最初の狩り
あーあ
もうすぐバレンタインだしカワイイ女の子がスピード感溢れるお話とかくれないかな。
哀原志々雄。俺の名だ。
俺は都会でもなければ山奥でもない、ごくつまらない町「厳戸」に生まれた。
俺の生まれた国は、話す言葉や薄っぺらい面立ちこそ日本そっくりだが、かつて俺がいたところに比べて文明が遅れているようだった。
ちなみに俺はライオンだ。
「前世は」と前置きした方がいいかもしれないが、今でも中身はライオンのまま。
荒野を駆る、猛々しい獣のままだ。
……すまん。ウソついた。
俺の前世は、そりゃあ惨めなものだった。生活のすべてが飼育員に管理されていた。毎日決められた時間に起き、数日に一回与えられたエサを食べ、毎日決められた時間に寝る。
物心ついたころから。
たぶんそのせいだ。人間に生まれ変わって六年もたつのに、その頃の習慣から抜けられないのは。
「まーたアンタは! 鹿の肉ばっか食べて!」
え? それは飼育員のせいじゃないって?
俺はライオンだ。人間の言うことに聞く耳は持たない。
「野菜も食べにゃあ、よう育たんど!」
「……っせーな……」
五穀の米、鹿の骨肉、そのへんに生えてる草。
俺は猟師の家に生まれた。
草の青虫を噛み潰すと、母親が危うく卒倒しかけた。
「あ、あ、あんたって子は……」
「……んだよ」
「ホンマにもう! やたら口利くのが早え思たら、すーぐ親に楯突くンまで覚えてしもて!」
当たり前だが、前世で俺は人語をしゃべったことがない。
だから知らなかったが、俺はどうやら口のお上品な方ではないらしい。
どうでもいいが。俺は青虫の口直しに、鹿の肉を口いっぱいに放り込んだ。
「ちょっと、おとっさんからもなんか言ってやりィ!」
困り果てた母親は、とうとう親父に首を振った。
親父は食卓についてからずっと無言で飯を食っていた。図太い二の腕、頬の古傷。何をしていても親父は怒っているように見える。
親父はじっくり咀嚼した後で、一言だけ口を開いた。
「かあちゃんの言うことを聞きんさい」
さすがの俺も親父には逆らえなかった。
筋骨隆々の二の腕が怖いわけじゃない。仮に俺がライオンの姿を取り戻して、親父を上回る肉体を手に入れたとしても刃向かうのには勇気がいるはずだ。
なぜなら──圧倒的な“経験”の差。
幾度となく死地を経験してきた親父。対する俺は、前世でも現世でも、人間の庇護のもとでのうのうと暮らしている。
逆らえるはずがなかった。
俺は返事もせずに五穀米を掻っ込んだ。親父はそんな俺から飯へと目を戻し、母親は卓袱台の醤油瓶に手を伸ばした。
狩りについてくるか。
親父からそう言われたのは初めてのことだった。
俺はすぐに返事をした。ライオンでなくても、狩りをしたがるのは男なら当然の本能だ。
人里を離れ、山の中へ。
日は傾いていた。
「今日は熊を獲る」
親父の装備は猟銃一本。
弾は山に入る前に装填済みだ。山の中で弾倉をいじると、その音だけで獲物がいなくなってしまうらしい。
「一発だけで、熊を?」
「……ったくおめえは。ガキのくせに可愛げがねぇな」
口の端だけで笑うと、親父は茂みの陰に俺を手招きした。
「志々雄は六つだったか?“熊”って聞きゃあ、六つのガキなら小便ちびって泣き出すもんだ」
「……しらね」
そもそも俺は前世で5年生きてる。今と合わせて11年。ライオンに置き換えればもうとっくに大人だ。
それ以降、親父は軽口を叩かなくなった。夕暮れ間近で暗い地面をなぞるように睨んでいる。
「────俺の勘が正しければ」
ぐぐっと親父が耳元に近づいた。本格的な“狩り”の空気を感じて、俺は首を動かすのすらためらう。
「そろそろ、ここを獲物が通るはずだ」
「…………」
「……撃ってみるか?」
「……え?」
かろうじて、頓狂な声を上げるのは抑えた。
恥ずかしながら、俺は今まで狩りなんてしたことがない。銃なんてなおさらだ。
弾はたったの一発。それを外せば、今日は諦めて帰るしかない。
あまりに責任重大だ。
「…………」
親父は、手に持った猟銃を慎重に差し出す。
本当に、機械みたいにゆっくりした動きだった。
それで俺はもう獲物が近くにいることを悟る。銃を受け取ると、予想以上に重かった。
(指をひっかけて……引き金を引く)
銃の原理くらいは知っている。獲物に狙いを定め、引き金を引けば弾が飛び出て獲物を貫く。
ガサガサ、と向こうの草木が揺れ、合間からのっそりと熊が出てきた。
熊にしては小さいほうかもしれない。それでも、今の俺にとっては怪物に等しい。
パキキ……と小枝の折れる音。
熊は木の実を探している。
(獲物の真ん中に向かって……)
短い腕で猟銃を扱うには無理があった。
腕が短いと銃口がブレやすい。こんなちゃちな指でまともに引き金を引けるかすら怪しかった。
それでも、何とかして銃身を固定する。
もたもたしてるとせっかくの獲物に逃げられてしまう。
俺は気合で射撃準備を整えた。
(……当たれ!)
引き金を、引いた。
撃鉄が火の粉を散らす。山中に炸裂音。
それと同時に、俺の体は前につんのめった。
「う、わ……!?」
銃の反動なら後ろに飛ぶはずが、なぜか手前の地面に手をついてしまう。
俺は、射撃と同時に親父に背中を押されていたのだ。
親父は右手で俺を押さえ、左手には短刀を持っていた。
その刃先は、俺のすぐ横の樹木に突き立てられている。
そこには一匹の毒蛇が。親父の刀に首を切り落とされて死んでいた。
「……!」
地面に転がる蛇の頭。
その毒牙は大きな“く”の字に開かれている。
親父がいなかったら俺は死んでいた。
「狩る側だと思って油断するな」
それでも俺に、「ありがとう」を言う品の良さはない。「余計な事すんな」と突っぱねる度胸もない。
口から出てきたのは「刀なんて、いつのまに」と、どこまでも見当違いなことだった。
「熊は逃げたか……。反撃されねぇだけマシだな」
親父に押されたせいで狙いは狂い、銃弾は大きく左下にそれていた。
落ちている石を弾いただけで、獲物にはかすりもしていない。何かが急いで去っていく足音がして、見ると、銃声に驚いた黒い熊が木立の向こうに消えていくところだった。
「あ……」
「あきらめろ。オラ。帰るぞ」
俺の初めての狩りは失敗した。技術の未熟さではなく、元“百獣の王”にあるまじき油断によって。
山を下りる親父の後ろで、俺はこれまでにない情けなさを感じていた。
「志々雄」
山を下り、両脇を田んぼに挟まれた細いあぜ道。
狩りの場から歩いて20分。初めて親父は声をかけてきた。
「おめえ、将来どうすんだ?」
そんなこと、今まで一度も聞かれたことはなかった。
俺自身、昔はこれからどうするべきか考えもした。前世の、ライオンとしての意識を保ちながら人間の体を得て、一体どんなことができるか悩みぬいたこともある。
結論から言えばなんにもナシ。いくら中身がライオンでも普通に人語を喋るし、多少の読み書きならできる。はたから見れば何の変哲もないヒトなのだから、何の変哲もない人生を送るしか選択肢はないはずだ。
俺は“ヒトの一生”についてはとんと疎い。それに関しては、人間の六歳と同じだと思っていい。
そんな俺にとっての“何の変哲もない一生”とは何か。
ずっと親父の背中だけを見てきたんだから、答えは明らかだ。
家を出る前なら、迷わず「猟師になる」と答えていただろう。
「…………」
あんな失態をやらかした後で、どうしてそんなことが言えるだろう。
俯きがちに歩いていると、危うく親父の背中にぶつかりかけた。
「……肩のアザ、まだあるか」
哀原家の初の子として生まれたときから、俺の右肩にはよく目立つアザがあった。
生まれて間もないころは輪郭の曖昧な薄いアザだったが、成長するにつれて徐々にはっきりと、濃くなっていき、5歳の誕生日を迎えるころにはその形の意味するものまで見て取れるようになっていた。
それは、ライオンの形のアザだった。
見せてみろ、と親父が言うので俺は右の袈裟を下ろしてみせる。
四肢を躍動させ、弧を描くように体をしならせた果敢な獣。どれだけ眺めていても飽きない。ただ、ずっと人間の管理下で生きていた俺としては、その勇ましい姿はある意味コンプレックスでもあった。
「こないだ、オランド商人から聞いたんだが」
親父は異国の商人と何人か親しい。食肉や日用品としての毛皮、薬草なんかを彼らに売った金で哀原家の家計は成り立っている。
「マタギ」の呼び名で商人たちに親しまれている親父は、彼らから聞いた話を持ち帰って聞かせることが多々あった。
「外の国にはここでは見れんようなデカい草原があるらしいが、そこに“れおん”っていう、獅子に似た獣がすんでるんだと」
獅子に似た獣、れおん。
たぶんライオンのことだ。
だが“似た”とは? ライオンと獅子は呼び名が違うだけじゃないのか?
「獅子はガキの頃に崖から突き落とされて、這いあがって強く育つ。だがオスのれおんってなァ、ガキのうちは母親からエサもらって、大人ンなってもヨメにばっか狩りに行かせちょるとんでもねぇ野郎なんだとよ」
「……っ!?」
ありえない。そんなことはない、と叫びたかった。
俺は覚えている。ライオンだった頃の、来る日も来る日も柵の外から俺を眺める人間たちの眼差しを。俺に対する好奇心はあっても、どことなく近寄りがたさを感じている。
あれは“百獣の王”に対する畏敬の表れだった。
それくらい、ライオンは尊く強い生き物のはずだ。
オスのライオンがそんな腐った生き物だなんて、そんなもの商人たちの悪い冗談だ。
否定したい。
でも──そんな資格があるのか?
事実、一人で狩りすらしたことのないこの俺に。
「ライオンみてえになりたくなかったらな、志々雄」
親父の一言一言が、俺の本質を殴るように揺さぶるのを感じた。
「獅子になれ。誰にも頼らない強え男だ。自分の生き方を手にできる、強え生き物だ」
獅子の子は、産まれてすぐに父親によって死地に突き落とされるという。
俺はこれまで、獅子になるにはあまりに楽をし過ぎてきた。
「かあちゃんと俺ぁおめえの体づくりにゃあ気を配ってきたつもりだ。外から入ってきたもんは一つもやらねぇで、ちゃんとした飯だけを与えてきた」
だから、と親父は固まった俺の肩に手を置く。
「そろそろおめえも鍛えを入れる年頃だ」
「鍛え……?」
「明日からおめえを行方センセイの所にやる。そこで死ぬほどしごいてもらえ。力の使い方を身につけろ」
行方強車──親父の知人で、町で剣術道場「嚶鳴館」を構えている名の知れた達人だ。
そして。実力欲しさに行方に弟子入りした者の大半は、その厳しい舎弟生活に耐えきれず一月以内に逃げ出してしまうことでも有名だった。
そんなところへ、俺は預けられる。
俺の猟師としての才能のなさに失望してそんなことを言っているのだとしたら。そう思うととてつもなく悔しかった。