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十七 第一章・転移直後 2025年の総選挙


 十七


 日本国とルクシニア帝國の間で各種協定が締結され、それが日本の国会で承認され批准された直後、畠山武雄首相は異世界転移直後の混乱とそれにともなう国民に被害が出たことの責任をとるとして、内閣総辞職をおこない衆議院の解散総選挙を宣言した。

 転移直前の2024年に衆議院総選挙を実施したばかりであり、今年の秋に参議院選挙がひかえている中での解散総選挙は、準備不足であった野党をあわてさせることになった。


「日本国は今、未曾有の危機に直面しております! ですが、我が国には希望が見えているのです! 今こそ新たな日本を再生し、このピンチをチャンスに変えようではありませんか!!」


 文字通り挙党一致で保守党総裁に選出された早河太一議員は、連日日本全国を遊説し、国民に向かって保守党への支持と投票を求める演説を行った。


「今の我が国の危機は、与党の失敗によるものです! 平和憲法を守り、この世界の人々と話し合いと協調の姿勢を示してゆかねばなりません!!」


 それに対して野党各党は、右派系は保守党との連携に動き、左派系はこれまでの政治的主張を繰り返して支持層の脱落をふせごうとするので精一杯という体たらくである。なにしろ野党左派勢力は、まさか畠山首相がこのタイミングで解散総選挙にうって出るとは思ってもいなかったのだ。


「皆、お疲れさん。幹事長、予想はどうかね?」

「悪くはありませんな。野党は昨年の選挙で体力を使い切ってますからな。この秋の参院選をめどに選挙準備をしていたところでの総選挙です。極論言えば老人票がどう動くかによるかと思いますよ」

「若年票と現役世代票はうちがさらえそうかねえ」

「あと一押し何かあれば、ゆけるでしょう。……憲法改正」


 保守党本部に久しぶりに戻ってきた早河議員は、暦の上では残暑となっているはずがまったく涼しくなる気配のない東京の熱気と遊説の疲労で、全身が汗に濡れそぼっていた。

 日本国が転移した位置は、いうなれば地球でいうところのハバナ諸島のような場所であり、夏は暑く冬は涼しいくらいの亜熱帯気候らしい。とはいえ、地球と比較してこの星の平均気温はやや低いようで、東京の暑さもここ数年と変わらないくらいであったが。


「なにしろ憲法では、国権の発動としての武力行使を禁止しているからねえ。不審船を送ってきた相手に徒手空拳で交渉に向かうなんて、まさに自殺も同然だよ」

「ですな。幸いといっては語弊がありますが、国民の間には武力行使についてのハードルがかなり下がっている空気が見られますよ。実際に侵略者にいいようにされて、アメリカの核の傘も紛争を調停する国連も無くなった今、具体的にどうやって国を守るのか、現実を見られる者とそうでない者の温度差が激しいというところで」


 与党選挙対策本部には、壁一面に今年度いっぱい分のカレンダーが貼りつけられており、今回の総選挙も含めた各地での選挙のスケジュールがひと目でわかるようになっていた。さらに今回の総選挙での全国の選挙区の状況が書きこまれた地図も、ホワイトボードに貼られている。

 その地図の前で早河議員は、ネクタイをゆるめて胸元に扇子で風を送りながら、思案顔になっていた。こういう時の彼は、まさに悪徳政治家以外のなにものでもない顔つきになる。


「あと一押しねえ。……なあ、幹事長。このタイミングで動かない「北」だと思うかね?」

「そりゃあ動くでしょう。ただ、何をしでかすかが読めないんですよ。握っているスキャンダルでもばらしますかね?」

「どっちの?」

「そりゃあ、野党左派でしょ。連中、いまだに2010年の騒動のことを忘れていませんからな」

「だよねえ」


 早河議員は、野党左派議員らとマスコミがすっかり忘れてしまっている2010年の第二次北海道戦争勃発の危機を、日本人民共和国がどれほどうらんでいるか想像してすっかり汗も引く思いとなった。



 くしくも衆議院総選挙投票日の一週間前、大日本帝国が連合国に対し降伏文書に調印したその日、日本人民共和国の国営放送のニュースで流されていた戦没者追悼式典の席上、共産党中央委員会委員長が第二次世界大戦での犠牲者に対する哀悼の意を述べたあと、ひとつの発表をおこなった。


「同志人民諸君に喜ばしき知らせがある。共和国は帝国主義者による侵略に対して、絶対的な守りの力を同盟国よりゆずり受けてから、異世界へ転移することができた。現在同志国防軍には、五〇発を超える反応兵器が配備され、実戦投入可能な状態に入った」


 日本系とウクライナ系のハーフである党中央委員長は、その能面のような顔をカメラの放列に向け淡々と手にした演説原稿を読み上げている。


「国父同志共和国英雄樋口季一郎元帥閣下が、帝国主義者による侵略の魔の手から護られた共和国を必ず守り抜くことを、党は同志人民諸君に約束する。2010年の危機を繰り返さないためにも、党は同志人民諸君ならびに同志国防軍と一体となって、今回の危機を克服するべく邁進する覚悟である」


 聴衆の割れんばかりの拍手の中、軍楽隊が勇壮な行進曲を吹奏し、ニュース映像は政府庁舎の前にひろがる「愛国者広場」を行進する共和国国防軍の隊列を映しだした。

 その隊列の中には、9K720「イスカンデル」弾道ミサイルを搭載した八輪の大型トラックの姿があった。



 日本人民共和国のニュース映像に、日本中がわきたった。さすがのマスコミも、日本最大の仮想敵である共和国に核兵器が実戦配備された、というニュースを報じないわけにはゆかなかったからである。

 護憲と対話を百年一日のごとく繰り返すだけの左派政党は、このニュースの直後の世論調査では文字通り地の底に転がり落ちるように支持率を落とし、逆に対外強硬政策を唱える右派政党が支持を伸ばすという状況にすらなっていた。


「やってくれたねえ、「北」も」

「ですが、タイミングとしては最高でしたな。我が党にとっては、ですが」


 保守党本部で早河太一議員と幹事長は、保守党が独自に調査した世論調査の報告書を前に頭を抱えたそうな表情でうなっていた。


「「北」に対抗して核武装をとなえる右派政党の支持率が、ここまで伸びるとか、ちょっと信じがたいものがあるよねえ。これまでなら「北」の要求を受け入れて妥協しろ、という空気になったのに」

「まあ、北海道での騒動を覚えている人間は、まだまだ多いですからな。SNSあたりですと、「北」との対話を書き込んだだけで叩かれる空気だとか」

「……地球にいた頃の平和ボケっぷりが、まるで夢のようだよ。かといって、ここで戦前のような覇権主義的拡大政策とか、絶対に食い止めないとならないんだけれどねえ」

「なんのためにこれまで大金投じてBMD事業を押し進めてきたのか、なんですが、誰もそれに言及しないとは。困ったもんです」


 日本国は太平洋戦争の敗戦によって北海道で分断され、戦後冷戦の最前線となっていた。さらに九州のすぐ北の朝鮮半島は共産主義勢力の手に落ち、何度も日本との間に武力紛争を引き起こしている。その上二十一世紀に入ってから中国も反日に転じて拡張主義に走り、南西諸島が戦火にみまわれかねない状況にあり続けたのだ。

 そして2022年のロシアによるウクライナ侵攻によって、戦後日本の平和幻想はこっぱみじんに打ち砕かれた。日本が戦争をしかけない限り戦争は遠い別世界のもの、という国民の間にあった根拠無き思い込みが、ただの夢想でしかなかったと明らかになったのである。

 たとえイージスアショアをはじめとする各種弾道弾防衛システムが整備されていても、それは国家の安全のためのシステムであって、国民にとっては安心をもたらすものではない、ということなのであろう。


「まあ、これで憲法改正のハードルは一気に下がりましたな。問題は、どこまで踏み込むか、になりますか」

「とりあえず第九十六条の改正条項の変更だろうね。まずは衆参両院の過半数で改正を発議できるようにするだけで十分だと思うんだけれど」

「最初はそんなところでしょう。できれば憲法前文には手を入れたくはないですしな」


 早河議員と幹事長は、そろってげんなりした表情になった。

 流し放しにしているテレビの画面の中では、興奮したキャスターや解説員らが、「北」の核武装公表についてあることないことしゃべっている姿が映しだされている。彼らも米軍も国連もいなくなったこの世界で、日本が核兵器の脅威にさらされた今、どうしたらよいのかわからなくなっているのだろう。


「で、早河さん」

「なにかな?」

「「北」は核を撃ちますかね?」

「こっちから手を出さなければ撃たないと思うよ。連中のメッセージははっきりしている。自分達の意思を無視するな、それだけだよ」


 防衛大臣もつとめた早河議員は、日本人民共和国が日本国に対して望んでいるのが何なのか、十分わかっているつもりであった。

 だから、そうなるだろうという予感というよりも予想がするりと口に出せたのであろう。


「この状況を、ルクシニア帝國というか、ルツ=ヴィス大使が黙って見過ごすはずがないだろうしねえ。是非とも向こうの思惑に乗らせてもらおうじゃあないか」


 そう言いはなった早河議員の顔つきは、悪徳政治家と呼ぶにふさわしい実にどす昏いものがあった。



 総選挙は、与党保守党が単独過半数はるかに超える議席を確保し、さらに連立与党と改憲派政党も含めるならば、余裕で衆議院の議席の三分の二を超える議席を占めるにいたった。左派政党はのきなみ議席数を減らし、かつて政権党であったリベラル政党にいたっては議席を半減させる有様である。

 そのような状況となったため、早河太一議員は衆参両院の賛成多数をもって第百一代内閣総理大臣に指名され、皇居にて認証式を終えた。


「内閣総理大臣就任、おめでとうございます。早河閣下」

「お祝い、ありがとうございます。ルツ=ヴィス大使」


 そして早河首相の予想通り、さっそくルツ=ヴィス大使が面会を申し出てきたのである。

 組閣作業中であり忙しいことこの上ない早河首相であったが、彼は大使からの面会の要請をこころよく受け入れ、首相官邸で会談することにしたのであった。


「閣下の内閣総理大臣就任のお祝いに、一つお願いがあってうかがいました」

「それはそれは。是非ともうかがいましょう」


 実に良い笑顔を浮かべた二人の間の空気は、決して柔らかいものではない。

 ルツ=ヴィス大使が隠そうとして隠しきれていないその緊張は、早河首相には手に取るように明らかなのである。


「ルクシニア帝國が、日本人民共和国と交渉をもつことをお許しいただきたいのです」

「なるほどなるほど。我が国の領土を不法に占拠する武装集団と交渉をもつことは、両国の友好関係にとって決して好ましい行為ではない、と、ご理解いただけているようですな」

「もちろんですとも。日本国のゆずれない一線というものを、帝國はもちろんわきまえております。だからこそ、今回の日本人民共和国の核兵器保有宣言について、ルクシニア帝國が日本国と彼らの間の交渉の仲介をさせていただきたく」


 笑顔を浮かべつつ、だがルツ=ヴィス大使がひどく緊張するわけである。

 日本国はサンフランシスコ講和条約締結以降、一度として日本人民共和国を国家として承認したことはない。

 確かに経済的交流も人的交流もあるが、しかしそれだけである。あくまで日本国は彼らを、日本国の領土を不法に占拠する武装集団である、という立場を変えることはなかったのだ。

 その日本国に対して「北」との対話の仲介を行うと申し出ることは、下手をすれば日本政府の逆鱗をかきむしるようなことになりかねない危険性が存在するのである。

 だからこそ早河首相は、笑顔でルツ=ヴィス大使の申し出を受けることにした。


「我が国が、彼らを国家として承認していない、という点をご理解いただけているのであれば、是非とも対話の仲介をお願いしたいかと思います」

「ありがとうございます。さっそく帝國が日本国に対して友情の示せる機会がきたかと思い、先走ってしまいました。閣下の寛大なお言葉に救われる思いです」

「いえいえ。この我々が右も左もわからない世界で、はっきりと友情を示してくださっているルクシニア帝國の存在は、まさにかけがえのないものです。「北」との接触がうまくゆくことを、心から願っております」


 早河首相は、ルツ=ヴィス大使の機をみるに敏なところを、非常に高く評価していた。そして、このようにあえて危険な賭けに出られるハラのすわり具合に対して、好意すら抱いている。

 とはいえ、日本人民共和国がなんの手土産もなしに話を聞くとは、かけらも思っていなかったが。


「一つアドバイスをよろしいでしょうか」

「是非とも」

「「北」は今、北方大陸の人族と戦争状態にあります。あの国は我が国よりも余裕がありませんからな。一発殴られたら三発殴り返して足を引っかけて転がし、顔面を踏み抜くくらいはする連中です。ですが、彼らは約束は守ろうとします。逆に、約束を守ろうとしない連中を許しません。そこは腐っても同じ日本を名乗るだけはあります」

「なるほど、大変に貴重な示唆をいただけました。あらためてお礼を申し上げさせていただきます」


 笑顔をくずさず雰囲気だけほっとさせたルツ=ヴィス大使は、早河首相に向かって深く頭を下げて謝意を示した。


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