閑話パート(千鶴編) Ⅰ
これは、彰人が千鶴を怒鳴り付けた以降のこと。
┠╂╂╂╂╂╂╂╂╂╂╂╂╂┨
千鶴は廊下を走っていた。
息が上がりきっていて、普通ならば、既に走られなくなっていてもおかしくない状態であるにも拘わらず、彼女は走り続ける。
廊下には登校してきた生徒で溢れていて、その生徒を避けきれずに、千鶴は何度もぶつかっていた。
時には、転び、またある時には、怒声を浴びさせらた。
しかし、それでも千鶴は足を止めることはなかった。
それほど迄に千鶴を衝き動かすのは、
――彰人を見付けなくちゃ!
という一つの思いだった。
この一つの思いから生じる強い意志が千鶴を走らせていた。
――今度こそ、私が助けなくちゃ!
――あの時、傍にいられなかった私にできる唯一の償いなの!
そう繰り返し自分に言い聞かせ、千鶴は走り続けた。
‥……………………‥
‥…………‥
‥……‥
廊下を走り続けること三十分。
既に始業を知らせるチャイムは十分前に鳴っていた。
三十分も走った千鶴は疲労の色を隠せなかった。
顔は上気し真っ赤に染まっていて、呼吸もかなり苦しそうだったが、千鶴の表情からはいまだに諦めの色は窺えなかった。
倒れそうになりながらも、歯を食いしばり、崩れ落ちそうになるのを足に鞭を打って耐え、壁を支えにして歩を進めていた。
そんな千鶴からは、まるで何かの強迫概念に取り憑かれているような鬼気迫るものが感じられた。
そのため、教師も含めて、誰一人千鶴に声をかけようとする者はいなかった。
というか、かけたとしてもその声が千鶴に届くかは怪しかった。
というのも、先程薫の咆哮が轟いたというにも拘わらず、千鶴は何の反応も示さなかったのだ。
聴覚を捨てて他の感覚器官を研ぎ澄ませているのか、もしくはただ単に疲労困憊で聞こえていないのかは、定かではないが、耳が聞こえない状態にあることだけは確かだった。
目もキョロキョロさせるわけでもなく、ずっと前に据えられていることから、視覚で探しているわけでもないようだ。
その姿は、まるで、五感ではなく、第六感、または超感覚によって彰人を探しているのではと思わせた。
それを裏付けるように、千鶴は何の前触れもなく、窓の方に顔を向ける。
窓の前を何かが通り過ぎたわけでも、窓の外から何か物音が聞こえたわけでもないにも拘わらず、千鶴は窓の方を向き、何かに引き寄せられるように、覚束ない足取りで近付いた。
そして、へばり付くようにして、窓の外からある一点を見据えていた。
言うに及ばずのことだが、その一点は、薫に引っ張られている彰人だった。
――また、傍にいられなかった…………。
千鶴は薫がどのような人物かわかっていたために、栞のような心配はしなかった。
ただ薫が彰人を助けるのだろうと考え、悔しさを募らせるだけだった。
――彰人の隣にいるべきなのは、私のはずなのに…………。
――そこに、私がいるはずだったなのに…………。
――また、助けられなかった。
千鶴は、自分がいるはずの場所に薫がいることに対する悔しさか、または怒りからか、もしくは先を越された自分の不甲斐なさからか、歯が砕けるのではと思うほど、歯を悔い縛りながら、涙を流していた。
そして、彰人が見えなくなると、窓に背を向け、ずるずるとその場に崩れ落ちた。
そのまましばらく静かに泣いた後、涙を拭って、千鶴は何事もなかったように教室に戻った。
この閑話を書くに当たって、「主人公と優等生のすれ違い解消パート」を一部変更させていただきました。