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五月雨

作者: 藤原 祐一

 それは晴れた日、ふわふわした白い雲が日差しを遮ってつくってくれた影を追いかけるように私は歩いていた。息を切らしながらも、スカートが地面に擦らないように気をつけながら坂を下りきり、そこにあるのは使われなくなって放置されていたバス停。

 日差し兼雨除けの屋根の下にベンチがある。わきに置かれた標識の根元にはコンクリートが重りとして固められていてびくともしなさそうだった。標識の頭を見上げると、円状の板が一面の赤に染められていて、中に一本の白い横棒が入っていた。辺りに広がるアルファルトの地面は手入れが全くされておらず、あちこちがひび割れ、そこから細く背の長い雑草が自由に生え伸びていた。


 寂れきったその場所で男の人がA5サイズの本を読んでいた。

 私が駆け足で近づくと顔を上げて私を見た。かつて見た人だった。

「それ、どう?」

 と、私はぱらぱらと手を振りながら話しかけた。

「私が書いたの」

「久しぶり。――そうなんだ」

 彼は手の中の本に視線を落とし、指をわずかに表紙になぞらせて、本を閉じた。

「良かったよ」

「そっか」

 私は彼の隣に腰かけた。持っていた鞄を横に置く。読んでいる本や、読んだことのある本や、まだ読んだことのない本を詰め込んだ鞄は重くて、ずっと持っているのは大変だったから。


 しばらく二人でぽつぽつととりとめのない話をして、そのあと無言になった。二人の時間と空の雲だけが過ぎていく。私は心地よく感じていた。

 私はここにいられるという、それだけでうれしくて、なにも言葉が無くても満たされていくようだった。

 そんな気持ちを噛みしめつつ、私と彼のことを思い返したり考えたりして、私の視線は空へ向けていた。空の奥の、奥のおく。どこまでも続いていて、辿りつくことのない。そうあって欲しいと願う。ずっと考えて、ここにいられるのなら。


 不意に、ざーっと雨が降り始めた。地面を跳ねる水滴の音、体を優しく包み込むような寒気。ときおり斜めに落ちる雨は雨避けを越えて私の顔を濡らす。

「ごめんなさい、雨が……」

「また泣いてる」

 鞄の中、文庫本の四隅を折りつけ折りたたみ傘を探っていた私の手が止まる。

「前会った時も――最初に会った時も泣いてたよね」

「え?」

「泣き虫」

 そう言って彼は苦笑し、私から視線を逸らし前を向いた。


 頬に手を添えると、しとしとと濡れていた。うつむくと、ぽたぽたと落ちる涙。

 慌てて拭った。拭うと、雨は降り止んでいた。


「何か話したいことがあったらさ」

 男の人が手の中で空き缶を弄びながら言う。ぽつりとその空き缶に目を走らせ羨ましく思い、ふと自分が何をしたかったのかに気づき、慌てた心を落ち着かせるように口元に手をやった。

「言ってみなよ。聞いてあげる」

 再び視界が滲んだ。わあっと降り出した雨は私の心に染み込んでいくようだった。

 拭って、拭って、私は口を開く。

「あのね、私は――」



――パタン、と本を閉じた。

 青い大きなバスがバス停に入ってきた。本を閉じて立ち上がり、スカートのほこりを払った。最近塗り替えられたえんじ色のベンチは座り心地がよくて、ついつい夢中になって読み進めてしまう。電子定期券を食べたうさぎのパスケースをスタンプして、乗り込む。

 次の停留所は坂の上の図書館の入り口前、終点となる。歩くには骨が折れるからバスを使うのだが、そもそもそこまでして図書館に行く人はほとんどいないようで、この区間は私専用みたいになっていた。当然、バス停でも他の人を見たことはない。でも。

 一番後ろの一番端の席に座った。膝の上に鞄を置いて、手に持ちっぱなしだった本をしまう。しまうときに表紙を指でなぞってみた。

 座席から見た空は確かに綺麗な青空で、窓ガラスに映り込んだ私は確かに笑っていた。


最近晴れが続いているので書きました。

関連作『雨宿』『雨上り』『雨籠り』

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