのは自由でしょ!なんならアメリアは家格も釣り合うし、声かけたらいいのに!」
「いや、私にはあんな華やかな人は釣り合わないわよ。」
「えーっ。アメリア美人なのにもったいなぁい!」とエミリーは頬を膨らませた。彼女の目にはいつも好奇心と希望が宿っていて、こういった仕草も彼女の魅力であった。
ちなみに、アメリアの弟であるテオドールは、そんなエミリーに一途な想いを抱いていた。甘え上手で家族の中心的存在でもある彼は、いつも「エミリーは次はいつくるの?」と姉に無邪気に尋ね、アメリアを困らせていた。エミリーが様々な相手に心をときめかせているのを知っていながらも、テオドールは変わらず彼女を想い続けていた。
そんなエミリーの恋愛に夢中な様子を横目に、アメリアはクラスメイトたちと軽く挨拶を交わし、それぞれの席に着いた。エミリーは相変わらず恋愛の話題でアメリアを楽しませながらも、ふと窓の外に目を向け、また新しい出会いに心を躍らせているようだった。
担任の教師が教室に入ってくると、生徒たちは静かに席に着き、出席を取るための準備を始めた。教師が名簿を見ながら名前を読み上げていく中、アメリアは自分の名前が呼ばれるのを静かに待っていた。
「アメリア・ラクロワ。」
「はい。」
アメリアが淡々と返事をし、出席が進んでいく中、教室の扉が勢いよく開いた。
「失礼、遅れた。」
その声には艶があり、どこか余裕のある響きだった。現れたのは、長い赤茶の髪をゆるくひとつにまとめた長身の男子生徒。少し着崩した制服の彼は、遅れて来たにも関わらず、堂々とした歩みで教室に入り、焦る様子もなく、自然とクラス中の視線を集めた。
「アレクシオ・フォルツィ、なぜ遅れた。早く席に着きなさい。」
担任がアレクシオにそう促すと彼は空いている席――アメリアの一つ後ろに着席し、軽く髪をかき上げながら周囲を見渡した。その仕草一つをとっても、周囲に色香を振りまき、まるで全て計算され尽くしたような様子であった。
アレクシオは軽くため息をつき、気怠げに視線を前方に向けたかと思えば、すぐにアメリアの背中に視線を向けた。
「君、アメリア・ラクロワだよね?壇上で見たよ。特待生なんてすごいね。」
彼の声は静かでありながらも、その低く柔らかな響きは、周囲の喧騒を吸い込むような力を持っていた。アメリアは少し驚き、軽く振り返りつつ小さく頷いた。
「ええ、ありがとう。」
アメリアの返答は端的であったが、それに対してアレクシオは笑みを浮かべた。彼の目には興味と彼女を探るような光が混ざり合っていて、アメリアはその視線に少し不安を覚えた。
「でも君……あまり目立つのは好きじゃないみたいだね。」
アメリアはその言葉に少し戸惑いもあったが「そうね。ただ、静かにしていたいだけよ」と答えた。
「僕なんかはね、目立ちたくなくても目立っちゃうからね。君みたいに静かにしていられるのは少し羨ましいな。」
地味で申し訳ありませんね、とアメリアは思わず言い返しそうになったが、すぐにやめた。ここで言い返したら、まんまと彼の術中にはまったような気がする。
「まぁ、でも、僕は君も目立つと思うけどね。何というか、静かにしているからこそ自然と目が行くというか。君自体が魅力的だからかな?」
アメリアは、彼の言葉に小さく驚き、固まった。
その間、アレクシオはじっとアメリアを見つめていた。そして、その口元には微かに遊び心のある笑みが浮かんでいる。まるでアメリアがどんな反応をするのか楽しんでいるように。
(あ、これはからかわれているわ。)
アメリアは、冷めた目でアレクシオを見てため息をついた。エミリーは、いよいよ表情にも隠さず面白がっている。アメリアは少々むっとしてしまった。アレクシオはそんなアメリアを見てふっと微笑み、教科書を広げてさっとページをめくった。悔しいほどにその動作ひとつひとつにも余裕と色気が孕んでいる。
「さ、授業だ。つまらないけど、付き合ってあげようかな。」
アレクシオは、何事もなかったかのように教科書に目を通し始めたが、どこか満足げな表情を浮かべていた。
アメリアは、その態度にどこか苛立ちを覚えながらも、意識して教科書に目を戻した。
(今はただ、目の前の授業に集中しよう。)
そういい聞かせながら。
次話更新は2024年9月13日の予定です。