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人と魔族の戦い、あるいは恋

鍵を落して魔王城に入れない魔王VSピッキングを申し出る勇者

作者: 棚本いこま


 ついに魔王城の門前まで辿り着いた。

 長旅で傷んだ身体が辛いけれど、心はやる気に満ちている。


 伝説の聖剣に選ばれた日のことを思い出す。まさか町の工務店の一人娘だった私が、勇者として旅に出ることになるとは思わなかった。


 魔王にその身を呪われたという国王様は、私に言った。

 呪いを解くためには、魔王を倒さなければならないのだと。

 そして魔王を倒せるのは、聖剣に選ばれた勇者だけなのだと。


 そういうわけで王命を受けた私は、身の丈ほどある聖剣を背負い、はるばる東の果ての魔王城までやって来たのである。


 王都から列車に揺られること5時間。鉄路の敷かれていない地域から先は徒歩で進み、ときおり荷馬車に乗せてもらい、辿り着いた魔王の地。


 道中では魔獣に襲われている人を助けたり、木から降りられない子猫を助けたり、主演が突如腹痛になってしまった村のお祭りの寸劇で代役に指名されたり、なんやかんやで一か月の長旅になった。


 初めて乗った長距離列車では酔いに苦しめられた。

 慣れない野宿で寝違えてしまい首を痛めたこともあった。

 魔獣を撃退したお礼に村人たちが振る舞ってくれた昆虫料理がお腹に合わず下痢を起こしたこともあった(料理はとても美味しかった)。


 そして魔王城を目前にした今、たくさん歩いた足が靴擦れで痛んで辛い。

 けれども私は勇者。このくらいの痛み、耐えてみせる。


「よし……!」


 涙を拭って気合を入れ、あらためて魔王城を見上げる。いかにも魔王魔王したその威容に、感嘆の声が漏れた。


「魔王城って大きいなあ……!」


 尖塔のお洒落なデザインを見上げながら歩いていたら、魔王城の入り口、これもお洒落な玄関扉の前に、人影があることに気が付いた。


 魔王城に人がいるとは思わなかったので驚いて、歩く速度を落とし、そろそろと慎重に近づく。


 魔王城の玄関前にいるのは、褐色の肌をした青年だった。長い黒髪を一つに編んで垂らしている。この国では褐色の肌も黒い髪も非常に珍しいのだけれど、そんなことよりも注目すべきは、頭に生えた二本の角だ。透明でキラキラと輝く水晶のような角が、側頭部から生えている。宝石のような角は高位魔族の証である。


 なんだかカッコいいマントを羽織っている魔族の青年は、片手に長ネギのはみ出した籠を提げていた。お買い物の帰りらしい。


「マジかよ……」


 と、青年の呟きが聞こえた。彼は玄関の扉を見つめているので、2メートル後方に立つ私には気付いていない。


「鍵落した……」


 ズボンのポケットをごそごそし、マントをばさばさ言わせ、長ネギ入りの籠を仔細に点検し、「はああああ……」と絶望の溜め息を吐く青年。


「うわ……え、どうしよ……え、これ、どうやって入れば……」


 とても困っていそうな様子だったので、声を掛けることにした。


「あのー……」


「!」


 青年はビクッと肩を震わせ、勢いよく振り返った。驚愕の表情、次いで私の姿を認めて怪訝な表情。そして私の背中の聖剣に目を留め、神妙な顔でちょっと間を置いてから、「ふん」と余裕のある笑みを浮かべた。


「……何者だ、と訊かなくても分かるぞ。貴様、勇者だな」


 さきほどまで漂っていたしょんぼりした雰囲気が雲散霧消、その身に傲岸不遜な気配を漂わせる青年。言葉を話せるほど高位の魔族と対面するのは初めてなので緊張しつつ、お辞儀をした。


「はい、勇者です。ルピカと言います」


「ふん。こんな小娘を勇者として送りつけてくるとは、人間どもの国は人材不足も甚だしいようだ」


 青年は慎重な動作で買い物籠を足元に置いてから(ネギだけでなく玉子も買ったのかもしれない)、嘲笑うように私を見た。


「貴様のような小娘に、この魔王の首が獲れるとでも思ったか?」


「ま、魔王……っ!?」


 なんとこの青年が魔王らしい。魔王というのはもっとこう、筋肉むきむきの巨体で、ものすごい魔獣的な恐ろしい姿を想像していたので、角以外は人と変わらない姿が意外だった。

 それに、600年は生きているとされる魔王だけれど、彼の外見は私より少し年上くらいにしか見えない。


 そして何より、魔王城に挑む前に玄関先でご本人に会えるとは思っていなかったので、その衝撃が大きかった。


 ぽかんと見上げる私を、魔王は愉快そうに見下ろす。


「いかにも。我が名はザクリスタ、東の地を支配する魔王だ。ふっ、どうした。驚いて声も出ないか」


「はい……。その、玄関にいらっしゃるとは思わなくて」


「……」


「あの、さっき鍵を落としたと聞こえたのですが、魔王城に入れないのですか?」


「……。……」


 魔王ザクリスタは神妙な顔でちょっと間を置いてから、咳払いをして、再び余裕の笑みに戻った。


「いいか勇者ルピカ、よく聞け。そろそろ貴様が来る頃合いだろうと思っていたのだ。思っていたからこそ、玄関前で待っていてやったのだ」


「えっ、そうだったんですか……!?」


 自宅で飼っている犬は私の帰宅の気配を察すると玄関前で待機してくれるのだけれど、まさか同じ行動を取る魔王がいるとは。

 わざわざ待ってくれていた健気さに感じ入り、「敢えてだったんですね……!」と感嘆の声を漏らすと、魔王は満足そうに頷いた。


「うむ。そうだ。敢えて、だ。敢えてここにいたのだ。聖剣の勇者如き恐るるに足らず、魔王城に入れるまでもないという意思の表れだ。ちゃんと玄関の鍵を締めて買い出しに行ったのに帰ってから鍵を落としたことに気が付いて自宅に入れなくて途方に暮れていたとかそういうわけでは断じてないからそこのところを履き違えないで欲しい」


「はい、勘違いしてすみませんでした、魔王さん」


「うむ。分かればよいのだ」


「てっきり玄関の鍵を落として困っているのかと思ってしまいました。私、錠を開けるのは得意なので、お力になれるかもと思って、つい声を掛けてしまって」


「うむ。次からは気をつ……え、錠を開けるのが得意? 貴様、鍵がなくとも玄関を開けられると言うのか?」


「えっと、大抵の玄関は。ちょっとドアノブを見せて頂いてもいいですか?」


「うん。許す」


 魔王の許しをもらったので、魔王城の玄関扉に近づき、錠の種類を確認する。


「このタイプなら1、2分で開けられると思います」


「なんだと……っ!?」


 魔王は大変な衝撃を受けた表情で、まじまじと私を見つめ、神妙な顔でちょっと間を置いてから、腕を組んでツンと顎を上げた尊大な様子で、「開けてみ?」と言った。きょとんした顔で見返してしまう。


「え? 魔王さん、鍵はお持ちなんですよね? わざわざピッキングするより、普通に開錠した方が早いですよ?」


「いやもちろん鍵はちゃんと持っているのだが、もちろん自力で問題なく開けられるのだが、ここは貴様の顔を立てる意味でその腕前を披露させてやるのも一興だと思ってな。だってほらこんな交通アクセスの悪い魔王城に遠路はるばるお越しいただいたわけだし勇者の見せ場を用意するのも魔王の務めっていうか」


「でも、父から不必要にピッキング技術を人に見せるなと言われていまして……」


「……べ、別に一度くらい、いいではないか。ちょっとくらい。駄目なのか?」


 魔王は途端にしょんぼりとしてしまった。魔王の方が私よりもずっと背が高いので見下ろされている状態なのだけれど、家で飼っている犬がおやつを求めて私を見上げる感じにそっくりだった。切望の眼差し。


「……人に見せるな、ですし! 魔王さん、人じゃないですし! 開けましょう!」


「その意気だ勇者よ!」


 途端に元気になった魔王に見守られながら、いそいそとピッキングの準備を始める。

 ちょっと邪魔なので背負っていた聖剣を降ろし、でも大事な国宝なので地べたに置くのもなあと視線を彷徨わせていたら、魔王がカッコいいマントを脱いでその辺に敷いて「直置きが嫌ならここに置いておくがいい」と言ってくれた。ありがたく聖剣を置かせてもらう。


 身軽になったところで、いつも持ち歩いているピッキングツールを両手に構え、鍵穴をかちゃかちゃと弄る。魔王は私の傍にしゃがみ込んで、興味深そうに観察していた。


「貴様は普段からこのようなことをするのか?」


「はい、うちは父が工務店を営んでいるのですが、開かずの金庫の開錠や、玄関の鍵を失くした人の依頼も受けているんです。で、私もいつか父の跡を継ぐために、錠開け見習いとして日々研鑽を積んでまして……あ、開きましたよ」


「なんだと」


 魔王城の玄関は、50秒くらいで開錠できた。自己新記録である。誇らしい気持ちでドアノブを回して扉を少し開けてみると、魔王は「や、やったぁ……」と、泣きそうな声で喜んでくれた。感激屋さんである。


「素晴らしい……! 素晴らしいぞ、勇者ルピカ。最高だ。天才か。天才と書いてルピカか」


「ちょ、そん、もう、褒め過ぎですよもう!」


 照れ照れと頭を掻いていると、魔王はよほど人類のピッキング技術に感動したのか、私を抱き上げてくるくると回り、「この業績を称えて魔王城の庭にルピカの銅像を建ててもいい。うん。建てる」と言った。


 そこまで喜んでもらえて錠開け見習い冥利に尽きるのだけれど、姿は人間と同じでも人間とは比べ物にならない魔王の膂力で抱き締められているので地味に辛かった。聖剣との契約による加護を受けた身体じゃなかったら背骨が折れていたと思う。


 背骨は無事だけれどそろそろ肺の圧迫による酸欠で三途の川が見え始めた頃、魔王は気が済んだらしく私を床に降ろし、腕を組んでツンと顎を上げた尊大な様子に戻った。


 そして、「せっかくだから上がってもいいぞ。お茶くらい出す」と言った。






「我が城の玄関の鍵のタイプが古いだと。そんなわけがあるか。最近取り替えたばかりだぞ。ほんの50年くらい前だ」


「ダメダメです、ザクリスタさん。あの手の古い錠前はピッキングが容易なので、防犯的に大変よろしくありません。空き巣に狙われないためにも、ぜひ買い替えをおすすめします」


「はあ……。ルピカがそう言うのなら、まあ、来週くらいに買い替えるか……」


「うちの工務店、ただいま錠前の半額セール中です。出張取り付け工事もお任せください。今ならクマさんのキーホルダーがノベルティで付いてきます」


「マジかよ、お得過ぎるだろ……。ふん、後で見積書をよこすがいい」


 ただいま私は魔王城の客間で、温かい紅茶と焼きたてのパンを振る舞われている。パンはザクリスタさんの手作りである。彼は自炊できるタイプの魔王らしい。そしてパンのクオリティが異様に高いので、あまりの美味しさに手が止まらない。


「しかしルピカ、お前めちゃくちゃパン食うな……。そんなに飢えていたのか……?」


「ザクリスタさんのパンが美味しすぎるんです。これは世界で勝負できる味です」


「なっ、そん、べ、別に褒めても何も出さんからなおかわり要るか?」


 最初は私を「勇者」や「貴様」と呼んでいたザクリスタさんだったけれど、「おいルピカ」「飲み物は紅茶でいいかルピカ」「ミルクは使うかルピカ」「パン食うかルピカ」と名前で呼ばれ始めたので、こちらも「魔王さん」ではなく「ザクリスタさん」と呼ぶことにして、それがすっかり板に付いた。


 ザクリスタさんが追加でパンを焼いてくれ、さらに「味に変化が欲しい」と言って、ジャムの小瓶も持ってきてくれた。


「わあ、このジャム美味しいですねー。パンがいくらでも進みます」


「それは北の魔王が新婚旅行のお土産に送って来たものだ。たくさんあるから好きなだけ食うがいい」


「ありがとうございま……えっ、ザクリスタさん以外にも魔王がいるんですか?」


「当たり前だ。こんなに地面が広いのに、魔王が一人で回るわけがないだろう。分業だ分業。しかし、北を担当しているあいつが人間の中では一番認知度が高いと思っていたが、そうでもないのか?」


「魔王と言えばここ、東の果ての魔王城だというのが通説ですが……」


「ふーん。まあ確かに、100年前に人間の娘と結婚して以来、奴が人間と争ったという話は聞かんな。あの雷野郎、新婚旅行に出たきり、未だに北の魔王城を留守にしているのか……。家は住まないとすぐに傷むというのに」


「へえ、100年前……っえ、ではこの新婚旅行ジャムは、100年前のジャム……?」


 ぱくぱくと食べていた美味しいジャムに、俄かに壮大な賞味期限切れ疑惑が浮上して蒼白になって問うと、「時間固定魔法で保存していたから鮮度はそのままだ」と安心な答えが返ってきた。扱いが至難とされる時間固定魔法を気軽にジャムの保存に使っているなんて、宮廷魔術師の皆さんが聞いたら泣いてしまうかもしれない。


「それにしても、人と魔王が結婚したという話は初めて聞きました」


「北の魔王本人は『いや結婚とか全然そういうのじゃないから一緒に住んでいるだけだから今回のこれもただの旅行であって別に新婚旅行とかじゃ全然そういうわけじゃないからそこのところ勘違いしないで欲しい』と否定していたが、あれは絶対に新婚旅行のノリだった」


 人と魔族(しかも魔王)が仲良く新婚旅行に出かけたという話を聞いて、ほっこりした気持ちになる。魔族は恐ろしい存在であるとされているけれど、そして実際に道中で戦った魔獣は怖かったけれど、ただいま甲斐甲斐しく私のカップに紅茶を注ぎ足してくれている目の前のザクリスタさんは、普通に親切な魔王である。


 何なら、靴擦れが痛いので変な歩き方をしながら玄関を通って来た私を見咎めて、入城してすぐにヨモギの足湯まで用意してくれたくらいなので、ド親切な魔王である。


「ああ、お腹いっぱいです……」


 追加のパンも新婚旅行ジャムも食べ尽くし、幸せな気持ちで満腹の余韻に浸っていると、ザクリスタさんが席を立ち、別室に消え、すぐに箱を抱えて戻って来た。


「ルピカ。お前が暇だと言うのなら遊びに付き合ってやってもいいぞ。客をもてなすのは家に上げた者の責任だからな」


 ザクリスタさんの抱えた箱には、チェスやらオセロやらショウギやらイゴやらバックギャモンやらが詰め込まれていた。箱の側面には「友達ができたら使う箱」と、なんかもう色々と察してしまう切ない文言が書かれており、図らずも胸に熱いものが込み上げた。


「別に俺がやりたいわけではなくお前がどうしてもやりたいと言うのなら……」


「ザクリスタさん。やりましょう。――箱のもの、全て」


「ルピカ……!」


 こうして私とザクリスタさんはボードゲームで遊びまくった。





「そういえばルピカお前、何しに魔王城に来たのだ?」


「はっ!」


 パン祭りからのボドゲ大会に浮かれてうっかり忘れていたが、そう言えば私は国王様から「魔王を倒せ」と言われてきたのだった。大変だ。私が魔王城に来てやったことと言えば、ピッキングして足湯してパン食べて遊んで、およそ勇者的行動を取っていない。そう言えば聖剣も玄関に放置したままである。


 魔王を倒すこと、それが使命。しかしザクリスタさんは、こんなにもいい魔王である。ド親切魔王である。どうにか話し合いで解決できないものだろうか。


「ザクリスタさんは……その、最近、イスト王国の王様を呪ったりしたでしょうか?」


「うん。した」


「!」


 こんなに親切なザクリスタさんが人を呪うだろうか、と半信半疑で訊ねてみたら、さらりと肯定されてしまった。


「徐々に頭髪が薄くなる呪いをかけてやった」


「えっ……!?」


「額と頭頂部の二か所から同時進行で禿げ上がる呪いをかけてやった」


「なんてむごい……っ!」


 あまりに凄惨な呪いの内容に愕然とした。

 私に王命を言い渡す際、王様は病身ということで天蓋の向こうのベッドに居た。だから王様の姿を視認できなかったのだけれど、よもや頭髪の危機だったとは。


 父が言っていた。男性に言ってはいけない言葉ランキング第一位は「おでこ広くなった?」だと。大事な額の生え際のみならず、頭頂部からも始まる侵略。王様の心痛は察するに余りある。


「ザクリスタさん……! どうか、王様にかけた呪いを解いてくださいませんか? そんな呪い、あんまりです」


「え、嫌だ」


 ザクリスタさんは「ふん」と鼻を鳴らして腕を組んでそっぽを向いた。


「だってあいつ、俺になんて手紙を寄越したと思う? 『我が王国は聖剣を有する。聖剣の勇者に討伐されたくなければ、我が王国の配下につけ』だぞ? 俺、何もしてないんだぞ? 失礼過ぎるだろ。普通に呪うわ」


「……」


 それは確かに王様がだいぶ失礼だけれど、でも、その報復が複合型脱毛症というのはあんまりである。


「王様もきっと反省しています。きっともう失礼は働かないと思いますし、私がそう約束してもらいます。ザクリスタさん、もう許してあげてくれませんか?」


「嫌だ。あんな身の程知らずの人間、許す価値がない。残り少ない栄華を派手に散らすがいい」


「ひ、ひどいです……。ご自分が黒くて長くてつやつやの綺麗な髪をお持ちだからって」


「なんっ、そん、そんなに褒めても何も出さんぞリンゴ剥くか?」


 ザクリスタさんはツンとした表情一転、嬉しそうにいそいそとリンゴとお皿を持ってきて、慣れた手つきで切り分けると私の前に置いた。

 アポなしで来訪した客に対し、焼きたてパンのみならずウサギさんカットのリンゴ(お洒落なピック付き)を出してくれるような優しい心を持っている彼なのに、王様の呪いを解く気は無いと言う。優しい心を復讐に駆り立てる憎悪の深さに胸が痛み、涙が出てきた。


「うっ……うう……っ」


 リンゴを見つめてぼたぼたと涙を落としていると、ザクリスタさんがぎょっとした顔になった。


「えっ、ルピカ、どうしたんだ、何だお前、ウサギさんリンゴは可愛い過ぎて食べられない派だったか?」


「ち……ちが……うう……っ……食べます……おいひい……っひく」


「何だよもう、泣くか食うかどっちにしろよもう」


 ザクリスタさんはおろおろしながら近づいてきて、慎重な手付きで私の耳の後ろ辺りを撫で始めた。これはたぶん犬にすると喜ばれる撫で方なので人間には適当ではないのだけれど、慰めようという気持ちは十分に伝わった。やはり彼は心優しい魔王である。


「なあ、頼むから泣き止んでくれないか。銅像は三体までなら増設にも応じるから」


「……ザクリスタさんは……どうしても、王様を許せませんか……?」


「……。……。……。」


 ザクリスタさんはものすごく渋い顔になって、ものすごく間を置いてから、こう言った。


「……。……。分かった。許す」


「!」


「あの人間にかけた呪いを解いてやってもいい」


 ザクリスタさんはツンとした表情で、「ただし」と付け加えた。


「ルピカに免じて今回の無礼の件は不問にしてやろうと言うだけだ。ルピカが今後、こちらに敵対しないことが条件だ。聖剣の勇者を敵に回すのは得策ではないという魔族全体を鑑みた戦略的判断であり断じてルピカが泣いていると非常に困惑するからとかそんな個人的都合ではないのでそこのところ履き違えないで欲しい」


「ザクリスタさん……!」


 魔族全体のためならば私憤を飲み込む。なんとできた王であろうか。さすが魔王である。


「そういうわけだからルピカには俺と契約を結んでもらう」


 ザクリスタさんがさっと手を振ると、ぽんと可愛い音がして、ぶ厚い紙の束が現れた。これは何だろうという顔で彼を見ると、「契約書だ。読んでサインしろ」と言われたので、紙の束を受け取って目を通す。


 それは数十ページに及ぶ非常に長い文章だったけれど、契約書は隅々まで読むようにとの父の教えなので、一言一句に目を通した。内容を要約すると、「魔王ザクリスタと勇者ルピカは永遠に仲良しである」的なことを誓う旨だった。なんという厚い友情。契約書を持つ手が感動で震える。鼻の奥がツンとする。最後のページの記名欄に丁寧にサインし、涙を堪えながら契約書を返した。


「ザクリスタさん……。私たち、ずっ友です!」


「ルピカ……!」


 私たちは固い握手を交わした。魔王と勇者の友情が結ばれた瞬間である。



 *** 


 イスト王国の王城に黒竜が舞い降りたので、城内は俄かに騒然となった。


 黒竜だけでも厄介なのに、なんとその背にいるのは、聖剣の勇者が討伐に行ったはずの魔王である。大勢の兵士と魔術師が集まるも、黒龍と魔王が発する魔力の圧に、誰一人動けない。


 魔王は少女を抱えて降りてきた。ぐったりとした様子で大人しく抱えられている少女の姿に、城の兵士たちは絶望した。彼女は聖剣の勇者である。勇者が負けたというのか。


 大勢の兵士たちが見守る中、魔王はお姫様抱っこしていた少女をものすごく慎重そうに地面に降ろした。「ルピカお前、竜で酔うとか三半規管が弱すぎだろう……」「すみませ、うえっ、駄目です、吐きそう……」みたいなやりとりが聞こえる。魔王は甲斐甲斐しく少女に炭酸水を渡してから(乗り物酔いに効くらしい)、兵士たちの前に歩み出て、「国王を呼んで来い。呪いを解くから」と言った。


 こうして国王は呪いを解かれ、さらにおまけで「ふさふさの加護」を与えられ、大喜びしたという。



 *** 



 二度目に魔王城を訪れた時、私は聖剣の代わりに工具一式を背負って行った。


「どうでしょう、ザクリスタさん!」


「おお……! なんか最新の鍵という感じがするぞルピカ……!」


 私が取りつけた玄関の錠を見て、ザクリスタさんはご満悦である。出張取り付け工事のノベルティでプレゼントしたクマさんキーホルダーも大変喜んでくれた。


「せっかくだから上がっていくがいい。パンを焼いてやろう」


「わあ、ありがとうございます!」


 私はその後も、たびたび魔王城を訪れるようになった。

 聖剣も工具も待たず、勇者でも工務店の店員としてでもなく、ただ魔王ザクリスタの友達として。


 魔王城の庭には今日も、「闇に閉ざされし扉を開放するルピカ像」が輝いている。




~登場人物紹介~


 ルピカ

 ピッキングができるタイプの勇者。魔王城に遊びに行く際は、竜に乗ったザクリスタが迎えに来てくれる。竜での移動に慣れないルピカはその度に「今日も酔いそう……」と己の不甲斐なさにしょんぼりするのだが、魔族の青年にお姫様抱っこで竜に乗せられ飛び去っていく悲し気な彼女の姿は、「魔族に無理やり攫われる哀れな少女の図」に見えるらしく、たびたび通報されるらしい。



 ザクリスタ

 クッキングができるタイプの魔王。長らく魔王城で一人暮らしをしており、食材の買い出しも自分で行く。ルピカがいないと寂しいのではなくルピカの方が寂しがっているだろうから仕方なく魔王城に招待しているのであってルピカがいないと寂しいわけではないからそこのあたり履き違えないで欲しい。



 ルピカの父

 勇者として旅立った一人娘が魔王のマブダチになって帰ってきた件。


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 読了ありがとうございました!


 ちなみに作中に出てきた北の魔王は、「腱鞘炎で聖剣が抜けない勇者VS四十肩で腕が上がらない魔王」で活躍したザフィールさんです。


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聖剣さん 「我らが創造主が望むは、世界の平和…。人の国の王など知ったことでない…。  困りごとを解決して魔王の心を解きほぐし、その優しさで以て人と魔族の架け橋になる彼女こそ、気高き勇者…。彼女に加護を…
2人の会話がテンポ良く、楽しく読みました。問題もすっきり解消して、王様も幸せでよかったです。
なんかここにきて先生の作品が代わる代わるランクインしてきてますね。 目が死んでる聖女と初夜のベッドで注目度が爆上がりしたんでしょうか… 推しがスターダムを駆け上ってみんなのものになっていく嬉し…
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