#2-2
フリードがオウカに買われてから三日目の朝、自室で眠っていたオウカは使用人の老婆に起こされた。
「姫様、朝でございますぞ」
「ムニャ……おはようバアヤ。でもわたくしまだ眠たいのよ--「ゲフン!」--眠たいんですの」
バアヤと呼ばれた老婆は、オウカの教育係の一人で、この屋敷で唯一オウカに説教ができる人物だった。
「姫様、何時も申しておりますが淑女たるもの如何なる時も言葉遣いにお気を付け下さいまし。姫様ももうすぐ15歳になられるのですから」
「解ってる--解りましたわバアヤ」
オウカの普段のしゃべり方はこのバアヤによるものだった。
「さてと、今日は何して遊んであげようかしら」
「……随分とあの魔族にご執心ですね。態々姫様自身が出向いてまで購入なさって。どういったおつもりで?」
オウカが今日はどうやってフリードで遊ぼうかを考えていると、バアヤが疑問に思っていたことを尋ねた。
するとオウカは机の引き出しから何かの資料を取り出した。
「これは?」
「あの男が、正確にはあの男が国の技術者に作らせた『レポート用紙』という物ですわ」
「いえ、レポート用紙は存じ上げております。そうではなくて何の資料で?それから姫様、陛下のことをあの男などと呼んではいけませんぞ!」
「わ、わかりましわ。それは奴隷商に渡されたカタログですわ。あの奴隷の事が書かれていますわ」
オウカが取り出したのは剣闘奴隷のカタログで、奴隷商が無料で配布している物だった。それにはフリードのプロフィールが記載されていた。
「昔お母様に聞いた事があるのよ『魔王以外で唯一勇者に傷を負わせた魔族がいた』と」
カタログのページをめくりながらオウカは続けた。
「聞けば父上は魔王と戦った直後で、疲労困憊していたそうですの。とはいえ、プリーストとしてその場に居たお母様いわく、見たところ父上は魔王を倒した直後でも油断なく周りを警戒していて、たとえ同行していた戦士や魔導士が不意討ちしたとしても対応できる程の余力があったそうですの」
15年前、魔王を討伐した異世界から召喚された勇者カズマ・シンジョウの実力は群を抜いていたらしく、当時のパーティーメンバーが束になってかかっても無傷であしらえる程だったと言われている。
「そのまま父上は城に居る魔王軍の残党狩りを行ったらしく、隠れている魔族を次々と切り伏せていったそうですわ。そして偶然隠し部屋を見つけたと言っていたわ」
その間幾多の魔族が襲いかかってきたのだが、勇者はそれらを無傷で葬っていったそうだ。
「部屋には一人だけ魔族の子供がいたそうたですの、それも五歳程度の子供が」
それは今にも泣き崩れそうな顔をして短剣を構えた子供だった。
「子供といえど所詮魔族、父上は躊躇わずにその子供を殺そうとしたのですが……」
一瞬の交差だった。油断していた勇者カズマは剣ではなく素手で魔族の子供を殺そうと突きを繰り出した。それは恐ろしい程に速く、その場にいた仲間の内では唯一の前衛職の戦士だけが辛うじて眼で追えた、それほどの動きだった。
勇者の突きで魔族の子供は避ける間もなく吹き飛んだ。そのまま子供は壁にぶつかって気絶した。
「あの男が……勇者である父上が殺そうとしたにも関わらず気絶しただけだったのよ。驚くことに急所をガードしていたそうよ。
でも一番お母様が驚いたのは父上の手首に子供が握っていた短剣が刺さっていたことですの」
齢五歳以下の子供が勇者の動きに対応したのだ。勇者が油断していたのもあるが、それでも普通の子供に、いや一流の騎士でも困難だろう。
「調べてみるとその子供の胸には魔王に刻まれていた魔眼と同じ紋様が刻まれていたそうですわ」
魔族の証『魔眼』、名前の由来は不明だが、それは魔族の身体の何処かに表れる紋様であり、その形は遺伝で決定されるのだ。
「なるほど……漸く合点がいきました。姫様は王妃様から魔王の魔眼がどの様な形だったかを教えられていたのですね。そしてそれと同じ物がこのカタログに載っていたと」
「確かな才能と力を持った魔王の息子、そんな殿方をわたくし自らの手で屈伏させられるなんて……最高ではありませんか!」
後にバアヤは語る。この時の姫様は見る者全てを魅了するような美しい表情であった、と。
「さてと、今日は手始めに靴の裏でも嘗めさせようかしら?それとも意味もなく鞭で叩いて差し上げようかしら?悩みどころですわね」
「姫様……やはりこのバアヤの教育が間違っていたのでしょうか……」
産まれて初めてバアヤは魔族に本気で同情したという。