第4話 そして、師匠と4つの約束
朝目が覚めて、まだ暗い中、裏庭に向かった。
「おはよう、少年」
裏庭の入り口で急に声をかけられた。
「あ、昨日のおじさん」
―――だから、その椅子はどこから持ってきたの?
男は昨日と同じ椅子に座って、今日は小さいテーブルにティーセットを置いて、優雅に紅茶を飲んでいた。
「今日はどうしたの?」
やっぱりこの人の持つ空気は、少し怖い。
「昨日、君との話が久方ぶりに少し楽しかったのでね。君の答えを聞こうと思ったのさ」
男は、昨日より楽しそうに笑う。昨日は、張り付いたような笑顔だったのに…
「なんだっけ?」
男は、ティーカップを置いて、立ち上がる。
全く音がしない。ティーカップを置いたときの食器の重なる音も、組んでいた足を直して椅子から立ち上がった時も、全く何の音も立てなかった。
きっと、この人なら、あのぎしぎし大きな音がするベットも静かに抜け出せるんだろうな、と全く違うことを考えてしまう。
「君はどうして、棒っきれを振るうの?」
男は、じっと僕の目を見ていた。目をそらせない。顔は笑っているのに、真剣な声だ。
「…僕は…強くなりたい…」
「どうして?」
「僕は…何も無くしたくないから…」
男はじっと黙りこんでしまう。何を考えているのか、表情からはまったく分からない。
しばらくして、静かに口を開く。
「…私には、君が無くすようなものを持っているように見えないのだがね」
「…え?」
「君は孤児院にいるくらいだ。親はいないのだろう?金もないし、身分もない、親の愛もない、住むところもここだろう?
君にあるのは、なんだい?こんなに無駄に努力を重ねてまで、無くしたくないものというのが、本当にあるのかね?」
不思議そうな顔で男は訊ねてくる。
―――やっぱり無駄かぁ…
「あるよ」
僕はきっぱりと言い切る。
あの日。10日前のあの日。
僕は、希望を手に入れた。
「『勇者』のものがたり」は五百年も前のお話。
僕の短い一生の内で、次の「ものがたり」の時代に出会うことなんて、ないだろう。
それでも、僕は、そんな奇跡の「いつか」のために「生きたい」。
「それは、僕の命だよ」
確かにそうだ。
そして、奇跡のような「いつか」のために強くなりたいんだ。
「命か…」
ふむと男は考え込む。
「なるほど、なるほど!考え付かないわけでもないが、理由づけとしては、なかなかに真っ当なものだな。
やはり、君はなかなか面白い少年だね。私と話している時でさえも、震えて恐怖を感じていながら、それでも逃げなかった」
「…逃げちゃったら…もっと怖い気がして…」
理由なんて、ただそれだけだ。
昨日、僕が一歩下がった時、一瞬、男の目に睨まれた気がした。
だから、動けなかった。
「それは、正しいな。君は、どこかで危険の予測ができている。
昨日、君があと一歩でも下がっていたら…君の無くしたくない唯一のものは、無くなっていたよ」
淡々と言われた言葉にぞっとする。
―――や、やっぱりこの人は、怖い人だ。
「少年、剣を習いたいかい?」
「え?」
急に話を変えられて、驚いて男を見る。
にこにこといたずらを思いついた子どものように笑いながら、男はくるくると右手で脱いだ帽子をまわしていた。
「剣を習いたくはないかい?」
「そりゃ…」
誰かに教えてもらえるなら、それが一番だろう。
だけど、孤児院には、教えられるような人はいない。ここにいるのは、子どもと剣を持ったこともないようなシスターたち。あとは、出入りの野菜、肉、魚、雑貨のお店の人たち。たまに来る貴族の人たち。教会にお祈りに来る街の人たち。
それがほとんど全てだ。なんて小さな「世界」なんだろう。
「少年、私が君に剣を教えてやろう」
俯いていた顔を上げる。
「え!?」
「私が君に剣を教えてやる」
「…な…んで?」
「理由が必要か?」
くるくると回していた帽子を止める。
「ふむ…そうだな。旅をするのに少し疲れたので、ここらでしばらく休憩したいのだよ。それが理由だ」
それで、どうする?と聞かれて、頭を思いっきり縦に振った。
―――あれ?でも、この人、剣使えるのか?
「私は剣がすごく使える、というわけでもないが、今の状況よりはマシだろう」
―――…心を読まれた?!
「だが、いくつか約束をしてほしいのだよ」
「やくそく?」
「そうだね…。四つ、約束をしてくれ」
「わかった」
「では、一つ。私のことは誰にも喋らないでくれ。
もし、誰かに私の存在が知れたら、私はここを去らなければならない」
男は僕に見えるように一本指を立てる。何も言わずに頷く。
「二つ。諦めないこと。私はすぐに諦める人間というものが嫌いなのだよ。君が諦めたら、それで終わりだ」
何が終わるの?とは、とても怖くて聞けない。聞けないが、頷く。
「三つ。この恩は、いつか、返してくれたらいい」
「いつかでいいの?」
「ああ、いつか、君の人生が終わる時までに返してくれたら、それでいい」
わかったと、頷く。
「四つ。………」
そこで、男は指を四本立てたまま、止まってしまう。何かを考え込むように最後に立てた指を見ている。
「四つ目は?」
急に黙ってしまったので、思わず聞いてしまう。
「…いや、これは…君が強くなったら、言おう」
「でも…」
首を横に振って、男はふっと笑う。
「強くなきゃ、別に約束してまで頼むことではないのだよ」
だが、君は強くなる気はするね、と男は笑った。
僕はその日、僕の人生で長い長い付き合いになる『師匠』を見つけ、重たい椅子をどうやって持ち運んでいるかの『秘密』を知った。
ちなみに、その椅子は後に、ある意味違う「ものがたり」を生むのだが、それはまた別のお話…