獅子王流
なんで俺が異国人を追いかけまわしていたかというと。
あのクソ野郎が俺の肩のアザを見て笑ったからだ。
俺は何日も歩き通しだったから、西都の町に着いてすぐ銭湯に入った。そうして湯上りさっぱり汗さっぱりで俺は外に出たんだが、そこでちょうどあの金髪のクズと鉢合わせた。
もちろんお互いに面識はない。それなのに、だ。あいつは俺の肩を指さして可笑しそうに笑いやがった。
それだけなら俺も刀を抜くことはなかった。事実俺はそんなイカレ外人なんぞ相手にせずにあっさりと背を向けもした。
それなのに、だ。あろうことかあいつは手持ちの短刀で背中から斬りつけてきやがった。
もちろん俺はかわした。そんな俺に外人は何か言う。言葉は通じなかったが、「生意気」だのなんだのと言ってたに違いない。不意打ちされて、さすがに俺もキレた。
それからはもうご存知の通りだ。圧倒的な剣術で秒殺し、いざ止めというところであいつは逃げた。あらかじめ足の腱を断っておくべきだった。死を感じたあいつの足は思ったよりも早かった。
「25番。殺しテモかまわんが首は残セ」
国使だか何だか知らないが、真ん中の一番偉そうな男が抑揚なく指示を飛ばした。
25番。この甲冑で固めた化け物の名前か? 自分の部下は番号で呼ぶのがあちらの国のお決まりらしい。
「一匹だけか? めんどくせえからまとめてかかってこい」
一対六。数では不利でもこんな木偶人形相手に苦戦するとは思えなかった。
国使は何も答えない。代わりに“25番”が、刀を振るって挑発に応えた。
長さは俺の刀の二倍。幅なんて刀というより墓石だ。
俺は半身を引く。25番の一撃は激しい地鳴りと地割れを呼んだ。
「知ってっか。この国では今みてえなのを“ハエが止まる”っていうんだぜ」
威力こそなかなかだが、速さはなんら恐れるに足らない。もっといえば太刀筋もお粗末だった。
これではっきりした。こいつらは剣術を知らない、力任せの脳筋衆だ。
大剣が地面に埋まっている今が好機。俺は横に回り込む。
そこで敵は意外な動きをした。
「っ!?」
敵は、刺さった大剣を抜こうとはせず、そのまま地面を横に抉り飛ばしたのだ。
なんて馬鹿力だ。幅広の大剣が掻き出す土はハンパな量ではない。土の津波を左に避けると、すぐさま敵の二の太刀が飛んできた。
分厚い金板が襲ってくる。俺は大剣の腹を柄で押し、豪快な剣撃を左にいなした。
「おお……!」
おお、じゃねえ。こんな素人の技をいなすくらい朝飯前だっての町民ども。
そういえば。俺はまだ飯を食ってない。銭湯から出て食事処に向かうところで王国人と悶着したからだ。
そろそろ決着といこうか。
「避けつづけてりゃお仲間サンが加勢するかと思ったが……。その気がないなら」
鞘の口に打刀の先を当て、すっと刀身を収める。
チン……と鍔が鳴り、国使は怪訝な顔をした。
「……諦めたカ?」
「おいおい。“抜刀術”も知らねえのか」
行方師匠の道場で研鑽を積んで、九年もたったろうか。
剣の精神が存分に養われたとして、俺は嚶鳴館で免許皆伝された。
師匠から授かった嚶鳴館流の「奥義」。俺はそれを自分のものにしようと来る日も来る日も修行に明け暮れた。
嚶鳴館の剣の極意は「抜刀術」だった。収めた鞘から初撃を放ち、相手がそれに対処するより早く二の太刀で仕留める。
それを極めれば、刀を抜かずして敵を斬ることができるという。
「ホウ。……イアイ、とやら」
「違うな。似てるっちゃあ似てるが居合ではない」
抜かずして斬る。
間合いや体裁きを巧みに、常に相手の死角に入り続ければ、いずれ敵がどのように動こうとも斬撃が決まる位置に入る。つまり「抜けばいつでも斬れる」立場をとる重要性を、嚶鳴館流は説いている。
俺はそれを極め、さらに一歩先に進んだ。
「“獅子王流”────」
甲冑の従者が踏み込んだ。
地面が割れる。巨大な質量が迫りくる。
大剣の間合いは長い。もたもたしていてはこちらから一撃も与えられないまま一方的に終わってしまう。
俺は刀の柄に触れた。
「“居喰い斬り”」
刃が相手を捉えた瞬間は誰にも見えていない。
ただ俺が刀に触れただけで。甲冑の25番の右腕が、根元からすっぱり吹き飛んだ。
「──ァ」
骨の断面。
次の瞬間赤に染まった。
「ギャアアアアアアアァ!?」
噴水のように噴き出す血を抑え、苦しみ、のたうち回る。
切り離された右腕から大剣が放り出された。それは回転しながら放物線を描いて、持ち主の上に降りかかる。
甲冑で覆われていない腰骨の上を貫かれ、とうとう従者はこと切れた。
「なんだ……? 腕が勝手に飛んでったぞ?」
事の顛末を見ていた野次馬は一様に我が目を疑っている。
「何をしたの?」
「あの子供は一つも動いてないが……」
「……ま、そういうこった。俺の実力は分かったな?」
俺の愛刀「風麒麟」に刃毀れはない。
俺は返り血を浴びてもいない。
これが獅子王流の奥義「居喰い斬り」。
動かずして敵を斬る。
「どうする? このまま続けるか、大人しくそのクズを差し出すか」
「ヒイイイッ!」
いけ好かない金髪の王国人はもう立てもしない有様だった。ずるずる体を引きずって白マントの国使へと後ずさっている。
対して、国使の方はなんら表情を変えなかった。馬に跨ったまま、俺の刀を遠目に見つめている。周りの従者も無言だ。たった今味方が斬られたのに、怯えという感情がこいつらにはないのか?
『助けてくださいよ、なぁ!? ほっ、誉れ高き“ルーク一族”なら! あんなガキ一発でおしまいでしょ!?』
金髪の男が、つっかえながら何かほざいている。真夏の地面に血の痕を残しながら這いずって、国使の馬に手を伸ばした。
瞬間、従者に腕を掴まれる。
『へっ?』
「汚い手で馬に触れるナ」
国使の声には、邦人に対する慈しみや、王国人を守る使命感とかいったものは一切感じられなかった。
ただただ侮蔑。
高貴な者が下賤な輩を見下す自然な構図が、そこにはあった。
国使の従者が腕を握る。
それだけで、金髪の男の手首はあっけなく崩壊した。
「ギャアアッ!!? ヒェエエアアアアアァ!」
「いっ……!?」
骨が砕ける音よりも、肉が潰れる音の方がより痛々しい。
野次馬どもの何人か、特に女性が、それを聞いて気を失ってしまった。
「圧殺系には慣れてないのな」
ついさっき俺が腕を斬り落とした時は何ともなかったのに。
俺の呟きに反応する者はいなかった。血だまりの上で悶える金髪を、まるでカエルの死骸でも見るような目つきで見下ろした国使は、無言のまま、馬を翻して俺に背を向けた。
「あ? おい」
従者も四人そろってそれに続く。仇をなした15歳の子供に背中を見せることに誰も文句を言わない。まるでからくり仕掛けの傀儡のように、国使の後ろに壁を作る。
やつらはあっさりと引き上げた。
「逃げやがった……」
全く予想外だった。助けを求めた王国人を救うどころか、腕をへし折って帰っていく。
俺の剣技に恐れをなしたか? どこか釈然としないがまあいい。穏便に済むならそれで結構だった。
「オオ……ァ……」
あとに残された金髪男は“惨め”の鑑だった。
今なら王国人を斬ることができる。だが俺は刀から手を離した。興醒めだ。こんなもののために風麒麟に錆をつけることもない。
もと来た路地に向かっていくと、良い布地の着物を着た町人がおずおずと声をかけてきた。
「あ、あんさん。とんでもないことなさったのう」
「なにが」
「すぐ身を隠しなされ。ルークの弟も見ての通り化け物ですが、兄はもっとおっかない」
「兄? あいつ弟だったのか」
「ええ、そうです。兄の姿を見たものはおりませんが……あの怪物を弟に持つのです。おおかた察しは付きますでしょう」
「まあな……だが」
所詮、連れの一人を斬られて逃げ出す軟弱者の兄だ。いくら体が大きかろうと底が知れている。
「それよりオッサン。このへんに美味い飯を食わせる店はねえか」
「あんさん……あっしの話、聞いてなかったんですか?」
「しらん。俺はこの町に用があるんだ。こそこそ隠れてちゃなんにもできやしねえ」
呆れ顔の町人だが、その顔に元気はなかった。よくよく見ればその立派な着物は土で汚れている。町人の向こうに瓦礫と化した建材が倒れているのを見つけて、だいたいの事情は理解できた。
普通なら他人の心配をしている余裕などないだろうに。
せめて飯の一杯でも奢ってやりたい気持ちは山々だが、あいにく俺の朝飯分の金しかない。別れの挨拶だけ告げておいて、俺は辻々の合間から漂ってくる揚げ物の匂いに誘われていった。