白天槍術
腹ごしらえもすんで、俺は本来の目的地を目指した。
場所は“白天槍術”。槍において天下一と称される、西都の槍術道場だ。
天下一、それは道場としての規模という意味でもあり、主の“涼芽雲桂”の腕前を称える称号でもある。
俺はその、涼芽雲桂に用があった。さらに言えばその一番弟子にも。
俺が西都に来た理由はずばり、道場破りだった。
飯を食いに入った店で場所を聞いていたので、道場へは迷わずたどり着いた。
やたらとデカい門だ。真新しい化粧材の扉を頭でっかちな棟門が覆っていて、左右から汚れ一つない漆喰塀が伸びている。
看板の「白天槍術」の四文字が誇らしげだ。この羽振りの良さ、門弟からかなりの月謝を巻き上げているに違いない。
早速その門扉を叩く。
それから横についている呼び鈴を鳴らした。どうして俺は扉を叩いたのか? ちょっと触ってみたくなっただけだ。
鈴を鳴らして一分ほどたっただろうか。誰も出てくる気配がない。
もう一度扉を敲く。それから推してみる。やはり閂がかかっていてびくともしない。
「これがほんとの推敲ってか」
道場破りは門前払いで済ます気か?
だが俺がこの町に、この道場に来たことはここの奴らは知らないはずだ。飯前に多少の騒ぎは起こしたものの、俺の正体が各地を巡る道場破りだということは誰にも悟られていない。
留守だろうか。これだけ大きな道場だから一人くらいいてもいいはずだが。もしくは鈴の音が聞こえにくい場所にいるのかもしれない。
いずれにせよこんなところで待ち呆ける気はなかった。俺は風麒麟を抜き、大上段に構えた。
「閂、斬らせてもらうぜ」
扉の間に刃を滑り込ませてみる。
ぎりぎりだが、刀一枚が通れる隙間は空いていた。まっすぐ振り下ろせば、難しいが、木でできた閂なら両断できるだろう。
この贅沢な扉に傷をつけたら大変だ。俺は人を斬るときよりも気を引き締めて、柄に力を込めた。
「スゥーーーー……?」
いざ剣撃を打ち出そうとした時だった。扉の向こうでパタパタ足音がしたかと思うと、ガコッ、と閂が大急ぎで外された。
木目の軋む音。ともに扉が内側に開かれる。
向こうには、俺と同い年くらいの女が立っていた。
「す、すみませんお待たせして……っ!?」
俺は刀を振りかぶったまま突っ立っていた。
詫びの表情から一変、女が息をのんで後ずさる。
「涼芽雲桂はいるか?」
努めて単調に声を出した。
それを聞いて、俺が無差別の殺人狂でないと悟った女は幾分落ち着きを取り戻した。俺も愛刀を鞘に納める。
「……父に、何か?」
「道場破りだ」
それだけ言えばすべて伝わった。果たし状を突き返すのは永代の恥。雲桂の娘という栗色の髪の女は屋敷の中へと消えていった。
第一戦。一番弟子、シノムラとの一騎打ち。
勝負はものの十秒で片付いた。
「ぐうあっ!」
肋に木刀を叩きこまれ悲鳴を上げる一番弟子。
槍を模した棒が、腕を離れて転がってゆく。
俺はいささか落胆していた。
今のシノムラという男、確かに槍の扱いに関してはかなりの腕前だったかもしれない。同じ槍どうしでやりあえば勝つことはできなかっただろう。
だが相手が槍でなければこのありさまだ。一番弟子ですら腹ごなしにならなかった。この道場、挑む価値があったのだろうか。
「ふぅ……そやつは刀をもっとも苦手としとる」
髷を結った小柄な男がため息をついた。
障子を閉めきった稽古場。両脇にずらりと門徒が居座り、彼らの上座から試合を眺望していたその男こそが白天槍術四代場主、涼芽雲桂だった。
不動明王を背にして雲桂は首を振る。弟子の失態に呆れているようだった。
「儂も木刀で教えてやってはおるのだが……。いかんせん立ち回り方が掴めんようでな」
「一番弟子がこの程度なら、他はもっとひどいんだろうな」
言い訳など聞きたくもない。槍でもなんでも、それを極めるなら全身全霊をかけねばならない。師匠自ら刀を握って稽古をつけてくれるというのに、いつまでたっても上達しないなどはっきり言って破門ものだ。誠意を疑う。
挑発された他の門徒は、案の定一斉に殺気立った。その気合だけは買える。だが奴らが一度にかかってきてもねじ伏せられる自信が、俺にはあった。
「お前らはさがっとれ」
雲桂は両手をついて立ち上がった。明王像が手にしていた槍を引き抜き、上から下へと不具合を調べている。
「真剣勝負か?」
「せっかくはるばる訪れてきてくれたのだ。双方本来の武器でやりあわねば面白みがない」
「フン。後悔するなよ……」
俺は木刀を投げ捨てた。真横にいた門徒の額に当たったようだが、ふつうならこれくらい受け止められる。
白天槍術は天下一。それは門下生の実力を謳うものではなかった。やたらと数が多いばかりでてんで相手にならない。月謝をせしめるための三級見習いに過ぎない、と言ってもいい。
あとはもう、道場主の武芸に期待するしかなかった。「門徒の数」以外にもう一つ、天下一と言われる所以だ。
だが、かき集めた門下料で屋敷を飾ることばかり考える男の武術など、どうせ括目に値するものではないだろう。俺は苦労してこの町に来たことを後悔しつつ、風麒麟を腰から抜いた。
雲桂は槍を二振りすると、重心の低い構えを取った。白天流は独自の構えを持っているわけではないらしい。槍先を下に向け、剣士の死角から穂先を突き出す、何度も見てきた型だった。
俺は刀を中段に配置する。摺り足で右足を前に出し、左足を引き付ける。
膝に力を込める。
雲桂の瞳がそれに反応する。奴は俺の力の動きを見切っていた。
(さすがに隙がないか……)
俺の帯びている打刀は、脇差より長く、太刀より短い。
脇差は常の護身用、太刀は馬上からの攻撃用の武器だから、大ざっぱに言えば打刀はその中間の性能を持っていることになる。
対して槍。これは絶対に護身用の武器ではありえない。積極的に敵を突き、仕留めるための武具だ。
果たして剣と槍のどちらが有利か。それはその場の状況、そして扱う者の熟練度によって左右する。
刀の刃渡りは槍に比べて長い。故に真剣の一撃を槍で防ぐのは至難の業だ。槍の穂先でいなせればいいが、もしも柄に刃が当たろうものなら槍手の得物は簡単に切断されてしまう。したがって槍の間合いの内側に入り込むことさえできれば、十中八九剣士の勝ちと言っていい。
しかし槍の厄介なところは武器そのものの長さだ。その長大さを生かして刃を振り回されると近寄りがたい。昼前の大剣のときもそうだったが、間合いの長い武器を相手に後れを取ると、そのまま防戦一方からの敗北ということも十分あり得るのだ。
そして。槍は大剣に比べて圧倒的に“軽い”。
「聞けば、ヌシは異国の従者を切り捨てたのだとか?」
一切の隙を見せないまま、雲桂が口を開いた。
「なんだ、見てたのか」
「門下の一人がその場にいてな。もしやこの小童ではないかと勘ぐったのだが」
正解だ。だとすれば、雲桂は俺の「居喰い斬り」についても知っていることになる。
「……動かずして、斬る。そんなものを相手取るとは。儂は恐ろしくてかなわんよ」
冗談めかすようにして、笑った。
余裕こきやがって。だが感じる。確かにこいつはその辺に座ってる門徒どもとは格段に違う。己の武器の得手、不得手を理解していやがる。
俺の居喰い斬り。いくら不動の斬撃と言っても無制限になんでも斬れるわけではない。刀の間合いに入って初めて威力を発揮する。
相手が大剣なら、その重厚しかし重鈍な動きの隙を突いて剣を放つことができた。
しかし槍では難しい。槍の届かない間際の位置から攻撃して、槍を斬り落とせればいいが、この達人相手にそううまくはいかないだろう。
(相手が俺じゃなかったら、な)
敵の構えているところへ飛び込んだ。
雲桂が動く。刀と槍先がぶつかり合い、雲桂が手をしごけば、心臓に槍が飛んでくる。
俺がそれをかわすと同時に槍は退く。俺が刀を向けるころにはまた第二の槍撃が繰り出される。
ろくな攻撃も与えられないまま雲桂の技量に抑え込まれているように見えるかもしれない。事実、両脇の門徒どもはシノムラも含め師匠の武舞にご憧憬の様子だった。
そんな彼らには申し訳ないが、これからこの師匠様を俺は斬る。獅子王流独自の剣技で。
だがそれがあまりにも強すぎるから、斬っても大事に至らない立ち位置を探っているに過ぎないのだ。
槍を弾いて、俺は身を屈める。雲桂は良く反応し、上から怒涛の一撃を放つ。
咄嗟に身を引いて負傷を逃れる。見ると、俺と、槍と、雲桂が一直線に並ぶ絶好の機会だった。
俺は一閃を放った。
「空鳴」
真空の、風。不可視の刃。
槍の外から放った一撃は、得物の柄を両断し、雲桂の腿を裂いた。
「ぬ……っ!?」
ドスッ! 折れた槍を床に突き立てて、雲桂はその場に崩れ落ちる。
浅いが、太腿に傷をつけたのだ。これ以上戦えば命はない。
勝負あった。
「ヌ、ヌシ、何をした」
「斬ったんだ。風の力で」
風で……。と、門徒衆がざわめく。
俺が行方師匠の下で修行してきたなかで、何か自慢できることがあるとすればこの“空鳴”だった。
肩と胴を固定し、片手だけで刀を振れば一瞬だけ空気が二つに割れる。そうして生じた真空を刃に乗せて繰り出すのがこの技だ。これが俺が苦心して編み出した全くの新技。嚶鳴館流から受け継いだものとは別次元のシロモノだ。
腕以外の体全部を固めて斬撃に集中するため、空鳴の前後はどうしても無防備になりやすい。そのために実戦では状況を選ぶし、今回は特に雲桂の身に遠慮したため技を出すのに時間がかかった。が、決まってしまえばこれ以上強力な剣術もないだろう。
「で」
「…………」
「アンタより強いやつが他にいるか?」
「…………」
一番弟子も倒し、道場主も倒した。
これでまだ「待て! まだこの○○が!」「おお、○○!」的な展開になったら三秒で切り伏せるつもりだった。
雲桂はしばしうなだれていた。しかしいつまでもそうはしていられない。
「ヌシの望みは……金だったな?」
「ああ。向こう一月食うに困らない金だ」
「それだけでよいのか」
「まだなにか持ってってほしいのか」
第一試合の前に俺が掲げた条件。
俺が負ければ頭を丸めて入門。そちらが負ければ一か月分の食費。
野良の剣術師が一月生きていく金額は決して安くはない。だが、たった一人に完敗した道場側の損失としてはほぼ無きに等しいと言っていい。本来なら最低でも看板を奪われ、道場を乗っ取られても文句は言えないのだ。
俺はそんなものに興味はなかった。白天流の槍術に勝ったら、次は別の武術道場に挑む。ただそこに向かうための金さえあれば、看板だとか場主の座なんてものは欲しくもなんともなかった。
「こんなにか……俺は贅沢三昧するつもりはないんだがな」
麻袋に包まれた紙幣の束はなかなかの額だった。俺からすればこれは二か月分の豪遊生活だ。ここの人間はこれで一か月を過ごすのか、と嫌味を言いかけたが、敗者なりの意地としてみすぼらしい金額は出せないのかもしれない。
もらえるものはもらっておこう。俺は麻袋を風呂敷に包んで、屋敷を出た。
玄関から門まで石畳が続いている。
庭の手入れはよくされているようだった。芝は短く刈り込まれ、池の鯉は通りすぎる俺の影に怯えもせず懐きもせず、一つ二つの水黽を追いかけている。フラフラたゆたう鯉の尾ひれはまるで紅や錦の花弁のようだ。さすが金のかかっているだけあって、灯篭もなかなか趣味がよかった。
五つか六つの子供が草の根をほじくって遊んでいる。その隣に、見覚えのある栗色の髪の女が佇んでいた。
門の閂を開けた女だ。どこかぼうっとしているように見える。
もし、ついさっき父親が俺に敗れたことを知っているのなら、それも道理だ。門下生を山ほど抱える道場の主がこんな流れ者に負けたとなれば、評判はがた落ちだ。収入源の門下生は次々と去ってゆき、家計がままならなくなればこの豪勢な屋敷も手放すことになるだろう。
悪いのは負けた側だ。恨むなら父を恨め。
俺は足を止めることもなく門へと急いだ。するとその時、視界の端で子供が勢いよく立ち上がるのが見えた。
「こら!」
俺に駆け寄ろうとする子供を女が叱る。押さえられた子供に見覚えはない。道場破りの俺に文句でもいうつもりか? だがそれにしては子供の目は憧れに輝いていた。
対照的に、女の視線は険しかった。
「…………っ」
「お……」
子供を抱き寄せたまま、眉を吊り上げて睨んでくる。
「まだ何か?」
「なにかって……そっちこそなんだよ」
「用が済んだなら消えてください。目障りです」
なぜに初対面同様の女にこうまで言われにゃならんのだ。まあ原因は自分にあるのだが。
相手するのも面倒だからお言葉に甘えて消えることにした。
西都は原艦島でもっとも繁栄している都市だ。
と、言われている。この国では繁栄の度合いは住んでいる異国人の数で決まる。昔は「異国人」といえばオランド皇国人のことを指したが、今ではメトロが大多数を占めている。つまり「繁栄」すなわち「王国文化の侵蝕」だ。西都もやはり、“コンクリート”造りの建物や通りに並ぶランプで埋め尽くされていた。
「文化の王国化」を嘆く環国人もいるにはいる。しかし個人的には文化や俗習がどうなろうと俺の知ったことではなかった。むしろ異国風の建造物の質感や無機質な明かりは俺の前世とよく似ていて、なつかしい。
俺は昼間いっぱい西都の町を見物した。見世物小屋の類は乏しいが、移ろう世の流れに踊らされる人間どもを見るのは、それだけで愉しい。
もちろん優越感に浸ることだけが見物の目的じゃない。街を歩きつつ、俺は次の目的地も探していた。このあたりで名の知られている道場だ。だが誰に聞いても「白天槍術」の名前を挙げるばかり。槍以外で強いのはどこだと言えば、どこも大したことはないという。どうやらこの町にいる理由はなくなったようだ。
(明日にでも出るか)
今日はさすがに疲れた。安く泊まれる木賃宿ででも休むとしよう。
そうと決まれば夕飯の調達だ。木賃宿では飯は出ない。小物カゴに釣り糸が入っていることを確かめて、俺はさっそく海へ向かった。
「よっ、そこのあんちゃん! 長旅かい? 地の果てまでもおくってくぜ!」
「いらねえよ」
やかましい旅籠を追い払い、川沿いに下っていくとやがて波の静かな磯が見える。
旅先で魚を調達することは何度かあった。だからこうして釣り糸を常に持ち歩いているのだ。
「先客か」
黒い磯で、袖をまくった人物が釣竿を垂れているようだった。近くには他に誰もいない。釣りはなるべく一人でするのが好きだが、別に問題ないだろう。俺は岩に登って、餌にする沢蟹を探した。
その辺の石をごとごとひっくり返してみる。すると前に立っていた釣り人がこちらを向いた。
「あ、ごきげんよう……」
気の落ち込んだ声だった。俺は手を止めて、顔を上げる。
「え」
「……あ?」
間抜けな表情を見せあうこと、数秒。
「「あ、アンタは!!」」
そこにいたのは、道場で会った、涼芽雲桂の娘だった。