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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

高価な腕時計

作者: XI

*****


 左手首の内側の腕時計――二十二時くらい。高速道路に乗っている。車――黒塗りの高級車は右の側面から鉛弾の雨に晒されている。運転席には黒スーツの大柄な男。助手席にも黒スーツのごつい男。私の右隣には晩年のクリント・イーストウッドを匂わせる黒スーツのおじいちゃんがいて、だから残りの後部座席にはこれまた黒スーツの私である。


「パンパカパンパカ景気のいい話ッスね。弾だって安かねーだろうに」助手席の男――私の相棒は煙草に火をつけると「ハハハハハ」と電気仕掛けの機械みたいに無機質でテキトーな感じで笑った――のだけれど、舌を打つとすぐに「本部までついてきていただくにはいかないッスよ」と真面目くさった声を発した。「デッドエンドッスよ」と相棒――不敵さ満点と言ったほうが適切か。


 相棒が運転手に言って、高速道路の上り車線の隅に車を止めさせた――のはよいのだけれど、にしたって機銃だ。厄介だなとは思う。


「ねぇ、ボス」

「なんだい?」

「いい加減、警備、増やそうよ」

「君らしくない弱気なセリフだ」

「そうかな?」

「そりゃあね。戦場において自らの無能を謳ってどうするんだい」


 私は少々「むっ」となった。するとそんな表情も内面も心得た様子の表情で、ボスは「大人は難しいよね」と笑った。


 相棒がドライバーの男におもむろに言った。「くれ」と。受け取ったのは四十五口径。その弾丸をまともに食らえば頭はスイカ割りみたいにぶっとぶ。


 狙い撃ちにされるだろうと考え、つい「馬鹿っ」と呼び止めそうになったのだけれど、相棒は車からすっと下りたわけで――。相棒は跳ねた。ボンネットに跳ねて乗り、さらにぴょんと高く跳ねた。敵の銃口も銃撃もついていかない。さすがは相棒、馬鹿の権化。私は賢人だから、降車したらまずは敵の数を確認した。もろもろで十一人。車の右方へとゆっくり回り込みながら九ミリを手にする。私が報告書の内容を考えているあいだにも両手に銃を持つ相棒は敵を次々に駆逐してゆく。堂々とした振る舞いで少しでも反撃されようものなら執拗に弾丸を撃ち込んでまるっきり問題としない。弾倉の交換もえらく速い。だけど到底スマートな仕事ぶりに見えるはずもなく。九ミリ一丁になってもごり押し殺法で、結果、完全に制圧してみせた。


 相棒が車に近付いてきた。


「現場検証に立ち会う」

「そんなの後続に任せればいいじゃない」

「そうもいかねーよ」

「ふぅん。真面目じゃない」

「そうだ。俺は真面目なんだ」


 そこまで言われると、まあ、引き揚げるしかないのだけれど。


 私は後部座席に戻った。


 するといきなり、ぼーっとしていたに違いないボスが笑って――。


「あーらら。なにがおかしいのかしら?」

「襲われちゃったねぇ」

「うん。だから幸先がとても不安」

「そう、不安だ。不安。漠然としていてネガティブで不自由で剣呑な感情だね。だったらいっさい駆除しないと。いっそ排除しきらないと」

「なにをすればいい?」

「ネタは自然と彼が持ってくるよ。成果と結果が楽しみだ」

「無責任」

「慧眼だということが、じき、わかる」

「クソジジィ」

「愛を感じるセリフだね」

「死んじゃえ」

「はっはっは」



*****


 大阪府警察本部を訪れた。大阪府警。通天閣にビリケンさんに新世界に動物園といった様々なコンテンツの平和を担う平和な街の平和的なおまわりさんの集団であるはずだ。


 本部の三階――フリースペースの丸テーブルにつき待っていたところ、呼び出した男女ペアが仲良く訪ねてきてくれた。


 女は渡会(わたらい)で、男の名は小川(おがわ)という。茶色いパンツスーツ姿の、まあ美女。加えてタイトでスマートな紺色のスーツを着込んでいる長身の彼もまあ美男。この場で込み入った話をするつもりはないのだろう。私たちもそのつもりだ。情報の取り扱いには気を遣う。だったらどうするのか。――相棒が言った。


「仕事、早いとこ片づけてこい。飲みに行こうぜ」


 はあ?

 馬鹿みたいな顔をして疑問符を突きつけてきた渡会である。


「なんや、飲みって。この場に顔出してやったんかてな、仕事でつきおうてやってるだけなんやぞ」

「オッケーなんやな?」

「へたな大阪弁使うなや」

「へたか? 俺」

「……へたやないわ、くそっ」


 観念したように肩を落とした、渡会。


「小川ぁ、課長に言うてこいや。今日はもう上がりや、切り上げや」

「は、はいっ」


 小川君、かわいい。

 きちんと走って行ってしまった。



*****


「あほか、おまえは。なっさけないなぁ」


 まるきり酔っ払いのスタンスで私の向かいに座っているのは渡会氏――彼女の口元をおしぼりで拭ってやる相棒。餃子のタレの主にラー油が付着しているのである。自身の後輩である小川の世話にもなっている。小川君、先輩思いだ。非常に面倒見がいい。見所がある。仕事のパートナーとしてはお互いに文句などつけようがないだろう。誰でもいい。誰かとそういった関係を築けることには喜びのような悦を覚えるものだ。


 相棒が「小川さんはもっと元気、出したほうがええな」とはっぱをかけた。


「い、いえ。たとえば飲み会とか。そもそもこういう場に顔を出すこと自体、メチャクチャ苦手なんですよ」

「だったらなおのこと、冒険してみろ、だろ?」

「あなたはそうなさってきたんですか?」

「暴言吐いてやんよ。んなわけねーだろ、馬鹿野郎。嫌なもんは嫌だ」


 突然、渡会が両手でどがんっとテーブルを叩いた。私と相棒は微動だにしなかったけれど、小川はぎょっと驚いたようだった。両手を上げてすら見せた。


「い、いきなりなんですか、先輩。乱暴はやめてください」

「乱暴はやめてくださいって、処女か、おまえは!!」

「お、男ですよ! 完全に男ですよ!!」

「せやろがぃ。事実、おまえはそっちのデカチチ女の世話になりたいたいとかさんざん言うてたやんけ」

「いいっ、言ってませんよ、そんなこと! しかもさんざんだなんて!!」


 まあ、そのへんは驚かない。私の浅黒くグラマラスな肢体は男を狂わすにはじゅうぶんな魅力を孕んでいるはずだ。


 ――場所を変えることと、相成った



*****


 暗闇に満ちたバー、天井に瞬く――それはまるでプラネタリウム。長方形の床の面積は広くない。小さな四角いテーブルのそれらの辺にそれぞれが腰掛けている。


「最低限のヒアリングでいいって考えてたんだよ」


 そう言ったのは相棒で、「ヒアリング?」と訊ねたのは渡会だ。


「俺は相手が加害者であろうと被害者であろうと、そのニンゲンに感情移入しすぎるところがある。忌むべき不十分な客観性とでも言うべきかね。いっぽうで、自覚しすぎるきらいもある。そのぶんマシなんじゃないかなって思ってたりもするんだよ」

「せやから、なんの話や?」


 相棒は煙草に火をともすと、細く煙を吐きだした。


「じりじり追い詰めることはできる。真綿で首を締めるとでもいうのか? ただ、世間様に醜聞という醜聞が流布しちまう前にケリをつけたい。俺らがなにをしようとしているのか。ぼんやりとは言え、それくらいわかってんだろ? 協力し会おうぜ。よりよい未来のために」


 渡会は眉間に深い皺を刻む。

 なにがあっても「知らんぷり」を決め込みたがっているように映る。


 ――小川が口を開いた。


「お願いがあります。○○さんとお話しさせてください」


 そう。

 ○○さんというのが私の際たる固有名詞。


 最後の情けだとでも考えたのか、相棒は肩をすくめてみせた。どうあれどうにか転ぶのだろう。渡会とともに立ち去る相棒の背を眺めつつ、私も大きく肩をすくめた。


「お初にお目にかかります――って言ってもいいくらいじゃないのかな」まだまだピッカピカの小川は「ふふ」と笑った。「ありがとうございます。お願いを聞いてくださって」


 つまらない話はしたくないなと断った上で、私は微笑んだ。


 場所を変える。

 カウンター席に並んで座り――。


「私と私の相棒は君の出自にまつわる歴を疑ってるんだわ」

「出自? 歴?」

「君はウチが得られる情報を甘く見ていたのかな? それとも案件に関するプライオリティを測りかねていた? とにかく君はぜんぶ間違っちゃった。その旨だけ、やっぱり念押ししておくよ」


 そうですか……。


 そんなふうに呟いて、小川は首を前にもたげた。


 小川が顔を上げた。

 見つめてくる。

 その視線が生気に満ちているように見えるのは気のせいか。


「○○さん」

「なに?」

「僕はやっぱり、あなたみたいな強くて美しい女性が好きです」

「あーれま、結構なお言葉ですけれど、無力な男に興味はないな」


 なんだかわからないけれど小川はころころ笑って、二つ三つと頷いた。


「なに? こっちはこっちで手を尽くしていいの?」

「もちろんです」


 私は舌を打ってしかめ面をした。


「騙し討ちはなしだぞ、おぼっちゃん」


 やはりもちろんですと言い、晴れやかに笑ったおぼっちゃんだった。



*****


 その日の夜、大阪の繁華街の狭い区画は、いかにも屈強で見映えのする重装備の機動隊に包囲されていた。十字路の中心を潰された格好である。私には自信があった。小川のぼっちゃんはたとえ口約束であろうとそれは守るだろうと――。たとえばお好み焼きぐらいご一緒してやってやってもよかったな。コナモノで飲むの、案外嫌いじゃないんだよな。


 私と相棒と渡会は赤色灯が忙しなく回る場所にて待機中だ。二人して紫煙をくゆらしている、渡会はというと、まるで落ち着かない様子だ。自分が無理やり引っ張り出されていることから、ただ事ではないことは理解しているのだろう。


 話を整理してやる。


 私の相棒にそう言われた渡会は、びくぅっと身体を跳ねさせた。

 さらにはぐいぃっと顔を近づけられ、派手に身をのけぞらせた。


「あ、阿保っ。いきなり近づくなっ!」

「弱気の虫が顔を覗かせてるってな」

「嘘つけぇっ!」

「ははっ」


 相棒はすぐに真面目な顔をして、「時系列で話そうか」と言った。すると渡会は腕を組んでぷいっと顔を背け、「おまえは時系列が大好きやな」と憎まれ口を叩いた。


「最近、ウチのボスが襲われたんやわ」

「えっらいむかしからの時系列やな、オイ」

「まあ聞け。でな? さすがにウチでもアクションを、ってな」

「で?」

「もろもろ対応したのは言うまでもねー。んで、出て来たのが御社だ」

「くそったれ。御社ってのは皮肉やろうがっ」

「解釈は好きにしたらいい。いっぽうで俺は俺で怒ってるってことくらい伝えておこうかね。テメーらの権限すらうまく活用できねーあんたらにはホント腹しか立たねーよ」


 驚いた顔をして――沈んだ顔をして、唇まで噛んだような渡会。

 図星をつかれてこの上なく悔しいのだろう。


「……んで、結局のところ、『事』はどういうことなんや?」

「奇しくも本部長のお名前も小川さんや」

「そんなんいまさらやろ。せやからってな――」

「いいや。おたくらは完全に腐ってるぜ」相棒がにぃと妖しく笑んだ。「詳細を詰めて回るのはこれからだ。でも、わかってることもある。小川さんちとヤクザはズブズブだ。お互いにお互いを切れないくらいにまで結びついてる。いわゆるどぎたねぇ関係ってやつだな。どえれー美談だとも言える。つったって、興味ねーよ。世話のねーってこった」


 赤色灯が、私、相棒、渡会の頬をぐるんぐるんと順番に照らす。


「本部長にはいろいろ噂がある」

「そこんとこ、聞かせてもらいたいな、渡会さん」

「やっぱ……そう、ヤクザとのつながりやな」

「おまわりさんとヤクザでコンビ組んで、テメーらは甘い汁を吸いながら、あちこちには迷惑をかけようと?」

「まあそうなんやが……。にしたって、ヤクザと悪さするだけなんて、そこまで旨味があるか?」

「そこにはほかにもなにかが絡みついてる、か……」


 私の相棒はすごく静かだ。たぶん「元刑事」で、ヒトの話を聞くことに慣れている――あるいは長けているからだ。


「どうあれ弊社に迷惑かけようとするかね」

「おまえんとこを知ってるニンゲンは多くない。でも、知ってる奴は地雷やって理解してる。そういうもんや」

鈴宮(すずみや)、だったか?」

「ああ、そうや。鈴宮や。おまえらみたいな危なっかしい手合いを襲うような、単なるパーフェクトなおっさんや。雑魚や、羽虫や、身の程知らずなくそったれや」


 はーい。

 はーい、はーい、はーい。


 私は元気良く右手を上げた。


「なんや、デカチチ女。おまえはお行儀良く黙っとれや。頭に栄養の行っとらん阿保は死にさらせ」


 まったく酷い言われようである


 相棒が「鈴宮は渡会さんと小川さんの同僚だ。捜査一課の刑事だよ」と、とっとと言った。「それくらいは知ってんだろ?」と念を押され、だから「馬鹿。舐めんな」とだけ答えた。


 押しつけるようにして、相棒にインカムを渡した渡会。


 今回、私たちは、「弊社」に迷惑をかけてくれたヤクザの二次団体を圧し潰し磨り潰す。想定した建物――地下の事務所に小川が入って行ったことから、奴さんも容赦なくターゲットに入った。付き合いはある。だが義理や情は……あるとは言えないな。だから私からすれば怯む要素なんてない。だけど、彼を「相棒」とする渡会はどう考えているのか。彼女の考える善悪の彼岸。興味深いところだなんていうと叱られるし、あまりにも(にん)()(にん)がすぎるだろう。


 重装備の連中を割るようにして、渡会は強引に現場へと向かう。はい、規律違反、服務規程違反。もう待ったなしだな。相棒に言われた。「同じ女だ。フォローしてやれよ」。まったく男ごときがなにを偉そうに。



*****


 腐った水の臭いだ。どこの繁華街にあっても一つ二つと路地に入れば鼻をつく悪臭に全身をしくしくと穿たれる。まあ、当該案件においてそんなことはどうでもよく――。迂闊な動きながらもつんのめり、「おっとっと」と十字路の先に飛び出してしまった。すぐさま身を引き、建物の陰で頭を低くする。


 渡会と小川が拳銃を向け合っている。のっぴきならない状況であることは明白だ。


 野暮だとは考えた。だけど、この場で二人が撃ち合うのは違う気がした。改めて拳銃を右手で握り、壁の陰から表に出て、小さな歩幅、あるいは摺り足で進む。やがて渡会の右肩に左手をのせた。


「この期においてなんやねん、デカチチ女。邪魔しよったら殺すぞ」

「レアケースだよねぇ。この場合、誰が死んでもおかしくない。面白くない」

「せやからなぁ――」


 十メートルほど先の暗闇にあって、小川は穏やかに笑ってる。その裏にあるのは明確な覚悟か。小川に訊きたいことは、じつはもう、ほとんどない。


 小川には選択の自由がある。


 さあて、見せてもらおうじゃあないか、小川君。

 君が出す結論を。


 次の瞬間だった。


 小川の背後で大爆発。彼の奥に見える左手のビル――その地下から轟音が上がった。たぶん「小川と関係がある『くだんのヤクザ』の事務所」だろう。爆発の規模からして結構な量の火薬が使用されたと思われる。これはなんのための一撃なのか――せめてもの「お片付け」ではないのか。


 もくもくと立ち上る煙を背に、小川は銃を構えたまま薄く笑っている。


「鈴宮さんと僕との関係については、墓まで持って行くことにします」

「そんな大げさな話でもないやろ。調べはすぐにつくぞ」

「先輩、人生、ままならないものですね」

「抜かせ。そんなん生まれる前からわかりきってることや」


 小川がトリガーを引く音が確かに聞こえた。弾丸はかなり近くを通り過ぎた。まさか殺すつもりで撃ったわけではないだろう。小川はかなり腕が達者だということだ。


 ……もうええ。

 そんなふうに聞こえた。


 渡会は気の張った身体のまま、九ミリを右手に、改めて前進を始める。そのあいだも小川はトリガーを引くことを重ねる。常人が弾丸を避けることなどかなわない。要は小川はわざとはずしているのだ。なんのために? そんなこと、もはやわかっている。


 やがて二人は至近距離で銃を向け合うにまで至った。


「九割方、わかってる。残りの一割や。情状酌量の余地はあるはずや。そして今回の事件について被害者はおらへん」

「被害者はいます。被害者がいない案件は事件とは言わない」

「戻ってこい、小川。おまえさえ戻ってくれば、元通りや」

「撃ちます」

「小川ぁっ!」


 やはり私には小川がトリガーを引く刹那の音が聞こえた。だからもう撃つしかなかった。軽快に放ち、素早く接近して、倒れたところに一発ずつ打ち込むことで四肢の自由を奪った。


 月明かりだけの真っ暗な路地。湿ったアスファルトの上、小川は仰向けにどっと倒れている。


「小川ぁ、なんでやねんな。なんでこんなことになってしもたんやぁ?」小川の脇にしゃがみ込み、涙声を漏らす渡会。「強欲なだけの親父のことなんざ気にすんな。あたしは常々そう言うてきたつもりやぞぉ……?」


 小川は目を細めると、口元も優しいかたちにした。渡会が小川の左手を両手で――きっと強く――握り締める。すがりつくようにして両手で掴む。「最後なんやな?」と訊くと、「はい」と返された。


「訊くぞ」

「はい」

「おまえ、ケチくさいのに、なんでオーデマピゲなんてしとんねん」


 小川は「それが最後の質問ですか」と言い、血を吐きながら笑った。


「母からの、まあ、言いつけみたいなものかな。男なら腕時計だけは遠慮なく格好をつけなさい、って。その母も、父の浮気が原因で心を病んだ挙句、亡くなってしまいましたけれど。ああ、お母さん、僕は大好きだったなぁ……」


 静かで穏やかとしか言えない、小川の微笑み。


「おまえの人生は? どうやった?」

「こうしてとびきりの女性に見送っていただけるわけです。幸せでしたよ、ほんとうに」

「まっ、待て小川っ、やっぱ逝くな!」

「先輩、強く生きてください。僕の分まで、まっすぐに」


 おがわくんは、しんでしまった。



 表通りに戻って『ウチ』の車両へ。相棒は赤色灯が回る中、黒塗りのボンネットの上に乗り上げ、黒いタブレット端末を操作していた。


「なにやってるの?」

「将棋だよ」

「まったく、どれだけ暇してたの」


 深々とした吐息が漏れる。


「渡会さんは? ご健在か?」


 きょとんとなった私。


「あんたはいくつのケースを想定してたわけ?」

「二つ三つだけだよ」相棒はボンネットから下りた。「さあ帰ろうぜ。ここにはもう、用はねー」



*****


 翌日、ベッドの上――スマホを見て時刻を確認。おやまあ。もう九時を回っているではないか。サラリーマン、あるいは社会人としては失格だと思ういっぽうで、そうあるニンゲンが一部いてもいいとも考える。


 スマホが鳴った。相手はボスで『召喚命令だ』と告げられた。その理由を考えるくらいならいっそぶちあたってやったほうが話は早い。


「どこ? 本部に行けばいい?」

『連れて来てもいいんだよ?』

「相棒?」

『うん。ちなみに彼はいま、どうしてる?』

「寝てる」

『だったら君だけ来なさい』

「はーい」


 そう返事をし、通話を切った。早速、黒いパンツをはいて白いブラウスを着て。トーストをかじり、ブラックを飲み、しっかり歯を磨いてからぐっすりな相棒の左の頬を撫でた。こいつこそスペシャルなんだよな。私はジャケットに袖を通し出勤する。



 黒塗りの車中。ボスは一番偉い席に座っていて助手席は不在――私はボスの隣に腰掛けている。


「どこ行くの?」

「おやおや。わからないのかい?」

「わかるからこそ、謎めいてるな、って」

「彼がいないと怖いなぁ」

「それ、本気で言ってる?」

「冗談に決まってるじゃないか。この狂犬め」

「がぁぉっ」

「あっはっは」



 大阪府警察本部、本部長室――。


 あれこれ下っ端の邪魔が入ったのだけれど、私は彼らの妨害を跳ねのけ、ボスを目的地までお連れした。本部長はきちんといた。そこそこ雰囲気のある木製の机の上に肘をついて指を組んでいる。暗い顔をしているのはもちろんだ。


 ボスが低くしゃがれた声で「小川本部長、あなたを逮捕します」とさらりと言った。すると重々しい声で、「なんらかの証拠があるのかね?」とやり返してきた。ボスは「あります」と言い切った。


 黒革の、極上に柔らかそうな椅子の上で、改めてといった感じで、本部長は座り直した。鳩胸が大きく上下した。


 ボスは切り出した。


「亡くなったお二方、小川刑事と鈴宮刑事の関係について。鈴宮刑事は小川刑事に多額の借金があったようです。詳しい話はともかく、本人にとっては切実なことだったんでしょう。その代償として、鈴宮は小川にとって都合のいい『駒』になろうとした。察するに律義で生真面目な男だった。小川が無償だと言っても鈴宮はそれをよしとはしなかった。対価が必要だからせめてリソースを売った。やはり頑固だったんですよ」

「それだけでは話が通らない。小川と鈴宮はどうしてあなたたちのスケジュールを把握することができたんだ? どうしてあの日、あの夜、あなたたちを襲撃することができたんだ? そこにあるのはトップシークレットであるはずだ」

「それはあなたが噛んでいたからです。あなたは立場上、多くの情報を得ることができる。ギルティな手段を講じることだって可能でしょう。小川と鈴宮をああだこうだと動かした、否、都合よく動かしてきた黒幕はあなただ、違いますか?」

「……違わないな」

「お早いご決断、恐れ入ります」


 おっさん二人が睨み合う。


「取り調べには応じよう。ただ、『彼ら』は掛け値なしに強く大きいぞ。はっきり言って、君たちが臨む先にはいばらしかない。勝てるとも思えない」

「その予想は裏切ってみせます。私どもは、弱くない」


 小川本部長は「そうか……」と呟き、微笑み、立ち上がった。

 大人の男の潔さが、そこにはあった。



*****


 ある日の業後――。


 タクシーに乗った。今日は相棒、我が家に泊まっていってくれるらしい。スマホを使って朝食のサンドイッチをオーダーした。


「ねぇ、あんたさぁ、最近、頭脳派、気取ってない?」


 相棒は無感情な口調で「なんだよ、それ」と言った。


「だってさ、最近、私のほうが馬鹿にされてる気がするもん」

「だったら、そうなんだろぉ」

「あんたねぇ」

「もう黙れよ。情報漏洩の危険はどこにだって転がってんだからよ」

「だったらタクシーなんて拾わなきゃいいじゃない」

「うるせー。二度言わせんな。黙りやがれ」


 ぶぅ。

 私は口を膨らます。


「相棒、ちなみに、あんたの腕時計は?」

「知ってんだろ? 国産のやつだよ」

「どんなやつだっけ? 見せてよ」

「見せねーよ。ちゃんとしたやつだよ」


 国産。

 ちゃんとしたやつ。


「小川くんは、オーデマピゲの最上級モデルをつけてた。一千万だってさ」

「オンリーワンでナンバーワン」

「うん?」

「腕時計っつー掛け値なしの相棒に金をかける男は、それなりにいい奴だろうよ」

「そうなの?」

「そういうもんだ。ただし結婚してる野郎の場合は――」

「場合は?」

「決まってんだろ。かみさんの許可が必要だ」


 私は目をぱちくりさせた。


「へぇ。わかってるじゃない。偉いじゃない」

「そうだ。俺はわかってるし、偉いんだ」


 二人で小さく笑い合った。


 高速道路。

 窓の外、眩しすぎるビル群。

 目に刺さるような光の束が流れてく。

 後ろへ後ろへと流れてく。


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