閑話パート(千鶴編) Ⅱ
これは、栞、薫と千鶴が彰人の家を出た後の話。
そして、マユが彰人の家にきた時だ。
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千鶴はまるで見られないようにするかのようにカーテンを少しめくり、できた隙間から窓の外を見ていた。
日が沈みかけていて、辺りは薄暗くなっていたが、千鶴の目にそれは鮮明に映っていた。
彰人の家の前に停まる黒塗りの乗用車。
運転席に座っていた気の良さそうな男性は既に玄関に消えていたが、千鶴はいまだにその車から目を離そうとはしなかった。
その男性が玄関から顔を出し、車に向かって誰かを呼び掛けた。
男性の声に応えるように後部座席のドアが開き、幽霊と見紛う純白の少女が降り立った。
そして、そのまま滑るようにして彰人の玄関に入っていった。
栞はその少女に見覚えがあった。
というか、黒塗りの乗用車、気の良さそうな男性に見覚えがあるだけでなく、薄暗い中、黒塗りの乗用車が彰人の家の前に停車されていて、その中から純白の少女、不知火マユが出てきて、彰人の家の玄関に消える一部始終を自室の窓から見ているこの状況すら、千鶴には身に覚えがあった。
それは、彰人と千鶴にしてみれば昨日のことに感じられるような日のこと。
そして、二人が今でも悔やみきれない日のことだ。
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「ねえ、外で遊ぼうよ~。いい天気だよ!」
と、彰人の前で窓の外の晴天の空を指差しながら言うのは、十歳になったばかりの、幼き日の千鶴。
この時は、まだ快活で、小動物感などは感じさせていなかった。
そんな千鶴は、部屋の隅で足を抱えて座っている彰人にしきりに外へ出掛けることを提案していた。
この提案には、千鶴が彰人と遊びたいという願望が含まれていたのは勿論のことだったが、それよりかはずっと部屋の隅でじっとしている彰人に対する心配の方が強かった。
「そうだね」
しかし、そんな千鶴の気遣いとは裏腹に、彰人は生気のない声で答えるだけだった。
「そうだね」と答えているものの、彼は顔を太ももに埋めたままで、一瞬たりとも窓の外を見ていない。
まるでただ機械的に反応しているだけのようだった。
そんな彰人は実母、江原芳子を一週間前に亡くしたばかりだった。
母を亡くして一週間というもの、彰人はずっと部屋の隅で足を抱えて動かないのだ。
動くとすれば、食事、排泄の時のみ。
それだけでなく、感情の起伏さえなくなり、ずっと無表情だ。
そして、そんな彼の心の内を表すように、部屋は薄暗かった。
外は晴天で、窓にもカーテンが引かれていないはずなのに、部屋は薄暗く、空気は淀み、沈みきっていた。
だから、彼を心配して一週間通いつめていた千鶴はどうにかして、部屋の空気を明るくさせようとしていた。
「だから、遊ぼうよ!」
「一人で遊んできなよ」
「嫌だっ!一緒に遊ぼ!」
「俺はいい。遊びたくないんだ」
だが、以上のようなやり取りばかりで、一向に改善の兆しが見えなかった。
そのことに、千鶴は一週間目にして痺れを切らしたのだった。
「何で!何であたしと遊んでくれないの?もう、お母さんはかえって来ないんだよ!落ち込んでてもしょうがないじゃん!!」
千鶴は知らず知らずのうちに溜め込んでいた怒りを爆発させるように、思いの丈をぶつけるように叫んだ。
だが、怒りを溜め込んでいたのは千鶴だけではなかった。
一人にしてほしいにも拘わらず、させてくれないことに彰人も怒りを覚えていたのだ。
「うるっせえ!そんなことはわかってんだよっ!わかってんだよっ!!一人にしてくれよ!消えてくれよ!!」
彰人は千鶴を遥かに上回る大声で叫んだ。
そして、数瞬の静寂の間を置いて、千鶴は踵を返して逃げるようにして部屋を飛び出し、そのまま家に帰り、自室に駆け込んだ。
そして、泣いた。
延々と泣いた。
泣いて、泣き疲れて、気付かぬうちに眠りについた。
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‥…………‥
‥……‥
千鶴は車のエンジン音に目を覚ました。
時間は六時を回った頃。
外は薄暗く、街灯にも明かりがついていた。
千鶴は目を拭ってから、引き寄せられかのように窓に歩み寄った。
そして、千鶴は黒塗りの乗用車、気の良さそうな男性と不知火マユを初めて見ることになった。