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母と子ふたり、夏の香りと砂糖の減り

作者: ラストラ

 「80年代」という時代が風のように過ぎ去ろうとしていた。そんなバブルに燃える都会とは違い、私が住んでいたこの片田舎は取り残されたように静かなものだった。


 寂れた商店街のすぐ脇にある小さなアパートに、私は息子と二人で暮らしていた。古い木造アパートだ。春とはいえどもまだまだ寒さが肌を刺す。


 半年前に夫を亡くし、いくつかのパートを掛け持ちして何とか生活をしている。


 息子はまだ小学三年生になったばかり。甘えたい盛りだというのに、あまり構ってやれなかった。寂しいだろうに、文句のひとつも言わずにいつも笑顔で「おかえりなさい」と言ってくれる。少し遅めの晩御飯を食べる頃には、すでに宿題だって終わらせている。我が子ながら本当に真面目な良い子だと思う。


 そんなささやかな幸福と少しの罪悪感の中で過ごしていたある日、パートから戻ると部屋の中に違和感を覚えた。


 息子はいつも通り「おかえりなさい」と笑顔を見せてくれるが、何かがおかしい。調味料の棚、塩の置場所が変わっている気がする。砂糖も心なしか減っているように見える。


「ねえ、キッチンで何かした?」


 と息子に尋ねても、


「し、知らないよ」


 と返ってくる。少しだけ言葉につまり、目をそらしながら。怪しいなと感じながらも恐らく私の気のせいだろうと思い、その日は問い詰めることはしなかった。


 それから数が月の間に同じような違和感を覚えることが何度かあった。フライパンや鍋の位置が変わっていたり、また砂糖が減っている気がしたり。


 大きな変化ではない事がむしろ不気味ではあったが、私は息子の「知らない」という言葉をただ信じた。出来た息子だ。今まで嘘や隠し事などしたことはない。きっと私が仕事でクタクタなまま料理をし、置場所を間違ったりしたのだろう。疲れた体が糖分を欲し、いつもより多めに使ったに違いない。


 そう自分に言い聞かせているうちに時は流れ、風は夏の季節を運んできた。


 今日は地元の夏祭りがある。近くの河川敷の開けた場所に出店が並び、途中、花火が上がる。寂れたこの町では一大イベントなのだ。そういえば、こうして息子と二人で出かけるなんて初めてかもしれない。夫の生前はいつも三人で過ごしていたし、亡くなってからはそんな余裕は無かった。


「お母さん! お店がいっぱい!」

「そうね、ほら慌てないの。お店は逃げないんだから」


 久しぶりのお出かけに、息子の笑顔がまぶしい。普段よりもひとつもふたつも高ぶった気持ちを抑えるように、彼は私の手をギュッと握ってきた。


 温かい、いつの間にか少し大きくなった手。私も日頃の疲れが洗われるように思えた。


 人ごみの隙間を探しながら、ゆっくりと二人でお店を見て回った。しかし不思議なことに息子は何も欲しがらなかった。何か買おうか、お腹すいたでしょうと言っても、大丈夫だと小さく首を振るだけなのだ。賑やかなこの雰囲気だけで楽しいのだと言う。


 私に気を使ってくれているのだろう。その優しさは嬉しくも悲しくもある。甘えて欲しいというのが親心だ。とはいえ無理に買い与えても仕方がない。色々な出店があるのだから、興味が出るものがあればきっと食いつくはずだ。それを買ってあげよう。


 そんな事を考えながら歩いていると、不意に繋いでいた息子の手に力が入った。振り返ると、彼はあるお店をじっと見つめているではないか。


 他の店が出店している場所から少し外れた所にポツンと一つだけあるその店は、ごく普通の綿菓子屋さんだった。キャラクターの袋等もなく、割り箸に巻き付けるシンプルなものだ。まだ祭の中心部へは行っていないが、考えてみるとこれだけ多くのお店が並んでいるというのに綿菓子屋さんは初めて見た気がする。


 立ち止まってじっと店を見つめる息子に気がついたのか、そこの店主らしき若い男が笑顔で手招きをした。


「・・・お母さん、いい?」

「ええ、もちろん。いっしょに買って食べよ」


 はじめは申し訳なさそうに顔を覗いてきた息子だったが、「いっしょに」という言葉を聞いて、照れたように頷いた。


 他の客達は綿菓子になんの興味もないようで、店をちらりと見ることもなくまた祭の中心へと戻っていく。慌てて走ってケガなどしないよう、私たちは人の流れからゆっくりと外れた。


 一歩ずつ近付く度、店が近付く度に、何か不思議な感覚に教われた。祭という賑やかな場所から離れている。それが世間からも離れていくようで、言い知れぬ不安が込み上げる。


 そんなとき、不意にあることが脳裏をよぎった。ここ数が月の部屋の違和感だ。


 調味料や調理器具の場所が変わっていた。そして、砂糖だけが減っていた。そう、砂糖だけが。それに、ついさっきまでどの食べ物にも興味を示していなかった息子が、この出店だけ妙に食いついた。そういえば何故店の男は人ごみの中にいた息子を見つけられたのだろう。なんだか、この男の人懐っこい笑顔が逆に不気味に思えてきた。


 この男と息子は、以前から知り合いだったのでは?

 だから、人ごみの中で息子を見つけられたのではないか?

 綿菓子を餌に、私がいない間に彼は息子に招かれて部屋に入っていたのではないか?


 不安に足を止めてしまった私を見て、店の男はその不気味な笑顔のままゆっくりと近づいてきた。早く行こうよと手を引く息子とこちらへ向かってくる店の男。私は足がすくんでそれ以上進めなかった。


 それでも男は歩く足を緩めない。私達の後ろではまだまだ祭が盛り上がっているというのに、ここだけ時が止まってしまったのだろうか。


 恐怖に動けない私の顔を見て、を嘲笑うかのように男はすぐ目の前に立ち、そっと顔を近付けてきた。


 そして、耳元でこう呟いた。






「一本三百円です」


 そう、綿菓子の値段だ。


「聞き苦しい声ですみません。大丈夫。うちのはいい砂糖使ってるんで、美味しいですよ」


 ひどく潰れたがらがら声。近づいてきたのは大声が出せないためだったようだ。離れたこの場所だと人目にもつきづらく、祭の真ん中の方に人気の綿菓子店があるために客も少ないそうで、興味を持ってくれた息子を見つけてつい嬉しくなってしまったのだという。


 当然、息子とも初対面だった。


 息子を問いつめると、学校の家庭科で作った綿菓子を食べた時に、その美味しさに感動したのだそうだ。家でも出来ないかと試したが、案の定失敗に終わった。勝手に砂糖を使った上、コンロで火まで使った事を怒られる事が怖くて黙っていたのだと、涙を溜めて話してくれた。


 泣きながら綿菓子にかぶりつく息子の頭を優しく撫でながら、私も一口食べた。


 甘い。久しぶりの甘さだ。美味しい。その綿菓子の甘さとすべてが杞憂だったことの安堵に、思わず顔がほころぶ。


 遠くで風を切る男が聞こえた。空がパッと明るくなる。花火に照らされた息子の横顔見ると、一筋の涙の後とは正反対の満面の笑みを浮かべていた。


 また来年も来よう。また綿菓子を食べよう。花開く夜空を眺めながら、息子をギュッと抱き寄せた。

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