主人公が優等生に自作品をお披露目するパート&従姉妹紹介パート
「ただいまー」
「たっだいまー」
「こ、こんにちわ」
「お邪魔する」
「お邪魔させていただきます」
彰人と琉璃の挨拶に続けて、千鶴と薫と栞が挨拶を済ませた。
ちなみに、玄関に入り切らず、薫と栞は外からの挨拶となった。
琉璃はというと、何故か未だに彰人の腕にしがみついていて、千鶴も何故か彰人の腕にしがみついていた。
琉璃が何とでもないように彰人の腕にしがみついたことが発端で、千鶴が琉璃に負けじと空いている方の腕にしがみついたのだ。
琉璃は、彰人を意識しはじめる迄、普通に腕にしがみついていたのだが、千鶴は初めてで、顔を真っ赤に染め上げながら、しがみついていた。
恥ずかしいのならしなければいいなどとは、言うだけ野暮で、誰もそれを口にはしなかった。
しかし、他人から見れば、羨望、または奇異や嫉妬など様々な目を向けられそうだが、彰人にしてみれば、ただ疲れるだけだった。
更正するとは言っても、すぐにドキマギするはずがなかった。
「おかえり、それと、いらっしゃい」
それを見た恵美は一瞬驚くも、すぐに口元を綻ばせて、五人を家に迎えた。
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「私が神崎薫、神崎徹の娘だ」
「あなたが薫ちゃんだったのね。彰人がお世話になってます」
「いやいや、彼はお世話などになってない」
「そんなことはないわ」
「そ、そんなことあるよ。あ、彰人はしっかりしてるよ」
「そうだったかしら……」
「そうだよ!お兄ちゃんは身を挺して私を助けたんだよ!」
「う~ん……」
と、居間で食卓のテーブルについて、恵美と薫、千鶴、琉璃が自己紹介を含めた歓談をしているとき、彰人と栞は彰人の部屋にいた。
というか、彰人が薫に頼んで、恵美と琉璃の気を引いてもらうようにしたのだ――なぜなら、
「ほら、早く読ませなさいよ。PCの起動にどれだけかかってるのよ」
彰人がコンピューターを立ち上げている後ろで栞が腕と足を組んで、苛立ちげにベッドに腰を下ろしているから――つまり、これから栞に見せるものを千鶴、特に家族の誰かに見せるわけにはいかなかったからだ。
自室で栞と二人切りでいるところを見られたくないというのもあるが、やはり自分がラノベを書いていることは知られたくないということが一番だった。
「見ればわかるだろ。これは前時代のものと言ってもいい、中古品の骨董品の安物なんだよ」
やっとのことで立ち上がったコンピューターに向かって、ワープロを開いている彰人が言った。
慣れた手つきでファイルを見つけ出し、開いた。
「ほら、読め。それと、言っておくが、これは誰かさんによって最後まで書き切れていないからな」
「あらそう。なら、別のものを読ませなさい。書き切った作品は当然あるのでしょ」
「ちっ、わかったよ。これが、一番新しいのだ」
嫌みを涼しげにスルーされたことに、むくれるも、栞の言う通りに書き切ったものの中で最新作を出した。
未だに怒鳴り付けた負い目があるのかもしれない。
「なら、どきなさい」
「はいはい」
「はいは一回よ」
「へいへい」
と言って、彰人は言い返される前に、部屋を後にした。
目の前で自分の作品が読まれているのを見るのは憚られたので、元々去るつもりではあった。
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「あ、彰人」
彰人は、部屋から出て、一階に下りようとしたところで、千鶴に呼び止められた。
千鶴は通路を挟んで、彰人の斜め向にある琉璃の部屋のドアから顔だけひょっこりと出すようにして、隠れていた。
「なんだ?」
そのことを不思議に思いながら、彰人が訊くと、千鶴は何も言わず、手だけにょきっと出して手招きした。
「?」
更に不思議に思いながらも、彰人は手招きに応じて、千鶴に近付いた。
「うおっ!」
そして、彼は一瞬のうちに、手を掴まれて、琉璃の部屋に引きずり込まれた。その光景は、捕食動物が獲物を捕らえた瞬間を思わせた。
その時、千鶴に小動物感など皆目なく、彰人に向ける鋭い眼光は捕食動物を彷彿とさせた。
そんな千鶴の掴む力や、引きずり込む力が、彰人の想像を遥かに越えていて、彰人は驚くことしかできず、抵抗など叶うはずもなかった。
「あ、彰人は、神崎先輩と三嶋さんとど、どんな関係なのっ!」
千鶴は後ろ手で素早くドアを閉めると、彰人を問い質した。
本人は真剣な顔をしているつもりなのだろうが、既に捕食動物から小動物に戻っていて、彼女からは全然威厳、というか真剣さが伝わってこない。
逆に、いじらしさばかりが際立って、人によれば、キュンとなりそうなほどだ――が、彰人は、言わずもがな、キュンとしない。
「関係って、何だよ」
「関係は関係だよっ」
「いや、わかるけどな。神崎さんとは先輩後輩だろ。それで、三嶋とはクラスメートだろうが」
千鶴が普段通りだとわかると同時に、落ち着きを取り戻した彰人は、何でもないように――というか、実際彰人にとって何でもないことだが――言った。
「いや、わ、私の目には、それ以上に見えたっ!」
「はぁ?それ以上ってなんだよ」
「うぅ…………あうあぅ…………」
「よくわからねえこと言ってないで行くぞ」
彰人はそう言うと、あうあう言いながら怨みがましい目で彼を見る千鶴を残して、部屋を出ようとした。
が、千鶴に腕を掴まれたままで、それは叶わなかった。
千鶴の指は鷲の鈎爪のようにがっちりと彰人の腕を掴んでいて、離す気配はなかった。
「三嶋さんとは喧嘩したのに、もう仲良くなってるし、変だよ」
数秒の無言の間を置いて、千鶴は言った。
真っ直ぐに彰人を見詰める大きな瞳は、彼に何かを訴えかけているような力強い色を呈しながらも、どこか淋しげな色も秘めていた。
しかし、いまだ三次元の女の機微を解さない彰人はその色の意味するところなどわかるはずもなく、ただ困惑するだけだった。
「別に仲良くはねえだろ。今回はただ俺が間違えて持ち帰った三嶋の所有物を返すだけだっつったろ。多分これ以上あいつと関わることはねえよ」
「…………なら、いいけど」
彰人が苦し紛れに言った言葉に千鶴はほんの少し安堵したようだったが、その淋しい気配は依然として窺えた。
「よくわかんねえが、行くぞ」
「うん」
しかし、前述の通り、彼は目の前の淋しげな幼馴染みの機微などわからないので、どうすればいいかわかるはずもなかった――だから、明るさを取り戻させようとして、全く脈絡のないことを言い出すのも仕方のないことだった。
彰人は、ドアの前で立ち止まって、千鶴の名を口にした。
「なあ、千鶴」
「……な、何?」
初めて名前で呼ばれたわけではないだろうに、千鶴は緊張したように身構えた。
「俺、変わろうと思うんだ」
「………………ふぇ?」
しかし、身構えただけに、千鶴は予想だににしなかった彰人の言葉に『ふぇ』という気の抜けた声を漏らし、彰人の言っていることが全くわからないといった顔で小首を傾げた。
「今まで目を背けてきたものを見据えようと思うんだ」
「………………う、うんっ。わ、わかった」
「…………それだけかよ。何から目を背けてたんだとか訊かねえのか?」
「ううん。だって、わ、私は彰人のこと――」
「ん?俺がどうしたんだ?」
「あっ!あうあうあうあぅ……」
他に誰もいないというのに、千鶴は助けを求めるようにあうあうと左右に首を振っていたが、振り返った彰人と目が合うと、顔を真っ赤に紅潮させて、俯いてしまった。
「どうしたんだ?大丈夫か?」
「…………あ、彰人のことは……わかっているから」
心配顔で覗き込んでくる彰人に目を合わせられず、千鶴は俯いたまま、微風にさえも掻き消されそうなほどの小声で言った。
「おう」
「彰人のことはわかっているよ」
自分に言い聞かせるように語気を強めて、千鶴は言った。
「そうか」
「そうだよ。だから言わなくてもほとんどのことはわかっているよ」
千鶴は、そう言って、俯いたまま彰人の横に並んだ。
そして、そっと彰人の手の平に自分の手を滑り込ませて、言った。
「行こっ」
「お、おう」
それに驚きながらも、彰人は千鶴の手を握り返して、ドアを開けた――ところで、動きを止めた。
「お兄ちゃんをわかっているのは、私もだからね」
ドアの前に、致命的なほどに絶壁の胸を強調するように背を反らす琉璃が立っていた――だけでなく、その後ろに、胸の前で手を合わせて、何故かとても嬉しそうな恵美に加えて、彰人の頼みを完遂できなかったことを申し訳なさそうにしている薫の姿があったからだ。
ドアを挟んで三人も目の前に居ながら、気配を察知することができなかった事実に彰人は驚愕していた。
が、ずっと驚愕しているわけにもいかず、彰人は無理矢理平静を装った。
ちなみに千鶴は、彰人と手を繋いでいるところを完全に見られて、ボンっという音と共に頭から湯気を立たせ、へたれ込んでいた。
俯いてて、表情は窺い知ることができなかったが、耳まで赤く染めていることから、表情も自ずとわかるだろう。
「ここで、皆さんは何しているんですか?」
薫に対しては丁寧語で、恵美と琉璃に対しては砕けた口調で話すために、どのように話すか数瞬逡巡した末に、彰人は丁寧語にした。
「そんなことはどうでもいいわ。それより、彰人を祝福しなきゃ!赤飯炊こうかしら!」
年齢を忘れて「このまま大人になったらどうしようと思ってたけど、取り越し苦労でよかった」とか言って、きゃっきゃと喜びを露にして、恵美は彰人に抱き着いた。
「か、母さん!」
「ママ!離れて!お兄ちゃんには大事な話しがあるのっ!」
彰人は恥ずかしさから、琉璃は嫉妬半分と大事な話し半分という理由で恵美を引き剥がそうとした。
ちなみに、薫はというと、恵美にドン引いて、行動不能に陥っていた。
「昔はいつでも抱き着かせてくれたのに…………変わるというのは嘘だったの」
恵美は怨み窯しい目で彰人を睨みながら、すごすごと引き下がった。
「誰もそんな風に変わると言ってねえだろ……」
「ていうか、そんなことはどうでもいいのっ!それより、あの女は何っ!」
琉璃は彰人の部屋のドアを指差して言った。
『女』はきっと栞のことを指しているのだろう。
「お前も同じことを聞くのかよ。聞き耳立ててたんだったら、聞いてるだろうが」
「聞いてたよ!どうせ、ただの同級生だと言うんでしょ?信じられる訳無いじゃん!帰ってきたらいきなりあの女を部屋に連れ込んだし!」
「連れ込んでねえよ。あいつが勝手に入ってったんだっつーの」
と、彰人が言う通り、栞は挨拶もそこそこに、彰人の部屋を場所を訊くと、ずかずかと彼の部屋に向かったのだ。
「勝手に入れるぐらい親密だっていう意味でしょ!それに、今一人でお兄ちゃんの部屋で何をしているか怪しいし!」
「怪しいって何だよ。一人にしてくれって言ってただけだぜ」
というのは、勿論彰人の作り話で、予め考えていた言い逃れ手段だ。
一人にしてくれと言われてその訳を訊くような野暮をする者はいないだろうと踏んでのことだ。
だが、その機転は儚くも琉璃の野暮な行為によって、無駄となる。
「更に怪しい!こうなったらあたしが直接問い質す!」
「ま、待て!一人にしてくれって言ってたつってんだろうが!」
琉璃は彰人の制止の声を無視して、疾風迅雷の勢いで彰人の部屋に突入していった。
「おい、何を目的でお兄ちゃんをたぶらかしているのかはわからないけど、金輪際お兄ちゃんには関わら――むぐっ!」
「どこが問い質してんだ!とにかくこっち来い」
片手を琉璃の腹部に回し、もう片方の手で琉璃の口を押さえて、さながら誘拐犯のように彰人は、琉璃を連行しようとした。
「む、むぐむぐ!うぅぅぅぅうっ!」
「何だってん………………何してんだ、お前?」
が、琉璃が何やら必死に前方を指差すので、そちらに目を遣ると、コンピューターの前で彰人の作品を読んでいるはずの栞が、彰人のベッドの端に腰を掛けて、単行本を読んでいたのだ。
そして、傍らには数冊の単行本が更に積み上げられていた。
彼女が読んでいる単行本も含めて、その全ての単行本はライトノベルだった。
本棚に収まり切らなくなったライトノベルの保管場所となっていたクローゼットの扉が、彰人が出たときには閉まっていたのが、開いていることからそれらのライトノベルは彰人の所有するものだと容易にわかった。
「何って、ライトノベルを読んでいるのよ。あなたの目は節穴なのかしら。それとも、口で説明しなければならないほどに、知能指数が低いのかしら」
「いや、お前が俺のラノベを勝手に読んでいるのは理解してる。俺が訊いているのは何故読んでいるんだっていうことだ」
「何を言っているの?読ませてくれるのじゃなかったの?」
「はっ?」
栞の振る舞いにまるで演技の気配がなかった。
至極自然な振る舞いだった。
それだけに、彰人は栞の言葉に戸惑いを隠せなかった。
「言ったでしょ?」
「…………ああ」
――ああ、そういうことか。
しかし、栞が念を押すように言ったところで、または言ったことで、そして彼女が手に持っているライトノベルが自分のものではなく、今朝彼女が学校で読んでいたものだと気付いたことで、彰人は栞の意図するところに気付いた。
その意図するところというのが、前述の『人目を憚る物』は彼女が読んでいるライトノベルで、今回はそれを取りに来たというシナリオなのだと彰人は気付いたのだ。
これだけで気付けたのだから、彰人の知能指数自体はそれほど低くない。
更に、妹の補修が、文字通り、地獄だとしても試験前数日間の補修で、欠点を免れていることも彼の知能指数が低くないことを裏付けている。
だがしかし、如何せん勉強をしないために学力がないのだ。
「そうだったな」
「嘘だっ!さっきまで、『何言ってんだこいつ?』みたいな顔をしていたのに!」
彰人の手から脱した琉璃が抗議の声を上げた。
「いやいや、ただど忘れしていただけだ。怒鳴ったお詫びに好きに読ませるという約束をしてたんだっつーの」
「うぅぅぅぅぅ…………」
琉璃にとって彰人の言い草は怪しいこの上なかったが、ど忘れしていたと言い逃れられるため、追及の余地が無く、悔しそうに唸るだけだった。
「そういうことだから、二人は琉璃が心配するような関係ではない。しかし、意外だな。その類の本を軽視したり、読んでいたからと言って軽蔑するわけでもないが、学校の誰もが認める優等生がライトノベルを読んでいるとはな」
戸口のところで様子を見ていた薫が事態の収拾を計り、割って入った。
「まあね。昔に読む機会があって、そのときから愛読書にしているのよ」
「そうなの!なら、彰人と同じね!彰人と何か縁があるのかもしれないわ!」
薫とともに様子を見ていた恵美が何故か嬉しそうに割って入って言った。
「あるとするなら腐れ縁だな」
「そうね」
しかし、当人達の反応は至って冷めていた。
「それで、突然ですみませんが、用事があるのでおいとまさせていただきます」
栞は礼儀正しく頭を下げながら言うと、ごく自然に積み上げていたライトノベルを鞄に入れはじめた。
「おい、待て。持って行っていいとは誰も言ってないぞ」
「それぐらいいいじゃない。だけど、本当に突然ね。もっと居ればいいのに」
「申し訳ありません」
「別に謝らなくてもいいから、早く出てけっ!」
「琉璃。そのような言い方はよした方がいい。三嶋も礼儀は尽くしているのだから、礼儀には礼儀を返せ」
「うぅぅぅ、わかったよ。薫さんが言うんだったら」
「それでいい。では、私もおいとまさせてもらおう」
「あら、薫ちゃんまで帰るの?もっといてくれのかと思ったのに」
「わ、私も急用を思い出して。申し訳ない」
「そう。残念だけど仕方ないわね。二人とも玄関まで送るわ」
「いえいえ、そこまでしなくとも」
「見送りは必要ない」
「いいのよ。私が好きでするんだから」
と、栞と薫と恵美と琉璃の四人は、「いや、俺のラノベなんだけど」「許可するのは俺の権限だろ」「何で無視すんだ」「ちょっとぐらい俺の言うことを聞いてくれよ」と、最後辺り懇願と化していた抗議の声をあげる彰人をいない者のように無視、もしくは本当に存在を忘れてそのまま部屋を後にして、階段を下りていった。
このとき、彰人は内心少し泣きそうだったのだが、そんなことは四人の与り知るところではない。
しかし、そんなとき、開けっ放しだったドアからひょっこりと千鶴が顔を出した。琉璃が暴れている間に心の整理がついたらしく、顔も普段のそれに戻っていた。
「わ、私も帰るね。ま、またね」
千鶴は先程のように手だけを出して、振って言った。
「お、おう…………ていうか、お前」
「な、何?」
「ショッピングというのは何時、何処に行くんだ?」
「あっ、い、言ってなかったね。ひ、日にちは、何時でもいいよ。お店は特に決まっていないけど、ふ、服屋さんかな」
「そうか…………なら、明日はどうだ?土曜日だし」
「う、うんっ!そうしよ!じゃあ、いつもの時間に来るねっ!」
「おう」
千鶴は、彰人の返事に満足したように頷くと、再び手を振ってから首を引っ込めて、とてとてと階段を下りていった。
それを見送った彰人は先程から抱いていた疑念を解消しようと、コンピューターに向かった。
彼の作品の分量を考えれば、それこそ速読ができたとしても、今でも栞はこのコンピューターに向かっているはずだった。
コンピューターの電源は落とされていて、つい先程まで使われていたような形跡というか、気配は感じられなかった。
彰人はコンピューターを起動させて、何もしていなければ長く感じるが、何かをしていれば、あっという間に感じられるようなそんな微妙な時間を待った。
そして、起動したコンピューターのデスクトップの中央にアイコンを見付けた。
そのアイコンが、彰人にわざと見付けさせるためにその位置に移動させられたのは明らかだった。
アイコンは、ワープロで作成された文書のファイルのようで、ファイル名は無題だった。
彰人は、迷わずそのアイコンをダブルクリックした。
「あいつっ……」
そして、文書の内容を読んで、苦虫を噛み潰したような顔で唸った。
その文書は、
「あなたの全ての作品を私のパソコンに送らせてもらったわ。勿論、コピーして送ったから、データは残っているわ。感謝なさい。感想は後日機会があったら言わせてもらうわ」
という内容だった。
それからは栞の勝ち誇ったような高笑いが聞こえてきそうだった。
「…………何だよ、感想って」
と、言いながらも彰人は、自分が少し浮ついていることに気付いていた。
――初めて面と向かって感想を言われるからって、馬鹿らしい。
ということだった。
彰人は、数々の応募をしてきたが、一次選考にすら通ったことがないため、送られてくるのは無機質な落選通知ばかりで作品に対しての感想を貰ったことがなかったのだ。
それが、突然感想を面と向かって言われることになり、感情が高揚するに至ったのだ。
「一次選考すら通過してないっつーのに、何を浮かれてんだか。本当に馬鹿らしいぜ」
とは言うものの、彼は感情の高揚を禁じ得ないようだった。
「彰人ー。話があるからこっちにいらっしゃい」
「へーい」
一階からの恵美の声に返事をすると、彼はアイコンとファイルを消去することなくワープロを閉じて、コンピューターをシャットダウンさせた。
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一階に下りると、恵美だけでなく、琉璃の姿も食卓にあった。
二人は普段通りに対面するように席についていたので、彰人もそれに倣って、普段座っている琉璃の隣の席に座った。
「で、話ってのはなんだよ」
「別に深刻な話ではないのよ。彰人が沢山のお友達を連れ帰ったことで嬉しくなって、すっかり忘れてたし」
と、前置きして恵美は続けた。
「単刀直入で言うと、今日から家族が増えるの」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………はぁ?」
恵美の言葉を聞いた彰人と琉璃は、聞いた瞬間の状態で時間が停止したように硬直したが、彰人だけが硬直から解けて反応を見せた。
琉璃は瞬きさえせず、石像の如く不動を保っていたが、
「冗談よ、冗談。ふふっ、ちょっと驚かせたかっただけなの」
という恵美の言葉で時間を取り戻した。
「何だよ、もうっ!びっくりするじゃん!」
「ったく、冗談きついぜ」
「ごめんね。だけど、家族が増えるっというのは、中たらずも遠からずなのよ」
「どういうことだよ?もしかして、養子か?」
「養子っ!」
彰人の言葉に、琉璃は、ガタッと席を立って驚いた。
「違うわよ。彰人は、従姉妹のことは覚えてる?私はあったことないから知らないけれど」
「覚えてるかと言われれば、覚えているが」
と言う彰人だったが、彼は従姉妹、不知火マユの全てを覚えていた。
『覚えているかと言われれば、覚えている』なんてものではない。
『覚えているかと言われれば、忘れるはずがない』だ。
「あいつがどうしたんだ?」
と、問う彰人だったが、答えは既に予想が付いていた。
「その従姉妹を預かることになったのよ。あなた達が学校に言っている間に電話がかかってきたの」
「えぇぇぇっ!」
「そうか」
琉璃も答えはわかっていてもよさそうだが、予想だににしていなかったように驚いていた一方で、彰人は至って普段通りだった。
と言っても、それは見せ掛けだけで、内心では喜びが込み上げていた。
「理由は何だよ?」
「それがね、その従姉妹のお父さんが突然海外に転勤することになって、家族ごと移るはずだったんだけど、移る段になって、その従姉妹ちゃん、名前はえーっと……」
「マユ。不知火マユ」
彰人は何気なさを装って言った。
「そう、マユちゃん!そのマユちゃんが日本に残りたいと言ったのよ」
「それは、何で?それに何でうちなの?」
「それは…………」
恵美はそこまで聞いていないようで、琉璃の問いに答えあぐねていたが、
「それは、いずれわかる。それより、いつ来るんだ?」
彰人が意味深なことを言って、フォローにまわり、追及する時間を与えないように、すぐに話題を変えた。
その行為の意味を汲み取った恵美と琉璃は、彰人を追及することはなかった。
「今日よ。もう来るはず何だけど……って言っているうちに来たようだわ」
恵美は家の前で車が止まる音を聞き付けて、席を立ち、足早に玄関に向かった。
それに釣られるように、彰人と琉璃が玄関に向かった。
彼等が玄関に着くと、既に挨拶を終えたようで、彰人の叔父で信治の妹の響子の夫である不知火君彦が後ろに振り向いて誰かを呼んでいた。
彼は義兄の信治とは対照的に線が細く、すらっとした体格で、顔も人の良さそうな顔立ちだった。
そんな叔父の背後からすっと、従姉妹は現れた。
そのとき、彼女を幽霊と錯覚する者は少なくなかっただろう。
彼女が純白のワンピースを身に纏っているからというのも一因だろう。
だが、純白なのは服だけではなかった。
肌だけでなく、腰まである長髪の一本一本が、粉雪のように白く、さらさらと夜風に靡いていた。
そして、瞳は、玄関の明かりに照らされて――ちらちらと燃える焔のように真っ赤だった。
すなわち、彼女、不知火マユは、有り体に言うと、白子だった――つまり、アルビノだった。
そして、不知火マユこそが彰人に二次元世界への転送装置を与えた者である。
「…………アヤ……ト…………」
耳を澄まさなければ聞こえないような小声で呟くと、マユは靴を履いたまま家に上がり、恵美の横を擦り抜け、彰人に飛び付いた。そして、彰人の首に腕を回すようにして、ぶら下がった。
その間、誰もが制止の声すら上げられず、呆然としていた。
その光景は、まるで突然家に幽霊が現れて、住人に取り憑いたという怪奇現象の一部始終のようだったが、勿論そのようなものではなく、マユにはちゃんと有るべき質量が有り、飛び付かれた彰人はしっかりと彼女を抱き留めている。
「靴ぐらいは脱げ」
彰人の言葉に、彼の胸に顔を埋めていたマユが顔を上げた。
紅の瞳が真っ直ぐに彰人の瞳を見詰めた。
「ごめん……なさい…………だけどアヤトが元気で……良かった」
とぎれとぎれに言って、マユは儚い笑みを浮かべた。
「おう。お前も変わらないようで何よりだ。それより、もうそろそろ下りてくれないか?隣にいる妹が今にもお前を噛み殺しそうだ」
そう言われて、マユはゆっくりと首を回して、隣に視線を遣った。
そこには、唸りをあげる琉璃の姿があった。
マユは静かに琉璃と見つめ合うと、おもむろに彰人から離れて、体ごと琉璃と向き合った。
「何?」
琉璃は、紅の瞳に一瞬怯むも、威圧的に言った。
「かわ……いい……」
だが、マユは、琉璃に臆することなく――とは言っても、琉璃がどんなに頑張ったところで、彼女に怖い要素など生まれることはないのだが――犬にするように、琉璃の頭に手をのせて、撫でた。
琉璃は、唸ることも忘れて唖然としている。
「仲良くなれたようで、嬉しいです」
その様子を見て、君彦は微笑みながら言った。
「そうですね」
恵美もマユを初めて見た時は呆気に取られていたものの、三人を見て、微笑を浮かべていた。
それは新たに家族が一人増えて、賑やかになるだろう生活に思いを馳せているようにも見えた。
「では、私は行かせてもらうことにします」
「えっ。マユちゃんに何か言うことはないんですか?」
「それなら、こちらに来る途中で話しました。それより、突然のお願いを聞き入れて下さって、感謝の言葉が見つかりません」
「いえいえ。空き部屋もちょうど有りますし、マユちゃんはいい子みたいですから」
恵美は再びマユに目を遣って言った。
どんないきさつでそうなったかはわからないが、何故かマユは彰人に頭を撫でられていて、その隣でも琉璃が同様に彰人に撫でられていた。
彰人は少し苦笑気味だった。
「そう言ってもらえると、嬉しいです。私の親や妻の親でも娘を見ると、祟りだとか凶兆だとか言って寄せ付けないんです」
「……大変だったのですね」
「いえ、マユは私達の宝ですから、マユに関することで大変だと思ったことはありません。では、娘を頼みます」
「はい。任せてください」
君彦は恵美の返事に頷くと、一度マユに目を遣った。
そして、心の中であらゆる感情に折り合いを付けるようにして再び頷くと、踵を返して、去った。
これで序章の本文は終わりです。
この後はちょこっと閑話パートを入れて、次章に移ります。
私事がごたごたしたために更新が大変遅れましたことをお詫びします。