主人公と優等生の密会パートⅡ
翌日、四月二十九日日曜日。
時間は午前の七時。
場所は山の中のとある豪邸の前。
いるのは、桐塚彰人(十七歳)。
(琉璃と千鶴に気付かれないように)自宅から最寄りの駅に行き、数駅の間、時間で三十分間電車に揺らされ、更に乗り継いだバスで二十分揺らされ、更にバスを降りてから山の中を歩くこと五分、彼は鋼鉄製の重厚な鉄格子の門の前で豪邸の迫力に圧倒されていた。
バスが山道に入ったところで、『栞の家はもしかして豪邸?』という考えが浮かび、更にバスがどんどんと山を登っていくうちにどんな光景が目に入っても驚かないと心構えをしていたが、果たして圧倒されて言葉を失っていた。
栞の家は、そう、豪邸だった。
更に彰人の想像を遥かに越える絢爛さと大きさを誇っていて、中世の建築のようにすべての壁は染みのない純白で、細やかな彫刻が施されていた。
「御迎えが遅くなりまして、申し訳ありません」
門の前で呆然としている彰人に向かって、いつとなく現れた燕尾服を纏った執事らしき老齢の男が浅く頭を下げながら言った。
しかし、彰人はただ門の前で突っ立っていただけで、誰も呼び出していないのだから、老齢の男には謝る義務はなかった。
だが、恰好から男が執事であることは明らかで、これが執事の礼儀作法なのだろう。
彰人は彼が執事であるとわかると、これは本物だと心の中で呟き、いよいよ覚悟を決めないといけないと、まだ見ぬ世界に少し浮き立つ心を押さえて思った。
これから目にするほぼ全ての物事は自分の物差しでは到底量られない驚愕に値するものばかりだ。
「あ、いえ」
豪邸の迫力に圧倒されていた彰人にとってそれは唐突な出現だったが、彰人は驚きを表に出すことなく至って冷静に答えた。
「あなたが桐塚彰人でございますか?」
「はい」
「そうでありましたか。栞お嬢様が御待ちでございます。こちらから御入りください」
老齢の男はそう言って、門の隣にある来客用の小さな門を開けた。
その門も鋼鉄製のようで小さいとは言うものの、それなりの力が必要とされそうなものだが、老齢の男によってあっさりと開いた。
彰人はその門をくぐると、その先で彼を待って歩き出した老齢の男の後を歩いた。
「自己紹介が遅れました。私は三嶋家に仕えさせていただいております、齋苑寺と申します。御用があれば、御申し付けください」
老齢の一度足を止めてから振り向くと、
「わかりました。で、齋苑寺さん、こんな恰好で入っていいんですかね?三嶋さんがこんな立派な豪邸に住んでいるなんて知らなかったもので」
彰人は自分が着ている普段着――つまり、パーカーにTシャツにジーンズ――に目を落として訊いた。
「別に構いません。ドレスコードなどないので、常識の範囲内であればどのような服装をしていても咎めたり致しません」
「そうですか、安心しました。」
と、だけ言葉を交わすと、以降二人は閉口して歩いた。
玄映画でよく見る豪邸のように不必要に大きい木製の玄関を通り抜けると、そこには不必要に広いロビーのような空間が広がっていた。
彰人はロビーらしき空間に入るときに土足のままでもいいことに、関心していると、栞を呼んでくるからと言われ、見るからに高額とわかる革のソファを勧められた。
齋苑寺は彰人に礼をすると、玄関を入って右に見える廊下の奥へと消えた。
そして、消えてから二分もせずに、
「早かったわね」
上からな口調の澄んだ声が廊下からこだました。
「まあな」
彰人は声のした方を向いて、挨拶がわりに言った。
彰人の向いた方には目の下に隈のない全快の栞がいた。
薄いピンクのパーカーにショートパンツというシンプルな出で立ちだった。
彰人の至極カジュアルな服装が許されるのも頷けるのだった。
「こっちよ」
栞は挨拶も無しに――まあ、あの一言が挨拶のつもりなのだろう――それだけ言うと、踵を返して、歩き出した。
その後を彰人は文句を言わず追った。
「ここよ」
角を数回曲がったところで、栞は足を止め、言った。
立ち止まった栞の前には廊下に並んでいた木製の扉と全く同じで、見分けがつかなかった。
これは絶対に迷うと確信した彰人は部屋をなるべく離れないことを心に誓った。
彰人は、扉を開けて入っていく栞に続いた。
中は一戸建ての壁を取っ払ったような広さで、扉を開けて対面する奥の壁には、大きなガラス戸があり、バルコニーに通じているようだった。
そして、そのガラス戸とその両隣りにある窓からの朝日が差すところに雲のようにふかふかそうなキングサイズで漫画でもよく見るような薄い垂れ幕が下ろされているベッドが鎮座している。
他には見てすぐにハイスペだとわかるコンピューターが隅にあったり、壁一面に本棚が並んでいて、ほとんどが本で埋まっていた。
そして、その一つの本棚の全てがラノベだった。
「おい、お前。これは一体なんだ?」
彰人は自身の常識を捨てて、心構えをしたつもりだった。
そして、その通り、自室とは比べものにならないほどの栞の部屋の広さやキングサイズのベッドも「まあ、こんなもんだろ」と思い、驚きを微塵も見せなかった。
しかし、入ってすぐに目に入ったラノベで埋め尽くされている本棚は二度見を禁じ得なかった。
ラノベを読み漁っていた彰人だからこそ背表紙から全ての本がラノベだとすぐに気付いたのだ。
「ライトノベルよ」
済ました顔で偉ぶるわけでもなく、栞は平然と言った。
それが、栞の財力の底知れなさを物語っていた。
「わかってるから訊いてんだ。どんぐらいあるんだ?」
「さあ、知らないわ。数えたことも、しようと思ったこともないもの。ただ、有名所を全部集めてからは新刊が出たら取り敢えず買っているわ」
「…………本当かよ。ていうか、お前、いつから読んでるんだ?ていうか、何で読んでるんだ?」
本の背表紙にざっと目を通しながら、彰人は抱いた疑問をそのまま口にした。
「いつからだったかは忘れたわ。ただ、たまたま店頭で手に取って読んだら気に入っただけよ。それより、早く始めましょう」
栞は大量の本などどうでもいいと言うかのように背を向けると、部屋の中央にある彰人家の食卓と同じ大きさの机に向かった。その机も、鏡のように日光を全反射させていて、四隅の角は精緻な細工が施されている。
「ふ~ん」
特に知りたかったことでもなかったため、彼はそれ以上訊かず、
「へいへい」
と言って栞の向かいの席についた。
「返事は、はいよ」
彰人が椅子に座るが早いか、有無を言わさぬような口調で言った。
ここで、彰人は何故こうもしつこく言葉遣いを正してくるか理解した。
栞はきっと英才教育というものを受けていて、この豪邸に住むに値する者に教育された――が、学校ではその英才教育で育まれた口調や振る舞いは孤立の原因となったということなのだろう。
そう思うと、彰人は、表には出さないが、同情を禁じ得なかった。
「せめて、へい、で許してくれ」
だから、出来るかぎりのことはしようと気まぐれに思った。
「いいわよ。あなたに、はい、と言われるのは気味が悪いわ」
「なら、初めから言うな」
「煩いわね、ばらされたいのかしら?」
「ぐぬっ…………わかった。俺が悪かった」
「素直でよろしい」
栞は彰人の扱い方を理解したことに満足そうにしながら、部屋の隅のコンピューターの方へ歩いていった。
流石と言うべきか、コンピューターは前もって起動してあったかのように即座に立ち上がり、栞はそのコンピューターの前で流れるような手際でマウスを動かし、目的の原稿を印刷して、机に戻ってきた。
「では、今度こそ始めましょう」
栞はその原稿を彰人の前に置くと、ニッコリと中身の伴っていない笑顔を浮かべた。
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以降は二人でああだこうだ言いながら、進めていた。
応募まで時間があるので、前から添削をしていたのだった。
対立したり、口論をしたにも拘わらず、原稿代わりの白紙は淀みなく文字で埋め尽くされていった。
そして、その文字の早さと同じ早さで時間も二人の間を駆け抜けるように過ぎていった。
「休憩にしましょう」
彰人の腹部から空腹を訴える音が聞こえると同時に、栞が言った。
「もうこんな時間かよ」
午前八時を指していたはずの時計が二時を指していることに、見ていない間に高速で回転していたのではないかと有り得ないことを考えながら、呆気に取られていた。
「今日のデザートは何かしら?」
栞は誰にともなく言った。
「はっ。トライフルにございます」
彰人がそれを不審に思うより早く、扉の向こうから声がした。声からその主が齋苑寺だと安易にわかった。
「そう。持ってきてちょうだい」
「はっ、了解しました」
という言葉とともに、扉の前から齋苑寺の気配がすっと消えた。
「もしてかして、ずっとあそこにいたのか?」
彰人が驚き混じりに訊いた。
「そんなわけがないでしょ。私専属の執事ではないのだから。ただ、必要なときに必ずいるわね」
「…………忍者かよ。それに、何だよ、とらい…………何だ?」
「トライフルよ」
言葉に詰まる彰人を呆れたように見ながら栞が言った。
「トライフルはイギリスのデザートで、シェリー酒を染み込ませたスポンジケーキとジャム、カスタードクリーム、生クリーム、果物、ナッツを重ねたものよ。ここでは、カスタードクリームの代わりに果物を使ったゼリーなのよ」
どこか誇らしげに言う栞にトライフルが何なのか知らない彰人はどう対応すればいいかよくわからず、
「ふーん。ていうか、トイレに行きたいんだが」
と、切り出した。
「お手洗いなら部屋を出て、右に進んで、突当たりで左に曲がれば、少し進んだところにあるわ」
栞はその彰人の切り出しに少し不機嫌になったようだが、素直にお手洗いの道順を教えた。
「どうも」
彰人は礼を言うと、席を立ち、部屋を出た。
栞の言った道に沿って、突当たりに来たところで、
「ん?」
角から顔を出して手招きする男が目に入った。
「こっち、こっち」
「はぁ?」
彰人はその男に不審の念を覚えながら、近づいた。
角を曲がったところで、その男の全貌が見えた。
年齢は三十代前半だろうか。
その男は、線が細く、輪郭も尖ったところがなく、目は満ち満ちている慈愛を閉じ込めるように細められていた。
しかし、男の着ている服装はこの場にそぐわないものだった。
上はよれよれの白のTシャツに、下はボロボロのスキニージーンズという人によれば、浮浪者にさえ見える服装だった。
「何でしょうか?」
そんな男の服装に気後れしながら、彰人は訊いた。
「君が栞が連れ込んだという人物だね」
男はそう言うと、真っすぐ彰人の目を見据えた。その目はまるで彰人の目から彼の過去や人となりを読み取っているかのようだった。
「うん、変な虫が付いたのではないかと思ったけど、心配ないようだ」
しばらくして、沈黙を守っていた男は晴れやかな笑顔とともに言った。
「えーっと、誤解されているようですが、俺は三嶋さんとはそういった関係ではないんですが」
「ん?そういった関係とは一体どういった関係なのかな?」
男はにやけ顔で言った。
「いや、ただあなたが想像しているような関係ではないということです」
しかし、彰人は男の思惑とは裏腹に、戸惑うこともあわてふためくこともなく、言った。
「ふむ……私の早合点だったかな?ちなみにだけど、私も三嶋なんだよね」
男は至って平静な彰人を観察するように見てから言った。
「あ、そうだったんですか。栞の…………兄ですか?」
彰人は目の前の男を、男がしたように観察するように見てから言った。
「――――」
その彰人の言葉に男はほんの一瞬――だが、誰でも不審に思うだろう程の時間――固まって、
「いや、違うよ。頼りなく見えてもお父さんだよ、一応。もうすぐで五十歳だし。後、名前は三嶋武彦という」
と、何事もなかったように自己紹介をした。
「これは失礼しました。お父さんでしたか。若く見えたものですから。で、その栞のお父さんが俺に何の用です?」
もちろん彰人はその一瞬の硬直に気付いていて、疑問も抱いたが、特に気にならないので、触れずに話を進めた。
「ああっ、そうだった。すまないね、時間を取らせて、ただ、話がしたかったんだ、栞のことでね」
「三嶋さんのことですか?」
「そうだよ。ところで、君、というのは失礼かな?彰人君、だったね?」
「はい」
「そうか、よかった。栞から訊いたんだよ。それで、彰人君、君は栞はどう見えるかな?」
武彦は試すような眼差しを訊いた。
「う~ん、そうですねー、猫かぶり高慢優等生ですかね」
彰人は考えるふりをして、前々から思っていたことを言った。
「………………ふふっ、ははははははははっ、す、すまないね、はははははははっ、まさかそんなことを、い、言うなんて思わなくて、ごほっごほっ」
男は細めていた目を大きく見開いていたが、吹き出すようにして笑い出した。
そして、ついにはむせて咳込んだ。
「彰人ははっきりものを言うんだね」
武彦は目に溜めた涙を拭いながら言った。
「いや、それほどでもないです」
「うん、褒めたつもりはないけど、彰人君の言う通かもしれない。唐突で脈絡がないかもしれないけど、昔話をしてもいいかな?」
「どうぞ」
という彰人の返事に、
「すまないね」
と、言って回想するためか、一度間を置いて、武彦は話しはじめた。
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「まだ私の妻が中間管理職で、今のような暮らしをしていなかった時、私たちは妻の転勤で、海外を転々としていた。
「ん?ああ、そうだよ。私の妻はヨーロッパの人で、どこの国の出身だったかは忘れたけどね、ていうか学がないからヨーロッパにどんな国があるのかさえわからないけど、一目見て惚れたんだ――ってかなり脱線してしまったね。
「まあ、私は無名の絵描きで、儲けなんて全然なくて、妻がこの家の大黒柱なんだけど、それは置いといて、転校の多かった栞は学校に馴染むことはできなかった。
「だけど、私たちはそれを重く考えなかった。また転校した先で友達を作ればいいと。
「それが、すべての始めりだったと思う。
「学校から電話があったんだ。栞がいじめられているというね。
「最初は信じられなくて耳を疑ったものだよ。家では全くそんなことを口にしなかったから、って言っても言い訳だね。栞は私たちに心配させまいとただ溜め込んでいたんだ。
「それで、私たちは栞を再び転校させた。今になってこの時の自分を殴りたいけれど、これがこの時の私たちにできることだった。何もかもが手遅れだった。
「それから数年後に最後の転勤で、日本に来て、妻が逆に辞令を下す側になったときに、この数年何事もなく学生生活を送れているようだったけど、心配でね、栞の授業参観があって、出ることにしたんだよ。
「私はその時の栞を見て驚いたよ。家では澄ました感じで、少し高慢な栞が、周りに愛想を振り撒く謙虚な優等生だった。
「それはまるで自分を守るために仮面を被っているようだったよ。
「この時まで何事もなく学生生活を送っていたのはこのおかげ――いや、この所為だったんだってわかったんだ。
「私は自分の犯した大きな過ちに気付いたけど、時既に遅しだった。
「だけどね、何をすればいいかわからなくて、ずっと困り果てていたらね、ある日栞が何も言わずに部屋に駆け込んだと思ったら、パソコンに向かって何かを読み始めたんだよ。仇のように画面を睨めつけているものだからどうしたのかと思ったけれど、
「こういうことだったんだね――
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武彦は彰人に笑顔を浮かべると、言った。
「こういうこととはどういうことですか?」
「栞が生き生きしているんだよ。昨日なんて訊いてもいないのに栞から君の話をされたよ。その時の栞の目は輝いていたように見えた、栞は否定していたけどね」
「はぁ?」
彰人はいまだ武彦の言うことに半信半疑で戸惑いを見せたが、
「押し付けるようですまないけど、情けない男の一生のお願いだと思ってぶっきらぼうで友達のいない娘を頼まれてくれないか?」
と、武彦に真剣に言われると、
「…………できる――じゃないですね。してもいいと思う限りのことはしましょう」
彰人はどうでもよさそうに、そしてめんどくさそうに後頭部を掻きながら言った。
「そうか、よかった」
と、武彦は細い目を一層細め、口元を綻ばせて言うと、踵を返して去っていった。
彰人はその背中を最後まで見送ることなく、来た道を引き換えした。
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「…………どっちだったかな」
そして、彼は栞の部屋の前で迷った。
彼は部屋の扉が角から何番目の扉であるのかということは覚えていたが、廊下のどちら側なのかは覚えていなかった。
ドアは廊かを挟むようにして二つあり、彰人はどちらが栞の部屋のドアか忘れてしまっていた。
――まあ、開ければわかることだ。
彰人は迷いを捨て、目の前のドアに手を掛けた。
ドアを開けると、そこは薄暗い部屋だった。
窓はなく、光源が開かれたドアだけだったためだ。
――間違ったか。じゃあ、あっちの方だったか。
ドアを閉めて、振り返ろうとした――が、源のわからない沸き上がった興味に彰人は足を止めて、再びドアを開けた。
部屋が薄暗かったので、ドアのそばにあるスイッチを付けた。
しかし、何時までも電灯に光は点らなかった。何度かつけたり消したりするものの、やはり反応はなかった。
故障しているのだろうかと思いながら、電灯は諦めて、部屋を目を凝らして歩き回った。
やがて目が慣れてきた彼の目に本棚や勉強机、シングルサイズのベッドが映った。
――誰かが使っていたのか?
と思うものの、その部屋からは使われていた形跡、というか残っているはずの使っていた者の温もりが感じられなかった。それどころか、どこか生を拒絶するように冷気を発しているようにさえ感じた。
「ちょっと!何をしているの!」
「うおっ!」
背後からの悲鳴のような叫び声に彰人は肩を震わせ驚いた。
その声の主は、開かれたままのドアのところで、彰人よりも驚いたような面持ちで立っている栞だった。
「い、いや、間違えて」
「出てきなさい」
「本当にすまん」
「いいから出てきなさい」
栞は今まで一度も見せなかったような剣幕で言った。
彰人は黙ってそれに従い、部屋から出た。
そして、そのまま二人は言葉を交わすことなく、栞の部屋に戻った。
沈黙は部屋にデザートが届いて、それを食べ始めても続き、漸く彰人が、二人がデザートを完食してからしばらく経ったときに、
「じゃあ、ここらへんで帰らせてもらう」
と、切り出して途絶えた。
「そう。なら、玄関まで送るわ」
栞は無感情に言うと、席を立った。
栞に続いて彰人は荷物をまとめると、席を立って、彰人を待つことなく、ドアの向こうに消えた栞を追った。
玄関までの道でも二人は閉口していたが、
「さっきは悪かったわね。臆病なのに怒鳴り付けて」
と、玄関から去ろうとする彰人の背中に栞が目に意地の悪そうな光を燈しながら、嘲笑するように言い、彰人が自嘲するように、
「本当にすまない、今度からは気にする」
と答えた。
このやり取りだけで二人の間の気まずさは払拭されたようだった。
「そうしなさい」
「おう」
「じゃ、またね」
「おう」
彰人は栞に再び背を向けて歩き出すと、片手を上げてひらひらさせた。