獣苑
昔誕生日に妹がハンバーグを作ってくれると言った事がありました。
嬉しかったし、普通に満面の笑みでした。……タネが顔面に飛んでくるまでは。
苦手な人は投げて空気抜くの止めよう。危ないから。
<獣苑>は正確には国ではない。
<ベスティア草原>で遊牧民として生活する獣人達の集落だ。
四季に合わせて1年に4度移動する為、時期によっては登録していた場所とは違う地点に転送される可能性が高い。
その為<獣苑>を選ぶプレイヤーは他のプレイヤーと比べて非常に面倒を強いられるだろう。
ログイン初日に強モブ地帯、採取に行けば目的の物が見つからないのはざらにある。おまけにお金の概念はあるが基本は物々交換だ。稼ぎたい場合、年に何度か訪れる隊商と交渉が必要となる。ちなみに交渉時に注意しなければいけないのは、事前に情報板で相場を調べる事だ。割とぼったくられる。
ただまあ、この土地を選ぶ利点はちゃんと存在する。
この土地に来た場合、集落の一員として認められる為包──テントのような物が入手できる。これはアイテムの中でも特殊な分類で、アイテム枠を消費しない。所謂大事な物欄に収納される感じだろう。
建てるまでに慣れがいる代わりに、慣れれば個人の家が簡単に入手できるというのは大きな利点だ。高い金を払う必要もなく、土地代も必要がない。ただ通常のテントと違って安全地帯にはならないので注意が必要だ。
また、<獣苑>のNPCは非常に強く、騎獣に跨り魔物を蹂躙する姿が頻繁に見られる。その為安全とは言い難い包での生活も、基本的に安全に生活が出来ると言える。──まあ、利点と言えるかは微妙かもしれないが。
何より獣人達は非常にいい奴ぞろいだ。最初、ルールを理解するまでは少しばかり気難しく感じるかもしれないが、中身はとことん真っ直ぐな輩ばかりで、とても付き合いやすいのが好印象だ。
最後に上記を踏まえた上で初期の国で<獣苑>を選択した者は、先ず村長の<イリ・ガル>に相談する事を進める。──その場での暮すつもりがあるのなら、これは非常に重要な行為である。というか、本当に行こうね。場合によっては詰むから。
<編集者/獣苑在住サムライにゃんこ>
◆
魔法陣の光が収まる。同時に取り戻した視界に映るのは辺り一面草の海だ。
大草原、とでも言えばいいのか。向こう側に見える山々の麓まで綺麗な緑一色。
なんというか、モンゴル? 昔見た写真もこんな光景があった気がする。
視線を少し逸らすと無数のテント、……いや、包? があるのもそれっぽい。
ただ、決定的に違う点も存在する。──全員、ケモミミシッポ標準装備なのだ。
例えば真正面から見てやや右で肉を串に刺している初老の男性は猫耳だ。その隣で肉を食べている子供はリスか鼠。肉をぶっとい杭に刺して回転させて焼いている女性に至ってはオオカミである。
それ以外にもウサギ、馬、狸に狐。イタチらしき輩もいれば、まさかのライオン丸まで降臨している。──結論、天国である。二足歩行さえしてなければ命の保証があるこの世界では真っ先に抱き着いて撫でまわしているレベル。
まあ、正直かなり興奮気味です。普段こんなにモフモフが周囲にいる事ないので。
周囲の人々は全員が獣人。なのでいつかモフモフしたいと思いつつ、冷静になろうと必死に卵を抱き締める。──この卵、ほんのり温かくすべすべとしているので非常に抱き心地がいい。難点を上げるならすべすべ過ぎて若干持ちにくい事かな?
そんな巨大卵を抱えていると、やっぱり目立つのだろう。
周囲の人々はこちらをチラ見しながら作業を行っている。声を掛けようにも警戒心が強く、喋ろうとするとスッと何処かへと移動してしまう。
避けられているせいでどうしていいかも分からず、会話も出来ない。
これは困ったと卵を抱えながら、内心で頭を抱えていると、不意に真っ直ぐにこちらに向かってくる男性がいた。
擦り切れた革のベストに、茶色ズボンを着た虎耳の青年だ。
目付きの悪さと、腰に差した大振りのナイフに思わず一歩下がりそうになってしまう程の迫力を感じる。
そんな青年は、まるで私なんて見えていないかのように真横を通り過ぎて、
「真正面右奥の包に行け。敬語は使うな、忘れるなよ」
──小さいのにとても力強い言葉を呟いた。
思わず背後を振り向くと、その青年は人の隙間に消えていくところだった。
先程の言葉を思い出し、意味を考える。もしかしたら、というよりも間違いなくアドバイスだろう。
真正面から見て右奥の包、と言うとあの小さな包だろうか? 人が生活するには小さい気がする。何か物か何かが収納されているのかな?
歩き出すと同時に周囲の視線はより厳しくなる。まるで私の一挙手一投足全てが監視されているかのよう。……現実なら正直耐えられたか分からないけど、此処はゲームの世界だ。周囲がモフモフなのも受け流せる要因となった。可愛いは正義だ。異論は認めても反論は許さない。そしてモフモフは可愛い。これは世界の真理だ。異論すら認めない。
そんな事を考えながら包の前へと移動する。上にあげて入るタイプのようで、中からは僅かに煙が漏れている。煙草の様な煙ではなく、どちらかと言えば香の様な匂いで、不思議と気持ちが落ち着く気がする。
「失礼する」
普段なら使わない様な硬い言葉を吐きながら、私は包の中に入る。
そこにいたのは背中が丸まった老人だ。服装も、雰囲気も全てが草臥れた狼男。
けれど灰色の瞳はギラギラとしていて、少しばかり肝が冷える。──兎だからか?
その老人は、私を一瞥すると顎に手を当てる。……あ、狼爪がある。
肉球も見えるのでちょっとぷにぷにさせて貰えませんか? 大丈夫、ちょっとだから、延長が暫く発生するだけでちょっとだから。
思わず思考が逸れる私に、至極真面目な表情のまま老いた狼は笑いかける。
「獣苑長イリ・ガルと言う。──ようこそ新たな子」
どうやら目の前にいる狼さんはこの獣苑の長らしい。
子、というのは獣苑に来たプレイヤーを差す言葉だろうか?
ともかく受け入れてくれたらしいと言うのが分かったので、私は卵越しに笑みを浮かべる。
「アルだ、──よろしく長」
先程同様なぶっきらぼうな言葉を言いながら本当にこんな態度でいいのかと疑問を持つ。
普通に考えて、目上に敬語を使わないのは問題だと思うのだけど、獣人間だと問題が無いのだろうか。──長がなんとも嬉しそうな笑みを浮かべているので、多分問題ないんだろうと開き直った。
挨拶が終わった後、長に言われたのは指南役<ルル・バル>という獣人の下に行くべきだと言われた。
指南役のルル・バルは獣人族の中でも英雄と言われる存在らしく、現在はプレイヤーとNPCに対して戦闘指南を行っているらしい。彼女の凄い所は全ての職業に精通している処だと長が言っていたので正直少し楽しみだ。
ただパートナーと過ごしたいが為だけに選んだチェイサーがどんな職業なのか、実は少しだけ愉しみだったりする。概要はなんとなく分かっているが、それがどんな職業なのか、正しく理解できているとは思わない。
間違いなく戦闘補助に特化した職業だろう。少なくとも戦闘補助型とわざわざ注意書きまで書かれていた程なのだから。私が希望するのは特化型だ。凡庸性に満ちたオールラウンドな性能なんていらない。ただただ一点突破の特化型だと嬉しい。そういう方が面倒じゃないから。仕事もゲームも、出来る事やる事が明白な方がやり易いものだ。
「楽しみだな」
──ぶるりと。
僅かな動きを見せた卵に、思わず苦笑が漏れた。
まるで返事をしてくれたみたいだと。……早く、産まれて欲しいな。
【獣苑】裏設定
獣苑ルールその一
移住した者は真っ先に長に挨拶するべし。守らなければ無視されます。
獣苑ルールその二
敬語は使わない。敬意は態度で示す物であり、語る必要がない為。
獣苑ルールその三
仲間は裏切らない。裏切り者には死の制裁を。