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第一章のⅡ・背景

第一章のⅡ


 38年は日本軍にとって大きな改編の年であった。

 陸軍が大幅に兵力を削減され、代わりに空軍と三軍をまとめる統合軍が発足する。

 両軍と前年ワシントン・ロンドン両海軍軍縮条約から脱退した海軍は、陸軍に充てられるはずだった予算を使い、大きく戦力を拡充する事となった。この改編は一応数年前から準備されていたのだが、陸軍の失態のため、それはより加速した。

 その顛末は──

 37年7月、陸軍の中国方面軍が暴走し、政府や軍上層部の意志に反して、戦線を拡大させた。

「最初の一弾」を誰が撃ったかは様々な意見があり定かではないが、それをきっかけに日本軍は内陸へと進軍し、瞬く間に日本初の4発重爆である『92式重爆撃機改』で成都を攻撃出来るところまで来てしまった。

 もちろんこれ以上戦線を拡大せず、元々の勢力範囲まで退くよう上層部は命令を出したが、そのあまりの勝ちっぷりに他の部隊や一部の国民達が熱狂的に支持。戦闘はこのまま泥沼化するかに思われた。

 しかし戦端が開かれて4ヶ月後、陛下が自ら動き出す。

 中国方面軍司令部と中国国民党に特使を派遣。

 方面軍に対しては戦闘の即時終了と撤収、さもなくば国賊として扱う旨の命令書を。

 国民党に対しては戦線を拡大させてしまった事への謝罪と、国民党を中国唯一の政府と認め、両国の良好な関係を築くための提案を記した書簡をそれぞれに渡した。

 と同時にこれらの内容を肉声にてラジオ放送するという誠に異例な方法で、現在の心境を広く国民に訴えかけた。

 これまで政治的・軍事的な事には積極的に意見を述べてこられなかった陛下が、ここまで怒り心痛めていた事を知った軍も国民も、事の重大さを認識した。特に戦勝に熱狂していた者達は冷水に打たれたかのように我に返り、支援・応援を即座に止め、反戦・厭戦派の末席にひっそり座っていた。

 こうなると戦闘の継続なんて不可能で、戦線拡大に反対していたために冷遇、半ば左遷されていた中級以上の指揮官が、今や逆賊と化してしまった司令官や参謀の身柄を確保して、陸軍本部に引き渡す事を画策。

 そんな中で「さらなる勝利を以て我々の正義を主張する」とわめいていた最強硬派参謀の1人が、ある中尉により射殺される事態にまで至っている。

 こうして方面軍は主として中国共産党軍の妨害を受けつつ、撤退を開始した。

 途中本部から派遣された調査隊により、積極的に戦闘を指導した指揮官等を更迭、一足先に内地に送り返し、指揮能力・人格共に優れた人物に指揮を任せ、一日も早く元の勢力範囲まで撤退するよう指示を出した。

 おかげで共産党軍の猛追を受けつつも、年内に撤退を終了させた。

 その後は国民党軍の協力もあり、中国大陸に半年ぶりに小康状態が訪れた。

 しかし国内問題としては終了してなかった。

 今回の暴走は陸軍の大きな兵力と、一部部隊に強力な権限があったためと判断され、兵力の大幅な削減が決定した。

 元々このような事態にならなくても、陸軍兵力の削減は検討されていた。大兵力には大きな人件費が必要であり、それが正面装備の拡充を妨げていると考えられたためである。 そうして浮いた予算で独立した空軍の設立と海軍艦艇の増強を行う。

 これは対米戦を意図したものである。

 対して陸軍は対ソ戦を第一に考えていたため、大陸に無駄な大兵力が必要以上の集まってしまっていたのだ。

 ただ兵力減少が戦力減少につながらないよう、陸軍は機械化が進められる事になっており、次世代戦車の開発や野戦砲の自走砲化等が着々と進んでいた。が人員が削減されれば当然上級ポストも減るという訳で、一部の上級将校(特に中国方面軍)の中に、そんな事はさせない、少なくとも抗議の意志を示すため、今回の暴走を起こしたという考えもあったらしい。しかし結果的には予定よりも多くの人員が削減され、自分達のポストも失い、一層陸軍の影響力は小さくなってしまったが。

 数年前から少しずつ使用する部品の規格が統一され始め、生産性の向上や近くの基地同士で融通し合う事も出来るようになった。そして空軍発足後は機体も出来る限り同じものを使うよう定められたため、操作法も統一されてしまったのだ。

 操縦法は陸海軍で先生となった国──つまり陸軍がフランスで海軍がイギリス──が異なっていたため違っていた。

 特に問題(というか基本的な問題はこれだけというか)となったのが、車でいう所のアクセル、つまりスロットルの操作法が真逆だった事である。海軍が押し込む事でスロットルを開くのに対し、陸軍では手前に引く事でスロットルを開いていたのだ。

 当然この規格を統一する会議において激しいやりとりが行われた。

 体に染みついた方法と逆の操作を要求されるのだから、のんびり飛んでいるだけならまだしも、いざ空戦となった時に逆の操作をしてしまえば、それこそ命取りである。それどころか空戦が始まる前に加速した瞬間、失速により墜落というケースだって考えられる。

 会議の場で最悪スロットル操作だけは別でも仕方ないという意見も出たくらいに。

 ただ操作法を統一しなければならない理由もあった。

 空軍で育てたパイロットの内、本人が望み技量が伴うなら、陸海軍に転属できるというルールが決めてあった。その時=転属の際改めて操作法を身につけるより、操作法さえ同じならその手間が省けるのだから、誰にとっても悪い話ではなかったし。

 しかしある一言であっさり海軍式に決まってしまう。

「車のアクセルは踏み込むもの。それを手に置き換えれば『押し出す』という事だろう」

 これには会議に参加していた者の多くが納得してしまう。それでも陸軍関係者の中からは反対の声が挙がった。鉄道などの例まで挙げて。

 が圧倒的多数により海軍式で決まってしまった。

 ただし既存の陸軍機に関しては改修の必要なしとなっていたため、それだけの理由で陸軍に残ったパイロットもいたほどだ。もっとも新しい機体は操縦法が統一式になるため、機種転換の際に結局は転換教育+新操縦法の修得が必要となるのだけど。

 こうしたゴタゴタはあったものの何とか陸軍の規模を抑え、これからの主力となるであろう飛行機の専門組織である空軍を発足させる事が出来た。

 それどころか陸軍の縮小幅が予定より大きくなったため、その予算を海軍力の増強に割り当てる事さえ出来たし、加えて大陸での戦闘が長引けば必要とされたであろうコストも不要となった。おかげで中型空母や潜水艦、対潜護衛艦などを追加で建造でき、その多くを41年末までに就役させられるであろうと計算されていたのだ。

 また空軍と同時に「統合軍」という組織も発足した。

 三軍をまとめる作戦本部というのが一般的な認識で、員数は2万程度と、陸軍の一個師団よりは大きいが軍よりは小さいくらい。よって戦略単位にはなり得るが、そもそも戦闘を主任務としてないので、規模の多寡はあまり関係ない。

 しかし単なる作戦本部というだけでなく、独自の作戦行動はとれるし、それだけでなく裏では色々やっているらしいという噂が流れている。ただ何をやっているか誰もその実態を知らないし、員数外の人間もかなり動いているという事なので、誰しも統合軍に関して必要以上の事は口にせず、ただ漠然と恐れられていた。

 以上が38年に行われた大改革である。

 そのほとんど全てが対米戦のためであり、戦争にならない事こそがベストなのであろうが、アメリカは多分あの手この手で、日本を戦争に引きずり込む事だろう。日本軍が中国大陸に居座り、アジア各国に影響力を強めている限りは。

 ならばアメリカ相手に戦争になったとしても負ける事無く、早期に終結させる事こそがセカンドベストとなる。なら、そのための備えは充分にしなければならない。国力が数倍(以上)のアメリカと戦うために。

 そのために今回の軍の改編は行われた。多少の無理は承知で。

 この軍事力強化をフルに活かすため、政治、特に外交方針も改められ、満州国の関係で国際連盟を脱退していたにも関わらず、良好な関係を結べていた国は多かった。

 ヨーロッパ方面では昨年始まった欧州戦争の影響で日英独同盟と敵対した国々とは多少疎遠になってしまった。だがそんな状態にある中、アジアで日本と事を構えたくはないのか、完全に断交した国はまだ無く、オランダは亡命政府がインドネシア産原油を売ってくれているし、フランスは東南アジアまで手が回らないとばかりに、仏領インドシナを移譲してきた程だ。まあ確かに仏印経由でアメリカが中国に援助しているのを防ぐため、進駐して圧力をかけたのも事実だが。

 そのアジア(特に東南)そのものはどう反応して良いか判断に困っている様子だった。

 この地域のほとんどがまだ欧米の植民地だったため、日本が新たな支配者になるだけだとか、日本軍進駐に乗じて独立運動を起こすべきだとか、日本対宗主国の戦争に巻き込まれ、結局犠牲になるのは我々自身だとか、とにかく不安と混乱が渦巻いており、どちらに付くないしどこにも付かないのが一番有利なのか、結論のつきにくい議論を繰り広げていた。

 ただ一筋の光明があるとすれば、極東では独立と和平がなされ、急激な発展を迎えており、更には日本はアジアの解放を念頭に欧州戦争に参加するという噂が一部に広まり、それが事実なら日本に付くのも悪くないと思えるようになった事だ。もちろんアメリカは絶対敵に回したくはないので、その辺は慎重に立ち回る必要があるだろうけど。

 そして翌年、アジアも少しゴタゴタするのだが、それはまた別の話である。

 その代わり予想外の国が、これまた予想外の反応をしてきた。

 英連邦の一員であるはずのオーストラリアとニュージーランドだ。

 両国は世界恐慌が起こった際、その影響を上手くかわす事ができ、経済的に余裕のあった日本に対し鉱物資源などを輸出して、比較的早く立ち直った国であった。

 ので日本に対して恩は感じても仇とは思わないはずなのだが、今年に入ると高い輸出関税をかけるようになり──しかも必ずシンガポール経由で行うというオマケ付き──、それはまるで事実上の禁輸措置でもとったかのようで、前年までのように日本では入手困難な鉱物類を気軽に輸入できなくなってしまった。と同時にアメリカ軍に対し補給と休養のための寄港を認める事を発表した。

 このあまりにアメリカ寄りの方針に、イギリスは即座に反応した。

 英連邦の国家が、同盟国である日本に厳しい政策をとるのは好ましくなく、英連邦そのものも揺らぎかねない。そこで特使を派遣し、今回の措置について説明を求めた。

 すると両国の首相等はアメリカからの圧力が強かった事と、二線級兵器しか提供しないイギリスに対する抗議の意である事を真正直に明かした。

 これらの事は特使、いや正しくはイギリス自身も予想はしていたが、場合によっては軍事攻撃も辞さない程の圧力がかかっていたらしい。そのため現有戦力では安全、それどころか独立さえも保てないと、今回の措置を選ばざると得なかったという事だ。

 それを受けイギリスは航空機メーカなどの工場を両国に建設し、自前で一線級の兵器を導入できるようにしたのに加え、最新鋭の戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』1隻を含む、英東洋艦隊の一部を貸与する事を申し出た。

 その予想以上の申し出に両国はビスマーク諸島とソロモン諸島に、日本軍が基地を作るための土地を供与する事を決めた。両諸島は元々自分達の土地ではないし、日本の最重要根拠地の1つトラック環礁を防衛するのに欲しい場所でもある。しかもアメリカとの取り決めの中に両諸島の事は含まれていなかった。よってアメリカとの約束を守りながらも、日本に最大限の協力ができる最善の策を提案したのだ。

 特使=イギリスもそれならばと納得し、両国の譲歩に感謝した。

 まあイギリスとしては全て織り込み済みで、それが正しく履行されれば、まさにイギリスの思惑通り進むと考えられた。イギリスが大国として君臨し続けるには、アメリカの拡大を防ぎ、そのためのカウンターパートとしての日本が存在する事が重要である。

 そのためには多少の出費や失地くらい何でもない。

 ただしそれが大きすぎるのは問題で、それが翌年現実のものとなるとは、この時点で誰も予想してなかった。


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