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箱の中の恋人

 ひとつ、昔話をしようか。

 これは、かつて僕が大切に想っていた一人の女の子との物語だ。

 彼女と初めて会ったのは、五年前の七月だった。地元から離れた高校に入ったので知り合いも居なくて、無理をして自分の実力よりも高いレベルの学校を選んだせいで授業についていくのに精一杯だった僕はすっかり疲弊していた。そんなある日、気まぐれに立ち寄ったゲームショップで彼女に出会った。

 それからは、学校が終わってから彼女の部屋へ遊びに行くのが楽しみになった。僕と同い年だけど部屋に閉じこもったままの彼女は僕の話をいつも楽しそうに聞いてくれたし、学校に馴染めない僕を励ましてくれた。

()()()()()()()()()()

「えっ……あ、間違えてるや。ありがとう」

 ある日、彼女と一緒に数学の勉強をしていた。彼女は僕よりもよっぽど頭が良くて、いつも先生の授業よりも分かりやすく勉強を教えてくれた。最初の頃は悔しさと恥ずかしさで複雑な気持ちになったけど、最近は自分の好きな人の頭が良いということを自慢に思うようになっていた。

「ずっと気になってたんだけど、そのポスターの歌手が好きなの?」

 ベッドのすぐ横に貼ってある大きなポスターは、男性五人組のロックバンドのようだった。曲のタイトルと日付が書いてあるから、リリース記念の限定品かもしれない。そんな限定品を持っているくらいだからよほど好きなんだろうとは思っていたのに、幼稚な嫉妬心から聞けずにいた。だけど、もっと彼女のことを知りたい。そう思って選択した質問だった。それに、この歌手のライブに誘って外へ連れて行くということもできるかもしれない。

「うん、そうなの。七月八日に発売したんだけど、すごく好きなんだ。ライフ、っていう曲なの」

 奇しくもその日は僕たちが出会ったのと同じだった。きっと彼女は覚えてないだろうけど、なんだかその共通点はすごく特別なことのように思えて、僕はひとりで嬉しくなってしまった。

 その喜びを伝えるべきか、あるいはその曲を聞かせてほしいと言うべきか悩んだけれど、そのどちらも選ぶ勇気がなくて、僕は三つ目の選択をしてしまった。

「そうなんだ。格好いいポスターだね」

 彼女の目がぐらりと揺れるのを感じて答えを間違えたことに気が付いたけれど、もう遅かった。今度、その曲を聴いてみよう。それで、感想を伝えるんだ。そこから広げていけば良いじゃないか。そう自分に言い聞かせた。

 彼女の名前は椎葉香織。いつもポニーテールにしている黒髪は生まれつきの癖毛のせいで少しうねりがあって、細くて柔らかい毛質だから絡まりやすいのだと言っていた。触ってみたいと思ったけれど、さすがにそんなことはできない。ほんのり朱色の乗った頬はふんわりとして柔らかそうだし、大きくてまんまるな黒目もあいまって、同い年のはずだけどいくらか幼く見える。

「そうだ、今日はチョコレートケーキを焼いてたんだよ」

 香織はそう言って、一階にある台所からケーキと紅茶を持ってきてくれた。表面に塗ってあるクリームはチョコレートとコーヒーのほんのりビターな味わいで甘さが控えめになっている。切り分けられたピースに大きくて歪な赤い苺がひとつ乗っているのが、手作り感を出していた。

「僕、チョコレートケーキが()()()()()()()()()()()のに。よく分かったね」

「佐倉くんも好きなの? 私、ケーキの中でチョコレートが一番好きなの。一緒だね、嬉しい。ね、美味しい?」

 この選択肢は、さっきのように間違えるわけにはいかない。僕は大袈裟なくらい深く頷いた。

「うん、美味しいよ」

 香織は自分のケーキを食べるのに少しかがめ気味だった上半身を勢いよく持ち上げたせいで、ポニーテールの先がふわりと揺れた。香織はあまり感情を表現することが無いから、時折見せてくれる喜怒哀楽の表情がいつも心に突き刺さる。そして、できることならばそれが笑顔であったなら最高だ。

 その日はケーキを食べながら話をして終わった。最近、香織との話題が減ってきているような気がする。部活動や習い事の登録をしたほうが良いかもしれない。香織と話すためという不純な動機とはいえ、自分の生活が少しずつ向上していく感覚は悪くない。それに、香織のことを考えている時間は僕にとって特別なものになっていた。



 変化を感じたのは、手作りケーキを食べてから二週間ほど後だった。そのあいだにも彼女の部屋に通っていたけれど、結局デートには誘えないまま他愛のない話をするだけの日々を繰り返していた。唯一の変化と言えば、テニス部の登録をしたおかげで、香織とできる話が一つ増えたことくらいだ。

「今日の部活はどうだった?」

「ラリーの練習をしたよ。皆より遅れて入ったからまだまだ下手くそだけど、なんとかついていってる」

「すごいなぁ。佐倉くんがテニスをしてるところ、私も観てみたい。ねぇ、()()()()()()()()()()くれる?」

 非常にまずい事態だ。テニス部を登録したものの、元々運動は好きじゃないし、香織と話す時間が減るのも嫌だったから、本当はあまり真面目に練習していないのだ。それがバレてしまったら香織は幻滅するかもしれない。だけど、こうしてお願いをしてくれるなんて初めてのことだったから、それを無下にすることもできない。

「うん、わかった」

「本当に? ()()()()()()()()()

 僕が頷くと、香織は嬉しそうに笑ってくれた。差し出された小指に指を重ねると、楽しげに上下に揺らしながらおまじないを唱える。僕は自分の顔が引きつっていないかどうか心配で堪らなかったけれど、香織の姿を見ていると、そんな不安や心配もどうにかなるような気がした。

「そうだ、今日はチョコレートケーキを焼いてたんだよ」

 香織はそう言って、一階にある台所からケーキと紅茶を持ってきてくれた。

 おかしいな。この間と同じケーキだ。食べようとする僕の顔を緊張した表情で見つめているのまで全く同じ。今まではこんなことなかったのに。いやもしかしたら、僕がチョコレートケーキを好きだと言ったから、わざわざ同じものを作ってくれたのかもしれない。

「香織も食べてみなよ」

 試しに、この間と違うことを言ってみる。一口フォークに刺すと、そのまま香織の口元へ運んだ。

 何が起きているのか分からないというように数回瞬きをして、耳を赤く染め両頬を手のひらで押さえる。差し出されたケーキと僕の顔を交互に見てから、覚悟を決めたように頷いてフォークに顔を近付けた。

「……おいしい」

 香織はまだ恥ずかしさが抜けない様子で、机を見つめながらそれを飲み込み、ごく小さな声で呟くようにそう言った。

 その日もケーキを食べながら話をして終わったけれど、この間と少し違う空気が漂っていたような気がする。

 次こそデートに誘おう。きっと上手くいく。



 その日は、香織の家には行かずに近所のレンタルショップへ向かった。明日、香織をデートに誘うと決めた。その前に、彼女が好きだと言っていた曲を聴いてみようと思ったのだ。それとは関係無しにゲームジャンルのコーナーへ行ってみると、香織の好きだと言っていた曲を見つけることができた。

”超人気恋愛シミュレーションゲームの主題歌!”

 おすすめコーナーにずらりと並べられたジャケット写真には、ゲームのキャラクターだという三人の女の子が描かれていて、そのうちのひとりが香織だった。

「アイツ、暫く顔見ないと思ったら意外とふつーじゃん。遊んでるだけかよ」

 ケースを手に取って立ち尽くしていると、背後から何人かの笑い声が聞こえて振り返った。名前は覚えていないけど、同じクラスの男子だった。一瞬、自分がふわりと宙に浮いたような感じがして、体がぐらりと揺れた。目眩がする。僕は商品を棚へ戻して勢いよく店を飛び出した。それから、近くのファストフード店に入って飲み物だけを注文して席についた。

 恋愛シミュレーションゲーム、香織の顔、クラスメイトのあの言葉。全てが僕を混乱させる要素だった。僕は携帯を取り出すと、震える指で何度もキーの操作を間違えながら、それでもなんとか”椎葉香織”の文字を入力して検索した。

 椎葉香織。七月八日に発売した恋愛シミュレーションゲーム『ライフ』のキャラクター。好きな女の子の部屋で会話ができる。リアルタイム進行だが、定期的なアップデートにより話題やイベントの追加がありプレイヤーを飽きさせない仕様。組み込まれている学習アプリのクオリティが高く、遊びながら勉強もできると評判。ただし先日のアップデートで、部活の登録でテニス部を選択すると同じ会話を繰り返すバグが発生していると報告が相次ぐ。早急に修正すると謝罪文を掲載したが、未だ新たなパッチは公開されていない。クリスマスイベントに間に合うのかとプレイヤーの間で話題になっている。

 そこまで読んで、僕は携帯電話を手から落としてしまった。周囲の人が驚いてこちらに視線を向けているのが分かったけれど、そんなことを気にしている余裕は無い。一口も手を付けなかった飲み物を捨てることもせず、僕は香織の部屋へ向かった。

「いらっしゃい、今日は遅かったんだね」

 出迎えてくれた香織はいつもと同じように、優しい笑顔を向けている。毎日を自堕落に過ごしているだけの僕を何度も救ってくれた笑顔だ。

 まずは、壁に貼ってあるポスターのことを聞いてみる。

「七月八日に発売したんだけど、すごく好きなんだ。ライフ、っていう曲なの」

 次に、部活のこと。

「佐倉くんがテニスしてるところ、私も観てみたい」

 この次は、

「そうだ、今日はチョコレートケーキを焼いてたんだよ」

 そこまで進めて、僕はマウスから手を離した。この後に持ってきてくれるケーキも紅茶も、その後の選択肢も、僕は知ってる。バンドのことも、部活のことも、僕がクリックしたから話してくれる。学校なんて本当はもうずっと行ってなくて、だけど、ゲームだから、僕はこのゲームの中では楽しく日常生活を送っている男子高校生だった。

 セリフをオートモードにしているから、僕が何もしなくても会話は勝手に続いていく。香織の声が止まったかと思うと、選択肢が出てきていた。三つの言葉の背景で、香織が不安そうな顔をしている。

 おいしい、香織も食べてみなよ、まずい。この中で選んでないのはひとつだけだった。ゲームだから、選んでも僕の人生に何か支障が出るわけじゃないってことは分かってる。だけど、それでも、香織の悲しい顔は見たくなかった。

「おいしい」

 口の中に、甘くてほんのり苦いコーヒークリームの味が広がったような気がした。



 どうだい、笑えるだろう。僕はあの頃、香織のことを本物の女の子だと想って接していたんだ。結局、高校をやめて本屋のアルバイトを始めたが、予想以上に体を動かす仕事だったおかげか、少しずつ前向きな思考ができるようになってきた。

 今日、入荷した新刊の確認作業をしていると後ろから声をかけられたんだ。振り返ると、そこに立っていたのは香織そっくりのポニーテールの女の子だった。僕はあの頃のことを思い出して口いっぱいに苦い味が広がるのを感じたけれど、精一杯笑顔を作った。

「何かお困りですか」

「あの……お店に来るたびにあなたのことを見ていたんです。良かったら、名前と連絡先を教えてくれませんか」

 そう言って女の子が紙とペンを差し出してきた。なんだ、神様はちゃんと居るじゃないか。頑張っていれば、こうして素敵な出会いを運んできてくれる。

 僕は女の子の指に自分の指が触れてしまわないように気をつけながら受け取ると、カウンターに紙を置いた。


”名前を登録してください”



END

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