十八 第一章・転移直後 魔法と魔導と魔術
十八
八坂初行が勇者として召喚されたのは、北方大陸の中央より北側にある巨大湖のエヴァーハイト湖に突き出している半島に存在する、アラキュス教国と呼ばれている国家であった。この星では中央世界と人類が呼んでいる文明圏の人族が信仰する宗教の聖地を管理する宗教団体、聖堂教会が統治する宗教国家であり、人々の信仰を集め管理している。
その聖堂教会が勇者召喚を含めた各種宗教儀式を行う大聖堂を囲むように、教会の各組織の政庁の建物が並び、北方大陸と南方大陸に広がる教会組織を統括していた。
その政庁の一つ、聖堂騎士団本部の高位聖職者用の医務室で、八坂は助手となったニコレッタから渡された手拭いで汗がしたたる顔と禿頭をぬぐっていた。
「見事ですな、勇者殿。まるで違和感が無い」
「あくまで魔力で構築した義手ですから。実体としての腕が再生するまでは、激しい運動とかはひかえていただけると助かります」
八坂がこの世界に召喚されて最初に顔をあわせた僧侶、ソダート枢機卿が、もう六十に近い年齢にもかかわらず見事に鍛え抜かれた分厚い筋肉におおわれた裸の上半身をさらし、左腕を持ち上げたり回したりしながら感覚を確かめている。
彼の左腕はかつて魔獣討伐の際に失われ、今日まで義手がつけられてきた。それを八坂は、再生魔術を開発し実際に施術し再生したのである。
「それにしても、よくぞ思いつかれましたな。失われた臓器の代わりを魔術で制作し肉体に融合させ、身体の再生する力を利用して本来の臓器を再生させ置きかえる、というのは」
「はい。魔術というのは、あくまで現象の再現であって現象そのものではない、という点に気がついたもので。なら、魔力で疑似的に肉体という現象を再現して、本物の肉体に置きかえることはできないか、試してみました」
八坂が肉体再生などという極めてクリティカルな魔術に手を出したのは、実はそこまで深い理由があってのことではない。
彼は地球にいたころMMORPGで遊んだ経験があり、その仮想空間内で参加したパーティーやギルドでは明確ではないが厳然としたヒエラルキーが存在したことを知っていた。
MMORPGでは、多くのプレイヤーが近接戦と行う戦士職や美麗なエフェクトをともなって発動する魔法を扱う魔法職になりたがる。そして、集団でモンスターを倒すという行為は、いうなればプレイヤーキャラクターのヒットポイントとマジックポイントを消費してモンスターのヒットポイントを削減する作業なのである。つまり、報酬を獲得するために支払うべきリソースを管理するため、仮想現実のアバターを操作する、という風に言い換えることができるのであった。
そして、それぞれのキャラクターが保有するリソースを増加させることで、プレイヤーのアバターが活躍する機会をより多く提供できるのが回復職なのである。
基本的にMMORPGは、ヒットポイントやマジックポイントをアイテムを使って回復させることが可能なようシステム設計がなされているが、マジックアイテムはゲーム内通貨を消費して獲得するものであり、モンスターを倒すことで得られる報酬と引きかえということになってしまう。
それに対して回復職は、一定時間ごとに回復するマジックポイントを消費してプレイヤーのアバターの保有するヒットポイントやマジックポイントを回復させるという技能を保有しており、そのパーティーやギルドの戦闘時のリソース管理を行える立場にある。
つまり回復職は、ゲーム内において戦闘を直接行う形で楽しむのではなく、戦闘時のリソース管理を行うことでパーティーやギルド内での人間関係を楽しむ職、ということになる。そしてリソース管理を行う者は、おうおうにして発言力が高くなるのが組織というものなのだ。
八坂が勇者として召喚されてまず最初に考えたのは、どうすれば自分が聖堂教会にとってかけがえのない貴重なリソースとして扱われるか、であった。換えのきく人材では、最悪の場合には用済みとして殺されてしまうかもしれない。となれば、より利用価値が高く高度な技術職になることが、身の安全のための近道となると判断したのである。
その判断の結果として、彼は治癒魔術を中心に魔術を勉強し、独自の魔術を開発し実験し、こうして結果を出してみせて自分の価値をアピールしているのだ。
「そういうわけですので、とにかく三食、肉、魚、野菜、果物、穀物、できるかぎり多くの種類を少しづつ食べるようにしてください。それが腕の完全な再生にとって、もっとも効率的だと思います」
「そうか、忠言感謝する、勇者殿」
「いえいえ、お役に立てたならばなによりでした」
みっちりとした筋肉の老人に頭を下げられ、八坂はあわてて自分も頭を下げた。
この筋肉のかたまりの老僧侶であるソダート枢機卿が、聖堂騎士団を統括している聖堂教会の重鎮であり、彼の歓心を買うことができれば身の安全につながると、彼は十分に理解しているつもりである。そのためにまず枢機卿の失われた腕を再生してみせることで、自分の価値をアピールしてみせたわけだ。
当然、今回の施術の前に聖堂教会が運営する貧窮者を救済する施設で、治癒魔術を学び、そこから発展させる形で再生魔術を開発している。そして多数の貧窮者の治療を通じて、回復職としての魔術士になるべく研鑽を積んだのであった。
そして今のところそれはうまくいっているようであり、すでに何件も再生医療の施術依頼がきているらしい。そうニコレッタから報告があった。
紫色の瞳をアメジストのようにきらきらさせながら尊敬の目で自分を見ているニコレッタの視線にこそばゆさを感じつつ、当座の身の安全の保証が確保できたことに、八坂は心の底から安堵していた。
早河太一内閣総理大臣を首班とする内閣が発足してからしばらくして、千代田区永田町にある与党保守党本部の講堂で、早河首相をはじめとする連立与党の重鎮らが集まって講演に聞きいっていた。講師が語る内容は、この新世界で日本人が初めてふれた技術である「魔法」についてである。
「この世界において「魔法」とは、物理学でいうところの「電磁気力」「強い力」「弱い力」「重力」とは別の力、「魔力」の作用によって引き起こされる現象そのものをさします」
すでに暦も九月に入っているが、まだまだ真夏日が続くなか、ストライプの入ったライトグレーのトラディッショナルなデザインのダブルスーツをみごとに着こなしている見た目は若い講師が、堂々たる態度で「魔法」について解説している。
そして多くの聴衆がハンカチで汗をぬぐっているのにもかかわらず、講師は汗粒ひとつ浮かべる様子もみせない。
「この「魔力」によって発生する現象を研究する学問の体系が「魔導」と呼ばれており、「魔力」をもちいて現象を再現する技術が「魔術」と呼ばれています」
まずは「魔法」とは何かを定義してから、講師は右手を聴衆からよく見えるようにかかげると、そこに魔術を使った映像を映し出した。
「我々が存在するこの世界は、ベクトルがX軸、Y軸、Z軸によって定義される三次元空間です。そして三次元空間は、X軸とY軸で定義される二次元空間によって構成されます」
講師は六枚の平面を並べた映像を浮かべ、それを組み合わせて立方体を構成してみせた。
「それぞれの三次元空間は、この映像の二次元空間のように組み合わさって、四次元空間を構成していると予想されています。我々がこの世界に転移したのは、この隣接する三次元空間内の情報が入れ替わったから、と予想されます」
三次元の立方体をつぶして平面にすることで二次元の存在に変え、それを無数にならべて重ねて立方体にしてみせる。そして、立方体を二つに分けて、断面のある一点と一点を入れ替えてみせた。
ここまで解説した講師は、映像を消すとあらためて聴衆に向き直った。
「現時点では、「魔力」という五番目の力がいかなるものか、まったく判っておりません。物理学における四つの力が媒介粒子をもって伝播するのと同様に、仮に「魔力子」と呼びましょう、そうした粒子によって伝播するものなのかすら、判っていません」
講師の言葉に聴衆らは、なにがなにやらさっぱりな様子である。だが講師は、その若々しい顔に気合をみなぎらせて言葉を続けた。
「ですが、この世界では「魔力」をコントロールし、数々の現象を再現する技術が体系化され、人々の暮らしの中で活用されています。ありえない、とうい事こそありえない。この世界に我々地球人類が適応してゆくには、まず「魔法」についての知見を得る必要があると考えるものです」
ご清聴ありがとうございました。そう締めくくった講師に対して、聴衆からの拍手はまばらであった。
講演が終わったあと早河太一首相は、控室に移動して講師と話をしていた。
「お疲れ様でした、遠山博士」
「いえ、こちらこそ機会をいただき感謝しております。総理」
「いやいや、こちらこそ理数系についてはさっぱりでねえ、せっかく来ていただいたのに申し訳ない。というか、魔法で次元の壁を越えられるのはルキフェラ帝のおかげで知っていたけれどね、実際に理論化できるのかどうかは疑問だったのですよ」
遠山と呼ばれた、端正な顔立ちに丁寧に整えられたあごひげをアクセントにした、鍛えられて均整の取れた身体つきの、歳の頃は三十をはさんで前後するように見える若々しい物理学者は、穏やかに笑って早河首相の言葉に答えた。
「単純な「魔術」についてでしたら、魔術行使の為の媒介物に魔力を注ぎこむことで任意の現象を再現させる技術、と説明できます。ですが、それを物理学によって説明することが難しい。せっかく大学退官後も研究の場をいただいているのに、ふがいない話です。まことに申し訳ない」
「そういえば博士は、故湯川博士とお知り合いでしたな」
「はい。湯川先生の中間子理論から、力を媒介する粒子の研究が発展しました。ホログラフィック宇宙論はご存じですか?」
「いえ、そちらの話はさっぱりで」
遠山博士は、京都帝大在学中に勇者召喚によってこの世界に拉致され、ルキフェラ帝によって帰還してのちは京大物理学部で研究者を続け、今では「帰還者」の受け入れと生活の場を与えるための公益法人で「魔法」について研究を続けている。
彼の専門分野は理論物理学であり、その中でも重力子の挙動を中心に研究をしている。そう早河首相は事前に彼の経歴を知らされていた。
「先ほどもお話しましたが、我々の存在するこの三次元空間は、無数の二次元空間によって構成されているのと同時に、無数の三次元空間が集まって四次元空間を構成しています。詳しい話ははぶきますが、重力子はこの空間に拘束されない粒子であり、次元間を自由に行き来できる性質を持っています」
「はぁ」
「そしてホログラフィック、つまり立体映像は、二次元空間の情報構造体に光を当てると三次元の立体状に浮かび上がる映像です。逆に言いますと、低次次元の構造体は、高次次元の情報構造体によってその在り方が定まるわけです」
「そうなんですかあ」
「ええ、そうなんです。この相互の情報構造体の関係を連関させているのが次元を越えて移動できる重力子であり、いわばこの三次元世界は、四次元世界の情報構造体を重力子で投影した影である、というのがホログラフィック宇宙論なのです」
それが一体全体なんで魔法と関係するのだろう、そう早河首相は疑問に思った。
「ここからは私の仮説なのですが、魔力子は重力子同様に次元空間に拘束されない粒子であり、しかしながら情報構造体と非常に親和性が高く影響を受けやすい性質を持っている、と考えられます。そのために情報構造体の情報認識に対して敏感に反応し、空間内において情報の書きかえをすら行うことが可能である、と仮定できるのです。これが、物理学的に説明できる「魔法」となります」
「えー、つまりですな、例えば紙の上に鉛筆で文字を書くように、その魔力子を使って物理現象を起こしたりできる、と、そんな感じですか?」
「大体はそのような理解でよろしいのではないかと」
物理学の素人である早坂首相は、遠山博士の説明によって、魔術とは現実空間という紙に魔力という鉛筆で文字を書くこと、という風に理解された。
当然その理解は、学術的には間違っているのであるが、遠山博士はその間違いを正そうとはしなかった。正そうと思えば、次元と空間と場の理論の概念から説明しなくてはならず、それは政治家である早坂首相にとって必要な話ではない、と判っていたからにほかならない。
異世界を勇者として生き延び、ルクシニア帝國に助けられて日本に戻ってこれた遠山博士には、それくらいは想像できる知性があった。
「いや、大変に勉強になりました。これから日本とルクシニアとの間で、「魔法」についての共同研究が行われます。博士には是非ともそれに参加していただきたいものです」
「ありがとうございます。すでに大学をやめたの身ですので、いかようにも使ってやってください。できる限りご期待におこたえしたいと思っています」
ふにゃっとした愛想笑いを浮かべた早河首相に対して、莞爾として笑った遠山博士は全身に気力をみなぎらせている。
こうして連立与党の重鎮らの前で「魔法」について説明する機会が与えられた、ということは、彼こそが今の日本で最も「魔法」についてくわしい存在である、と認められたからである。そう遠山博士は理解していたし、またそれは事実であった。
ルキフェラ帝によって日本に帰還できた元「勇者」は少なくないが、その中で彼のように高いスキルを獲得して社会的地位を築いている人間というのは、案外いないものなのである。
そこまで力まなくてもなあ、という早河首相の内心のつぶやきは、あくまで彼の心のうちにとどめられた。