Plan.2
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何時間経ったのだろう。いや、錯覚だ。本当は5分も経っていないのかも知れない。
私は自分の家の、自分の部屋の壁を背にうずくまるしかなかった。
破壊され、瓦礫と化した自分の家だった、自分の部屋だった場所に。
壊されて天井などあるはずもなく、鈍色の雲からゆっくりとちらつく雪が私の手の甲に乗り、じわりと小さな水滴となる。
冷えた身体でも、やはり雪よりは温かいのか、と今置かれている状況から逃避するかのように思考を別の方へと向けた。
が、嫌でも耳につく不快な音が私を現実へと呼び戻す。
静かに吐いた息すら、凍りつきそうな寒空の中、また誰かの鮮血が飛び散る。
何も見てない。何も聞いてない。
廃墟で埋め尽くされた街で、ガラクタの物陰に隠れながら、耳を塞ぎ、目を瞑る。
真っ暗で落ち着かない。
見て見ぬ振り。聞いて聞かぬ振り。
惨劇を見てるだけ。慟哭を聞いてるだけ。
危険だと判断したら隠れるか逃げなさいと、それが正しいと教え込まれてきた無駄な正義感だけが、胸の内でざわつき始める。
手で塞いだはずなのに、私の聴覚を刺激する不快音。
言語としての形を保てていない悲鳴。柔らかな固形物を利器とも鈍器とも取れるような物で叩き切ったような、鼓膜をざらつかせ、且つお腹の底に響く音。
また一人、誰かが死んだ。
呼吸は律動することなく、白い息が不定期に漏れる。
ジャリ、と聞こえただけで、心臓を鷲掴みにされた気がした。
近くにいる。
血の気が引くような悪寒と、冷や汗。
割れた鏡に映り込んでいた私の表情は恐怖で歪んでいた。
生きることを諦めたような生気の無い表情と、死ぬことを恐れているような怖れを含んだ表情を混ぜたような、顔。
この世の生き物とは、思えない。
衝動的な何かに突き動かされ、おもむろに駆け出したーーいや、逃げ出した。
「〝お、お姉ちゃん〟!!」
〝知らない誰か〟が、私を呼ぶ。
ああ、ごめんね。ルーク、ごめんね。
心の中で叫ぶだけで、口からは激しい吐息白い塊となって出るだけ。
突如として私に襲いかかる、湧き出るような罪悪感と突き出てくる凶刃。
異形に襲われて、家族をーー弟を見捨てた。
まだ年端もいかない弟を。
甲高い声で泣き叫ぶ弟の声を、振り払うかのように無心で走った。
それを罰するかの如く、異形の黒い刃が私の大腿部を貫く。
驚きと痛みで意識が、飛びそうなほど真っ白になる。
一瞬、大腿部に柔らかな熱が帯びたかと思いきや、すぐさま走る激痛。
身体の筋肉が収縮したせいで無様に転び、瓦礫に頭をぶつけた。額を切ってしまったのか、こめかみに液体が伝っている。
「ぐっ……た、助けて……」
何に縋っていいのかも分からず、床を這いずり恐怖の対象から逃れようとした。
何て、都合がいいのだろう。
私と弟を逃がすため、犠牲になった両親。逃げて直ぐに捕まった弟。
家族を見捨てて物陰に隠れた、私。
一番卑怯者の私の口から漏れた言葉が、救いを求める言葉。
何て、無様なんだろう。
私という人間は、結局のところ、ここまで薄情で欲深かかったのか。
上からゆっくりと落ちる影。
黒い影。
ダメ……見ちゃダメ。見ちゃダメ! 見ちゃダメ!
だが、意識に反し、頭は持ち上がり、視線はどんどん上がっていく。
瞳に涙を溜めながら、しかし嗚咽を堪えた状態で頭だけ持ち上げた。
私の顔を無理矢理覗き込むかのように、身体を不気味なまでに捻じ曲げた状態で、視界に入ってきたのは、異形の顔。
真っ黒な仮面に浮かぶ紅い眼光。
額から伸びる稲妻型の角が二対。
歪みに歪められた、口元。
堰を切ったように溢れ出す、恐怖と悲鳴。
絶望の底へと突き落とすかのように、異形は薄く目を細めた。
追いかけてきた方の異形の手には、血塗れになり、原型をもはや留めていない肉塊。
そう。それは弟、だったもの。
お前が逃げ出したからこうなった、と言わんばかりに、異形はその肉塊を私の目の前へと投げ捨てた。
血の流し過ぎでぼんやりとしていた意識を覚醒させるには、刺激の強過ぎるものだった。
地面に落ちた際に発せられた、ドチャリとぬめった音が耳の中を這いずり回る。
生気を全く感じさせない、淀んだ瞳が訴えてくる。
そこを中心にじわじわと血液が、ちらちらと降る雪を溶かしながら、湯気を立ち上らせて広がっていく。
こみ上げてくる吐き気に耐えられず、吐瀉する。
「もう、ダメ……」