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クロスロード  作者: δ
第一章
7/14

涼芽香鈴

「こんなとこまで何しにきたんですかッ!」


 釣りしにきた。

 素直に答えるとますます空気が悪くなった。


「魚獲るのは勝手だろ」


「…………」


 正論を言ったつもりだ。女は不承不承ながらそっぽを向いて、


「視界には入らないでください」


 とだけ言った。


「あーはいはいアンタこそこっち見んじゃ」


「うるさいです魚が逃げます」


「…………」


 ともかく俺はカニを捕まえ、指先を噛まれながら針を通した。竿は使わない。そのまま糸を振り回して海に投げた。

 二人の間に無言が流れた。斜め後ろを盗み見ると、女の籠には魚が一匹も入っていない。今日がたまたま当たりの悪い日だったのか、単に女の腕前が足りないだけか。

 すると、こちらから声をかけたわけでもないのに女は怪訝な顔で振り向いた。


「?」


「……シケてんな」


 俺は何でもない風を装ったが、内心は意外だった。女の表情は、明らかに俺が目を向けたことに気づいていた。背後からの視線を察知するとは、さすがは武芸者の娘か。


「……もう一度聞いていいですか」


「なにを」


「あなたは、本当に何しに来たんですか? 魚など、街で買えばすむことでしょう」


 我が家から巻き上げたその金で――そんな非難が込められていることは推して知るべし。

 俺はふと、思った。この女は食費を抑えるためにこんなところで釣りをしているのでは?

 いつもなら街に出て、今本人が言ったように魚でも野菜でも店で買ってすませていたはずだ。

 俺が一月分の金を奪ったせいで、この子は独りで磯に立っている。

 まあだから何だという話だが。女の質問には「釣りが好きだから」と、正直に答えておいた。


「なんですかそれ……。それならそのお金、返してください」


 俺は無視して、釣り糸に意識を集中した。一向に魚がかかる様子がない。

 水中でのカニの動きを想像して糸を操る。

 普段は磯辺の岩間に隠れている小ガニが沿岸で死にかけながら遊泳している。魚から見れば「いやおまえどうした」な光景だが、これでも結構食らいつく獲物は多い。

 小刻みに糸を引いていると、背後でよからぬ気配がした。


「……魚。かかってんぞ」


 俺の後ろまで迫っていた女はハッとし、自分の釣竿に戻っていった。


「俺から金を奪おうなんざ百年早い」


「うっ、うるさい!」


 バシャバシャと、水面が荒く波立っている。そこそこ大きい。果たして女が釣り上げた魚は、両手で持つほどの大物だった。


「や、やった……ねえほら! こんなに大きいの!」


「よかったな」


「あ……こ、こんなのっ、今日の晩ごはんには全っ然足んないからっ」


 言いつつ大事そうに籠に入れている。押し込められた魚は苦しそうにバタついていた。


「水、入れてないのか?」


「え?」


「魚が傷むぞ」


「……知ってます! 今入れるとこだったんです」


「ふーん……」


 ま、どうでもいいことだ。それよりこちらに釣果の兆しが全くないのが不愉快だ。

 籠が海水で満たされる音がして、女はまた岩の隙間に釣竿を差し込んだ。最初見た時もそうだったが、こいつは竿を持たずに魚を取るつもりらしい。そんなんで釣れるのはよっぽど間抜けな魚類だけだ。

 竿から手を離して何をしているのかというと、ただぼうっと沖合を眺めているだけだった。その口が俺に呼びかけたのは、しばらくたってからのことだった。


「ねえ、あなた」


 俺は釣り糸を巻ききってカニを外した。どうやらこいつは餌として魅力的ではないらしい。


「道場破りなんてして、なんになるの」


「急になれなれしくなったなオイ」


「あなたがうちの道場にきたせいで、お父さまがどれほど傷ついたかわかる?

 体の傷だけじゃない。大事に育ててきたお弟子さんたちもあのあとすぐ半分近くやめていった……。お父さまのあんなに憔悴なさった顔、わたしは見たこともない……」


 俺は答えに困った。と言ってもこの女に対する申し訳なさはほとんど感じていない。そんなことを俺に吐露されても、悪いのは負けた側だし、俺は謝ることも慰めることもできない。

 第一、白天槍術の被った害は客観的に見て相当少ないはずだ。道場としての形を保っているだけでもありがたいことなのに、支払ったのは人一人をたった一か月生かすための札束に過ぎない。むしろこれくらいですんで助かりましたと感謝されてもおかしくないだろう。


「わかってる。あなたが無欲なおかげで、涼芽家はつぶれずにすんだ」


 女は俺の内心を察して首を振った。


「わからないのはそこ。大した見返りを欲しがるでもない、自分の名をいいふらすでもない……。それなのにどうして、道場破りなんかしてるの。……そういえば」


 あなた、名前は?

 俺はシノムラに名乗りを上げて以来、自分の名を口にしていない。考えてみれば、この女の名前も知らなかった。俺は「哀原志々雄」と、二匹目の沢蟹をひっかけながら言った。


「志々雄……。アイデンティティーに欠ける名前ね」


「どこがだよ! 獅子の王だぞ!? カッコイイだろ!」


「うわぁ……」


 引かれた。


「横文字なんか使いやがって……! そういうアンタはなんてんだ。言ってみろ」


香鈴(かりん)


 よくもなく悪くもなく。笑い飛ばす理由のない名だった。

 いやそれをいうなら「志々雄」だってダサくはない。ダサくはないんだ……。


「それで」香鈴の蹴とばした小石が海に落ちた。「教えてくれる?」


「あ? ああ……それは」


 俺の目的。

 結論から言えばそんなものはない。

 目的がないから、ほかに何をするあてもないから剣術士として道場を回っているのだ。

 俺が行方師匠の下で修行を積んだのは、誰にも負けない強い男になるためだった。

 自分の生き方を手にできる、強い生き物になるためだった。

 思い出したくもない()()()から俺はがむしゃらに剣を振った。そして強さを手に入れた。獅子どころじゃない。何人が一度にかかってこようと返り討ちにできる圧倒的な戦闘力だ。たとえ寝込みを襲われようと、闇討ちされようと簡単には屈しないほど強くなった。

 だがそれだけだった。俺が修行してきた九年間で、この国は大きく様変わりした。剣を極めたところで飯が食えるわけでもない。いくら腕を鍛えたところで、それで生き方を掴みとれる時代ではなくなった。

 俺は嚶鳴館ですべてを学んでからすぐ、旅に出る意思を師匠に伝えた。師匠は「嚶鳴館を継ぐと良い」と言ってくれたが、俺は断った。館主になれば門徒を抱え、それを指導することになる。俺はそういうのが好きでなかった。

 剣術に長けているなら警邏(けいら)官になる道もある。

 しかしそんなものになるのは館主になるよりまっぴらだった。また誰かの監視下に置かれて足で使われるのは二度とごめんだ。要するに、俺には近代国家で働いていく能力が欠けているのかもしれない。


「――――腕を磨くためだな」


 そういったごたごたした事情をひっくるめて、香鈴には答えた。

 香鈴は無言だった。あまりに普通すぎて呆れているのだろう。勝手にすればいい。誰が何と言おうと俺は高みを目指すし、香鈴が何をしようと俺は次の町に行く。

 釣り糸をしばらく引いていると手ごたえがあった。期待して糸を手繰るが、びくともしない。どうやら岩に引っかかったみたいだ。

 右に左に、糸を揺すっていると、また後ろに気配を感じた。


「……糸。引いてるんじゃないのか」


 あと少しのところで香鈴は腕を引っ込めた。ハッとして、自分の釣竿に戻っていく。


「もう! なんでこんなときばっか!」


「今度はなんだ? 刀を盗ろうとしたのか?」


 間違いなく香鈴の手は風麒麟に伸びていた。金が狙えないなら刀でも売ってやろうと? 愚かすぎる。

 釣竿にかかったのはさっきよりも大きな魚だった。またコイツは嬉しそうな顔をする。そうやって見せつけるのはやめてほしかった。


「剣士の鞘に手をだしたな。斬られても文句は言うなよ?」


「フン、なにを。こうでもしないとやめてくれないんでしょ?」


「は?」


「刀なんて持ってるから腕を試したくなるの。ちょっと貸して。捨ててあげるから」


「ふっざけんな! 師匠からもらった刀だぞ!? そう簡単に捨てられてたまるか!」


 なんてこと考えるんだ! 刀を捨てるだと? てやんでいこれだから女ってヤロウは……。

 俺は慄いて、沿岸から離れた。風麒麟の柄と鞘とをがっしり掴んで。

 続いて金の入った風呂敷を手に取ると、香鈴はとんでもない歩幅で俺の胸ぐらをつかみに来た。


「あなた、こんなこともうやめたら? そんなに強いんだからいっそ武芸者にでもなればいいのに」


「お褒めの言葉どーも。あいにく俺は強くなるのが生きがいなんでね」


 手で払ってみても、香鈴は襟から離れなかった。若干俺はイライラして、強めに体を引いた。

 着物の袈裟がずり落ちる。肩のアザが露わになった。

 するとなぜか香鈴の手が緩んだ。この隙に香鈴の腕を振り払って、襟元を正して俺は背を向けた。


「そ、それ……」


 いいかげんコイツの近くでは釣りなんてできない。俺は離れたところに移動することにした。

 どうせ追ってはこないだろう、と思っていた俺にとって、香鈴の足音が近づいてきたのは意外だった。


「ねえ……待って!」


「…………」


「さっきのアザ、もっかい見せて!」


「……あ? 気持ちワリいな」


 体を見せてほしい、と異性にせがまれれば大抵の人は心ときめくのだろうか。

 だが俺に関しては、“人間の”女の子にそんなことを言われても鳥肌が立つだけだった。


「来んな。俺はひとりで釣りたい。追うなら斬る」


 自分の声を聴いて、俺はこんなにも腹が立っていたのかと初めて知った。

 なにが武芸者だ。俺の剣技は正真正銘人を斬るためのものだ。野菜だの布だの切り裂いて連中を喜ばせるやつらと一緒にするな。

 だいたい「こんなこと」だと?

 ああ、どうせ理解できないだろう。人さまから巻き上げた門下料でデカい屋敷に住んで、父親の下でのんびり暮らしてきたお前にはな。だがな、ただ腕の立つやつを倒していくだけの「こんなこと」でも、俺にとっては大事なことなんだよ。

 昔親父に教え込まれた、

 二度とあの日の恥を繰り返さないための。

 堤防から落とされ、小便を漏らして泣いたライオンの子は這いあがらなければならない。いつまでも軟弱で卑怯なオスのライオンのままではいられない。這いあがって、強い獅子にならなければならない。

 こんな女には分からないだろうな。

 説教たれたい気持ちを抑え、俺は岩を一つ飛び越えた。


「……っ」


 香鈴は懲りずに向かってきやがった。仕方ない。俺は愛刀に手をかけた。

 もちろん本当に斬ったりしない。峰打ちだ。多少痛い思いをすればコイツも諦めてくれるだろう。


 だが、


「前世──前世の、記憶っ」


 その台詞を聞いて、俺は刃を納めた。


「あなたには……ある?」


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