中央の町
月に一度、中央の広場に市が立つ。
小さいとはいえ町中の人間が、普段は手に入らない珍しい物を見ようと集まっては露店を冷かして歩く。威勢のいい掛け声、異国の食べ物の香りで広場はごった返していた。
町に入ってくるのは品物だけではない。人が入れば情報もやってくる。今や人々の口に上るのは、遠い南の地域に現れるドラゴンのことで持ちきりだった。
「私は見たんですよ」
商人の男が声高に話すのを、買い物に来ていた女たちが興味深そうに聞き入っている。
「そのドラゴンはね、金色に見えるんですよ。綺麗なもんですよ。だけど、顔は凶悪。そうね、鰐みたいな感じだろうかね。こーんな大きなアゴをしていて、口を開くとものすごい炎が出るんだよ。それで、家なんて一瞬で灰になっちまうんですよ」
≪うへえ、怖え≫
その話しを通りすがりに聞いていた若い男は肩をすくめた。流れ者風情でこの町の、いやこの大陸の人間とは明らかに違う装いをしている。
「翼を広げるとこの広場なんて覆い隠しちまうくらいデカくてね、ひとっ跳びでもうすぐこの町にも来ちまうほど・・・」
商人の話しはいささか誇張が過ぎるようだが、男はそれを聞きながら足早にそこを去った。
≪この町にも近づいている。もっと遠くへ逃げなければ≫
ドラゴンの噂はどこへ行っても聞かれるようになっていた。南の方からにわかに始まり、数年をかけてじわじわと広がり、今ではこの広い大陸の中央にあるこの町にすらドラゴンの噂が聞こえるほど。
その噂がチラリとでも聞こえると、男は逃げるようにその地を去った。
≪ドラゴンなんかに関わったら命がいくつあったって足りやしない。それなのに≫
「まあ、あなたは!」
男がドラゴンを恐れ、その町を去ろうと決心したその時、目の前から歩いてくる婦人が男を見て目を見開き、そして声をかけてきた。
「賢者様ではないですか!」
男は慌てて顔を隠そうとしたが、それもできないほどすぐに婦人は駆け寄ってきた。そして手を取られる。
「まあ、なんて光栄なことでしょう。みなさん!賢者様がいらしていますよ!」
「え、いや、俺は・・・」
男の言葉を遮るように、そこにいた人たちはみんな“賢者様”を見るために集まって来てしまった。
「おお、本当に賢者様だ」
「なんて凛々しいお方でしょう」
「賢者様がこの町にいらっしゃるとは」
町の人々は男に口を挟ませず、歓迎している。そして口ぐちに褒めたたえた。
逃げるに逃げられず、男はただ困るだけだ。
≪なんで賢者だと思われるんだ。早く逃げなきゃ、この町にもじきにドラゴンが来ちまうっていうのに。どいてくれよお≫
男の気持ちなど知らない人々は、彼を囲み褒めたたえ、貢物をした。
「これからドラゴンを退治にいくのでしょう?」
「これ持っていってください」
「もうあの南の町には飛んできたそうですよ」
ご丁寧に、ドラゴンの情報まで教えてくれる始末だ。
「あの、俺・・・はい。頑張ります」
とても「賢者ではない」とは言い出せない雰囲気だ。町の人たちは有無を言わせず彼にドラゴン退治をさせようとしているのか。
「この広場だって覆い尽くすくらい大きなドラゴンですよ。頑張ってくださいね」
「はあ、はい」
≪わざわざ怖がらせるような情報いらないし≫
そう思いつつも、男はなんとか笑顔で礼をし、ドラゴン退治に行くという姿勢をしなければならなかった。
「賢者様!ご検討を祈ります」
「お願いします。ドラゴンを必ず倒してください」
「大丈夫さ、賢者様なら」
「はあ、はい」
町の人たちはやんやと男を取り囲みながら、町の南外れまでやってきて、そこから彼を送り出した。
「賢者様、ばんざーい!」
≪なんで万歳なんだよ。俺が死にに行くのがそんなにめでたいか≫
町の人たちの万歳の声が男の哀愁に満ちた背中を押した。そして、その姿が見えなくなるまで、彼らはずっと“賢者様”に手を振り続けていたのだった。
≪誰がそんな恐ろしいドラゴン退治になんか行くかっての!≫
男はずんずん歩き続けた。後ろを振り向かず、ひたすら中央の町から離れて行った。
≪くそっ、ご丁寧に町の南側から追い出しやがって。あの町が見えなくなったら西側をぐるっと回って、北へ向かうか≫
それまではただ歩き続けるしかない。町と町の間は農地が広がっている。農地を過ぎるともう町は見えないはずだ。
農地が途切れると急に寂しくなり、道も人や馬が通った足跡で踏み固められただけの、荒れ地となった。そこまで来ると男はやっと息を吐いた。
「なーにが賢者様だ。俺のどこが賢者だよ」
男はブツブツ言いながら、西へ向かう道を探し歩き出した。
やはりこの大陸にはない緑色の長衣のせいだろうか。この大陸の人たちが着るようなゆったりした服ではなく、彼が着ているものは身体に合せてしっかりと裁断されている。それに長いマントを羽織っているせいもあって、確かに賢者っぽく見えるのかもしれない。
男は自分の衣服をどうするか考えながら行く先を見つめた。
遠くに森があるのか、木々の影が見える。その上の空がだんだんと赤く暮れ始めている。こんな荒れ地で夜になれば、夜盗や獣に襲われるかもしれない。
「せめて、午前中に追い出してくれればいいのにさ」
そう言いながら、西へ西へと歩き続けた。
向かう西の空が橙色から暗い赤へと移り、そして紫になるともう街道の脇にところどころに生える木の影すら見えなくなった。
「あー、本格的に夜になっちまう」
急いで足を動かし続けても、見えるのは暗くなった空とやがてちらつき始めた星ばかり。小さな町とはいえ、ぐるりと周囲を歩くとなればそれだけ時間がかかるものだ。
「次の木が見えたら、休むかな」
夜目が効かない方ではないが、暗さへの恐怖心のほうが勝っている。ここは大人しくジッとしているのが良いだろう。北の地で待っている何かがあるわけではない。ただ、ドラゴンの噂から逃げたいだけなのだ。
男は南の地で一度だけドラゴンを見たことがあった。その時の恐ろしさったら、もうとても小説などに淡々と書き記すことなんてできないほどだ。物凄い羽音と息づかい。ヤツが近づけばそれが上空にいるだけでも火の熱さを感じるほど。何よりもその身体の大きさには度肝を抜かれ、頭上を見上げるとその圧迫感を感じずにはいられない。見ただけで押しつぶされそうだった。
火を噴いて家々を焼き払い、そしてその後脚に2,3人の人間を掴み、恐怖で逃げ惑う人々に見せつけてあざ笑うかのように飛び回るその恐ろしい姿。
思い出しただけで体中が震える。
「怖すぎだろ」
思わずひとり言となるほどには怖いのだ。
そんなドラゴンを退治になど行くはずはない。それどころか逃げようとしているのだ。誰かを助けようとか、ドラゴンを何とかしたいなんて微塵も思わない。とにかく逃げる。自分ひとりが助かれば良いのだ。
男は星空の下、荒れ地を1人西へ向かって急ぐのだった。