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クロスロード  作者: δ
第一章
12/14

服屋の瓦礫

 勝負は一回きり。

 俺の気合の乗った説得のおかげで何とか継承試合にこぎつけたが、ここで香鈴が勝てなければそれまでだ。


 瞑想していた雲桂と俺は、香鈴が袴姿になって戻ってくるのを待っている。

 現当主と手合わせを行い、勝つことができれば涼芽家の主となれる。勝負は原則片方が負けを認めるまで続くが、頑として「降参」を口にしない場合でも公平な立場から見て負けが明らかなら、第三者が試合を止めることができる。


 その“第三者”として俺が選ばれた。香鈴が「情報」を握っているので厳密に公平とは言えないが、私欲のために試合の勝敗を捻じ曲げるほど俺は落ちぶれてはいない。


「……怪我はいいのか」


 雲桂は太腿を痛めている。

 言うまでもなく俺の刀傷だ。立てなくなるほど深くはないが、これでは万全の体勢で試合には臨めないだろう。

 雲桂は無言だった。半強制的に試合を行わせた俺に憤っているのかと思ったが、どうやら精神を統一しているだけのようだ。

 どうあっても娘を勝たせる気はないらしい。当然か。


 それから幾ばくも経たずして、紺の袴に白の道着を纏った香鈴が戸口に現れた。

 香鈴は道場の中央まで進み出て、立礼する。雲桂は目を開け、傍らに横たえていた得物を手に立ち上がった。

 この継承試合は、個人対個人の戦闘であること、道場の外にでないこと以外はなんの縛りもない。武器は各々望みの物を使うことができる。

 雲桂が携えているのは錫頭に穂のない槍だった。むしろ棒と呼んだ方が正しい。自分の娘を刺し殺すことのないよう配慮したのだろう。だが槍本来の持つ打撃力は何ら損なわれていないから、まともに食らえば骨が砕けることもあり得る。


 一方の香鈴は無手だった。雲桂は言葉少なに壇上から降りる。


「武器は」


「わたしの武器は“護る術”です」


 夕べ、武芸の心得があるかと聞いたとき「護身術程度なら」と答えた香鈴。

 それも立派な体術だが、身を護る技だけで雲桂に勝てるのか。


「お父さまの気が尽きるまで、わたしは技の全てを流してみせます。あわよくば槍を奪い──勝ちましょう」


 俺は二人から距離をとった。試合が始まる。礼儀として雲桂は腰を折り、頭を上げてすぐ棍を構えた。


「“お父さま”ではない。“当代”だ」


 棍が降り下ろされた。

 空気が割られる。半歩引いた香鈴はまた右に体を捌く。

 槍のように突き出される棍。横に払い、上に薙ぎ、下へ打ち下ろされるかと思えば続けざまの刺突。

 香鈴はよく見切っていた。あの猛攻にかすりもしていない。

 そして反撃に出た。


「シッ!」


 鼻先三寸を掠めた棒の錫頭。香鈴は中指をそこに添え、最小限の力でそれを押した。


「!?」


 体勢を崩すまでには至らないが、雲桂の腕に過剰の力を与えることができた。ほんの僅かでも実戦ではその差が大きい。

 香鈴は一歩で間を詰めた。雲桂とではなく棍との間合いだ。

 それを振り払うように雲桂は武器を振るが、香鈴もそれに体を合わせる。一見振り回されているようでも棍棒の打撃力を抑えつつ、徐々に雲桂との距離を縮めている。


「ええい!」


 棍棒が大きく引き上げられ、香鈴の手から離れた。

 雲桂の身を守るものは香鈴の前にない。

 だが香鈴は身を引いた。ほぼ同時に、それまで棒の“後ろ側”だった石突きが反転して香鈴の下顎を襲った。

 もしも香鈴が勝ちを急いでいたなら彼女の顎は粉微塵にされていただろう。今の繰り上げに娘に対する加減などは一切なかった。

 これで二人の間合いが離れてしまった。


(やっぱ素手じゃあ、な)


 懲りずに再び掛かってゆく香鈴だが、そんなことでは中々勝てないはずだ。

 武道でも何でも、自分の得手不得手を理解してそれを良く転用しなければ巧くはいかない。


 香鈴の“護身術”の絶対的な欠点。それは反撃の考慮されていない構え・体運びだ。

 状況から仕方ないとはいえ、香鈴のように相手の隙を見て反撃に転じたり、それどころか自ら攻めの糸口を切り開くような戦い方ではせっかくの“型構え”が生きてこない。逆に専守の型からの攻撃は負けに直結する可能性すらある。

「闘争」をしてはいけない。本来なら、“継承試合”という状況でないならば、護身術を修得した者がとるべき手段は「逃走」なのだ。


 では香鈴はこのまま負けてしまうのか。

 そうではない。この条件なら、唯一つだけ香鈴にも勝つ手段はある。


(分かってんだろ、香鈴……)


 分かっていて敢えてあんなやり方で戦っているのか、それともそんな選択肢は端から持ち合わせてはいないのか。

 いずれにせよ香鈴自身がそれを選べば、一転して彼女の勝勢が約束されると言って良い。


「つッ!」


 とうとう香鈴の肩に打撃が入った。体を引いて威力を殺したおかげで大事には至らなかったものの、そんなギリギリの状態ではもう長くは続かない。

 雲桂は手を休めなかった。半身引いたことで防御が疎かになった香鈴の膝に容赦ない殴打が迫る。

 間に合わない。香鈴は躱す代わりに腱の急所を避け、膝を内転させて骨で衝撃を受け止めた。

 勝負あったか。


 だが香鈴は倒れなかった。膝に当たった棍を両手で掴み、その動きを力尽くで封じた。


「ヌゥ!」


 華奢な香鈴と剛健の雲桂。まともな力比べでは雲桂の負けるはずがない。

 だが体勢を崩し片膝をついたのは──雲桂だった。


「──合気道か」


 触れた相手の体に“合気”を流し、それによって相手の力を逃がす高等武法。

 その正体は繊細な力加減が誘発する運動神経の錯覚。普段感ずることはまずないが、人間の体の動きは数多くの筋肉が生み出す力が複雑な干渉を起しあった上で成り立っている。

 その干渉を起す力には、本人の意識に上らないほど微弱なものも含まれている。その微弱な力を、同じく感受不能なほど弱い力で相殺すれば、相手の体全体の動きを封じることができるのだ。

 なるほど。理屈の上では、相手の体に触れていなくとも力さえ伝われば“合気”は流せるだろう。だがそれを棒一本を介してやってみせるなど容易にできることではない。


「だが!」


 雲桂の持ち手が変わった。

 その意図を察したときには遅かった。香鈴は自分がやったのと同じようにして、全身の力を逃がされた上で床に倒れた。


「甘いぞ!」


「っ!」


 棍が風圧を纏って襲い掛かる。

 香鈴が転がって避けた直後に、打撃によって床が鳴動した。


「儂とて素人ではないぞ。その程度の技ならお前より何倍も使い慣れておるわ」


「……分かっています。“優れた武道家は優れた合気道家”。これしきでお父さま……当代に勝てるとは見込んでおりません」


 因みに二人の横で見物している俺は合気道に関しては理屈だけ知っている程度だ。

 香鈴は気丈にもそう言ってみせたが、今の技のために足に一撃を食らったのだ。もはや護身術も何もあったものではない。試合が始まってからずっと口数少なかった雲桂が手を止めたのも、香鈴の勝機が無きに等しいことを知っているからこそだろう。

 雲桂は香鈴に降参を促しているのだ。


 だが香鈴の意志は固かった。話に応じながらも目は雲桂の隙を探っている。槍の達人に棍棒を構えさせて隙などあるはずもないが、それを分かっていてもなお、香鈴は負けを認めなかった。

 公平な立場から言うなら、俺は試合を止めるべきだろうか。実力同士を比較すればここから先どうやっても香鈴に勝ち目はない。


 だが俺は様子を見続けた。たとえ勝負に負けても、試合に勝つことだってあり得る。

 ちょうどそのとき赤い滴が道場の床に滴った。







「お父さま……!」


 香鈴の技で片膝を突かされたのが想像以上に響いたのだ。

 雲桂の右の太腿の包帯がじわじわと赤く滲み、開いた傷口から血液が足を伝い落ちた。


「思ったより早かったな……」


 香鈴にとって限りなく敗勢のこの局面における、唯一の(アヤ)。それが雲桂の脚の傷だった。


 最初から負傷した脚に負荷をかけさせる戦い方を選んでいれば手間取ることもなかっただろう。そんなやり方を嫌って正々堂々と挑んだ香鈴だが結局、雲桂の傷は再び裂かれてしまった。

 雲桂はまだ立っていた。しかし脚は微かに震えている。先までの細やかな立ち回りはもはや期待できないだろう。


「志々雄!」


「どこを見とるかッ!」


 渾身の一撃が、俺の名を叫ぶ香鈴の喉元に繰り出された。

 危うく間合いを取る香鈴。雲桂が体重に負けて手前に崩れても手を出そうとはしなかった。


「お父さま、日を改めましょう! これ以上は危険です!」


「危険とな……。ナメおって、娘子が……」


「志々雄! お願い! 試合を止めて!」


「…………」


「まだ言うかッ! 香鈴!」


 すでに雲桂は棍の支えで立つのがやっとの有様だった。

 奴だって、こんな状態で香鈴を抑え込める望みのないことくらい頭では解っているはずだ。

 それでもおいそれと「参った」と口にできない“覚悟の堅さ”が、肉となり腱となり奴の体を支えている。


「儂は手負いなのを承知でお前の継承試合に応じたのだ! お前など片足でも相手にならん! どうした。意地でも当主になりたいのなら、儂の傷口を抉るつもりで掛かってこんか!」


 そう。この試合はどちらかが負けを認めれば即終了だ。急場になってから「怪我をしていたから試合は取り消しだ」などという言い訳は通用しないのだから、香鈴は相手の武器を奪うなりしてこの争いにさっさとカタをつけねばならないのだ。


 ところが香鈴は戦意を喪ってしまっている。

 もう試合は続かない。勝ちに行く気を失くした香鈴と勝てる体ではない雲桂。このどちらかに軍配を上げる役目が遂に回ってきたのだ。


 俺は弾みをつけて起き上がり、膠着した父娘の間に立ち入った。

 第三者の目を持った“審判”の介入によって試合は完全に中断された。雲桂も香鈴も俺の口の動きを身じろぎもせず睨んでいる。


 決断には大して悩まなかった。


「この勝負──俺の勝ちだな」









 涼芽家の屋敷を出てようやく朝飯すら食っていないことに気づいた。

 昨日入った揚げ物屋に今日も寄るか。あそこは油が良いのか種具が良いのか、あそこは安い割に美味かった。今手元にはあまり金がないので安い店はそれだけでもありがたい。


 辻を曲がり、朝日の眩しさに瞼をしかめていると、息を切らした足音が後ろから追ってきた。


「見つけたっ!」


「おう……来たのか」


 黙って出て行ったところでどうせ追ってくるだろうと予感していたから、今さらムキに追い返す気にもなれなかった。

 草履を履いて走ってきた香鈴は見覚えのある風呂敷包みを手に携えていた。


「忘れ物」


「んん?」


「いらないの?」


 昨日の道場破りで得たあの「一か月分の生活費」だった。

 忘れたわけではない。置いてきたのだ。俺の思惑なんて香鈴は知る由もないだろうが、あれだけその金を俺から奪い返そうと必死だった香鈴が届けに来てくれたのはかなり意外だった。


 じゃあ、と俺は手を伸ばし、風呂敷の中から紙幣を五、六枚ほど頂いておく。

 これから慌ただしくなる涼芽家のために金は残しといてやろうと一度はカッコつけてみた俺。そんな俺でもこんな大金を見せつけられればちょっとくらいいいかな、なんて気持にもなるさ。


 落とさないよう懐にしまい、早速食事処へと爪先を戻す。

 なんでか香鈴もついてきた。


「まだ用か?」


「……あの……あ、ありがとう……」


 香鈴は動揺していた。

 やけに力の凝った頬を見なくても、手に取るように分かる。いくら望んだこととはいえ、こんな形で決着がつけば狼狽えもするだろう。


 結論を言えば、香鈴は涼芽家の当主となった。

 俺の断決一つですべて収まった。あの勝負、香鈴が勝ったと言えば雲桂も納得しないだろうし、かと言って雲桂の勝ちだとは判じづらい。だから俺は宣言した。「俺の勝ちだ」と。


 雲桂の太腿の傷はそもそも俺がつけたものだ。だからあながち間違ってもないだろう。というわけで俺は一瞬だけ当主の座を継ぎ、その場で香鈴を次期当主に任命してみせた。


 間違ったことをしたつもりはない。

 女だというだけで香鈴を家の影に追いやろうとする雲桂なんかより香鈴のほうがよっぽど屋敷の主に相応しいと、俺は感じている。


「礼なんざいらねえよ。見返りはしっかりもらったんだ」


 “姥山の古猿”の居場所さえ教えてもらえれば礼なんてどうでもよかった。情報欲しさに香鈴に贔屓した、なんてつもりもないのだし、あまり恩義を背負われると居心地が悪い。

 縁があればまた会うかもな、と告げて俺は去った。




 香鈴の屋敷から揚げ物屋への道中に銭湯がある。

 昨日俺が意味不明な王国人に絡まれた所だ。

 この辺りは風水上最悪なのかもしれない。その王国人にまた会ってしまった。

 向こうは俺に気づいていない。ヤツは、銭湯向かいの書店の本の表紙をぼうっと眺めているかと思えば、辺りを見回してから履物屋で足袋の匂いを嗅ぐなどして、店の主人に気味悪がられていた。

 王国の人間は皆ああなのか? 挙動不審にもほどがある。


「何なの、アレ」


「さあな」


 気になるなら訊いてくればいい。俺はゴメンだ。


「……なんでいんのお前」


 人の多いせいで香鈴の足音に気づけなかった。


「ずっとつけてた」


「だろうな。なんでついてくんだ?」


 問いながら俺はそこから離れた。香鈴を突き放すというよりは、あのヘンタイ王国人から逃れる意味合いのほうが大きかった。


「……忠告。あの人と相手するならせめて木刀で戦うことね。真剣なんか抜いてみなさいよ、名乗るヒマもなく頸椎砕かれるから」


「カッ。そんなに強いのかその古猿ってヤロウは」正しくは野郎ではないらしいが。「生憎サマ、木刀なんて持ってねえよ」


「買ってあげる」


 無視を決め込むことにした。香鈴だってこれから忙しい身だ。放っておけばすぐにでも帰っていくだろう。

 少し遠回りをし、路地を抜けるといつぞやの大通りに出た。

 一昼夜で瓦礫が片付くはずもなく、むしろ昨日と変わらない潰れた家屋は反支配の見せしめとして在らされているようでもあった。


 その木屑を、上の着物を着た見覚えのある男が眺め涎を垂らして佇んでいた。


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