陛下の身勝手な婚約破棄を受け入れます。私は隣国の騎士様と結婚しますので。
異世界恋愛は初投稿です。よろしくお願いします。
「サラ。お前との婚約の件だが――なかったことにしてくれないか」
「陛下、どういうおつもりですか?」
「字義通りのことだ。まさかわからないとはいうまい」
(なんて……なんて身勝手な)
皇帝ルーカスの執務室に、サラは呼ばれていた。彼女はルーカスの婚約相手である。
サラの出自は平民だった。ルーカスがもっと若かった頃、村を訪れる機会があり、その際に一目惚れをしたのがサラであった。
これまでの村での生活をやめさせられ、半ば無理やり、サラは貴族社会に組み込まれた。
貴族社会のしきたり、貴族間の序列、権力闘争。こういった荒波の中に放り込まれたサラは、ひどく辛い日々を送っていた。平民の出自であるからと、不当な差別を受けることもざらだった。
そんなサラの生活を、さらに苦しくさせた人物がふたりいる。
ひとり目はルーカス。
彼が気に入っていたのは、彼女の容姿だけだった。大人しそうなので、手懐けやすそうだ。そんな身勝手な理由である。
現実は違った。サラはルーカスと反りが合わなかった。自分の思い通りにならないサラに対して、ルーカスはまともではない扱いをしていた。
ふたり目は、サラの姉であるヴィクトリア。
サラとは正反対な性格で、異性に媚びを売り、自身の立場を強めようと積極的に動く。気が強く、敵も作りやすいが、着実に貴族社会での地位を高めていた。
与えられた処遇に適応しかねているサラの姿が、ヴィクトリアにはもどかしく思われたのだろうか。そもそもサラを好んでいなかったヴィクトリアは、サラをいじめ抜いた。ときには懇意にしている令嬢をも引き連れて。
私はここにいるべきではない――そう考えたことも何度かあったが、事情が事情であった。
ヴィクトリアは、ルーカスの弟、つまりエドワードと婚約していた。それゆえ、サラを追放するというのは、ルーカスの立場がない。自ら一目惚れして、引き連れた姉妹だ。ある程度ラインを越えた扱いをすることはできない。
要するに、サラは飼い殺しにされていた。誰も望まない、幸せにならない処遇。これに対する不満が、ルーカスやヴィクトリアたちから向けられていたのだ。サラにとっては、理不尽きわまりないものだった。
「安心しろ、代わりの婚約者は決まっている」
(なにが安心しろ、ですか)
サラは内心、怒りを爆発させていたが、それを表に出さぬよう心がけた。
「入れ」
扉が開く。
「あら、サラじゃない? 捨てられた、かわいそうな私の妹」
入ってきたのは、ヴィクトリアであった。
「姉さん、これはいったいどういうつもりなのですか」
「偉そうな態度。でもいいわ。ちゃんと説明してあげる」
ヴィクトリアの婚約相手、つまりエドワードは、先日亡くなっていた。自殺とされている。
ルーカスにとって、この頃エドワードは目障りな存在になっていた。ときおり反逆の意思を示しており、命を狙われてもおかしくなかった。
エドワードは自殺とされているが、不自然な死に方であった。遺書さえ残していないのである。
「これって、だいぶ私たちにとって都合がいいと思わない? ね?」
ヴィクトリアは、ルーカスの肩に手を回した。妖しい視線を、ヴィクトリアは送っていた。
「まさか……陛下とあなたが?」
「ええ。これであなたはいらなくなるの」
「そう、ですか」
「筋書きはこう。婚約者を失った悲しみから、エドワードの兄である陛下に思いを寄せるようになった。私は悲劇のヒロイン。あなたが婚約者の座を奪われても、誰も悲しむ者はいない」
(そう、私の居場所はここにはない)
この地獄から抜け出せる、という思いよりも、身勝手きわまりないふたりへの苛立ちが上回った。
自分はなにも、貴族社会に取り込まれることを望んでなどいなかった。ただ、村の中で静かに、穏やかに暮らせればよかったのだ。
「そういうわけだ。残念だろうが、お前はもう俺の婚約者ではない。そして、いろいろと事情を知ったお前には、この国にいる資格などない。村に帰ることも許されない。静かに余生を送ることだな」
「……はい」
ルーカスの命令は絶対だった。これまでと同じだ。それももう、きょうで終わる。
(なんだったんだろう、私の人生)
振り回され、振り回され、捨てられる。こんな生き方を強要されるなんて、惨めで仕方がない。そう、サラは自虐的に考えていた。
最悪な婚約破棄であったが、殺されずに済んだことだけは、よかったといえよう。命あっての物種であるから。
「出ていけ、サラ。もう二度と会わないな」
ヴィクトリアは、哀れむというより、蔑むようにサラを見送った。ルーカスは使用人に任せて、サラの送迎の任を果たした……。
□■□■□■
サラは、予定通り隣国へと追放された。ヴィクトリアはルーカスと婚約を結ぶこととなった。
世間的には、サラの追放は美談という歴史に書き換えられていた。性格は悪いが、ルーカスは美しく、弁舌に優れている。
事情を知るものにとって、ルーカスの偽装工作はただの茶番でしかなかったが、なにも知らぬ一般市民にとって、そのような事情など知ったことではなかった。
(どうしましょう)
サラが身を置くことになったのは、隣国の沿海部だった。幼い頃に何度か訪れたことのある土地だ。
サラには別人として生きる道が与えられていた。服装も髪型も、いままでとはまったく別のものを着用している。
ここまで着いたら、あとはサラの手で生きて行かねばならない。誰の助けも得られなければ、野垂れ死ぬだけだ。
(どうせ私は野垂れ死ぬ。それなら……)
思って、サラは考えを変えた。
ここでうまくやっていけなければ、それまで。命ある限りは、人生最後の旅だと思って、楽しもうじゃないか。
だって、ようやく与えられた、私の自由なのだから――。
サラの持ち物は、必要最低限の日用品と、わずかな金銭。それだけだった。
数日間、彼女はなんとか生活することができた。はじめに泊まった宿の主人が優しい人物であったため、しばらくタダも同然で泊まっていいといってくれたのである。
「なんだか、申し訳ないです」
「いいんだよ、お嬢ちゃん。困ったときは助け合い。騎士団長様もそうおっしゃるからな」
「騎士団長?」
「そうかい嬢ちゃん、よそから来たんだもんな」
この地域の周辺を警備する騎士団がいる。その長をいっていた。気立てがよく、整った顔立ちで、周りから好かれている人物だという。
(まるでルーカス陛下とは大違い)
不敬なことだと思ったが、いまやあの国に居場所はないし、あのような男に払う敬意などない。そう思い、余計な考えは捨て去った。
「騎士団長は、一般の人々ともよく話されるのですか?」
「そうなのさ。別の地域は違うらしいがね。ほんと、一度お嬢ちゃんにも会ってほしいもんだよ。惚れるんじゃないよ?」
いって、主人は笑った。おかしくなって、サラも笑った。
数日間、なにもせずに宿の中にずっといた。なにもしない、縛られないことの自由を謳歌したのだ。
「そういえば……」
かつて、この場所に幼馴染と行ったことがある、とサラは思い出した。
願いが叶う石碑、というのがこの地域にはあった。好きだったあの子を思い出して、サラは懐かしくなった。
(あの頃に、戻りたい……)
昔から、ヴィクトリアはサラに意地悪だった。それでも、幼馴染のあの子は、私に優しくて。ちょっと惚れていたんだな、とサラはいまになって思う。
(いきましょうか)
主人に出かけるよう告げた。宿からは、歩いて数十分の場所に、目的地がある。
歩いていると、昔とは変わった街並みに、サラは驚いた。途中で人に道を聞きながら、石碑を目指していく。
石碑は、海の近くに立っている。
「ここ、かな」
ちょっと色褪せて、苔が生えていた。人はあまりいなかった。そもそも人気がなかった石碑で、時が経ち、人気がさらに低迷したのかな、とサラは考えた。
石碑を撫でると、楽しかった日々が蘇ってくる。
(戻りたい、あの頃に……)
でも叶わない。サラは知っている。それでもなお、ないものねだりをしてしまうのだった。
「……君、そこでなにをしているんだい?」
カチャリ、カチャリと鎧が上下に動く金属音。
「騎士団の、方たちですか?」
物思いにふけっていたため、人が近づいてくるのに、サラは気づかなかった。
「はい。あなたは、旅の人ですか?」
「ええ。そんなところです」
爽やかで安心する声だ、とサラは思った。
頭につけた鎧を外し、男は微笑んだ。
「騎士団長のユリアンといいます。ようこそ、私たちの町へ」
いって、亜麻色の髪が潮風で揺れた。
刹那、サラの中で時が止まった。
(あれ、この感覚……)
サラの中で、騎士団長とある人物がオーバーラップする。
そう、忘れてはいけない人。
幼馴染の、ユリアンではないのか。
落ち着かなくなって、サラは俯いた。耳たぶに手を回し、しきりに揉み始めた。
「あっ、あなたは――」
どうかされましたか、と騎士団長は仲間に問われた。
「私とあなたは、一度じっくり話さないといけないようです」
事情を知らぬ仲間たちには、ここから引くよう命じた。
「どこかでじっくりお話ししましょう、サラ」
「……というわけなんです」
騎士団長、つまりユリアン御用達の店に、サラは呼ばれた。ここなら、サラの正体について語っても、問題はない。
むろん、ユリアンは鎧を外していた。代わりに、騎士団指定の制服を着ている。
「あのあと、君は苦しい思いをしたのか」
やりきれない様子で、ユリアンは俯いた。両手の拳を強く握りしめる。
「ごめん、君を引き止められなくて」
「いいの。陛下のご命令は絶対、だから」
「……それでも、僕は申し訳ないと思っている」
サラがひとしきり話した後は、ユリアンの事情が語られた。
ユリアンは、幼い頃から「人を守る騎士になりたい」と願っていた。が、ルーカスの統べている帝国では、平民が騎士になる例がきわめてすくなかった。
そこで彼が選んだのは、隣国の騎士になるという道である。ここであれば、身分に関係なく、実力で高位を目指せる。いずれ一国を統べる騎士にもなりうる。
「現在のところ、いち地域を担当する騎士団長にすぎない。まだまださ」
「すごいよ、ユリアン。私は、私は……」
「自分を責めちゃダメだよ、サラ。君のおかげなんだよ、僕が騎士になったのは」
「私の、おかげ?」
「ああ。君は、あの石碑の前で、君は僕の夢が叶うように、と祈ってくれた。覚えているかい?」
「そういえば、そうだった……」
ユリアンは苦笑いした。記憶が薄いなんて、ひどいじゃないか。茶化すようにいった。
「君は、帝国で生きる道を失った。故郷に帰る自由も、姉に物申す権利も」
「はい……」
「その代わり、こうして僕たちは再会できた。自由な世界を手に入れたんだよ、サラは」
そうか、とサラは思う。
「帝国でのサラは、死んだ。こんないい方をするのは、あまりよくないけど。この国で、サラは生まれ変わったんだよ。新しい、サラに。もう、理不尽にされることはない。なにせ、僕がついている」
手を、ユリアンは差し伸べた。
「ねぇ、ユリアン。それは私へのプロポーズ?」
「あ」
勢いに任せて言葉を紡いだが、自分の発言を振り返ってみると、いささか先走りすぎだった。そうユリアンは思い直した。
「忘れてくれはしないよね」
「ええ。大好きな幼馴染から、大胆に告白してもらったんだから」
ふふ、とサラは心から笑った。おっちょこちょいなユリアンは健在だった。笑っていたら、なんだか切なくなってきた。いままで、散々苦しい思いをしてきた。それなのに、なにもなかったように、昔のように笑っている。
そんな自分が、
「サラ、泣かないでくれ」
「泣いてなんかないよ」
「自分の気持ちに正直になって」
ユリアンは、タオルを取り出して、サラの涙を拭き取った。
「……まだ僕らは再会したばかりだ。もうすこし冷静になって、気持ちが固まったら、改めてさせてほしい。一時の感情に流されるような男だとは、思ってほしくないから」
「いいよ、ユリアン。私は受け入れる覚悟ができてるから、いつでも、いいよ」
「サラ……」
数ヶ月後、ユリアンとサラは婚約をすることとなった。むろん、サラは本名を隠して。
結婚してから、ふたりは幸せな日々を過ごした。卑屈になっていたサラも、少女のような明るさを手に入れつつあった。
それからさらに数年後。
姉のヴィクトリアが、ルーカスから愛想をつかれ、離婚したとの報が入った。ヴィクトリアの本性が判明し、見捨てられたのだという。
かわいそう、とは思わなかった。せいせいした、とも思わない。
自分は幸せになり、姉にはバチが当たった。ただ、それだけのことだから……。
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