約束を運ぶ鳥
ひとつ、昔話をしましょうか。
それはまだ私達が小学校3年生の頃のお話。私達は近所の公園で少し先の夢についてかたりあったのです。
私は、家が隣で親同士の仲が良かったことから、赤ちゃんの頃より一緒にいた幼馴染の臼井鉄也君ともう一人の友達を待っていました。
「とう一郎、おそいな。」
鉄ちゃんは手に持ったゲーム機から目を動かさずに文句を言った。
「とう一郎ちゃん、来たよ。」
「小ぐれ、よく見えるな。とう一郎ドコ?」
「鉄ちゃん、小ぐれはお母さんの空手道場に行ってるんだよ。目がよくないと試合で負けちゃうよ。アレっ?とう一郎ちゃん、何か持ってるっぽい。」
公園前の坂を一生懸命走ってくる毬栗頭の千田唐一郎君は、鉄ちゃんと同じライオンズクラブのマラソンチームに所属している、同級生だ。
唐一郎ちゃんは、片手をあげて私たちを呼んだ。
「鉄、小ぐれ、これ見てよ。」
「とう一郎、おそいぞ。」
「ごめん、出かけようとしていた時に、この本を見つけちゃって。」
唐一郎ちゃんは、脇に抱えるようにして持っていた一冊の雑誌を私たちに見せた。
「箱根駅べん? この本、箱根の電車のおべん当がのっているの。」
「・・・駅でんだよ、小ぐれ。箱根駅でん。」
「毎年、正月にテレビでやっているだろ。すごく長いキョリを10人でリレーする、アレだよ。」
「だって鉄ちゃん、テレビ見ながらムズカしいこと言うから、小ぐれあんまり見てないよ。」
「なんだよ。せっかくカッコイイところ、いっぱい話してやっているのに。」
「小ぐれ、ぼくは大きくなったら、この箱根駅でんに出たいんだ。」
「とう一郎ちゃんのしょう来の夢は、箱根駅でんに出ること?」
「しょう来の夢はまだ分からないよ。
この箱根駅でんは大学生の大会だから、しょう来のユメのと中なんだよ。まだしょう来のユメは決まってないけど、今ねがっているのは鉄といっしょに箱根駅でんで走りたい。ってことかな。」
「えっ、オレ!? オレはヤだよ。だって苦しいし、マラソン地味じゃん。
それにオレもとう一郎もチームの中でもゴールするの後ろの方じゃん。」
「チームの人はぼくたちより大人だもん、負けちゃうのはしかたないよ。
それにね、鉄。君はゴールまで一定のペースをキープ出来ていて、持きゅう力も期待できるから、長キョリに向いてるってコーチも言っていたよ。
ぼくは、もっと体力をつけたら、もっと速く・長く走れるって。
ぼくにもランナーとして走れるカノウセイがあるのなら、ちょうどいい。鉄、大学生になったらいっしょに箱根駅でんに出ようよ。」
「イヤだって言ってるだろ」
「とう一郎ちゃん、鉄ちゃんとばっかり。小ぐれはいっしょにいられないの?」
「箱根駅でんは男子だけだから、女の子はいっしょに出られないんだよ。」
「それに、小ぐれには空手があるだろ。」
「やだっ。小ぐれは、鉄ちゃんと、とう一郎ちゃんといっしょがいいの。」
今の言葉は咄嗟に出たものだったものだったけれど・・これだけ自分の心の全ての本音を出し切ったと思えた言葉は初めてだった。それだけ2人と離れてしまうかもしれないことが不安で仕方なかったのだ。
この頃の私は、小さい時から親が開いている道場で空手を習っていたこともあって、組手競技で県の代表選手として「全日本少年少女空手道選手権大会」に出場するなど、空手の才能を開花させていた。そんな私に親は期待するかのように、大きくなったら空手の名門学校へ進学するように勧めてきた。
鉄也や唐一郎は、運動神経こそは良かったが私のように武術はやらず、チーム競技でその力を発揮していた。だからこそ、親の言うとおりに進学すると私は二人と離れるこそれだけは小学校三年生ながら危機感は持っていた。
「小ぐれは、じゃあマネージャーをやる?」
「マネージャーって何する人?」
「マネージャーはストップウオッチを使って時間を計ったり、記録をつけたり、あとは・・・ランナーにドリンクを渡したり、かな。」
「やる。小ぐれマネージャーやる。今日からやる。
マネージャーしたら鉄ちゃんと、とう一郎ちゃんと一緒にいられる?」
「今は無理だよ、マラソンチームではマネージャーぼ集していないから。それに、ぼくたちのような小学生はまだタイムを計ったり、ドリンクをもらうほど長いレースには出ないから。」
「いつならマネージャーになれる?」
「ぼくたちが高校生や大学生になって、陸上部や駅伝部に入ったときかな」
「小ぐれも鉄ちゃんや、とう一郎ちゃんと同じ学校へ行って、マネージャーになる。それで一番近い場所で二人を応えんするね。」
同じ学校に行けるだろうか・・・本当は一瞬「同じ学校へ行って」と言うのを止めた方がいいかとも思った。言葉にして同じ学校へ進学できなかった時の鉄ちゃんや唐一郎ちゃんの顔を想像するのが怖かった。でも、言わないと親が期待する通りになってしまうような気がして決意を口にしてみた。そう、私は二人と同じ高校に行く。できれば大学も。
「じゃあ、約束しよう。(・・・・・・・・・・)
ぼくと鉄は、大学生になったら箱根駅でんを走る。そして小ぐれはマネージャーで、一番近くでぼくたちを応えんしてよ。」
「うん。約束」
「オレは高学年になったら、サッカー部に入るからマラソンはもうやらないよ。」
「ゔ~、鉄ちゃん おねがい。小ぐれは鉄ちゃんと、とう一郎ちゃんが走っているのを一番近いところで見たいのよぉ~。」
私はべそをかきながら、鉄ちゃんにせがんだ。
鉄ちゃんが箱根駅伝の約束をしてくれないのが嫌だったのか、マラソンを辞めると言っているのが悲しかったのか今では思い出せないが、私があまりにも泣くものだから鉄ちゃんはしぶしぶ指きりげんまんをしてくれた。
あの約束の日から、十数年が経った。
年が明けて二日目の朝、天気は晴れ。
まだ完全に気温が上がりきっていない早朝、東京都千代田区大手町 読売新聞社前。
とうとうこの日が来た。あの日の約束を鉄ちゃんは忘れるのではないかと心配していたが、無事にこの日を迎える事ができた。
鉄ちゃんと唐一郎ちゃんは地元にある箱根駅伝の古豪の大学に進学し、今回大会で二人揃ってエントリー選手にとなった。ただし、鉄ちゃんは持ち前のスタミナと、アップダウンのある道でのリズム感のある走りが評価されて復路6区選手として芦ノ湖から小田原中継所までの20㎞強を走る事になったが、唐一郎ちゃんは区間登録のないいわゆる補欠選手だ。
「千田君、 千田唐一郎君?」
鉄ちゃんと話しこんでいた唐一郎ちゃんが呼んでいる声に反応した。
「はい。ここに居ます。」
「丸本監督が呼んでいる。スタート前で忙しいから急いでね。」
チームコーチにそう言われて、唐一郎は監督の元へ急いだ。
「監督、千田です。」
入るように言われてチームバスに乗り込んだ。そこには監督のほかに、もう一人チームメイトの戸田がいた
戸田は項垂れながら、唐一郎と入れ替わるように無言でバスを降りて行った・・・。
「千田、選手交代だ。お前の体力バカなところを俺は評価している。時間的に気温の変動が激しい時間帯だ、しかも距離も長い。ペース配分を間違えると一瞬で失速する可能性もある。それでも走れるか、明日の9区。」
嬉しさのあまり、返事をするのが遅れた。
「無理なら、別に・・・」
「ありがとうございます、頑張って走ります。」返事をしながら、大きくお辞儀をした。
僕の大声と、大仰な動作に今度は監督が圧倒されていた。。
昨日まで戸田が走る予定だった9区、変更理由は聞いていない。
僕が隠し玉だったのか、アンカー選手に不安があり9区で力を溜めておく必要があるのか、それとも監督もコーチも予想だにしていなかった力のある選手が往路にエントリーしていたのか・・・いや、聞く必要はない。どんな理由だろうとも、どんな選手がこようとも、もう後には引かない。何事にも負けない走りをするつもりだ。
「おう、唐一郎どうだった。」
「9区、選手交代だって。」
「そうか」このタイミングで監督に呼ばれる事の意味を鉄ちゃんもしっている。喜ぶ人間がいる反面、悲しむ人がいる事も・・・それ故に鉄ちゃんは、言葉にはせず拳を唐一郎ちゃんの方へ突き出した。唐一郎ちゃんも黙って拳を突き合わせた。
「さてそろそろ往路スタートの時間だ。この緊張感を明日は俺が一手に引き受ける事になるのか、怖ェ~な。俺、明日は朝から口数少なくなるぜ。と言っても明日は別行動だな。」
「あぁ、そうだな。でもこれで約束を果たせたな。」
「うん、約束? ああ、あれか、本人が転校した時点で無効になったものだと思っていたよ。」
「もし無効になったのなら、なぜ、・・・いや何でもない。忘れてくれ。」
・・・私も約束を守りたかった。でも守ることができなかった。
◇
今から六年前、私たちは三人揃って同じ高校に入学した。
「ほら、三人とも校門の前に並んで。小暮ちゃん真ん中で、唐一郎君と鉄也は両側に立ってね。はいっチーズ!」
「三人とも入学おめでとう。小暮ちゃん、お父さんも、お母さんも入学式に来られなくて残念ね。」
「弟が中学校の入学式だし、お父さんも来賓として別の学校の入学式に行かなければいけないから仕方ないです。」
「そうね。ただ昨日お母さんとお話していた時に、小暮ちゃんがこの学校に入ったことを苦く思っている風な事を言っていたのが気になったのだけど。」
「おばさん、気のせいですよ。お父さんも、お母さんも来ないのではなくて、来られないだけですから。」
「そう、ならいいのだけど。あっほら、三人とも教室に入って。入学式初日から遅刻なんてブラックな記録作らないでちょうだい。」
「おふくろが校門前で写真撮るって、俺たちにも順番待ちさせていたんじゃないか。」
「当り前でしょ、入学する本人たちが居ないで校門だけ写真撮るって、鉄也あんたそんなイタいお母さんでいい訳?」
「そんな事言ってねーよ。じゃなくて帰りでもいいのに、わざわざ式の前に撮りたいって言うから遅くなっているって言ってるんだろ。」
「何事も『初め良ければ、全てよし!!』って言うでしょ。だから高校始まりの日の朝に三人の記録を撮るのよ。それに小学校の卒業式も、中学校の入学・卒業式だって朝一番で写真撮ったじゃない。」
「そんな意味合いで写真撮ってたんだ。」
「初め? えっ、始めじゃ・・・、アレッ。」
「唐一郎、細かいところは気にするな・・・。あの年のオバサンには・・・」
バシンっ。
鉄ちゃんのお母さんが持っていたハンドバックで鉄ちゃんを殴った。そして新しい制服の胸ぐらをつかんで凄んだ。
「『あの年のオバサン』って誰の事?どうせならお姉さんって言っときなさい。」
「まさかの、そっちか!・・・って、気づいたら人いねぇし、本気で遅刻する、唐一郎・小暮行くぞ。」
「ああ、そうだね 鉄。」
・・・
「小暮?」
私は校門に書かれた校名を手でなぞってある想いに耽っていた。
本当は分かっていた。もし中学校の入学式が今日でなかったとしても、お父さんの学校の式典の日が違う日だとしても、たぶんどっちの親も来なかっただろうということが。
私は受験の際に親に空手の有名校への進学を執拗に勧められていた。私にはもっと二人と一緒にいたいという想いと、あの約束があったから断り続けた。高校からのスカウトマンが来た時も丁重にお断りした。あまりにも強い拒否を示しながら、別の学校へ受験を希望する私と、親との関係は日に日に悪くなっていった。
それでも学費を出してもらわなければいけないので、親に希望の学校に進学させてほしいと頭を下げて頼みこんだ。親の出す条件をのむことで希望の学校へ入学することを許された。
だからこそ「きっとこれが三人でとる最後の記念写真になる・・・。」二人には言えない切なさと、寂しさに思わず涙が出そうになった。
「小暮、どうした?」
「えっ、あっごめん。そうだね、教室行こう」
入学してすぐ私たちは陸上部に・・・二人は経験者ということでマラソンランナーとして、私はマネージャーとして入部した。
しかし入学当時の私は浮かれていて持ち前の運動神経の良さを隠そうともしなかった。そのため毎日のように運動部の勧誘が来た。ひどい時には部活中にも来たものだから顧問の先生から選手への転向を勧められた。私は断ったが、その一件があって以来同じマネージャーの先輩達からも敬遠されるようになり、陸上部での私の居場所は小さくなっていった。
陸上部のマネージャー業と並行して、毎日早朝と夜遅くに空手道場に通うという離れ業をやってのけたのは親が道場主だったことと、部活で頼まれる仕事が少なかったことが幸いしていた。しかし、それが人生の分かれ道へ真直ぐ進むベルトコンベアに乗ることと同義だったとは、あの時は気づかなかった。
高校一年の冬の終わりに東京の高校へ転校する事が決まった。
そこは受験の際に親に再三勧められていた学校だった。
今年個人で出場した空手大会の成績が評価され、再度スカウトマンが家にやってきた。「来季の『全国高等学校空手道選手権』出場をぜひ当校で目指して欲しい。」とのことだった。
親との約束では、①在学中に件の学校から再度声がかかった時。②高校三年の四月を迎える時。どちらかの場合は速やかに転校するという事だった。
入学は許すが、卒業までは在学させるつもりはない。という事らしい。
転校するにあたって部活は辞めなければならない。二人との約束は大学へ持ち越すつもりでいた。学校は離れても二人と連絡を取り合っていれば、大学は同じ学校へ行けると軽く考えていた。
そうすれば二人との約束は守れると・・・。
でも、私は結局約束を守れなかった。
「小暮、ふざけるなよ!」
二人に転校の報告と、大学は一緒の学校へ行こうという提案を話しに行った時のことだった。
「転校の事だけじゃなくて、親父さんにこの学校に来るのを反対された事もだまってやがって。
もし高校が違っても、大学は同じところにするとか出来ただろっ。」
「あのね、だからね、大学は・・・」
「そんなに俺たちは小暮にとって頼りないのかよ。
もういい、お前なんて大キライだ。」
「鉄ちゃん、唐一郎ちゃんっ」出ない言葉かわりに目から涙がこぼれてきた。
「唐一郎、行こうぜ。」
唐一郎ちゃんは終始無言で私たちを見ていた。その後二人は出て行った・・・。
その後も二人と連絡を取り合う事はなかった。
◇
「速報出ました。
タスキは2区のエース祝井にわたりました。1区の記録1時間2分05秒 9位です。」
芦ノ湖へ向かうバスの中でマネージャーの男性が報告した。
「1時間2分、1区平均時間よりちょい早い位か。このタイムが吉と出るか、凶と出るか」
「いや、初エントリーでこのタイムなら悪くない。鶴見中継所には例年通り団子状態で到着している可能性があるからね。順位だってこれから幾らでも入れ替わるだろう。」
その通りだった。
2区 エースの祝井 省吾選手 1時間6分50で、順位も4位まで上がる。
続く3区 鍛冶先 東祥選手 1時間1分35 順位をキープ。
4区 齋藤 健三郎選手 1時間1分43 一時順位を1つ上げて3位になるも小田原中継所手前数100m地点で再度追い抜かされ4位。
そして往路最終の5区、本田 賢選手。
鉄ちゃんは、この本田選手の結果次第で個別スタートか一斉スタートか決まる。
タスキが5区の選手に渡った時点では、バスは芦ノ湖駐車場へ到着していた。二人はバスから降りてすぐにゴール手前付近にある大学が陣取っている応援スペースに向かった。
少しでもコースを見ておきたかったのと、状況の把握をリアルタイムで行うためだった。
選手が到着するまでは携帯で速報を確認しながら待った。携帯に入ってくる情報だけで既に本田選手が7位まで順位を下げた事が判った。そしてそれは本田選手の力不足というより、他校がそれぞれ山登りに強い選手を獲得し5区に充ててきているという事が原因だということも判った。
自分も本田選手も特段山岳競争に強い訳ではなく、道の状況次第でギアチェンジが可能で、そのアップダウンの激しい道でのカロリー消費方法に無駄がないところが山で勝負ができる証拠だと監督に言われた。でも勝負ができる人間ならいくらでもいる。ここでは山で勝てる人間が必要だと鉄ちゃんは実感したようだ。
「山には魔物が棲んでるって本当なんだな。明日には大人しく山を下りるから魔物も見逃してくれねえかな。」独り言のように呟いたのを、唐一郎ちゃんは聞き逃さなかった。
「大丈夫だよ、鉄。山に強い人間だって限りがある。どの学校も一斉に山神候補者を獲得しているなら5区に送り込む事だけで精いっぱいだよ。6区は今まで通りだと考えていいと思う。」
「だと、いいけど。トップランナーそろそろ来るな。」
「あっ見えた! 意外に小さいな。本当に大学生なのか」
「体格とか、筋肉量を自分と比較するなよ、唐一郎。
「本当は高校生なんです。」何て言われてみろ、DKにトップ獲られるなんて俺らのメンツ丸つぶれだよ。」
「・・・DKって何?」
「アレだよ、JKを女子高生っていうだろ。それの男子バージョン。」
「聞いたことないけど、本当にそう言うの?」
「しらん。」顔を赤らめていた鉄ちゃんが話題をかえるように言った。
「二番手の選手も見えてきた。あーあ、無意識なんだろうが顔を振りながら走ってる。これは苦しいって体現しているようなものだな。」
「うん。1位逆転は難しいかもね。」
「さて、我が同胞の本田氏は1位の選手の10分以内に到着してくれるかなぁ。
まぁ、無理だろうけどなっ。」
「まだ判らないよ。あと6人だ。一人1分のタイム差があっても十分個別スタートの範囲内じゃないか。」
「その計算、合っているのか?(・・・・・・・・・・・・・) というか、本気で言っているのか。
ペースなんて人それぞれだろっ。」
「ごめん、鉄にもっと希望持ってもらおうかと思って」
「ありがとよっ。けど唐一郎も見ていただろ、一位のあいつ早いよ。ラストスパートにも余裕があったし、恐らくゴール予定時刻よりも30秒位は速いんじゃねえか。
対してうちは順位を下げている本田だ。既にモチベーションはガタ落ちしていると見ていい。
もしかすると・・・いや、悪い想像は止めておこう。」
「鉄也、明日一斉スタートでも大丈夫かい?」
「大丈夫もダメもねぇ、一晩寝て朝がきちまえば否応なしにスタートの時間がくる。
そこで「昨日の往路のゴールを見て、怖くなったんでスタート嫌です」なんてほざいてみろっ。あっという間に俺からアンカーまでの選手の記録が泡と消える事にならぁ。唐一郎だって、やっと箱根駅伝ではしることができるんだ、記録が残らないなんて嫌だろ。」
「そうだね、どうせ走るのなら記録のこしたいね。区間賞とか、区間新記録とか。」
「そうだな。」
「本田君の往路ゴールを見届けたら、着替えて少し走ろうか。」
「そうだな。」
・・・鉄ちゃんの想像したとおり、本田選手はトップの選手がゴールして10分を少し過ぎた辺りで芦ノ湖ゴールした。順位はあの後2つ落とし9位。このままでは来年のシード権すら危ぶまれる結果となった。
◇
「鉄、芦ノ湖大きいな。」
「そりゃ、遊覧船走るくらいなんだから大きいに決まってるだろ。」
「あんなところに鳥がいるよ。さむくないのかな」
「唐一郎、呑気に野鳥の観察なんて余裕だな。」
「鉄、練習グラウンドにいた鳥を覚えているかい?」
「鳥?そんなのいつでもどこでもピーチクパーチク鳴いているんだ。いちいち覚えてねぇよ」
「長距離トラックのグラウンドの隅っこ。隣の林の木がせり出してきていて、いつも日陰になっている場所があるんだ。そこは春から秋ごろまで鳩の溜まり場になっていてね。そこにいつからか白い鳩が来るようになったんだ。あれはアルビノという奴かな、それともそういう種類の鳩なのかな。」
「あぁ、唐一郎がいつも言っている白い鳥の話か。
白い鳩は神の使いだって話で、アルビノは染色体異常で生まれてきた一般の鳩の色なしバージョンだそうだ。アルビノは生まれる可能性もごく僅かで、弱いらしい。
だけどあいつ茶色く薄汚れていたぜ、どっかで仲間とケンカしているんだろ。生命力の弱い奴がケンカなんてするかよ。あいつは白い種類の鳩で不良だ。」
「詳しいね、鉄。」
「お前に毎日のように、白い鳥の話されるんだ。詳しくもなるよ。」
「僕たちがハイペースランとジョグのインターバルトレーニングをしている時なんて他の鳥たちは僕たちの足音や気配に驚いて近くの木に逃げるんだ。だけど白い奴だけは危機感がないのか太々しい態度でグラウンドの隅をちょこまかと歩き回るんだ。」
「どうしたんだ、唐一郎。いきなり白い奴の話なんてして・・・」
「なんだか何処かの誰かさんに似てるなって・・・。箱根の舞台にたったせいで感傷に浸っているのかな。」
「・・・走るぞ、唐一郎」
「うん。走ろう」
◇
翌三日。
芦ノ湖駐車場をスタートして、小田原・平塚・戸塚・鶴見の中継所を経由して、昨日のスタート地点大手町の読売新聞社前へと続く109.6㎞の復路が始まる。
鉄は、昨日の宣言通り朝から口数が少なくなった。
朝食を終えた僕は鉄に一言「じゃあ、またあとで。」とだけ言って、4区方面行きのバスに乗車した。6区を走り終えた選手は、そのまま大手町のゴール前に移送されるので鉄に次にあうのは僕たち9区の選手が大手町へ到着した後になる。
「あの日の約束を今日走ろう。鉄、頑張れよ。」当人に届かないエールを送ってみる。
「そういうのは、本人に言ってやれよ。かわいそうに緊張したままの表情だったじゃないか。」
「戸田!!」
「どうして、このバスに?」
「どうしてって。決まってんだろ、お前のサポートだよ。」
「僕のサポート!?」
初耳だったのと、気まずさで、何を話していいのか分からなかった。
「お前はしっているだろうが、一度区間登録された選手は違う区間を走る事は出来ない。
ということは俺は9区を外された以上、補欠でも何でもない。そんで、そんな幽霊な俺ができる事は何か考えた。
9区で生きようとした人間が他の区間で役割があるとは思えない。
なら、9区を走るお前に出来る限りの情報とサポートを授けるしか、俺はここに居る意味がなくなっちまう。理解できたか?」
「ああ、うん」
「なら耳をかっぽじって聞いとけよ。俺が集めたマル秘情報なんだから」
唐一郎は戸塚の中継所へ向けて出発した。
見送りは不要だろ、唐一郎。
大手町のゴールでまた会おうぜ。
お前にタスキが回るまでに順位をいくつ上げる事が出来るかな。
ウォーミングアップをしようと振り返った時、5区を走った本田がいた。
「調子はどうだい?」
「悪くはない。」
「まずは謝らせてほしい。昨日は不甲斐ない走りをして順位を落としてしまって、そのスマン。」
「よせよ。俺もゴールの前だけ沿道から見てた。
お前の区間はすばらしく山に強い選手が多くエントリーしていた。この中めげずにタスキを繋いだんだから、お前はすごいよ。」
「ははっ、そう言われると複雑だよ。僕は周りの選手に触発されて、自分のペースを壊した。
君も気づいているだろう、僕たちは山に強いランナーじゃない。チームメイトと比べると山に向いている程度だ。だから不安になる。このペースで走っていてもいいのか自問自答したくなる。山に特化した人間の判断を信じたくなるんだ。」
「本田・・・。」
「今ここに来たのは、自分のダサい部分を曝け出しに来た。お前は俺と同じ轍を踏むなよ。
じゃあ、アップの時間を邪魔して悪かったな。」
本田の後ろ姿を見送り、軽くウォーミングアップを済ませ、スタート地点へ急ぐ。
もうそろそろ8時になる、昨日往路1位でゴールした大学のスタート時刻。
俺は、その10分後の一斉スタートで飛び出していく。
残念だが6区だけの距離とついたタイム差では1位のチームを捕えるのは難しいだろう。
俺の獲物は5位の大学。ここまで順位を戻すことを目標とした。
「よーい、スタート。」
一位の大学がスタートをきった。
同時に沿道の方が応援の声で賑やかになる。
監督からのオーダーは、「最悪は順位キープ。可能ならシード権獲得が確実な順位までの回復」・・・期待されてるとは思えないオーダーだと内心は思っていた。だからこその自分の目標で5位回復。そこまではここで戻さないと後の区間で優勝争いに絡めなくなる。
5位の大学のスタートの合図がされた。
その40秒後に6位がスタートして。
その24秒後に一斉スタートの合図がでた。
スタートして平坦の約2㎞ ここで7・8位の大学を振り落とす。もともとタイム差は数秒~数10秒しかない。ここで離せば前方に集中できる。
平坦が終われば標高差140mの上り区間。その後しばらくフラットな道が続き、5.4㎞から下りに入る。下りに入ってからの追い越しは危険が伴うので慎重にならざるを得ない。また、小田原中継所付近も傾斜が緩やかになっているが、既に足を酷使した後なので無理に獲物を狩りに行くのは避けたい場所だ。
上りに入ってすぐに6位チームを捕えた。
「残念だが、俺も山の町出身なんでね。上りは負ける気がしねーよ。」
聞こえないほど後方に沈んだ6位の選手に向かって言ってみる。
5位と6位のタイム差がスタート時点で約40秒。6位の選手の走りを考慮すると既に1分近い差がある事になる、「少し急いだ方がいいか、下りに入られたら厄介だからな。」ぼそっと呟きスピードを速める。その甲斐があって下り100m付近で念願の5位のチームを捕えた。いつもならここで冷静になって最初の予定通りの走りをするのだが、やはり臼井鉄也もまた、山に住む魔物に魅入られていた。4位の大学に何かトラブルがあったのか、5位の選手の前方にそれほどタイム差なくして姿がチラチラ見えていたのだ。
「行ける!」
相手が下りに入っていたことも二の次に、4位の選手の後ろに張り付いて機会をうかがった。
スタートしてから13㎞付近、大平台ヘアピンカーブから箱根湯本の駅に降りるこのコースで一番傾斜が急な下り坂、事故はここで起きた。時間は8時30分を過ぎようとしていた。
4位の選手がヘアピンカーブでスピードが落ちていることには気づいていた。但し、ここはカーブが多いため、追い抜いてからの後続の状況を確認する事は安全面から避け、ヘアピンカーブが終わった先にある下りに勝負をおいた。
4位の選手が傾斜最大の坂へ足を踏み入れた。それを確認してスピードを上げて前の選手へ迫り、右側から抜こうと隣に躍り出た瞬間の事だった。
ここは箱根の山で、今は1月の早朝で、気温も低く、太陽の光も均一的に道路に当たらない。
そんな状況が重なると道路が凍結している事もあるのだ。たまたま凍結している地面を踏んでしまい横転してしまったのだ。
最初は何が起こったのか分からないというように、キョトンっとしていたが事情を把握すると急いで立ち上がり、前方の選手を追った。
怪我はあれだけ派手に転んだというのに、奇跡的に擦り傷程度で済んだ。
沿道に居た観客から、慰めの言葉がとんだ。
「大丈夫よ、まだ間に合うわっ。頑張って」
「後続は、まだ来ないから大丈夫よ」
「怪我はない?」
―止めてくれ。今は慰めの言葉はいらない。
「ほらっ、頑張れ、行けー!!」
―本当に、止めてくれ。
「頑張って、あともう少し」
―いいかげんに、してくれっ!!
「鉄ちゃん・・・」
「えっ?」
頭に沸いた血が、一瞬にして冷えた。
「いやっ、聞き間違えだよな。」
それからは慎重に坂を下り、無事に5位で7区の選手にタスキを渡す事が出来た。
今の自分の心を占めているのは、無謀な追い抜きをかけようとして失敗した後悔と、羞恥心。
そしてあとはあの声で思い出した呼吸ができなくなるような記憶。
◇
あれは、高校二年の夏の事だった。
やけに暑くて、蝉もうるさくて。隣の家は昨日から人がひっきりなしに出入りしていて、
落ち着かなかった。
「鉄也、鉄也!準備できたの?
ほらっ、こういう場合は第一ボタンもとめて、ネクタイもきちんと締めなさいね。」
「ネクタイ、赤でいいの。」
「それが制服なんだから、仕方がないでしょ。
お母さん、お手伝いに言っちゃうから、後でお父さんと来なさいね。」
「俺が行かないほうが、喜ぶと思うよ」
「鉄也、あなたの気持は分かるけど、ちゃんと小暮ちゃんに挨拶なさい。
・・・なんだから。」
◇
「・・先輩、臼井先輩、大手町へ向かうバス出ますよ。」
「ん、今行く。」
「このバス、大手町直通か?」
「いえっ、その手前の中継所を回ってスタッフを回収しながらの大手町です」
「俺、鶴見で降りてもいい?」
「もし、優勝した時にメンバー全員の集合が必要になるかと思うのですが。」
「大手町に行かないとは言ってないよ。唐一郎と一緒に大手町に行くから。
それでも何か言われたら、走行中に転倒して、医者に運び込まれたとでもいっといて。」
「・・・わかりました。」
後輩に無理を言って、鶴見中継所で下してもらった。
時刻は既に午前11時30分になろうとしていた。
唐一郎はまさに今走っている最中だなと思いながら。
「頑張れよ、後悔するような走りはするなよ。」とポツリと呟いた。
戸塚中継所で8区のランナーが来るのを待つ。
待っている時間が永遠に続くように思えた。
流石にこの区間になると「繰り上げスタート」への恐怖も頭によぎる。
鉄が6区で5位まで押し上げてくれたことは、戸田から聞いた。
しかし、その後の7区 1時間4分03で7位まで落ち、8区では前半の湘南大橋付近でこの季節にはめずらしい北風が吹き、横風に煽られながらの走行となった。そこで体力を削られてしまい、後半に待ち構えている遊行寺の登り坂で苦戦しているらしいとのことだった。それでもトップとの差はギリギリ20分以内に押さえての9位。
今年のトップを走っている大学は独走状態だなっと自嘲気味に笑ってみた。
そんな状況でも来年のシード権を手放すつもりの走りをする気はなかった。
鉄にも出来たんだ。僕だって順位を上げてみせる。復路も総合も優勝は逃すかもしれない。でもアンカーにシード権の攻防戦をさせるつもりはない。10区の走者にはゴールと、シード権の防衛を託そうと思う。
8区を走っている後輩が中継所の数100m手前まで来たとのアナウンスを受け、軽く屈伸をしながら指定位置まで移動する。繰り上げスタートまでは1分以上の余裕がある。
ランナー待機場所を見ると、既に暗い表情の選手やスタッフが何かを打ち合わせをしていた。おそらく僕が出発して30秒程度で残りの選手一同に中継点に集合の指示が出るだろう、恐怖の繰り上げスタートだ。
そう思うと、8区の走者 井守はよく頑張った。
そんなことを考えていたら、当の本人が姿を現した。
僕の姿を見るなり笑ってタスキを肩からはずし、手に握った。 来るっ!
「先輩、すんません、頼みます。」
「おう!」
たった数言の会話。そして僕の肩にかかったタスキ。
これだけで、どれだけ井守が、他の選手たちが、一所懸命にコレをつなげてきたのかを痛感した。
1月だと言うのに、もう汗が出てくる。
9区、往路でもっとも長い距離の23.1㎞。コース中盤にある権太坂を下ればあとは平坦道路をひたすら走る。監督が始まる前に言っていたとおり、ペース配分がものを言うから、間違えれば簡単に失速するだろう。
しかも、今僕たちは来年のシード争いのギリギリの場所で勝負している。
コースの重要点は行きのバスで戸田からレクチャーを受けたせいか、かなり心強い。
・戸田 光明。「名前が『明るい光』って書くから、主役は俺だ。」というのが口癖の、チームのムードメーカーだ。気の強い、難しい奴だと、今朝までは思っていた。
あいつが区間エントリーから外された時、正直気の毒だと思った。
昨日姿を見かけなかったから、帰ってしまったのかとも思った。
しかしあいつは自分が出来ることを探した。自分の足ではなく、気持ちで箱根駅伝を走ろうと決めたのだ、戸田は正真正銘の強い漢だ。
目の前に権太坂が近づいてくる、緩い上りと激しい下り。
上りに入る100m前で後方を確認した。まだ少々距離はあるが後続の姿が見えたので、アップテンポで坂を上り後続を離す。離された後続は下りで勝負と言わんばかりにスピードを上げてくるので、下りに入ったら今度は自分のペースを貫く。相手は勝ったと舞い上がり下りで再度スピードを上げる。しかし勾配が急すぎて、今度は足を緩めることが出来ない。そのスピードで駆け下りるものだから、坂が終わるころにはスタミナが残っておらず、この9区で大きく順位を落とすことになる。
後続はこれでひとまず置いて、前方に集中する。
基本はタスキが渡った直後か、ラストスパートをかける時に前方を捉えるのが一番手っ取り早い。
しかし、始まりと終わりに勝負を持ってくると執拗に相手が抵抗してくる可能性がある。
また9区で一番の山場の権太坂を終われば誰でも気が緩み、距離もあることから今焦って体力を消耗してまで追いかける必要はないだろうという心理に陥る、その瞬間を狙うつもりだった。しかし、前方の走者が中々見えてこないので下り坂だが少々スピードを上げることにした。坂が終わって数100m先に2人の選手の姿を確認した。
後ろから気配を消して獲物に近づく獣のように、静かに、そして確実に前方の走者との距離を縮めていった。二人の距離があと数10mまで迫ったときに、不意に一人の選手が振り返り、僕に気づいてスピードを上げて逃げた。
因みに8区のこのコースは長く続く権太の下り坂以外に、もうひとつの落とし穴がある。
後半の直線の道路だ。この道路は見通しもいいため、前方の走者を捉えやすくなり、距離を考えずにハイペースで追いかけようとして、終盤で失速するランナーがいる。
そして、僕も冷静さを欠いていた為に同じ落とし穴に踏み込んでしまっていた
後方で自身のペースで走るランナーは置いてきた。
今の目標は必死の逃げるランナーを追い抜くことだ。順位を上げるなら・・・、シート権を確実なものにするなら・・・と目先の損得を選んでしまった。
異変は、京浜急行 生麦駅を越したあたりで起きた。スイッチを切り替えたかのように急に体の感覚が変わった。痛みも息苦しさも感じなくなっていって、体だけが勝手に走っているイメージだった。最初は究極の集中力状態「ゾーン」に入ったのかと思ったが、体が芯を失ったかのごとく、ふらふらと揺れながら走っていた。
恥ずかしながら、自分の状態に気づくことが出来きず、
「おい、大丈夫か?」
「ねぇ、目の焦点合ってないよ、医務車は何をしてるの?」
という、観客の声すらも遠く聞こえた。
瞬間・瞬間に意識は取り戻せたものの、力の入らない体は言うことをきいてくれなかった。
もう、目の前の逃げたウサギを追うのは止めよう。
今出来るのはタスキを鶴見の中継所までは何としてても繋げよう。
やることを一つに絞ったら不思議とさっきよりは走れる感じがした。
ふらふら、トントン
ふらふら、トントントン
傍から見たら、なよなよ走っているようにしか見えないだろうと思いながら鶴見中継所を目指した。
中継所で、アンカーの篠森 厚の姿が見えたとき、瞬間気が抜けて倒れた。
篠森もあまりのことに言葉をなくして見つめいている。
フラフラで何も考えることの出来ない頭でタスキを外した。絡まる足を必死に動かして篠森の所まで行こうとしたが、足が立つことを拒否したかのごとく力が入らない。
どうしていいのか、何をすればいいのか分からなくなっている僕に昨日ぶりの声が聞こえた。
「おら 唐一郎、道は座る場所じゃねーぞ、走れ!
約束の箱根駅伝を、お前がここで終わらせるのか?」
僕は何をしていたのだろう。
「鉄を誘って箱根駅伝出場の想いを叶えたのに、小暮とも約束したのに・・・」
涙を流しながら、動かない足に鞭をうって、中継所のアンカーの元に何とか飛び込んだ。
「篠森、すまない。頼む頑張ってくれ、シード権を・・・」
「おうっ」
篠森はさっき僕が応答した言葉と同じ言葉を残して、走り出した。
僕は戸田や鉄に抱えられながら意識を失った。
薄れゆく意識で、一羽の鳥が飛び立つのが見えた。
・・・私は、古川 小暮。
ひとつ、昔話をしましょうか。
小学生のとき、とても大切な人達と約束をしたのです。
私が自慢できるものは、空手と、鉄ちゃん、唐一郎ちゃん。
だから転校が決まった時、鉄ちゃんから「嫌い」と言われたことが、唐一郎ちゃんが何も言ってくれなかったことが、本当にショックだったのです。
私は東京の高校へ転校した後も空手に集中できなくなり、大会成績も惨敗で、帰る場所も無くなり、孤立しました。寮にも居場所が無いように思えて、お休みの日になると外出するようにしていました。そして、そこで事故にあったのです・・・。
でも、どうやら私の本体は肉体ではなく、二人との約束だったみたい。
マネージャーにはなれなかったけど、私ね、箱根駅伝に出場した二人を見てたよ。
約束げんまん、ありがとう。私はもう逝くね。
だけど、どうか、忘れないで(・・・・・・・・・)。鉄ちゃん・唐一郎ちゃん、あなた達は、私の全てでした(・・・・・・・・・・・・・)。
――千田 唐一郎。
ひとつ、昔話をしようか。
あの箱根駅伝で小暮が約束を守って応援しに来たって確信しているんだ。
あの鳥を春になってもグランドの隅で見かけなくなったからね。
僕が鶴見中継所で見たのも白い鳥だし、約束を果たしたから帰ったのかな。
ありがとう、小暮。
――臼井 鉄也
ひとつ、昔話しようか。
一度だけ人前で泣いた事があるんだ、あの高校二年の夏。
いつも一緒にいたから。転校じゃなくて、小暮の存在そのものがなくなったって言われて信じたくなかった。最期の挨拶をしに行った時 久しぶりに見た小暮の顔は長細い箱に入っていて、まるで人形が眠っているみたいだった。だから起こそうとしたのに。泣きながら何度呼んでも返事してくれなかった。 あの日の痛みは今でも思い出せるよ。
なぁ、小暮。ずっと聞きたかったことがあるんだ。
もし大人になるまで俺たちと一緒にいたら、俺と、唐一郎、お前はどっちを選ぶの?
~FIN~




