先輩紹介パート
「今度は何ですか、先輩?タコ焼きですか?それとも鯛焼きですか?」
「今日は甘いもの食べたいからな…………クレープだな」
彰人は、やっとのことで、校門を出たところで、先輩に後輩を絞め殺そうとしていることを気付かせることに成功して、解放され、並んで歩いている。
「クレープですか…………。勿論駅前のですよね?」
彰人は諦めを滲ませた声音で訊いた。
「ん?他にクレープ屋があるのか?」
「ないですけど…………いつでも女子で溢れているクレープ屋ですよね?」
「そうだが、何か問題があるのか?」
「…………大ありですね」
まともに取り合ってくれない神崎に彰人は呆れ顔を隠せない。
「そんな店に放課後という、女子学生が一番集まりそうな時間に、先輩と二人でいるのはまずいと思うんですけど」
「どういう意味だ?私と食べるのが嫌なのか?」
先程までとは打って変わって薫は不安の色を浮かべた。
「そういう意味ではないんですけど」
「実はずっと前から私に嫌々ながら付き合っていたのか?そんなひどいことを私はしていたのか?」
彰人の言葉が耳に入っていないようで、薫は更に塞ぎ込んだ。
「いや、だからそういう意味ではないですよ!」
それを必死に彰人は宥(?)めているが、彰人が先輩を宥める画は決して珍しくはない。
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薫は見た目や性格とは裏腹にマイナス思考だったりするのだ。特に人と接しているときは、かなりその傾向がある。
その原因は、人と接することが極端に少ない環境で育ったからで、更にそれは、薫の生まれた家庭の環境が普通ではなかったからだった。
その普通ではない家庭というのが、その名前を知らぬ者は日本にはいないと言わしめる知る人ぞ知るこの一帯を縄張りにしていた暴力団、神崎組を一代で築いた元組長、神崎徹が父であるという家庭だった。
彰人にしてみれば、普通でないどころか、末恐ろしい家庭だった。
その暴力団は、昔犯罪ぎりぎりなんて飛び越えて犯罪どっぷりのことをしていたが、今では時代の流れとともに、その暴力団の営業形態が変わり、というか角が取れて、健全(?)なものとなった。そして日本有数の暴力団は合わせれば売り上げが日本一位二位を争う、土木から金融まで一手に引き受ける企業集団、神崎グループに様変わりしたのだ。それは、元々からどこから手に入れたのかわからない莫大な資金源のおかげだった。
それでもやはり、組長時代の数知れない武勇伝のおかげで徹から残忍な元組長という肩書がなくなるわけでもなかった。
そして、その元組長の娘という肩書も薫から消せるわけではなかった。
薫は父とその遺伝をしっかり受け継いでいるような顔立ちで恐れられ、彼女に近づく者は少なかった。近づくとすれば、組長の顔色を見る企業の者などばかりだった。
そんな彼女には当然ながら友達などできたことがなかった。
幼いうちはそのことで人知れず泣いていたが、高校生になってからそれでも構わないと思い始めたのだ。
父を責めたりはしなかった。
父が嫌いではないからだ。いや、好きと言ってもよかった。
徹は妻と娘の薫にだけはとても優しかった。家族と仕事、というか暴力団での顔を使い分けていたのである。
そんな徹は娘を暴力団から遠ざけていた節があったが、彼女は、頭のネジが一本抜けている父の部下に父の所業をすべて聞き出して知っていた。それにも拘わらず、彼女は父を嫌いになったりしなかった。
それ程にまで父が好きだったのだ――勿論娘としてだが。
だから、徹の娘であることで、孤独であることに文句などなかったのだ。
彰人と出会うまでは。
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薫が初めて彰人と会うのは校舎裏の人気のないところで、彼女が二年生のときだった。
「おい!金持ってんだろ!」
「持ってないですって」
「ああん!隠してんだろ!出せ!」
立入禁止のはずの屋上で何かをするわけでもなく、屋上を囲うように設置されているフェンスにもたれ掛かりながら雲を眺めていると、耳障りな声が耳に入ったのである。
ふと下を、つまり校舎裏に目を遣ると、見るからにひ弱そうな男子高校生が、見るからに柄の悪い男子高校生二人にカツ上げされているのが目に入ったのである。
自分に関係のないことだからほって置いてもよかったが、見て見ぬ振りをするのも目覚めが悪い。
ただ、それだけの理由だった。
「おい!お前等、何してんだ!」
鶴の一声だった。
薫の声に見上げた不良二人が神崎を目にすると、驚愕に目を見開くと同時にあたふたと逃げ出したのだった。
「おい、大丈夫か?怪我はあるか?一年生みたいだが」
「だ、大丈夫です。おかげで、助かりました。ありがとうございます」
男子高校生は俯きながらも屋上にまで聞こえる声で言った。
それなら上を向いて言えばいいし、感謝するときは面と向かってするものだろう、と思うが、自分が元組長の娘だと知ってのことだろうと思い、こんな扱いには慣れたとばかりに、薫は仕方ないと割り切った。
「そうか、それはよかった。このこと、先生に言った方がいいか?」
「あっ、いえ、それほどには及びません。それよりも、先輩……」
「うん?……なんだ」
言いにくそうに言い淀む男子高校生に疑念を抱いた薫だったが、次の瞬間その疑念は納得と驚愕に粉砕された。
「し、下着が見えていますけどいいんですか?」
「……………………」
「先輩?」
「お、お前、私がそこに行くまでどこにも行くなよ。行けば、どうなるかわかるな」
「は、はひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
このとき、男子高校生こと彰人は、薫の声が地獄の怨嗟の声に聞こえたのだと言う。
この後、彼は、本当に見えていたのかとか、何故か何色だったのかとかを平和的に尋問された揚句に卒業まで扱き使わされることまで約束される。
このことは二人だけの秘密ではあるが。
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こんなことがあって彰人はこうして、女子だらけのクレープ店に神崎と一緒に入店したのだった。
「先輩は気にならないんですか?」
彰人は目の前でクレープをがつがつ食べている薫を見ながら言った。
別に彼が薫を見詰めているわけではない。
とある理由で、目を彼女から離せないのだ。
「何がだ?」
薫は手を休めることなく、訊き返した。
その訊き返したことは、彰人が敢えて伏せたものだった。
その伏せた理由というのが、店内に溢れ返る女子学生に聞かれたくない言葉だったからだ。
「視線ですよ」
彰人は、周りに聞こえないように少し語気を弱めて言った。
彼と薫が位置するのは、それほど広くない店内の中央辺りで、周りを色々な制服を着た女子学生が犇めいていた。
勿論、男子学生や、子供連れの主婦、OLの姿もあったが、女子学生の人数に比べれば、微々たるものだった。
その女子学生の視線が何故か、二人に集まっていたのだ。
薫の顔は広く知られていて、その薫が男と二人で向き合ってクレープを食べているというのが、彼女達にとっては面白い話のネタになるのだろう。
芸能人の色恋沙汰にニュースになるのも頷ける光景だった。
その女子学生と視線を合わせないために、彼は視線を薫から離すことができなかったのだ。
それと、彼がクレープ店に行くことを渋ったのはこれが原因だ。
「気にならないな。もう、慣れた――」
しかし、薫は、彰人が語気を弱めたのに対し、語気を強めて、言った。
「――だが、慣れたからと言って、不愉快な気持ちにならないというわけではない。まるで、動物園の動物にされているようで気にならなくとも、気に食わないな」
そう言うと、薫は周りをおもむろに見回した。
その薫と視線が合ったのか、先程まで面白がるようにクスクス笑っていた女子学生の中に慌てて目を逸らしたり、伏せたりするものが数人窺えた。その誰もが顔を青くさせている。
そんな人の数が増えるにつれて、店内の喧騒は鳴りを潜めていった。
「これでいいか?」
一回り見回した後、薫は彰人に向き直って訊いた。
店内はすっかり水を打ったように静まり返っていた。
調理室からさえ音が上がらない。
そんな静寂の中、
「あっ、いや。俺は全然気になっていなかったんですけど、先輩はどうかなと思っただけです」
「そういうことなら私は気にしないからこれからは言わなくていい」
「はい、わかりました」
と、二人が言葉を交わし、近況や実のない話に花を咲かせながら食べ始めた。
それに釣られるように、時が止まったように静寂に支配されていた店内の時間が流れ始めて、喧騒も戻ってきた。