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StigmaPlunder  作者: 織倉こた
第一部
2/8

拒まれた光

 焚き火の炎が、夜の森を揺らしていた。

 赤い光がアデルの頬をかすめ、木々の影が風に揺れる。

 目を閉じると、耳の奥に焔のはぜる音がやけに近く感じられた。

 ――ここがどこなのか、なぜ倒れていたのか。

 記憶はまだ霧の奥に沈んでいる。


「起きてて平気?」

 柔らかな声に顔を上げると、火の向こうにリノアがいた。

 焚き火の明かりを受けて、赤みのある瞳がほのかに光っている。

 膝の上で両手を組み、祈りを終えたところらしかった。


「熱は下がったみたいね。よかった……」

「ずいぶん世話をかけてしまった」

「いいの。倒れてる人を見捨てるわけないでしょ?」


 そう言ってリノアは微笑む。

 その無邪気な笑顔が、アデルにはどこか懐かしく思えた。


「ま、神子様が拾ってくれたんだ。ありがたく思っとけよ」

 少し離れた場所で槍を研いでいたセリューが、焚き火越しに笑う。

 細身の青髪が炎に照らされ、ちらちらと揺れた。

「セリュー、またそれ。神子様って呼ぶの、やめてって言ったのに」

「いや、もう癖でな。悪ぃ悪ぃ」


 二人の軽いやり取りに、アデルの口元が緩む。

 この温度、この空気。

 どこか遠い昔に感じたような安らぎを、かすかに覚えた。


「ねえ、アデル」

 少し間を置いて、リノアが真剣な声で言った。

「君には、**聖痕スティグマ**がないんだよね?」

「ああ。……それが何なのかも、正直よく分かってない」


 リノアは焚き火の明かりに照らされながら、静かに言葉を紡ぐ。


「聖痕は、神が人に授ける力の印です。

 

 私の使命は、巡礼の旅でこの力を人々に分け与えること。

 

 魔法アーツを使うために必要な“導き”の証なんです。」


 その声は柔らかく、まるで祈りそのもののようだった。

 アデルはその言葉を黙って聞いていた。

 “神が力を与える”――どこか、耳慣れない響きだ。

 けれど、彼女の語るそれが真実であることは、なぜか分かった。


「もし、君さえよければ……」

 リノアは少し躊躇してから続けた。

「今夜、試してみようか? 聖痕を授ける儀式を」


 アデルは少し迷ってから、頷いた。

「危険はないのか?」

「大丈夫。少し眩しいくらい。痛くはないから」

 リノアは穏やかに笑った。

 焚き火の光の中で、その笑顔は小さな灯のように見えた。


 夜が更ける。

 月が高く昇るころ、リノアは立ち上がった。

 空気が張り詰め、虫の声すら遠ざかる。


「神イフィルの御名において――この者に、導きの光を……」


 静かな祈りの言葉が響く。

 リノアの掌が淡く輝き、金色の光がアデルの身体を包み込んだ。

 柔らかな温もり。

 それはまるで、世界の奥から差し込む朝日を浴びているようだった。


 しかし、次の瞬間。


 ――光が途切れた。


 音もなく、あっけなく。

 輝きは空中で溶け、何も残さず消えていった。


「え……?」

 リノアの瞳が揺れる。

 もう一度祈りを唱える。けれど、光は戻らない。

 指先の先で、空気が冷たく固まっているようだった。


「どういうことだ……?」

 アデルが低く呟く。

 セリューが立ち上がり、二人に近づいた。

「リノア、失敗か?」

「……わからない。こんなの初めて」


 リノアは自分の手を見つめた。

 震える指先に、まだ微かに光の余韻が残っている。

「導きが……届かなかった。……私の力が、足りなかったのかな」

 そう呟いた声が、火の音にかき消された。


「気にするな」

 アデルは静かに言った。

「俺が特別なわけじゃない。きっと、運が悪かっただけだ」

「ううん……私のせい。ごめんね」

 リノアは俯きながらも、小さく笑った。

 「もう少し修行が必要みたい。――次は、きっと」


 その笑顔が、どこか無理に見えた。


 夜が更け、焚き火の炎が小さくなっていく。

 セリューは寝息を立て、リノアは少し離れた場所で眠っていた。

 アデルは一人、空を見上げていた。


 星が静かに瞬く。

 目を閉じると、胸の奥で何かが微かに鳴る。

 言葉にもならない、かすかな音。


 “届かなかった導き”――

 それが自分を拒んだのか、

 それとも、別の何かがそれを遮ったのか。


 答えは分からない。

 ただ、心の奥に残ったのは、微かなざらつきだけだった。


 翌朝。

 冷たい霧の中で、リノアはもういつもの笑顔を取り戻していた。

「おはよう、アデル。今日は北の村に向かおう。そこに小さな礼拝堂があるんだ」

「無理はするな」

「ふふ、大丈夫。もう元気だよ。……昨日のことは忘れてね」


 彼女はそう言って笑った。

 アデルは頷き、肩の荷を背負う。

 セリューが軽口を叩きながら槍を担ぐ。


「出発だ。村までは半日だぞ。寄り道すんなよ、神子様」

「もー、またそれ言う!」


 三人の声が森の中に溶けていく。

 風が草を撫で、遠くで鳥が鳴いた。


 ――拒まれた光。

 それが何を意味するのかを知る者は、まだ誰もいなかった。

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