灰に還る願い
風が、寂しく鳴いていた。
その音を聞きながら、メレナは腰をかがめ、白い花を摘んでいた。
花の名は“ユルナ”。小さくて、日差しを浴びると光を返す。
薬草としても重宝されるが、メレナにとってはそれ以上の意味を持っていた。
「――もう、十年か」
風の中に、声が溶ける。
あの日、幼い少女が笑っていた顔を思い出す。
村の子で、いつも花を摘んではメレナにくれた。
――“お姉ちゃん、わたしも魔法つかいになりたい!”
無邪気な声。まぶしい笑顔。
その笑顔が、川に沈む瞬間を、今でも夢に見る。
助けたかった。
でも、あの時はテリトリーの外だった。
**魔法**が使えず、ただ手を伸ばすことしかできなかった。
その手が、届かなかった。
――だから、人は彼女を恐れた。
“魔女に殺された”と囁き、家を燃やそうとした者さえいた。
それでもメレナは、村の外れに残った。
誰かのためではない。ただ、そこに生きるしかなかったから。
花を摘み、薬を作り、時々、病の子を治した。
感謝の言葉よりも、恐れの視線が多い毎日だったが、それでも生きていた。
……その日までは。
リノア・ファルシータ。
**聖痕の神子**を名乗る少女と、彼女を守る剣士と槍使い。
あの三人が現れたことで、メレナの静かな日々は少しだけ揺れた。
あの少女――リノアの笑顔は、まるで光そのものだった。
同じ“魔の力”を宿しているのに、なぜあんなにも眩しいのだろう。
「……羨ましい、なんて」
自分の口からその言葉が零れ、メレナは小さく笑った。
嫉妬の魔女――。
それが、村人が彼女に与えた名だった。
けれど、それはまるで、自分自身を呪う言葉のように思えた。
羨んで、焦がれて、そして失った。
そうやって、感情だけが生き続けている。
だから、今日もまた花を摘む。
せめて誰かの役に立てるように。
そう思いながら、メレナは空の籠を肩にかけ、帰路についた。
◆ ◆ ◆
村の入り口が見えたとき、胸に違和感が走った。
風が焦げている。
空気の中に、鉄のような匂いが混じっていた。
「……?」
歩みを速める。
林を抜けた先――見慣れた小屋が、炎に包まれていた。
「……嘘……でしょ」
足が動かない。
あまりにも現実離れした光景に、思考が追いつかなかった。
燃えているのは、自分の家。
その周囲に、人がいた。村の男たちだ。
聖痕が刻まれた腕を光らせながら、火を操っている。
――火の魔法。
それは本来、メレナが使うはずの術だった。
けれど今は、彼らがそれを使っている。
「おい、見ろ! 魔女だ!」
誰かが叫んだ。
振り向いた瞬間、数本の火の矢が彼女の足元に突き刺さる。
「やめて……! 私は――!」
「黙れっ! 神子様が来てくださったんだ! もう魔女の力なんて要らねえ!」
「お前のせいで、あの子が死んだ! この村に災いを呼んだ!」
「今度こそ終わらせる!」
次々と浴びせられる罵声。
聖痕が光を増し、火の粉が舞う。
その光景を、メレナはただ見つめていた。
涙も、怒りも、何も出てこない。
ただ――胸の奥が、空っぽだった。
(……結局、こうなるのね)
火の粉が頬を掠め、皮膚を焼く。
それでも、もう怖くなかった。
思い出すのは、あの旅人たちの顔。
光を背に微笑む少女。
彼女を支える二人の青年。
――いいなぁ。
「……ああ、本当に……羨ましいわ」
その言葉が、まるで祈りのように零れる。
そしてメレナは、ゆっくりと目を閉じた。
「……魔法なんて、使えなくてよかった」
「魔女じゃなくて……よかった」
次の瞬間、足元の大地が淡く光った。
それは聖痕ではない。
もっと深い、世界の底から呼び起こされるような光。
“嫉妬”という感情が、燃え上がった炎に共鳴した。
大地を裂くような衝撃。
空が赤に染まり、村人たちの悲鳴が遠くで響いた。
炎が一気に渦を巻き、すべてを呑み込んだ。
メレナの姿も、光も、声も、その中へ消えた。
◆ ◆ ◆
――その夜。
遥か離れた街道を歩くリノアたちのもとに、
突然、風が吹いた。
乾いた空気の中に、ほんの一瞬だけ“焦げたような”香りが混じった。
リノアは足を止め、空を見上げた。
「……今の、なにか温かかったね」
セリューが首をかしげる。
「風向きでも変わったんじゃねえのか?」
アデルは無言で空を仰いだ。
星の瞬きが、妙に滲んで見えた。
「……また、会えるといいな」
リノアの呟きは風に乗って、夜空に消えた。
誰も知らない。
その言葉が、遠いどこかで小さな光を生んだことを。
――嫉妬の魔女・メレナ。
その名を知る者はいなくなった。
けれど、ひとたび“羨望”が芽吹く場所に、
また新たな魔女が生まれるという。
それは、神が人に与えた“感情”という呪いの、
ほんのひとしずくだった。




