結婚は1度、新婚旅行は2度
2回目の新婚旅行の話を聞きたい。と背中を押してくれた紫伊さんに感謝を込めて。
ひとつ、昔話をしましょうか。
それはもう40年も前、私は妻と大阪のテニスコートで出会いました。いろいろな会社の人が集まる社会人テニサーです。夏の夜のナイターテニスですから女の子はみんなポロシャツに白のスコート。それだけで女性は3割増し魅力的に見えます。
彼女を特に意識し始めたのはダブルスでペアを組んでからです。
今でも鮮明に覚えている会話は、試合後に遊園地の話になって、
「ジェットコースターとか乗ると?」
と聞くと彼女は、
「それ、もしかして九州弁なの。」
「えっ、福岡に6年いたから博多弁かな。」
「福岡弁じゃないんだ。」
「福岡弁とは言わん。県庁があるのが福岡市で駅名は博多駅ばい。市の名前を福岡市にするか博多市にするかは市議会で大もめになって博多市派の議員をトイレに閉じ込めて採決して一票差で福岡市に決まったたい。」
くじ引きでペアを決められ、すぐに試合が始まったので自己紹介も特に無くこんな会話が始まりでした。
彼女の清楚な感じに惹かれてデートに誘うことになるのですが付き合い出すとそんなイメージはガラガラと崩れたのでした。
最初のデートは大阪のサーキットのある遊園地。これは結婚している会社の同期に初デートの場所を聞いてそのまま使わせてもらいました。その同期が言うには初デートでは男はカッコいい所を見せることを考えた方がいい。ダメダメだともうそこで終わると。そこでサーキットでゴーカートの競争をするのがおすすめと言うのです。
ゴーカート競争は勝ったのですが、彼女が楽しかったかどうかは微妙でした。とにかく彼女は運動音痴で人並みにできるスポーツが無いことが後でわかりました。
それからは2人の興味の合う京都へのドライブが多くなりました。当時はそのフォルムが好きだったミニクーパーに乗っていたのですが、窓は手動で開けなくてはいけないとか冬の朝はなかなかエンジンがかからないなど、彼女からブーイングを浴びました。
清楚な見た目と違って言いたいことはズバズバ言って、よく笑う明るい子でした。生粋の関西人です。
口癖は、
「それでオチは?」と「ツッコミが足らん。」
娘が幼い頃、幼稚園から帰ってくるとその日あった出来事を次々と話すのですが、その後に妻は「それでオチは何?」と言ってよく娘を泣かしてました。お笑いに関してさらに言えば「東京来てから腹から笑うことが無くなった。」とよく言います。
そうこうして付き合いだして1年半たった頃に東京転勤が決まりました。六甲山でのディナーの後に、
「4月から東京勤務になった。離れ離れになるけれど結婚を考えている。」
と伝えました。
ある意味、プロポーズなのですが彼女的には雰囲気のある場所でもっと感動するような決めぜりふが欲しかったようで
いまだに「プロポーズしてもらってない。」と言います。
こうして遠距離恋愛になりました。
上司は、
「付き合っている彼女がいるのに転勤で悪いなぁ。金曜日のうその会議を大阪に設定して出張扱いで土日はデートしていいから。」
と言うので新幹線代はかからないことになりました。遠距離恋愛になって結婚までは約1年でしたが出張という名のデートをしてました。そして、宿泊は彼女の実家だったので遠距離恋愛中、交通費も宿泊費もタダでした。彼女のお父さんもお母さんもとても人当たりのよい優しい人に思えたのですが、妻は自分にはとてもこわく厳しい人だったように話します。
さて、彼女と結婚する事にした決め手は何だったの?と聞かれることがあります。そんな時に私は回想しながら
「自分の好きな人が相手も自分が好きだなんて偶然はそうそうあることでは無い。そんな偶然を大切にしただけ。」と答えるのですが彼女は、
「私の方から好きだなんて言ってない。女性は一生懸命想われる関係の方が幸せになれる。」と言います。
少なくとも最初は完全に私からの一方通行で始まったようです。後になってようやくわかることもあります。
一度目の新婚旅行の行き先は私が決めました。ダイバーの聖地、グレートバリアリーフでどうしてもダイビングがしたかったのです。妻はCカードを持っていないので体験ダイビングをすることになりました。
まず、ケアンズに着き、船で沖に出てサンゴ礁の海に潜ったのですが妻は耳抜きができず開始早々にガイドと共に浮上しました。私はナポレオンフィッシュなどと遊んでダイビングを満喫しましたが、先に船上にあがった妻は船の乗客に囲まれて
「海の中はどんなだった?」と口々に聞かれたそうです。
「耳抜きができなくて耳が痛くて回りを見る余裕はなかった。」と答えてみんなをがっかりさせたそうです。
次のアクティビティはタリー川のラフティングです。激流をゴムボードに乗って下って行きます。ジェットコースター気分で楽しんでいるとお約束のスポットでボートは転覆し、みんなずぶ濡れになります。町への帰りはバスに乗るのですがこれがキンキンにクーラーが効いていて妻は風邪を引きました。
オーストラリアの秋の時期に旅行したのですがケアンズは赤道が近く真夏の気候です。シドニーまで下ると秋らしくなりました。
そこから新婚旅行はメチャクチャです。妻は寝たきりになりましたがツアーにしたがってホテルは転々とします。病院に行き、ホテルのドクターにも診てもらいますが全然よくなりません。オーストラリアの薬は全く効きませんでした。
私は「ツアーは途中で止めて自分たちだけ日本にもう戻ろう。」と言ったのですが、
「あんなに派手な結婚式をしたのに、来てくれた人たちへのお土産を買うまでは帰れない。」とふらふらになりながら帰るとは言いませんでした。
エアーズロックに着いても登山どころではなくホテルで寝たきりです。結局、エアーズロックを拝んだだけで看病してました。
次にシドニー。当時、話題になっていた和食レストランがツアーコースに入っていました。結局、私一人で行って2人分出てくるので回りの人からいろいろ事情を聞かれたり、お店の人も気を効かせてくれてほとんどの料理を持ち帰れるように包んでくれました。
持ち帰ると妻はプディングのみ食べ、残りは私の夜食になりました。
シドニーの自由時間でようやくお土産が買えると一緒に出かけたのですが、何度も、うずくまって這いつくばりながら友だちへのお土産を品定めする妻。執念としか言いようがありません。私は友だちのお土産に腕時計、Tシャツ、バッグ、ワインなどを買い帰国してから写真を撮りお土産カタログを作って順番に見てもらって希望のものを渡していきました。
そうして風邪がようやく治ると、
「お願い。2回目の新婚旅行に連れていって。オーストラリアの新婚旅行は何もいい思い出が無いから。」
「じゃあ、約束しよう。みよちゃんの行きたい所に海外旅行に行こう。」
二度目の新婚旅行はヨーロッパ周遊となりました。パリではオランジェリー美術館。360度ぐるりとモネの睡蓮に埋もれる至福の時間でした。そしてセーヌ川のクルージング。今度は沈水せずにすみました。日本ではほとんどフランス料理は食べないのですが、さすがに本番パリは一品一品のソースが絶妙でした。ついでイタリア。事前に「ローマの休日」を見たので聖地巡礼をしました。スペイン広場、真実の口、 トレビィの泉、コロッセオ・・・。当時はバブル期でヨーロッパのブランドショップは日本人だらけという状況でしたがローマに行った日がラッキーにもイタリアの祝日でお店はすべてクローズしてました。妻は文句たらたらでしたが……。ギリシャはパルテノン神殿とエーゲ海クルーズ。
あれからいろいろと家族で海外旅行をしましたが一番リピートしたのはテニアンでした。その話はいずれまた。
社会人サークルは出会いの宝庫。