純愛と時間
「ひとつ、昔話をしようか」
「嫌です」
老人の提案に対し、間髪入れずに拒否する美女。
「え?」
カウンターを挟んで向かい側に立つ老人は思わず聞き返す。
「年寄りの昔話ほど退屈なものはありません。たいてい、自分は凄かった、もしくは昔は良い時代だったという懐古。そしてそれに続くは現在の社会への不満、そして若者への説教。貴方より遅く生まれた、ただそれだけで説教をされるこちらの身にもなってほしいです」
ピクリとも表情を動かさない美女の口から立て板に水の批判。入店してきた彼女の姿を見てから話をしようと思い続け、やっと勇気を出して口を開いたというのに・・・。老人が想定していた性格と全く違うではないか。
「いや、ちょっとお嬢さん・・・」
「私、そろそろ帰りますね」
長く豊かな髪をなびかせて店を後にしようとする。
「ま、待て待て!じゃあ、約束しよう!!私は昔話をするが、絶対に自慢話もしないし、若者への批判も行わない!なあ、聞いて行ってくれないか。私も老い先短い。誰かに話しておきたいんだよ・・・」
必死に引き留める老人に憐れみを感じたのか、彼女は元の椅子に戻り、コーヒーを一口。
「わかりました。でも手短にお願いします。あまりに退屈だと、寝てしまうかもしれませんよ?」
「まあまあ、心して聞いてくれ。眠っている暇なんか一瞬たりとも与えないからな」
時は文永11年、とある島の漁村での出来事だ。
「ちょっと待ってください。文永11年?いつですか??」
「西暦でいうと1274年、鎌倉時代だな」
「え?昔話って貴方の経験談じゃないんですか?」
混乱する彼女、老人の自慢話なんて入り込む余地がないほどの昔話だ。
「まあ、私の生まれは昭和5年だからな。大した昔じゃないよ。さあ話を先に進めよう」
その漁村には太郎という青年が住んでおり、漁をして日々暮らしていた。ある日、いつものように漁に向かおうとすると浜辺で子供たちが何かを囲んで騒いでいる。
『おい、どうしたんだい?おまえら』
『あ、兄ちゃん。大きな亀見つけたからよぉ、蹴って遊んでんだ。首ひっこめてよぉ、面白ぇぜ』
「ちょっと待ってください。これって・・・」と思わず口を挟む。
「お、なんだ?暴力描写はNGか?お嬢さん、もう成人しているだろう?」
「いやそうじゃありませんよ。これ、浦島太郎じゃないですか?」
浜辺で亀をいじめる子供なんて、浦島太郎の物語でしか出てこないシチュエーションである。老人の昔話、どうやらガチ「昔話」らしい。
『おいおい、そんなことしたら亀がかわいそうじゃないか。これをやるから放してあげなさい』
太郎は子供たちに釣りの餌をやり、亀を助けてあげた。すると、亀が甲羅から首を出した。
『ふぅ、助かった』
『やや、喋れるのかこの亀は』
思わぬ事態に驚く太郎、しまったという顔をして即座に海に入ろうとする亀。すかさず亀の尻尾を掴む。
『カメカメ・・・』
『いや待て、いまさら普通の亀のフリをしても無駄だ。なぜ話せるのか言わんと、おまえの甲羅の中に虫を放り込んでやるぞ』
太郎は亀の甲羅をがっしりと掴んで離さない。
『や、やめてください!話します、話しますから・・・』
これなら子供にいじめられている方がマシだったと思い、亀は仕方なく話し始める。こういう時は嘘をつくよりも真実を話した方が良い。そして、真実を話したところで信じまい。
『実はこの海の彼方には、竜宮城というお城がございまして、そこの主の乙姫様というお方は世界中に広がる海の守り神なのです。私はその乙姫様のしもべとして、言葉を操る力を頂いております・・・』
無言になる太郎、突飛な話に唖然としているようだ。亀はその隙を見計らって逃げようとするが、漁で鍛えた剛腕は逃がさない。
『おい、亀・・・俺はおまえを助けたな?』とニヤリ。
『え、ええ・・・』
『お願いだ。連れて行ってくれよ、その竜宮城とやらに』
思わぬ提案に亀は焦る。竜宮城に人間を連れていくなど、前代未聞だ。
『なぁ、こんな田舎の島で毎日暮らしていてもつまらないんだ。このまま死んでいくと思うと恐ろしくてたまらない。俺を面白いところに連れて行ってくれよ』
太郎は笑顔を浮かべながら、漁に使う針を亀の目に突きつける。
『途中で振り落とそうと動いたら、おまえも道連れだからな』
怯えた亀は太郎を背に乗せて、海へと歩を進めた。
照りつける日光と海面の揺れに、甲羅の上の太郎は疲れを隠せない。
『おい亀、いったいいつになったら竜宮城に着くんだ。おまえ俺を餓死させようとわざと遠回りしているんじゃないだろうな』
その時は道連れだという強い覚悟が甲羅ごしに伝わってきて、焦って答える。
『そんなわけないじゃないですか!もうすぐ見えてきますよ!!あ、あれだ!あの影がそうですよ!!』
確かに水平線の彼方に黒い山が見えてきた。太郎は安堵するとともに、新天地を訪れることに興奮が抑えられない。生まれた島から出たことのない青年が、他の島どころか、今までだれ一人足を踏み入れたことのない城に行くのである。いったいどんな場所なのか、乙姫とはどんな人か、思いを巡らす。
『ん、待て・・・あれが竜宮城なのか??』
次第に近づくにつれて、黒い山は姿をハッキリさせてきた。城ではない、船だ。しかも数隻ではない。数えきれないほどの船の上に、鮮やかな旗や槍が見える。聞いたこともない勇猛な歌も聞こえてきた。
『あ、あれは竜宮城じゃあありませんね・・・見たことのない船だ』
蒙古だ。太郎の島に数年前に流されてきた坊主から聞いたことがある。仏法を大事にしなかったがために、近々蒙古という異国が日本に攻めてくると。坊主はそれを幕府に進言したために流罪になったらしい。
『おい、どうするんだよ亀。このままじゃ見つかるぞ・・・』
『少し、息を止めていてください!』
急に太郎の足元がぐらつき、視覚と聴覚が奪われた。海に潜ったのだ。必死につかまるが、亀は凄まじい速度で海中を進んでいく。次第に意識が遠のいていく・・・。
さて、この人間をどうしようか。倒れこんだ青年を見て、竜宮城に戻った亀は考える。竜宮城は離れ小島の洞窟の中にある。洞窟の入り口は海底の一箇所みなので、近くを通りかかった人間が入ってくる心配はない。そう、太郎は初めてここに足を踏み入れた人間となったのである。途中で降り落とすことも考えたが、意識を失ってもなお甲羅にしがみつく剛腕を剥がすことは不可能であった。
『おかえりなさい、亀吉』
凛とした声が洞窟内に反響する。豊かな黒髪、大きく澄んだ瞳、絹のように白い肌。
『乙姫様・・・ただいま帰りました。お久しぶりです。相変わらず麗しい・・・』
『貴方は少し老けましたわね。報告は後で構わないから、ゆっくり休んでくださいな』
その時、亀の後ろに横たわる太郎が意識を取り戻した。自分がどこにいるのかわからず、少しずつ上半身のみ起き上がる。激しい頭痛に頭を抑える。
『あ、乙姫様・・・これには事情が・・・』
弁明を試みる亀を押しのけて走る乙姫。突然細い手に腕を掴まれた太郎は、目の前の女性の美しさに驚いて声を失う。村の女しか知らない太郎にとっては、絶世の美女としか表現できない。ああ、俺は死んだのか。
海の守り神として生まれた時から竜宮城にいた乙姫にとっては、初めて目にする人間である。恒温動物の体温を確かに感じながら、その顔をまじまじと見つめる。乙姫の目から次第に涙が溢れてきた。何の涙かは自分でもわかっていない。ただ止めることはできない。海の守り神の揺れる感情に連動して、海も荒れだした。大粒の涙とともに大雨が降り、高鳴る鼓動とともに大風が吹いた。
『乙姫様!まずは上にお逃げください!!』
構造上、竜宮城の下層階は海が荒れると水没してしまう。しかし、洞窟の入り口から入ってくる水飛沫を浴びながらも、乙姫は太郎を掴んだまま動かない。
『救援!救援!!乙姫様を運び上げろ!!!』
大量の蟹が右歩きで降りてきて、二人を載せて左歩きで登って行った。亀は最後に扉を閉めて、水の侵入を防いだ。さっき見かけた蒙古の船も既に日本の武士と交戦している頃だろうが、この荒天では船上は危険だ。戦の結果がどうなったか、数日後にまた視察に行こう。
「なんだか展開が急すぎません?歴史に、恋愛に・・・」
「ラブストーリーは突然に、だよ。」と老人は腰を反らせる。
「お嬢さんが乙姫様の立場だったら、どう思う?ずっと、一人で生きてきたんだ・・・」
老人からの問いに、彼女は黙ってしまう。
『もう嫌だ!!こんな生活!!』
美味しい料理に酒、柔らかく快適な寝床、鯛や平目の舞い踊り、そして美しい乙姫から捧げられる無限の愛。島で細々と暮らしていた太郎からすれば、夢のような生活である。しかし、何不自由ない生活というのは、時に何自由ない生活へと転換する。既にここに来てから一年ほどが経った。太郎の行動範囲は狭い洞窟内に限られ、話す相手といえば魚たちと乙姫のみ。仕事もなく、遊んで暮らすだけ。新天地を目指して亀にしがみついてきた太郎が求めていた生活は、こんなにも刺激のないものだっただろうか。
『太郎様、今日は魚の形のせんべいを作ってみましたの。乙姫の名前をとって、「おっとっと」なんていかがかしら?』
笑顔で迫り寄る乙姫。何度見ても美しい、が、この少女の存在が太郎を一番悩ませているのである。太郎に与えられる愛の理由は何なのか。初めて会った人間であるということに過ぎないだろう。鳥の雛が初めて見たモノを親と認識するのと同じである。強く慕ってくれる乙姫、ただそこには人間を感じられない。毎日毎日毎日毎日、書物で覚えた愛の言葉を太郎に浴びせかけてくる。残りの人生を、こんな不自然な空間で過ごすのかと思うとゾッとする。だいたい、俺は乙姫を好きだなんて言っていない。
『太郎様、なんだか浮かない顔をしていますね。どうされましたの?』
『いや、なんでもありませんよ。美味しそうなお菓子ですね・・・』
ここを出ると言えば、乙姫は泣き出し、外には再び大嵐が来ることだろう。ただ、だからといって一人で脱出するのも不可能だ。海底の出口から海上まで泳げたところで、そこから一番近くの陸地までどれだけの距離があるかわかったものではない。そうなったら脱出手段は一つしかない。
『そ、そろそろ針を離してくださいよ・・・怖くて泳げないですから』
甲羅をがっしりと掴まれて、目に針をつきつけられた亀が叫ぶ。既に竜宮城を脱出してから丸二日経つ。竜宮城に連れて行けと言ったと思ったら、今度は竜宮城から出してくれときた。なんと勝手な人なんだろうか。そして何よりも乙姫様は無事だろうか。気を失っていなければ良いが・・・。
『ん、待て!船が見えるぞ・・・』
船が一隻近づいてきた。蒙古の軍船ではなく、どうやら商船のようだ。流石に亀の背中に乗り続けるのは、竜宮城での生活でなまった体には厳しい。なんとか乗り込み、そのまま終着地まで行こう。別に故郷の島に戻るつもりはない。これを機に、都に出るのも良いかもしれない。
『あ、あの船まで送りますから解放してくださいよ!!』
『よし、そうしてくれ・・・』
頭頂部のみ剃り上げた奇怪な見た目の異人。船に乗り込むことに成功した太郎が最初に遭遇した人物である。もしや蒙古の船だったか、と引き返そうとしたが既に亀は海中に戻っていった。異人が船室に声をかけると、奥からみすぼらしい小男が出てきた。
『おや、あんた・・・日本の人かい?』
男が話しかけてきた。久々の乙姫以外の人間との会話に、そして同じ国の人間との会話に、太郎は泣きそうになる。
『ああ、そうだ。漂流して死にかけていたんだよ。助かった・・・ところで、その異人は何者だい?』
『ん、まあ驚くよな。この人はイスパニアという国から来たザビエル様という坊さんでな、ゴアで出会って、今から一緒に薩摩に布教しにいくところなんだよ』
相手の男が言うことはいまいちわからない。薩摩といえば、太郎の島よりだいぶ遠くにある地名のはずだが、イスパニアもゴアも聞いたことがない。
『蒙古とは違うのか??』
『おいおい、蒙古なんていつの話をしているんだよ。俺も小さなころ、婆さんに言われたよ。悪いことしてると蒙古が来るよってさ。でもよ、ありゃ二百年も前との話だぜ。神風が吹いて撃退できたってやつだろ?』
どうも話が噛み合わない。蒙古が来たのが二百年前とはどういうことか。その時、異人が素っ頓狂な声を上げた。船上に大量の蟹が右歩きで這い上がってきたのだ。太郎の全身をハサミでガッシリと掴み、左歩きで船から海へと降りて行った。蟹軍団は太郎を乗せて、海の上を滑っていく。船上の二人はそれを見て唖然とする。
『なあ、アンジロー。日本とは、こんな国なのかい?』
先行きに不安を抱える宣教師に何と答えて良いかわからない。
「ちょっと、なんで宣教師の会話が貴方にわかるんですか」
「ん?何の話かな。私は昔話をしているだけだよ」
どうやら勘の良い彼女はただの昔話でないことに気付いたようだ。まあ、物語には脚色というものが必要だ。
『諦めてなんかあげませんわ。太郎様・・・貴方を黙って見逃がすわけがないじゃありませんか』
愛おしそうにハサミの跡が付いた腕を撫でる乙姫。一度失敗したら、もう脱出は不可能だろう。一生、この洞窟の中で暮らし、老いて、朽ちていくのか。そもそも気軽に亀についてきたのが間違いだった。竜宮城にくれば、新たな人生が開けると思った。そんなことはない。地道に島で働いて、そこから都でも鎌倉でも出ていけば広い世界が広がっていたのだ。もはや後悔しかない。
『さあ、長旅で疲れたでしょう。こちらを召し上がれ』
吸い物だ。乙姫は太郎の口に愛とともに注ぎ込む。なんと美味しいのだろうか。
『こちら、腕によりをかけて作りましたの。ウミガメの吸い物ですわ』
温かい罰が体中に染み渡る。愛の巣から逃げた罪が血肉となる。
再び一年程が過ぎた。竜宮城の出口に繋がる扉には鍵がかけられ、蟹が警備をしている。ただただ飯を食い、乙姫の愛の囁きを聴くだけの日々。何度も脱出を試み、乙姫に対して二人で外に出ることを提案もしてみたが、海の守り神である彼女は、竜宮城を出た途端に泡となって消えてしまうらしい。次第に太郎の感情は死んできた。
身体の自由は奪われていないため、少しでも気を紛らわすのと、体を衰えさせないためにも毎日洞窟内を一周歩くのだけは欠かさない。ある日、いつものように歩いていると乙姫の声が聞こえてきた。
『お帰りなさい、亀蔵。貴方少し見ない間に老けましたわね』
『ええまあ、今回は二年間、色々とまわって見てきましたから』
乙姫は定期的に外の様子を亀たちに視察させている。ただ、二年間とはどういうことだろうか。亀蔵が出て行ったのは数日前のはずだ。
『どうやら政治の中心は江戸に移ったようで、以前来ていたイスパニアの人々は来航を禁止されていました。今、来航を許されているのは唐人とオランダ人のみのようです』
『ここ最近の地上は大きく動いているみたいですわね。太郎様がここに来たときから四百年、太郎様の故郷はどうなっていることかしら』
四百年??どういうことだ。
『ねえ、太郎様』
気づけば目の前に乙姫が立っていた。思わず悲鳴が漏れる。
『驚いていることでしょうね。この竜宮城の時間の進みは、外の世界よりずっと遅い。別に隠していたわけではありませんの』
時間の進みが遅い、すぐには理解できない現象だが、そう考えれば一度脱出したときに会った男が話していた内容にも納得が行く。太郎が竜宮城で一年程暮らしている間に、外の世界では蒙古襲来から二百年が経過していたのだ。そして、もう一年間の間にさらに二百年が・・・。つまり、太郎が知っている島の人間はもはや誰も生きていない。あの異人たちもとっくに死んだことだろう。あまりの衝撃に、太郎はへたり込んでしまう。
『どうされましたの?ここで流れているのは貴方と私だけの時間、外の時間なんてどうでも良いですわ』
これから何百年、何千年と時代が流れる中、俺は乙姫と二人でこの空間に取り残されるのか。そんなもの、無間地獄ではないか。虚無感に囚われて動けなくなった太郎を、乙姫は優しく撫でた。
もう、太郎が竜宮城に最初に来てからどれほど経つだろうか。外の世界では六百年か七百年は過ぎているはずだ。いったいどれだけ世界が変わっているのか想像もできない。仮に脱出できたとしても、もはやその世界に太郎が馴染むことはできないだろう。亀たちの報告を聴いて外の出来事は聞いているものの、空を飛ぶ乗り物や遠くに声を伝える道具など、想像すらできない話ばかりである。
だいぶ前から太郎は脱出のことを考えず、乙姫との生活を積極的に楽しむように意識を変えていった。美しい海の守り神を支えて生きていく。もはや人間として生きることを諦めていた。
しかし、転機は来た。突如、轟音とともに竜宮城が大きく揺れた。洞窟の一部が崩れ、外へと繋がる穴が開いた。太郎が夢見て、諦めた、外の世界・・・後ろを振り返り、乙姫のことを考える・・・一瞬の躊躇の後、太郎は一歩踏み出した。
「その穴も、次の爆発で崩れた岩の下に埋もれてしまった。乙姫たちがどうなったのかはわからない。まあ、突然の大雨が降ったということは、乙姫がまた涙を流したんだろう。ただ、蟹が連れ戻しに来ることはもうなかった」
「爆発って・・・魚雷ですよね?時代は1940年代?」
本当に物分かりの良い人だ。この女性を昔話を初めて語る相手に選んで本当に良かった。
「ああ、太平洋戦争の終わりも終わりだ。太郎は通りかかった船に忍び込み、九州の田舎へわたった。その後、すぐに戦争は終わったが、戦後の混乱期だからよくわからん人間がいてもあまり不信がりはしない。まさか七百年前の人間がいようとは思わないからな。口のきけないフリをして漁の手伝いをし、少しずつ、少しずつ、現代の文化や言葉に慣れていった」
老人の目には涙が溜まっている。
「そこから、何度も住む場所を変え・・・おっと、ここからはお嬢さんの嫌いな老人の自慢話になってしまうかな。もう時間も遅い、ここらにしておこう」
老人は涙を拭い、ホッと一息ついた。
「なぜ、私にこのお話を・・・?」
「さあ、なんでだろうな。お嬢さんが懐かしい顔と声をしていたからかな・・・」
老人は、すっきりとした顔をしている。今まで、誰にも話してこなかった。島の外を夢見た若い日、孤独と諦めの数百年間、そして必死に生きてきた、この七十年間・・・。死ぬ前に、誰かに話したかった。
「覚えていてくれたなんて嬉しいですわ、浦島様」
美女はにっこりと笑う。凍り付く老人の表情。
「どうでしたかしら?貴方の居場所を突き止めてから、頑張って練習しましたの。現代の女の子にしか見えなかったでしょう?」
絶句する老人。腰が抜け、立つことが出来ない。
「入店したときの貴方の驚いた顔、最高でしたわ・・・すぐにでも抱き締めたい気持ちを抑えて、貴方が声を発するのを待った。そして、私を見て昔話を語り始めた時、本当に嬉しかったですわ。聞きたくないだなんて意地悪してしまったのは、ごめんあそばせ。でも、貴方が私を待たせましたのよ。私だって少しは焦らしたくなりますわ」
「そ、外に出たら泡になるんじゃ・・・」
「泡になっても良いと思ったんですの。貴方がいないのならば」
岩に埋もれた竜宮城の入り口が再び開いた時には、外の世界では一年が経っていた。蟹たちの必死の捜索にも関わらず太郎の痕跡はどこにもない。自死を選んで竜宮城を飛び出した乙姫は、自分が泡にならないことに気付いた。守り神としての任務を彼女に行わせるためのハッタリだったのだろう。
「そこからは苦しい日々が続きましたわ。私にとっての数日で、貴方は幾つも年を重ねる。貴方が死んでしまうのが先か、しもべたちが見つけてくれるのが先か。祈って待つこと数カ月、ついに見つけたと報告が入り、すぐさまこの街まで来ましたわ」
店の扉が静かに開く。
「も、もう俺は年老いた・・・頼むから、連れて行かないでくれ。俺を、人間として死なせてくれ」
次々に右歩きで入店してくる大量の蟹。
「貴方があれからどんな人生を送ってきたのか、それを聴きたくてこんな小芝居まで打ちましたの。そして話を聴いている間に実感しましたわ。お爺様になっても変わらない。私の愛する太郎様のままだって」
もがく太郎を蟹のハサミが次々に挟む。
「さあ、帰りましょう。元の時間へ」
こうして太郎は左歩きの蟹に連れられて、竜宮城へ帰ったとさ。めでたしめでたし。




