第5話 そして、意外な助言
男に名前を聞いたけど、言いたくないと言われたので、『師匠』と呼ぶことにした。
「剣の道は、基礎体力からだね」
そう言って、朝、教会の周りを走るように言われた。
10周走ったら、帰ってこいと言われたけど、小さい教会とは言っても外を走るとなると、かなり大変だ。
いきなり10周なんて、無茶だ。
でも、諦めないと約束したので、走り始める。
最初の2周は、まだよかった。3周目になると息が切れ、4周目になるとぜぇぜぇいった。
5周目には、歩いている人に抜かされた。
息はきれぎれで、汗がぽたぽたと滴になる。
心臓が早すぎて、胸が痛い。
もう前に進むことしか考えられない。
7周目あたりから、あまり覚えてない。
ふらふらになりながら、やっと10周走り終えた時には、太陽は登りきっていて、周りは明るかった。
しまった!と思って、裏庭に行くと、『師匠』はいなくなってた。思わず、その場で寝転がってしまう。呼吸が落ち着くまで、そのままじっとしている。
―――帰ったのかな?
まあ、いいか、と思って、食堂に向かう。
ちょうど食堂に向かう途中で、アイラに会った。
そう言えば「ばか」と言われた後、話をしていない。
「…どこ行ってたの?」
考えていると、アイラから声をかけてくる。
「ちょっと走りに行ってた」
「ふ~ん…。朝ごはんなのに帰って来ないし、見に来たらいなかったから…」
アイラは目をそらしながら、呟くように言う。
―――アイラが来たから、『師匠』はいなくなってたのかな?
「ご飯…シスターがとっててくれてるよ」
アイラはそれだけ言うと、逃げるように走って行ってしまう。
「あ…」
アイラをそのまま見送って、僕は食堂に向かった。
朝ごはんはいつものように、シスターのお手製の黒い小さなパンとスープだった。
「君の朝ごはんは美味しいのかね?」
次の日『師匠』は走りに行こうとした僕を引きとめて、会って最初に苦々しい顔でそう言った。
「?」
よく分からなくて、首を傾げる。
―――というか、見てたのか?
「君の生活を昨日一日、見させてもらったが、あの食事はとても美味しそうに見えなかったのだがね」
―――…どこから見てたんだ…
「ご飯はいつもあんなものだよ?」
「…あのパンは、歯で噛み切れるのかい?なんだか、君が机に落とした時、パンとは思えない音がしたのだが…」
確かに昨日、パンをスープに浸そうとしたとき、手が滑って机に落とした。
―――よく見てるな。
「スープに浸すと軟らかくなるんだよ」
「…味は?」
「?…パンの味?」
「……」
『師匠』が何を言いたいのか分からなくて、首を傾げる。
「生まれた時からこの生活か…。慣れというものは怖いものだな」
ぶつぶつと『師匠』は呟いている。
―――なんだろう?もう走りに行ってもいいのかな…
10周走るなら、早く走りださないと、間に合わない。
「『師匠』、走りに行っていい?」
『師匠』は顔を上げる。
「ああ、行ってくるといいよ」
『師匠』は昨日のようににこやかに見送ってくれた。
二日目もやっぱりふらふらになったし、終わる頃には太陽が昇っていた。
昨日走りすぎて、体中がぎしぎししていたけど、我慢して走った。
なんとか終わって、裏庭に向かうと、やっぱり『師匠』はいなくなっている。
きれぎれの息が落ち着くまで、裏庭で寝転がっていた。
上を向いて目を瞑っていると、ふっと光が陰った気がして、目をあける。
「…だいじょうぶ?テイン」
心配そうな声をかけられて、ゆっくりと起き上る。
「アイラ?」
「…また走ってたの?」
「…うん」
「…ご飯…またとっててくれてるよ」
またそれだけ言うと、僕が何かを言う前にアイラは走り去ってしまう。
「…ケンカかね?」
アイラが見えなくなって、急に後ろから声をかけられる。
「!!っわっっ!!!」
驚いて振り返ると、すぐ後ろに『師匠』が立っていた。
―――裏庭の入口は一つしかないのに、どこにいたの?
「ケンカ…かなぁ?」
「…ふむ」
「アイラは…僕が強くなるのがイヤみたいなんだ」
アイラの昔のことを考えると、そう思える。
「…」
『師匠』は、急に畑の方を見る。
―――なんだろう?畑になにかあるのかな?
『師匠』の見ているものを追ってみるが、畑を超えてずっと遠くを見ている。
―――なにを見ているんだろう。
「…私が言うことではないが…
仲直りは早くしておいた方がいいよ」
「?」
「仲直りをしたいと思った時に…相手がいなくなっていることもあるのだよ」
「…『師匠』も仲直りできなかったの?」
『師匠』はゆっくりと僕を見る。
「…昔ね…。ケンカをして、国を出たのだよ。
……だが、戻った時、『彼』はいなくなっていた…
私は、とても後悔したね…」
『師匠』はとてもとても悲しそうに、哀しそうに言った。
いつもの怖い空気はどこかへ行って、どこか懐かしそうだった。
―――『師匠』は…その人が好きだったんだ。
僕は、アイラに何かを言う気も謝る気もなかったけど、『師匠』を見ていて、思った。
『師匠』のために仲直りしよう、と…