肩の歯型
傍らに蹲っている香鈴は、俺の肩を噛むことによって力を得た。
これで二度目だ。香鈴と同じ「前世持ち」の俺にもかつての力が甦るはずだったが……
「なっなっなっなになになんなの人前で!」
ローズが驚いていたのは俺が目の前で変身したからではないらしい。
「流行ってるの、それ……?」
「なわけあるか!」
戦闘中に味方の肩に噛みついて絆を深めるなんて風習なぞ聞いたことがない。
頬を真っ赤にして狼狽えるローズ。俺は気を取り直して香鈴の前にしゃがんだ。
「後ろから噛んだのが悪かったのか……。もう一度だ!」
「ちょっと、やめて!」
逃げていく香鈴。もう痛い思いをするのは懲り懲りだという顔をしている。人の肩は平気で食いちぎるくせに身勝手なヤツめ。
香鈴を追って、捕まえている余裕はなかった。こうしている間も、王国の少女は瓦礫の上からこちらを観察している。
「あんな思いっきりキスマークつけるなんて……ゴクリ……」
なぜ香鈴にできて俺にはできない?
ライオンと狗との違いなのか。だとしたら俺は、どうやって力を取り戻せばいいっていうんだ。
香鈴が噛んだのはほぼ全力とはいえ一瞬のことだったから、白狗の姿を保っていられるのはそう長くなかった。徐々に髪は縮みはじめ、耳は旋毛に埋もれていっていた。
「ええい、くそっ。だったらこのまま斬るまでだ」
俺はローズへと駆け出した。
「だぁめ」
三枚の屋根瓦が上から投げ落とされる。
こんなもの。何の応戦にもなっていない。俺は刀の峰で一枚叩き割った。
が、急に腕の力が抜けた。瓦の衝撃に負けて手首がいなされた。
残り二枚が頭頂に迫り来る。
跳んで避けようとしたがそれも満足に出来なかった。
「痛ウッ!?」
右肩に一撃。続く一枚を振り払って左手甲を打撲。
俺は片膝を突いた。
「……毒、きいた?」
「毒……だァ?」
左頬がひどく痺れだした。
つい先ほど、源の爪を避け損ねた部位だ。
「あんまし動いちゃだーめ。シシオちゃん♪」
人差し指を振る仕草には腹が立つが、こんな状態で迂闊に飛び込んでいっては危険すぎる。
「ホントはねーえ、シシオちゃんなんてちゃっちゃと〈ロゼ〉のごはんにするつもりだったの。でもシシオちゃん、強いのねー! ローズ大好き♪」
「……そら、どーも」
「キャハッ♪ ジョーダンジョーダン! アルのテキなんかみんな死んじゃえ♪」
「あなた……織艦の国使ね」
今やすっかり普通の姿に戻ってしまった香鈴は顔を顰めながら立ち上がった。
「翠色の髪。……騎士の一族がわたし達に恨みでも?」
「んー……と。いちおー“コクシ”じゃないんだけどぉ……。ウラミっていえば、アルをおこらせちゃったコトかなぁ?」
「アル?」
「アルファ・ルーク。しってるでしょ? えらいもん」
ルークという名には覚えがあった。
昨日の偉そうな国使を源は“ルークの弟”と呼んでいた。アルファ・ルークというのは昨日のヤツか、それともその兄のほうか。
「アルってばすっごいの。ローズがやあっと見つけたおやしきに『なにがなんでも殺してやるぞー』って行っちゃって。で、シシオちゃんいないからローズに探してこいって……ううっ。こわかったぁぁ」
「何……なんだと?」
「屋敷に!?」
俺を狙ってきた国使が今、出てきたばかりの屋敷に乗り込んでいる。
そこには手負いの雲桂や、六歳のマコトもいるのだ。香鈴は来た道を駆け戻り、残された俺はローズを睨み上げた。
「じゃ、シシオちゃん。引きわけねー」
「待て……!」
向こうに消えたローズを追って俺は瓦礫の裏に回り込んだが、斬るべき影は最早どこにも見当たらなかった。
逃げられた。一体どこへどうやって消えたのか不可解だが、諦めるほかない。俺は舌打ちして涼芽の屋敷へ急いだ。
細身の器仗に力は宿らぬ。
巨きな五体にこそ力は籠もる。
引き倒した灯籠に腰掛けていたランパネラは拳を開いた。
そして閉じる。
「打ち砕くぞ。〈アラゴナイト〉」
骨に魔力が染みる燃えるような感覚も、十年も使い続ければさすがに慣れた。
同じルーク一族の第一本家に産まれながら兄と弟ではかくも差のある。兄は神童と称え誉められ、弟は彼の巨闘兵として身を捧げることを定められた。
鬱憤はない。怨みもない。
「てめえは……」
屋敷の門を潜った哀原志々雄が低く唸る。
ランパネラは自我を殺し、潰すべき標的に対峙した。自らを棄てなければこの悩乱、腹に圧し籠めそうにもない──。




