妹の機嫌をとるためなら死んだってかまわない!
「お兄ちゃん……死んで?」
セミどもがミンミンと鳴き喚き、暑さも本格的になってきた夏の午後。4月から中学生になった妹に、真顔でそんな事を言われた。
俺の妹、真鍋彩佳はこの世で最も可愛い少女の一人だ。そんな事を言うと、やれやれと思われるかもしれないが信じてもらいたい。俺は17年生きてきて、こんなにポニーテールの似合う女の子を他に知らない。
かくいう俺は、妹の事が好きで好きで堪らない、いわゆるシスコンと言うやつだが、そのシスコンにとって「お兄ちゃん……死んで?」というセリフが、これほど残酷なものだとは知らなかった。妹よ……お兄ちゃんは今、軽く死にたい気分だ。
「悪かった! 謝るから! ほら、ぼっち気質な彩佳が、まさか友達を連れて来るとは思わなかったんだよ。勝手に彩佳の部屋でゲームしててごめんな……。だからその……包丁をこっちに向けるのやめてくれ! 頼む、許してくれ!」
台所からなにやら物騒なモノを持ってきて、妹が殺気を向けてくる。
怒るとは思ったが、まさかこれほどとは……。
「許せるわけないでしょ? ゲームはいいとして、何で全裸なの? バカなの? 加奈ちゃんも詩織ちゃんも本当に怖がってたんだよ?」
そう……俺は全裸だった。
いや……正しくは妹と対峙している今も、全裸なのだが。
そろそろ服を着させて欲しいのだが!
「本当に悪かったよ! 夏休みに入って、少し浮かれてたのかもしれない……」
なにせ、この暑さだ。ゲームで全力をだすためには、全裸になるしかなかったのだ。そして妹の部屋は、俺に特別な癒しを与えてくれる。妹の部屋で全裸でいるとき、俺は集中力をマックスで維持する事ができる!(つまり前科が何度もある!)
そんなこんなで全裸になってから妹の部屋でゲームを楽しんでいたのだが、玄関から女の子達の喋る声が聞こえてきて、頭の中が真っ白になった。
俺は咄嗟に隠れたクローゼットの中で、妹たちの会話を聞いていたわけだが、話の流れでなんとなく扉を開けられてしまう予感がしていた。
「ねぇ、彩佳ちゃんの部屋、なんか臭わない?」
「えっ、何か臭う?」
「う~ん、お父さんが靴下ひっくり返した時みたいな」
(!?……まさか俺の足か!?)
「あー、わかるかも」
「えー、どこからだろう」
「ちょっと彩佳。クローゼットの中、散らかってるんじゃないの~?」
(えぇ……)
なんとかこの状況をギャグっぽくして誤魔化せないかと、考えたのだが……。
「せっかく仲良くなり始めたのに……。二人とも『二度と彩佳の家には行かない』って。それはそうよね。クローゼットを開けたら裸の男がアへ顔ダブルピースしてたんだから。ねぇ、明日からどんな顔してあの二人に会えばいい? ねぇ、どうしたらいいの?」
そんな事を言われても……。
案の定クローゼットが開けられた時、俺の兄としての威厳は奈落の底へダイブした。
「「きゃああああああぁぁぁぁぁぁあああああああ!」」
彼女達はまるで巨大なゴキブリでも見たかのように、怖がりながら部屋を飛び出して行った。
あまりの悲鳴にびっくりして、心臓が仕事しなくなるところだった。
「ねぇ、お兄ちゃん。こうなったら私にはお兄ちゃんなんていなくて、あの男は変態だった。実は私も被害者だった。って事にしたいの。だから、ね?」
包丁をキランっとさせながら、ね? って言われても……
どういう意味? いやいや、怖いんですけど。
「な……なぁ彩佳。少し落ち着こう! そして話しをしよう! いいか、よく聞け? まず俺を殺した所で、彩佳がその変態さんの妹である事実は変わらない。変わらないんだ! むしろ俺を殺すことで、変態殺しの汚名まで着せられてしまうんだぞ? 変態さんの妹で変態殺しだぞ? そんなの……リスクが大きすぎる!」
俺は逆に、妹の身を案じていた。
「そんなに死ぬのが怖い? 普段は私のためなら死ねるとかって言ってたくせに」
「ち、違う! 俺は……」
俺は妹のためなら死ねるだろうか? 今までそんな事考えたことも無かったが。
大切な妹のためとはいえ自分の命を捨てれるのか? そんな簡単に死を選ぶ事ができるのだろうか? そんなの、考えるまでもないだろ。 俺は妹に殺されるなら本望! むしろ妹の手で「ごめんね、お兄ちゃん」って言われながら殺されたい。どうせ死ぬなら、そんなシチュエーションで死を迎えたい。
「どうしたの、お兄ちゃん? もう会えなくなると思うと寂しいけど、覚悟してね?」
もう会えなくなる……。
あっ、そうだ。死んじゃったら、もう彩佳と会えなくなるんだ。一緒にいられなくなるんだ。それこそ地獄じゃないか!
どうしよう……。絶対に死にたくない!
「すまん、彩佳。俺はまだ死にたくない。彩佳の事が好きだから。彩佳と一緒じゃなきゃ嫌なんだ!」
「い、いきなり何? 気でも狂った?」
今、気が狂ってるのはお前さんの方だ。
「俺は……世界中の誰よりも彩佳の事を解ってる自信がある。彩佳がいつも勉強を頑張ってるの知ってるよ。嫌いなピーマンを我慢して食べてるの知ってるよ。実は人一倍プライドが高い事も、最近エッチな事を覚えだして、夜中にコソコソしてることも。何時だって彩佳の事を見守ってるんだ! こんなに彩佳の事を想ってるのに、本当に死なないとダメか?」
自分の想いをこれほど率直に伝えるのは、これが初めてだった。
視界が滲んで、頬に熱いものが伝っていくのが分かる。
俺の想いを知った妹も、目にうっすら涙を浮かべていた。
そして小刻みに肩を震わせている。
「お兄ちゃん……やっぱり死んで!!!!」
悪い夢でも見ていたのかもしれない。
目が覚めると、俺は自室のベッドに横になっていた。
天井の照明が眩しい。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
彩佳が心配そうに俺の顔をのぞき込んできた。
どうやら俺が起きるのを待っていたらしい。
「急に倒れるんだもん。びっくりするじゃん。あのさ……」
妹はいつになく真剣な表情で俺を見てきた。
彩佳にまっすぐ見つめられると、兄妹の俺でもドキッとしてしまう。
「さっきは包丁を向けたりしてごめん。反省してます……」
そのことは夢であってほしかったのだが、やはり現実だったようだ。
それもそうか。俺、まだ裸だしな……
「いや、俺のほうこそ本当にごめん」
あんなことがあったばかりなのに、ちゃんと謝ることができる妹。
俺にとって、彩佳は本当に自慢のできる妹なのだ。
「なぁ、彩佳。お兄ちゃんのこと、どう思う?」
なんでそんなことを聞いたのか自分でもよくわからない。
妹のことに関しては、どう思われたいかではなく、俺がどうしたいかなのだ。
「お兄ちゃんのこと? ゴキブリ……」
……………………!!!!????
「ちょっ、それはいくらなんでも言い過ぎ……」
「なに言ってんの? ほら、あそこ! ねぇ、退治して! 」
てっきりゴキブリ扱いされたのかと思ったが、違ったらしい。
俺は妹の視線の方を確認すると、そこに妹の大嫌いな昆虫を発見した。
「お兄ちゃん、あそこ! もぉー、何で出てくるの!」
妹の機嫌がみるみる悪くなっていく。許せん、虫けらの分際で。
「あったよ、ゴキジェッター! 頑張って、お兄ちゃん!」
妹の声援を受けて、俄然ヤル気が湧いてきた。
俺は害虫用のスプレーを受けとると、恐る恐るゴキブリの方へ近づいていく。
正直、殺生は好きじゃない。害虫と言えど、出来れば殺したくない。殺してしまえば、それが普通の感覚になってしまいそうで恐い。
でも今は…
俺は高々とスプレーを翳し、あのヤロウに宣告する。
「悪いが貴様には、ここで死んでもらう!!!!」
そう……
妹の機嫌をとるためなら死んだってかまわない!






