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第12話 ティガーの苦悩

 その日も、ティガーは畑の前に立ち尽くしていた。


 畑には青々としたキャベツが並んでいる。いや、本来ならば青々とした姿でいてくれるはずだったのだが、現実は無惨にも穴だらけ。


外葉は食い散らかされ、芯しか残っていない株すらある。犯人は、群がる無数の青虫。


 元勇者ティガーは額に汗を浮かべながら、腕を組み、そして呻いた。


「ううむ……どうしたものか……」


 この光景を目にしてから、すでに一週間。


 普通の農民ならとっくに何らかの処置をしているだろう。薬草を煎じた虫除けを撒くなり、鳥を呼ぶなり、あるいは指で摘み取るなり。だが、ティガーにはそれができなかった。


 彼はかつて勇者として世界を救った存在である。勇者とは何か。それは弱き者を助ける者。守るべきは人間に限らない。虫であっても、生きるために懸命にキャベツを食んでいるのだ。


「彼らも、生きているのだ……生きるのに必死なのだ……!」


 その葛藤の結果が、一週間の放置。結果、青虫は順調に成長し、蝶になろうとし、そしてキャベツ畑は壊滅に近づいている。


 近所の農民たちの苛立ちは限界に達していた。


「ティガーさん! あんたのとこの虫がうちに広がるかもしれんだろ!」


「そうなったら、どう責任をとるつもりだ!」


 毎日のように怒鳴り声が飛んでくる。


 その愚痴は当然、家族の耳にも届く。


「……おやじ、どうにかしろよ」


 息子カイエンの冷たい一言が胸に刺さった。


 それでも決断できない。いや、決断したくないのだ。何度も言う。勇者は弱き者を救う存在である。弱き青虫を殺すなど、己の信念に反する。


「だが、このままでは……!」


 悩みに悩んだ末、ついにその口から叫びが迸った。


「わぁぁぁあああああああああああ!」


 それはただの叫びではない。勇者の魂が宿った覇気を帯びた声だ。大地を揺るがし、空気を震わせ、周囲の木々の葉がざわめいた。


 そして――。


 キャベツに群がっていた青虫たちが、一斉に硬直し、そのまま絶命した。


「………………あ」


 沈黙。




 畑には風の音だけが流れる。


 ティガーの視線の先には、ぽろぽろと落ちる小さな亡骸。


「な……なんということだ……! わ、わたしは……弱き者を……自らの手で……!」


 膝から崩れ落ち、両手で顔を覆う。


 勇者の心に深い傷が刻まれた瞬間だった。


 そんな彼の背後から、小さな声がした。



「……なにやってんの?」


 振り返ると、そこには娘のレミリアがいた。腰に手を当て、呆れた顔で父を見下ろしている。


「くだらなっ。そんなことで一週間も悩んでたの?」


「く、くだらない……だと……?」


「だってそうじゃん。生きてれば何か食べないと、生きていけないんだから。青虫が食べるか、私たちが食べるか。それだけの話でしょ」


 小悪魔のような笑みを浮かべつつも、あっさりと、ごく当たり前のことを言い放つ。


 その言葉はティガーの心を貫いた。


「そ、そうか……! わたしはなんと狭い考えに囚われていたのだろう! 食べるということは、生きるということ……! 命をいただくということ……! おお、なんと尊い――」


 感動に打ちひしがれ、涙まで浮かべる勇者。


 だが、レミリアは続ける。


「でもさ、青虫殺したのはお父さんだからね」


「ぐふぅっ……!」


 再び心を抉られ、勇者は項垂れた。


 その場に重苦しい沈黙が漂う。





 ……しかし、その日の夕暮れ。


 誰もいなくなった畑に、ひとりの女性が現れた。


「ん? あら、ここは……」


 聖女ミトスである。


 彼女は何気なくキャベツ畑を見た。


「まあ、ずいぶん荒れてるわね。ふふ、でもみんな懸命に生きているのね」


 そう言って両手を胸の前で組む。


 次の瞬間、彼女の身体が柔らかく光を放った。


 畑全体がその光に包まれる。


 死んでいたはずの青虫たちが、ぽこぽこと蘇り始めた。


 奇跡の力である。だが本人は特に意識もしていない。軽く頷くと、何事もなかったかのようにその場を立ち去った。




 翌朝。


 ティガーは畑にやってきた。


「さて……昨日の惨状を、心に刻まねば……」


 だが目に映ったのは、昨日以上に穴だらけのキャベツ。


「……え?」


 よく見ると、昨日死んだはずの青虫たちが、元気いっぱいに葉を食い荒らしているではないか。


「な、なんという……! これは……神が与えた試練なのか……?」


 勇者は天を仰ぎ、そして――苦笑した。


「ふっ……よかろう。この畑は……今回は諦めるか」


 そう言うと、隣の未開墾の野原に視線を向ける。


 次の瞬間、腰の鍬を手に取り、ものすごい勢いで開墾を始めた。


「うおおおおおおおおおお!」


 その姿は、まさに鬼の如し。


 こうしてまたひとつ、新しい畑が広がっていくのだった。


 そして遠くからそれを眺めていたカイエンは、ため息をつきながら呟いた。


「……どうしようもねぇな、この家族。隣の農家の人に……何といえばいいのかな…………」


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