逆さまじゃない虹
ある日、逆さ虹の森に一人の男の子がやってきました。
裸足で、何にも持たずにたった一人で。
すぐに、コマドリが駆けつけます。
「やあ、キミはどこから来たの? 外の街から? ここは危ないから、大人と一緒にまた来なよ」
そしてそう少年に話しかけましたが、少年は驚き身を引きます。
「な、なんで鳥が喋っているの?」
そう聞かれても、コマドリは何を言っているのか理解できません。
だって、鳥が喋るなんて当たり前で、いつもそうしてきているのですから。
むしろ、何を驚いているのでしょうか。それが、コマドリには不思議でした。
「喋っちゃ駄目かな」
「駄目だよ! だって、鳥っていうのはオウムとか、インコじゃなくちゃ喋れないんだ!」
やはり、どうしてもわかりません。どうしてその男の子に決められなければいけないんでしょう。鳥は鳥です。喋っても喋らなくてもいいじゃありませんか。
でも、コマドリは歌うのが好きで、そして他の動物に歌を聴いてもらうのが大好きです。この子供にも、どうにかして自分の歌を聴かせたくて堪りませんでした。
「じゃあ、歌うのは?」
「鳥の歌っていうのは、鳴き声のことでしょ? ピヨピヨとか、カーカー、とか」
「ううん、そうじゃなくて」
鳴き声はたしかにそうです。けれど、そうではないのです。
コマドリは思いました。
ああ、この子供はどこか遠くから来たのだ。
鳥が喋らず歌いもせず、そしてそれが当たり前のところから。
では、これで自分が歌ってしまったらびっくりしてしまうでしょう。沼にいるカエルのように、心臓が口から飛び出してもおかしくありません。
じゃあ、この子供には、この森のルールを知ってもらわなければ。歌を聴いてもらうために、まずはこの森を案内しよう。そう思いました。
「ぼくについておいでよ。この森に何があるか、知りたくない?」
「知りたい!」
コマドリの言葉に、子供は元気よく答えます。そう、なら案内してあげる。
コマドリは、笑いながらテンテンと子供の前を歩き始めました。
子供はまず、空を指さします。
「ねえ、あの虹は何?」
「虹? ああ、逆さ虹だね。この森の上に、ずっとかかっているのさ」
コマドリは答えます。けれど、子供は不満そうです。
「でも、変だよ」
「何がさ」
「虹っていうのは、上に向かって丸くなっているはずでしょう? なんでこの森の虹は、下に向かっているの?」
ああ、そんなことか。コマドリは、頷きながら優しく言いました。
「だって、そう決まったもんじゃないからさ。虹はいつも上向きなんだろ? 虹だってたまには、下を向きたいときもあるさ」
「そうかな。そうなのかな」
子供は、納得しようとして腕を組みます。でも、ちょっぴり残った不満が、まだ胸の中に残っていました。
そうしてずんずんと二人で歩いていると、そこに大きなクマがいました。
「おうい、クマさん」
「やあやあ、コマドリさん、小さなお客さんだねえ」
「僕よりも大きいさ」
そう軽快に話す二匹に、子供は面食らいます。だって、どう考えてもおかしいんですから。
「クマが、喋って、コマドリさん怖くないの?」
「怖い? 何が?」
コマドリは首を捻ります。何が怖いというのでしょうか。この、恐がりのクマを前にして。
「だって、クマだよ。クマっていうと、凶暴で、がぶっと噛んだらもう僕は死んじゃうじゃないか」
「そんなことないよ」
コマドリは、そう笑いながら言います。
「このクマさんは、恐がりなんだよ。僕の方がずーっとずーーっと、強いくらい」
「そんなわけないじゃないか」
「本当だよ。ねえ?」
そうコマドリがクマに話しかけたとき、ちょうどキツネが通りかかりました。
がさがさと茂みを掻き分けて、現れたその鼻先を見て、クマが飛び上がります。
「わっ!!」
その飛び上がった姿といったら、それはもう滑稽でした。身長以上も飛び上がって、大きな手が虹に届いてしまうんじゃないかと思うほど高く跳びました。
「ああ、ごめん、ここはクマさんの縄張りだったね」
「まったく、驚かさないでよ、もう」
そして、仲よさそうに話す二匹に、また子供は驚きました。
「あ、ごめんね。人間の子供もいたんだ」
「そうそう、紹介するよ。こちら、キツネさん。優しくて頼れるいい奴だよ」
そのコマドリの紹介に、また子供は食ってかかります。
「変だよ。だって、キツネっていったら人を騙すんだよ。タヌキと一緒でさ」
「そんなことしないよ!!」
キツネも驚いて言い返します。
「そりゃ、キツネ族には悪い奴もいるけどね、僕は違うよ。ううん、この森には、悪いキツネはいないからね」
「そんなの変だよ」
「変じゃないよ。僕らはみんな違うからね。それじゃ、人間はみんなキミみたいに小さくて、黒い髪で茶色い目をしているのかな?」
「そんなことないよ」
「じゃあ、いいキツネがいたっていいじゃないか。名誉のためにいっとくけど、キツネは大体いい奴だぜ」
それが大まじめに言っていたので、子供も黙って頷きます。
良いキツネなんているもんか、と心の底では思いながら。
また歩いていくと、今度は叫び声が聞こえてきました。
「やい、お前そろそろいい加減にしろよ! 食っちまうぞ!!」
「おいらを食っても美味しくないやい!!」
そう言い争う声に、子供は驚きました。
今度は、リスとアライグマの言い争いです。どっちも木の根っこに立って、シャーッと威嚇をしながら言い合っていました。
「やあ、どうしたんだい?」
コマドリは尋ねます。喧嘩の原因は、コマドリにもわかりませんでした。
フンスフンスと鼻息荒く、アライグマはコマドリをギロリと睨みます。隣にいた子供も、見られていないのに怖くなっていました。
「こいつが俺のドングリを取ったんだ!」
「取ってないよ。おいらは今日は根っこ広場にずっといたんだから!」
リスも負けじと言い返し、またにらみ合いが始まります。その牙を剥く姿に、子供は驚きました。
「アライグマが怖い」
「怖い? 怖いって!? ああ、そうだよ、こんなリスなんぞひと噛みで殺しちまうほど怖いんだぞ俺は!」
小さい身体に似合わず、大きな声でアライグマは言い返します。森の中じゅうに響き渡るほどの大きな声でした。
それを聞いて、少年は身体を震わせます。
「おかしいよ、アライグマはかわいいって決まってるじゃないか!」
その言葉に、アライグマはむっとして言い返しました。
「かわいいだって!? そんなこと誰が決めたんだ! もう一度俺に同じことを言ってみろ!! その指噛みちぎってやるぞ!!」
牙を剥いたその姿は、お世辞にもかわいいとはいえません。子供は、指をちょんぎられてはたまらないと、後ろ手にさっと隠しました。
「まあまあ、アライグマさんも落ち着いてよ。ドングリの話でしょ? リス君もこう言っているんだから、勘違いっていうこともあるんじゃないの」
「んなわけあるか! こいつが今までいたずらばっかりしているから!」
「でも、今日は違うかもしれないじゃないか」
取りなすコマドリは、怖じけずしゃんと胸を張ってそういいました。
「そうだ、ヘビさんに聞いてみたらいいんじゃない。この辺にいつもまるまっているじゃないか」
「あの野郎、どっかいっちまって姿を見せねえ! あの野郎が見てれば一発なんだが」
「ここにいるぞー」
アライグマの言葉に寄せられて、ヘビが木の枝からぶら下がって現れます。
その長い舌と、ぬめぬめした鱗に、子供は驚き尻餅をつきました。
「あーあー、ごめんねー。驚いたよねー」
謝るヘビに、アライグマは食ってかかります。子供のことなんて、どうでもいいのです。
「ヘビの野郎、お前、俺のドングリを知らねえか」
「どんぐりー?」
ヘビは首を捻ります。(でも、おかしいですね。ヘビに首なんてあるんでしょうか)
それから、うんと頷き、それからしゅるしゅると地べたに降りてきました。
「ああー、どんぐりー。朝ぼくが食べたのがそうかなー」
「お前か! お前か!!!」
アライグマは、烈火の如く怒ります。今の今までリスを疑っていたことも忘れ、ヘビのお腹を押さえつけてぐいぐいと押しました。
「野郎、出せ、出せこの野郎!」
「もう無理ー」
アライグマに巻き付きながら、間延びした声でヘビは答えます。そのお腹は、ドングリのような何かで膨らんでいました。
「だってー美味しかったんだもんー」
「うめえのは当たり前だ! 俺の秘蔵のブツだぞこの野郎!」
怒るアライグマに、ヘビは怯えてまた木の上に上っていきます。その姿に、アライグマはシャーッと威嚇し続けました。
「しょうがないなー。じゃあ、代わりに上げるよー」
そういいながら、ぽいぽいと器用にヘビは尻尾を使ってドングリを投げます。木の上にしまっておいた、ヘビのとっておきでした。
いくつもの礫がふってきます。それがぽとりと子供の前に落ちると、ヘビは大きな口を開けて笑いました。
「お近づきのしるしー。キミにも一個どうぞー、ねー」
子供はおそるおそるポケットにそのドングリを入れて、ヘビを見上げました。
「おかしいよ」
「なにがー?」
「だって、図鑑で見たもん。ヘビは、生きてる動物しか食べないんでしょ?」
「そんなことないよー」
ヘビはしゅうしゅうと笑います。身体をくねらせて、まるで踊っているような姿で。
「お腹がすいていれば何でも食べるよー。好き嫌いはいけないからねー」
「そんなの、おかしいよ!」
叫んだ子供に、その場にいる動物は何も答えてあげられませんでした。
三匹と別れて、また子供とコマドリは歩きます。
辺りはすっかり夕暮れで、もう子供も疲れていました。
ぶつくさと文句を言いながら、それでも歩き続けます。
「おかしいよ。この森はおかしいよ」
「何がおかしいの? なんにもおかしくないじゃないか」
翼をばさばさと振りながら、コマドリはそう子供に笑いかけます。けれど、子供は鼻から大きい息を吐き出して、答えました。
「だって、おかしいよ。この森は変だよ。クマは恐がりだし、アライグマはかわいくないし、ヘビは木の実を食べてる」
「何にもおかしくないよ。恐がりなクマも、暴れん坊のアライグマも、食いしん坊のヘビもいるもの」
「おかしいよ、だって普通は、そんなんじゃないもん!」
子供は足を早めました。疲れた足にむち打って。
「あっ! ここ、ここ! ここもすごいんだよ!」
怒る子供の気を逸らそうと、ちょうど目の前に現れたドングリ池を指さして、コマドリはいいます。
「この池はドングリ池っていってね……」
説明をしても、もう子供は聞いていませんでした。
「みんな喋れるのだって、変! 大きな虹が、下を向いているのも変!」
そういいながら、子供も池を見ます。
そこには、大きな池が、鏡みたいにぴかぴか光っていました。
その鏡に、虹が映っていました。鏡というのは前後が逆に映りますから、そこに映っていた虹は、逆さの逆さ、つまり上向きに見えました。
「あった! 変じゃないもの!!」
子供は叫びます。この日、ようやく普通のものを見た気がして、とても嬉しくなりました。
もう、コマドリのいっていることも聞こえないほどに。
「あ、待って!」
「待たないよ! 僕は、この変な森から帰りたいんだ! 一秒だって、もうこの森にいたくないんだ!!」
そう叫んで、子供は足を踏み出します。
それからザブンと、頭から池に飛び込みました。
魚一匹いない、深い深いこの池は、この森の誰も泳ごうなんてしないのに。
波紋はすぐに消えました。
池からは、それきり誰も上がってはきませんでした。
それきり誰も、上がってはきませんでした。




