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クロスロード  作者: δ
序章
1/14

あるライオンは死んだ

 その瞬間は刻々と迫りつつあった。

 とうとう堤防へ追い込まれたライオンは海原を背にして観衆を睨む。

 ほんの一時間前、動物園の檻を脱走したばかりの彼は、今や警察の構える麻酔銃を前にしてなす術もないありさまだった。

 銃の数5,6丁。絶体絶命と呼ぶにふさわしい。

 しかし彼は諦めてはいなかった。

 警官の一人が銃口を傾ける。それに合わせて彼は首を振る。


「人質なんて! 動物の分際で!」


 そう。ライオンは(さか)しくも人質を確保していた。

 この堤防で釣りをしていた中年の男だ。男の手首はライオンに噛み付かれたまま、振り解くこともかなわない。その男を体の正面に構えられているものだから、警官たちも手の施しようがなかった。

 ライオンの側面に回って横から銃を撃ち込もうと試みる者もいた。しかし敵もさるもの。誰かがその場から一歩でも動けば唸り、牙を剥き出しにして牽制するのだ。

 「動けばこの男を噛み殺す」と。


「どうする……?」


「長引けばどっちみち男性も危ないかもですね……」


 人質の二の腕からは、激しくはないものの血が滴っていた。

 すでに顔も青い。これ以上危険な状態に陥るならば、他に仕方のない。催眠ガスの使用も考えられた。


「やりますか?」


「……まだだ。許可を得る必要がある」


 環境中で催眠ガス、すなわち“毒ガス”を使うには、拳銃と同じく上部からの使用許可が下りねばならない。

 取り急ぎ要請している最中だが、あとどれくらいかかるだろう。


「くっそ……人間なめやがって!」


「おい。落ち着け」


「──おいこらボケライオン!!」


 痺れを切らした若い警官が銃越しに怒鳴った。

 ライオンに言葉は通じない。ただ無暗に刺激を与えることになるだけなのに、彼は苛立ちを抑えようともしなかった。


「てめえいつまでオッサン噛んでるつもりだ!? さっさと放せや! じゃねえとそいつ死ぬぞゴルァ!!」


「グルル……ゥウウゥウウウ……」


「そいつが死んだら、オレらはてめえを容赦なく撃ち殺す! もう諦めやがれ! てめえに選択肢はねえんだよ!!」


 しかし、この若い警官もうすうす感じていることがあった。

 ライオンは死にたがっている。

 このまま大人しく捕まってまた檻の中に閉じ込められるくらいなら、死んだ方がよっぽどマシ。

 ただ死ぬのではない。最後の最後まで抵抗して、人間に一矢報いて死を遂げるのだ。

 腕から血を流しているこの男は“人質”ではない。生贄だ。人に飼われ、服従を余儀なくされてきたライオンのせめてもの“慰み物”なのだ。

 彼の名は百獣の王。誉れ高き連鎖の頂点。

 王がどうして、銃を向けられたくらいで死を恐れることがあるだろうか。


「よせ。相手は動物だ」


 最も年嵩(としかさ)の警官が若者をたしなめる。

 老警官のその言葉。ライオンの耳に届いていたなら人質の命はもうない。怒り猛ったライオンに警官の一人や二人は殺されていたかもしれない。

 ライオンに人語が通じないのは彼らにとって幸いだった。

 そしてさらに幸いなことには、なんとそのライオンが呆けたように空を見上げたことだった。


「?」


 人どもも空を見る。獣に銃を撃ち込むまたとないチャンスなのに、あまりに突然のことにつられて上を向いてしまう。


「鳥……」


 雲の多くない日。空の青さを背景に、一匹の鳥が飛んでいるだけだ。

 鳥は高く、羽ばたきもせずに風に乗っている。

 皆が同時に異常を認めた。


「大きくないか……?」


 大きさだけではない。日本では、いや世界のどこを探してもこんな鳥は見つからない。

 全身を覆うのは朱色の羽毛。尾羽、風切羽、喉から胸にかけての羽に黄金の筋が入り、ちらちらと炎が燃えているようである。

 その尾羽が長い。頭から足までの長さはあろうかという三つ組の羽根が、鳥の軌跡を描くように伸びている。

 まさか。と全員が思った。

 幻なのか、錯覚なのか。あれはもしや“鳳凰”ではないか──


「──おい!」


 小さく声を上げたのは先の若い警官だった。

 仲間がハッとして見ると、彼はすでに麻酔銃を構えなおしている。

 ライオンはまだ鳥を眺めていた。

 照準を覗く。人質の体は避ける。

 引き金を引く。

 薬剤入りのやたらと大きな銃弾が飛び、ライオンの右目に突き刺さった。


「仕方ねェ! 目玉の一つや二つッ!」


 激痛に獣は吠える。興奮した警官は次なる銃弾を装填する。

 吠えた拍子に人質は解放された。若い警官は年長の警官に手を止められ、引き金から手を放した。


「もうよせ。終わった」


 ()()が麻酔銃である必要はなかった。

 眼窩を痛々しく抉られた獣は苦痛から逃れようと、本能的に後ずさる。

 彼の背後には──海。

 生贄を道連れにすることすらかなわなかった。命の権利すら人間に弄ばれる哀れなライオンは、最後の最後まで華のないまま、数年の一生に幕を閉じた。














 ツイてねぇ。クソが。

 自惚(うぬぼ)れで有名な飼育員が檻を開けに来たときは「しめた」と思った。あいつは、たとえ相手がどんな猛獣だろうとも自分にだけは心を許してくれると思い込んでいるクソ野郎だった。檻なんて開けっ放しで、動物相手に“カウンセリング”とやらを始めるほどに。

 ふつう、檻を開けるときは飼育員が二人一組でやってくる。ただあのときは、なぜかあいつ一人だけだった。

 何が目的だったのか知らないし、知りたくもない。

 どんな理由があろうと、俺はあいつを突き飛ばして開きっ放しの扉を飛び出すだけ。

 それから俺は自由になった。ほんの一瞬だが。


 最後はもう、どうあがいても“負け”だった。

 その辺のジジイを盾にしたはいいものの、ケーサツは退こうともしない。

 ジジイを放せば、俺はやられる。放さなくても、血を流しすぎて死んでしまえばどのみち俺はケーサツに撃たれる。

 だから、今こうして海の底に沈んでいくのは避けられない運命だった。

 悪いとすれば、誰でもない。単に“運が悪かった”せい。

 だと思ってる。

 思ってるが、


(なんだったんだ……あのでけェ鳥は)


 ()()に気を取られたせいで、俺は麻酔針を避けられなかった。

 あんなもの、動物園でも見たことがない。大きすぎる。

 ダチョウもあれくらい大きかったかもしれないが、奴は空を飛べない。

 人間たちも、あれには目を奪われていた。あいつらから見ても珍しいものだったんだろう。

 あんなやたらチャラチャラした鳥が、なんであんなタイミングで。


(く、そ……痛……ェ……)


 なんだろうと、どうでもいいことだった。

 じきに俺は死ぬんだから。

 海に落ちた衝撃で麻酔針は抜けていた。だが右目は完全に潰され、おまけに麻酔まで効いてきやがる。

 体温がどんどん下がっていく。

 今ではもう、周りの海水のほうが温かかった。









「────!?」


 気づくとそこは、海ではなかった。


「おお、産まれましたぞ!」


 目が開かない。麻酔が効いたように体がもどかしい。

 それでも意識だけは、徐々にはっきりしてきた。


「ハアッ……フウッ……」


 女の荒い息遣い。

 なにか大きな手のようなものが俺を包んでいる。

 俺はお湯の中に浸かっているようだった。


「なかなか泣かんな……」


 俺は裸なのか?

 いやもちろん、ライオンならふつう服なんて着ていない。

 しかし、どうもおかしい。肌の感覚から察するに、どうやら俺は毛皮すらなくしている。

 いったい何が起こった。

 何とかして自分の体を見ようと悪戦苦闘しているうちに、どうにか瞼を開くことができた。


「おっ、目が」


 目に飛び込んできたのは、間近に迫った人間の顔面だった。


「ウっ! うぎゃあああああああぁぁあ!!」


「ぬうおっ!?」


 寄んな! 離れろ! ンの白ヒゲじじい!


「ウオッ! オッ! オギャアアアアアアアア!!!」


「なんと豪快な……将来が楽しみじゃ」


 なにワケわかんねぇこと言ってやがる!

 ああ……なんでだ! なにを言ってもサルみてぇな声しか出ねえ!


「体格は並じゃが、すさまじい気概だの。ホッホッホ」


 見えるもの全てが自分に比べて大きかった。

 俺が浸かっているこの箱。「湯船」という奴だろうか。動物園で見たことがある。

 産まれたての子供を洗うものだ。

 毛の一本もない体。イカレたサルみてえな鳴き声。

 まさかと思うが。

 もしや俺は人間に──俺が最も憎む“ヒト”というやつに


 生まれ変わってしまったのだろうか。


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