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現代恋愛短編

指切りげんまん、嘘ついたら絶対に許さない

作者: 糸木あお

「ねぇ、いっちゃん。大きくなったら僕のお嫁さんになってね」

「うーん、わたしのこと1番大事ににしてくれる?」

「もちろん」

「ならいいよ」

「やったあ、嬉しい」


「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます、指切った」


 そう歌ってからわたしたちは絡めた小指を離した。今でもこの日の夢を見る。もし、戻れるならこんな約束は絶対にしない。だって、石花くんは怖いのだ。


「いっちゃん、誕生日おめでとう。僕たちが結婚するまで後10年だね」


 12歳になった石花くんは背がひょろりと伸びて見上げないと目が合わなくなっていた。7年前は女の子のように可愛かった石花くんはすっかり男の子らしくなっていた。眉目秀麗、文武両道を体現したような彼はとてもモテた。彼がモテればモテるほどわたしに降りかかる嫌がらせはエスカレートしていった。靴や教科書が行方不明になり髪の毛を切られ水をかけられ地面とキスをする羽目になったりした。


「石花くん、そういう冗談やめて欲しいなぁ、なんて」

「指切りげんまんしたでしょ?大学を卒業したら結婚するって」

「そんな具体的な約束はしてないよ」

「約束自体はしたよね?嘘が下手だなぁ、いっちゃんは」


「石花くんといるとわたしちょっとしんどいというか、何というか」

「嘘ついたら針千本飲ますって言ったよねぇ?」


 石花くんの笑顔は怖い。わたしはまるで蛇に睨まれた蛙のようにピーンと固まってしまう。石花くんがこういう行動を取れば取るほどわたしは孤立する。どういう時空の歪みがあるのかはわからないがわたしが彼から逃げようとすればするほど近付いているようだった。石花くんはポケットからレースのリボンを取り出してそれを使って器用にわたしの髪を結んだ。それからぎゅうぎゅうとわたしを抱きしめた。


「絶対に逃がさないからね、いっちゃん、大好き」


◇◇◇◇◇


「誕生日おめでとう。僕たちが結婚するまで後6年だね。ああ、楽しみだ」

「あの、石花くん。毎年これやるのやめにしない?ちょっと怖いし」


「だってこうしないといっちゃん忘れっぽいから約束のこと忘れちゃうでしょ?本当は後2年で結婚しても良いんだけどいっちゃんは大学行きたいみたいだし。心理学、やりたいんでしょ?」


「うん、大学は行きたいよ。石花くんはずっとわたしと結婚したいって言ってるけどやりたい事ないの?高校だって県内で1番のところに行けたはずなのにわたしについて来ちゃうし…、みんなから大ブーイングだったじゃん」

「いっちゃんのそばにいるのが僕のしたい事だから良いんだよ。世界中のどこだっていっちゃんがいる場所が僕の居場所だから」


「あのね、あんまりこういうことは言いたくないんだけど、石花くんって重いよ」

「えっ?62キロだよ」

「そうじゃなくて」


「さ、息止めて。大丈夫、練習したから」

「痛くしないでね」


 石花くんはわたしの右耳をアルコール綿で拭くと耳朶みみたぶにピアッサー嵌めてから思い切り良く押した。カシャッとホチキスみたいな音がしてから彼の手が離れた。ピアスを開けた箇所は熱くて痛かった。多分、予防接種よりはずっと痛い。


「痛い」

「そりゃあ穴が空いたんだから痛いでしょ。ファーストピアスが安定したらこれとお揃いのつけようね。それに、痛いのには今から慣れといた方が良いよ」


 そう言ってから彼は髪を掻き上げて自分の左耳に付けてる四角いピアスを見せてきた。


「ユニセックスなデザインだから2人でお揃いにするのにぴったりでしょ?これからもピアス買ったら半分こしようね。18歳になったらちゃんとしたダイヤのやつをプレゼントするね。バイトしてお金貯めるから卒業旅行も行こうね」


「そんなこと、しなくて良いのに」

「いっちゃん、しっ、黙って」


 わたしのくちびるに指を当てて石花くんはウインクした。ずっと一緒にいるけどこういう二次元みたいな行動が許されるのは彼の容姿が良いからなんだろうなと思う。校則ギリギリまで伸ばした髪にピアスも彼には良く似合っている。今まで何千回も考えたけど何故、彼はこんなにもわたしに執着しているののだろう。やっぱり出会い方が間違っていたのかもしれない。



 わたしの5歳の誕生日に彼はうちの隣に引っ越してきた。当時妹が生まれたばかりで育児が忙しい母に放っておかれていたわたしは、切実に誕生日に毎日遊んでくれる友達が欲しいと神様に願った。だから、人見知りで歳の離れたお姉さんの後ろに隠れていた石花くんの手を引いて近くの神社でかくれんぼをしたり花の蜜を吸ったりしながらやった!願いが叶った!と大喜びしたのだ。


 石花くんは最初はおずおずと恥ずかしそうにしていたけど途中からは夢中になって遊んだ。彼は幼稚園のどの子よりも可愛い顔をしていた。色素の薄い髪はサラサラで、白詰草の冠を被せると絵本の中のお姫様みたいだった。


「さくくん、かわいいねぇ」

「変じゃない?」

「かわいいよ!わたしよりずうっとかわいい」

「いっちゃんのほうがかわいいと思う」


 顔を真っ赤にしながら彼はそう言ってすぐ目を逸らした。それを見てわたしは神様が最高の友達をプレゼントしてくれたと確信した。今考えればあれが多分間違いだった。ピュアな石花くんにぐいぐい行きすぎた罰がこの状況なのかとヒリヒリと痛む右耳を触りながら思った。



◇◇◇◇◇


 ついにこの日が来た。わたしはこれまで細心の注意を払って石花くんと接してきた。しかし、その生活ももうすぐ終わる。死ぬ気で勉強をしたおかげで県外の心理学部のある女子大に合格した。

 2年生の時点で絶対に無理だから変更した方が良いと言われた時に県内の大学にするとまわりには伝えていたけど貯めておいたお年玉をかき集めて父と妹と石花家の皆さんに内緒で受験したのだ。母と担任の先生には死ぬ気で頑張って受かってから家族に報告したいと伝えていたのでなんとか上手く行った。

 

 最後の方はそれこそ齧り付くように勉強をしていたのでしばらく頑張れそうにない。後は石花くんにバレないように引越し作業を進めるだけだ。きっと、離れれば彼も冷静になってわたしのどこが良かったんだろうと考えるはずだ。わたしたちは5歳で出会ってからずっと一緒だった。だから、そろそろお互いに依存する事をやめた方が良い。


 小学校高学年の時、彼は多分わたしへの悪意に気付いていなかった。中学生になった時、庇えば余計にわたしへの風当たりが悪くなる事に気付いて学校ではあまり関わらなくなった。


 高校に入学してからはまた以前のようにベタベタしてくるようになったけど、高校3年間は全くいじめや嫌がらせに遭わなかった。高校生になってまわりがそういうのをやめた訳ではなくてわたしと石花くんの周りに不自然に転校や不登校になる生徒が増えたのだ。


 このまま行くときっと彼はわたしのために取り返しのつかない事をするという確信があった。多分、法を犯すような事をする。それは絶対に阻止したかった。それに、わたし自身も石花くんの事は好きだけどここまでくると単純な好きではなくなっていて一度全てをリセットするために離れたかった。


 彼と向き合う為にそれは必要だと思えたし、12年間かけてわたしも彼も他をどんどんなくしていってお互いしかいなくなってしまったのだ。


 心理学に興味を持ったのも彼の事をもっと理解したかったからだけど勉強をして知識がつけばつくほど彼が異常だと気付いた。でも、石花くんがそうなったのは多分、わたしのせいだった。


◇◇◇◇◇


 大学の敷地内にある学生寮で彼の事をふと思い出した。女子大だからさすがに緊急の事がなければこの中には入れない。地元からは新幹線で1時間半かかるからさすがの彼でもそんなに頻繁にこの周りをうろつく事は出来ないだろう。食事も洗濯も寮で出来るしセキュリティもしっかりしていた。買い物もネットで出来るので学外に出なくてもそんなに不便はなかった。


 それに、無理して入った大学なので毎日の実験や授業や統計でクタクタでバイトやサークルみたいな事をやる余裕がわたしにはなかった。両立している子もいたけどやっぱりそういう子は元々出来るし体力もあった。


 寮に入って初めてわたしは女友達が出来た。やっぱり、石花くんがいなければ友達出来たんだなと実感した。色んなタイプの子がいたけど同じ学部のおにさんとは波長があった。鬼さんは背が高くて色素が薄くてジオラマを作るのが趣味だった。箱庭療法をやりたくてこの大学を選んだらしい。

 

 初対面の時に鬼さんこちらって500000000回くらい言われたからそういう弄り方はしないでくださいと淡々と告げる彼女のことを格好良いと思った。鬼さんと一緒にいて落ち着くのは多分、石花くんと似ている部分が多いからだと思う。これだけ離れても長年染み付いた本能のようなもので友達を選んでいる事に乾いた笑いが出た。


 最後に会った時、石花くんの顔はいつも通り笑っていたけど内心すごく怒っているのがわかった。彼はわたしの顎を持ち上げてかなり強引にキスをしてから絶対に許さないと言っていた。それは彼の本心だろう。それでもこちらについて来なかったし、妹情報によれば県内の国立大にきちんと通っているようだった。


 お風呂から上がって髪を乾かしていると鬼さんがわたしをじっと見つめていた。


「なあに?なんかついてる?」

「ううん、いとちゃんてピアス開いてたんだなぁと思って。右だけなんだね、彼氏とお揃いみたいな?」

「うーん、かなり複雑な関係性の幼馴染、かな」

「なにそれ!少女漫画みたいでめっちゃ萌える、聞いても良い?」


 鬼さんは踏み込む時にちゃんとこちらの意思確認をしてくれる。だから一緒にいて楽だし楽しい。ちゃんとした友達は石花くん以外だと初めてだからずっと仲良く出来たらなと思う。わたしは石花くんとの関係性を引かれそうなところは隠して説明した。


「それからしばらくは会ってないんだ。そんな感じ。鬼さんの恋バナもあるなら聞きたいな、実はこういうのちょっと憧れてたんだ」

「うーん、あんまり明るい話じゃないけど、良い?」

「もちろん」


「私の好きな人は親戚のお兄さんなんだけど、年上で食べる事が好きで歌が上手くていつもしんどそうな人で、でも、すごく優しくて心が綺麗な人なんだ。その人がね、統合失調症で、彼の役に立ちたくて箱庭療法の勉強始めたんだ。ジオラマも作ってるうちにハマっちゃって。彼にはもう全然会えてないんだけどいつかまた話せたらなって思ってるんだ。なんかあんまり恋バナじゃなくてごめん」


「ううん、その人のことがすごく大切なんだね。いつかまた話せると良いね」

「ありがと、そういえばいとちゃん成人式は帰省するの?」


「一応ね、親が振袖用意しちゃったから。結局去年は帰らなかったから断れなくて」

「そうなんだ。年末年始何故か教授の手伝いに駆り出されたの謎だったよね、あれなんだったんだろうね」

「謎だったね。でも一生あの話題で笑えるからプラスに考えよ」


 確かに、と笑ってから鬼さんはそろそろ部屋行くねと脱衣所から出て行った。最初は不安だった集団生活も思ったより楽しくてどんどん地元へ帰る事が億劫になっていった。



◇◇◇◇◇


 次の日、新幹線1時間半かけて地元に帰ってきた。成人式は明日なのでなるべく石花くんに遭遇したくないなぁという祈りが通じたのか彼には会わなかった。待ち伏せされていたらどうしようと思っていたが杞憂だった。


 朝5時半に起きて美容院に向かう。着付けとヘアメイクに2時間かかるらしい。前撮りもしていないので式が終わったらすぐ戻って写真撮影をする予定だ。髪にたくさんのカーラーを付けられている姿はちょっと間抜けだった。プロの手によってピシッと着付けられた振袖はなかなか似合っていた。

 母が選んだ薄い水色に四季の花模様の着物に白っぽい金色の帯の組み合わせはとても清楚な感じがして良いセンスだなと思った。


 成人式の行われる会場に行くと見知った顔がちらほらとあった。でも、こっちに友達なんていないので特に誰とも話さず場内に入って席についた。暇なのでそこに置かれていた成人式の冊子を隅から隅まで読んだ。少ししてから式が始まった。市長の挨拶、芸能人の余興、新成人代表の挨拶。恙無つつがなく進んでわたしは帰る前にトイレに寄ってから会場を出ようとすると声をかけられた。


「あっ、薄田すすきたさんじゃん、久しぶり。振袖すごい似合ってるじゃん」

「えっと、櫻井くん?久しぶりだね。元気してた?」


「元気元気!というか薄田さん県外の大学って知らなくて卒業の時ショックだったなぁ、実はずっと可愛いなって思ってて。良ければ連絡先交換」

「しない、よねぇ?いっちゃん?」

「あ、うん、ごめんね櫻井くん」

「えっ、お前たちまだ切れてなかったの?ああ、そういう事。それじゃあ哀れなピエロは退散しますよっと」


 タイミング悪く今いちばん遭遇したくない相手に肩を掴まれて本当に運が悪いなとちょっと泣きそうになった。表情は見えないけど声で判断するにとても怒ってる。もちろん連絡先を交換する気もなかったけど、この場面を見た石花くんがどう考えるかなんて火を見るよりも明らかだった。


 肩を掴んだままぐるりと回転させられて石花くんと向かい合わせになった。引っ越し以来一度も会っていなかったがその美貌は衰えることもなくさらに磨きがかかっていた。妹から朔太郎くん今モデルやってるんだよと聞いていたけどなるほどと頷ける説得力みたいなものがあった。

 色素の薄い髪には緩くパーマがかけられ長い睫毛から覗く射抜くような瞳は妙な迫力があった。細身のグレンチェックのスーツはとてもお洒落でさすがモデルだなと感心した。


「ねぇ、いっちゃん。何で櫻井に口説かれてるの?」

「いや、たまたまそこで声かけられて」

「言い訳は良いから。そんなに可愛い振袖姿見たら声もかけたくなると思うけどさぁ、いっちゃん今日の飲み会行く?」


「え、中学のやつ?そもそも誘われてないよ」

「良かった。じゃあ僕とごはん食べようね、予約してあるから。この後写真撮るんでしょ?車で来てるから送ってあげる。ほら、手」


 離れていた時間なんてなかったと錯覚するくらい石花くんはぐいぐい距離を詰めてきた。大人しく右手を差し出すとにっこり笑ってその手を引いて駐車場まで連れて来られた。見覚えのある赤いクラシックカーに乗り込むと懐かしい匂いがした。そういえば昔はおじさんに良く乗せてもらってたなぁとぼんやり思い出した。


「坂田写真館だっけ?行くよ」

「何で知ってるの?」

「いっちゃんだって紗雪ちゃんから僕の事聞いてるでしょ?おあいこだよ」


「紗雪を何で買収したの?」

「クッキー、入手困難なんだって。バイト先で貰ったからあげた」

「はぁ、相変わらずお菓子に弱いな」


「てかさぁ、いっちゃん、勝手にいなくなって着拒して音信不通にしたくせに紗雪ちゃんに僕の事こそこそ聞いたりするんだね。いっちゃんの18歳の誕生日を祝えなかったし、卒業旅行だって1人でオーストラリア行ったんだよ。1人でコアラ抱っこしてさあ、すごい間抜けでしょ?ねぇ、僕になんか言う事ない?」

「ごめん」


「謝るような事だってのはわかってるんだ?後さあ、とりあえず謝っておこうっていう姿勢が見え見えなんだけど」

「ごめんて」

「やっぱり、いっちゃん大学行ってちょっと図太くなったでしょ?はぁ、悲しい」


「許して、ね?」

「じゃあ昔みたいに名前で呼んで、そしたら許してあげる」

「えっと、朔くん、ごめんね?」

「振袖じゃなかったら今ここで無茶苦茶にしてたよ。だから、おばさんに感謝しなよ」

「はぁ、そうですか」


 石花くんは恐ろしい事を言うわりにちゃんと写真館まで送り届けてくれたのでホッとした。撮影が終わった頃に迎えに来るといって彼はそのまま車でどこかに行ってしまった。

 遠ざかる車を眺めるわたしに母があら、相変わらず朔太郎くんはいとにぞっこんねぇと緊張感のない事を言った。角度を変えて何枚も撮影した後、バッチリおめかしした母と紗雪と父と合流して4人で家族写真を撮った。


「ねぇ、紗雪。石花くんに色々話したんだって?」

「えへへ、でもお姉ちゃんにも朔太郎くんの事報告してたし、何より将来の兄だからね」

「はぁ、頭痛い」

「朔太郎くんみたいな格好良いお兄ちゃんなんて自慢だよー。お姉ちゃん愛想尽かされないように頑張るんだよ」

「ばか」


 軽く頭を叩くと妹はてへと言って舌を出した。この子は下の子らしく甘え上手でそういうところがいつも羨ましかった。絶対に本人には言わないけど。


 撮影が終わって迎えに来た石花くんに一度家に送って貰ってシャワーを浴びた。セットされた髪からは何本もヘアピンが出てきてギョッとした。3回シャンプーしてやっと解れた髪を乾かしてトリートメントをした。メイクも一度全部落とした。

 

 手持ちの中で1番まともな紺色のワンピースに着替えて薄く化粧をした。母にパールのネックレスを借りてシャンパンゴールドのパンプスを履いて、石花家のインターホンを押した。


「あら、いとちゃん。久しぶりねぇ、さっき皐月さんから振袖の写真送られてきたわよ。すっごく綺麗でジーンとしちゃった。今、朔太郎呼んでくるから待っててね」

「もういるよ、母さん」


「あらぁ、じゃあ後は若いお2人で」

「そういうの良いから、早くそこどいて」

「照れちゃって、朔太郎は本当にいとちゃんの前だとかっこつけねぇ」


 不貞腐れた顔の石花くんはわたしをじっと見てからふぅんと言って笑った。それから手を引いて車にエスコートした。


「ここで話してるとあの人うるさいからもう移動しよう。ああやって揶揄からかわれるの本当に嫌い」

「でも、石花くんおばさんの事好きだよね?」

「ねぇ、いっちゃんもう忘れちゃった?名前で呼ぶって言ったよね?」

「ごめん、朔くん」


 石花くんに連れて来られた店はレストランではなくて完全個室の鉄板焼き店だった。車内で鉄板焼きと聞いた時にわたしが想像していたのはお好み焼き屋みたいなものだったので驚いた。メニューにはシャトーブリアンとか鮑とかうにくとか書いてあるけど値段の記載がないとても恐ろしい店だった。


「ノンアルコールのシャンパンがあるからそれにしようね、20歳の誕生日にはまたお祝いしよう。料理はアラカルトだから僕が選んじゃうね、いっちゃんも何か食べたいのあれば言ってね」


「ごめん、手持ちが5000円しかないです、絶対オーバーするよね?」

「僕がいっちゃんに払わせると思う?」

「ですよね、いつもごめんね」


 細長いグラスに注がれたノンアルコールシャンパンはキリッとした味わいだった。出てきた料理はどれも美味しかったが、特に鮑はコリコリとした歯応えが美味しかったし、フォアグラの載ったステーキは口の中でとろけた。わたしは寮では絶対に出ないような食事に舌鼓を打った。親戚の結婚式で似たようなメニューが出たけどそれよりもずっと美味しかった。


「満腹、もう入らない。すっごく美味しかった」

「それは良かった。バイト先の人に教えて貰ったんだけど、いっちゃんお肉好きだから喜ぶと思って」

「なるほど」

「それじゃあ18歳と19歳の誕生日祝えなかったからプレゼント渡すね」


 そう言って石花くんはわたしの隣に座って小さい箱を2つと大きい箱と中くらいの箱を渡してきた。大きい紙袋持ってるからなんだろうなと思ってたけどそういうことだったのかと納得した。


 青い小さい箱を開けるとダイヤのピアスが入っていた。石花くんが左耳につけているのと同じものだ。


「ほら、つけてみて」

「うん」

「なんだかんだピアスホールちゃんと維持してるね。向こうでもつけてた?」

「外すタイミングがなくてね」

「ふうん、ピアス見るたびに僕のこと思い出した?」

「ノーコメント」


 わたしはダイヤのピアスのキャッチを外して右耳に嵌めた。それを見て彼は嬉しそうに笑った。


「ねぇ、いっちゃん、お揃いのピアスって意味があるんだよ。男性が左耳につけるのは君を守るって求婚の意味で女性が右耳につけるのはそれに応えるって事なんだ」

「そんなの知らなかったよ」


 思ったよりも重い想いの話にため息が出た。石花くんは意外とこういうジンクスみたいなのが昔から好きで良くそれを実践していた。この先もあんまり良い予感はしないけど次は綺麗にラッピングされた大きい箱を開けた。中には大人っぽいクリーム色のワンピースが入っていた。


「あ、可愛いね。好みドンピシャ」

「これはね、オーストラリアでドレスコードがある店に入る時に着て欲しくて買ったんだよね、まあその機会はなくなっちゃったけど」

「ごめん」


 卒業旅行の件は相当根に持っているらしい。まあ、酷い事をしたのはわかってるけど2人で旅行というのも嫌な予感がしていたのだ。これがドレスなら多分中くらいの箱は靴だろう。開けてみると抑え目のゴールドのパンプスだった。7センチくらいのヒールでこれまたわたしの好みだった。


「ありがとう。可愛いね」

「今度デートするときはそのワンピースとパンプスで来てね」

「う、うん」


 最後の箱は明らかに高級感があって出来れば開けたくなかったけど石花くんから異常な圧を感じてわたしはそそくさとその箱を開いた。中には学生には不相応なダイヤの指輪が入っていた。石花くんはそれをそっと指で摘んでからわたしの左手の薬指に嵌めた。


「なんで…?紗雪だって指輪のサイズとか知らないはずなのに」

「鬼さんっているでしょ?君のお友達の。実は彼女と僕も友達なんだ。趣味友ってやつ。鬼さんと買い物行って指輪のサイズの話したらしいね、それを聞いたんだ」

「そんなの、初めて聞いたよ」


「聞かれたら鬼さんも僕も答えたと思うよ。いっちゃんが聞かなかっただけだよ」

「趣味ってジオラマ?」

「そうそう、彼女の箱庭すごく良いんだよ」


「朔くん、箱庭とか興味あったんだ」


「え?君のためにずっと箱庭作ってきたじゃん。僕はずっと前からいっちゃんが快適に過ごせるように努力してきたはずだけど?まぁ良いや、ほら、ペン貸してあげるからここにサインして?保証人はおじさんとおばさんとうちの両親だから。いっちゃんの本籍実家のままだから今すぐにでも出しに行けるよ、知ってる?婚姻届って24時間受付してるんだよ」


「いや、わたしたちまだ学生だし」

「はぁ、仕方ないから卒業までは待ってあげるけどサインだけは今して。僕がちゃんと保管しておくから。いっちゃんは僕の忍耐力に感謝すべきだよ」


「そんなぁ」

「だって約束したでしょ?指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ますってね。絶対に逃さないから。ねぇ、いっちゃん、これからも末長くよろしくね」


 石花くんの完璧な笑顔と左手の薬指に光る大粒のダイヤの指輪を交互に見てわたしはがっくりと肩を落としたのだった。

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下に続編のリンクを貼りました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 箱庭の意味がおそらく違うところがこわかったです。
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