十六 第一章・転移直後 協定締結
十六
異世界転移直後に行われた防衛出動承認についての国会での審議は、荒れに荒れた。
2009年から2012年までの左派政権の失政による不況と、「北」こと日本人民共和国との再統一をもくろんで明らかに憲法違反でありながら自衛隊を用いてかけた軍事的圧力の失敗、東日本大震災対応での狼狽と無策による混乱と、2025年現在の左派野党勢力は国民の失望をまねきすぎ退潮著しい有様なのである。
そんな彼らにとって、この異世界転移とその直後の海外からの不審船来寇に対する政府の不手際は、自分達の存在を支持者層にアピールできる恰好の機会に見えたのだ。
「転移直後の海外からの侵略を受けて、国民に多くの被害者が出たのです! その責任をどうするつもりですか、総理!!」
「このたびの未曾有の激甚災害における政府の対応に、特筆するべきミスは無かったと考えます。ですが、国民の皆様に多くの被害者が出てしまった事実に対して、その責任は全て内閣総理大臣である自分にあると、考えるものです」
「ですから! その責任をどうとるつもりなのか、と、それを聞いているんです!!」
「しかるべき時に、しかるべき形で責任を取るよう検討しております」
畠山武雄首相は、もう何人目になるのかもわからない野党議員の質問を、のらりくらりとかわしていた。
今の与党保守党は、衆参両院で単独過半数を確保しており、今回の防衛出動についても国会承認を得られる見込みは立っている。ただし、それで国民が納得できるかといえば、当然そういうわけにはゆかない。しかもマスメディアは、ここぞとばかりに首相の責任を問う論陣をはり、なんとしても総理大臣辞任を勝ち取ろうとしている始末である。
つまりこの国会でのやりとりは、彼にとっては国民の不満のガス抜き以上の意味はないのだ。
「総理、国民に二万人を超える被害者が出ているのですよ! 政府は国民を守る義務を果たしていないではありませんか! 自衛隊は何をやっていたのです! 説明責任を果たしていただきたい!!」
「今回の異世界転移直後に、まず日本国の排他的経済水域に稼働可能な護衛艦を派遣し、警備活動を実施させました。その結果、多数の不審船が日本領土に向けて航行中であることを確認いたしましたので、海上保安庁と合同で不審船の臨検を実施するよう命令を下しました」
「ですから! なんで自衛隊は国民を守れなかったのか、それを聞いているんです!! 説明していただきたい!!」
「転移直前に、神山町の重力波検知施設にて異世界転移の兆候を確認いたしましたので、国会において重要事態における自衛隊の事前出動の承認を提議いたしました。ですが、国民の皆様のご理解をえられず、転移までに審議が終了いたしませんでしたので、転移後に内閣総理大臣の権限において防衛出動を発令いたしました。転移前に自衛隊の出動が行われていたならば、また違った結果になったかと考えております」
「話をずらさないでいただきたい! 不審船への対応に不備がなかったのか、それを聞いているんです!!」
「現在までに確認されている不審船の数は、511隻にのぼります。そのうち193隻が、南方大陸より北方大陸に向かう途中であった民間船であると、臨検の結果判明しております。残り318隻のうち、207隻が武装勢力と確認され海上保安庁と海上自衛隊によって拿捕されるか撃沈されるかしました。これは、海上に展開できた護衛艦と巡視船の数が百隻にも及ばないことを考えるならば、仕方のない数であると認識しております」
「仕方がない、じゃないでしょう!! 国民に死者が出ているんですよ!! 仕方がないではすまされないでしょう!!」
「それにつきましては、事前に陸上自衛隊の展開ができなかったために、沿岸部に近づいた不審船への対応が後手に回ったためであると、認識しております」
畠山首相がはっきりと、左派野党とマスメディアが組んで自衛隊の出動を妨害したから、国民に多数の被害者が出たのだと答弁したことで、議場はヤジと怒号で埋め尽くされた。
「そういうこと聞いているんじゃないんですよ! 国民に多数の死者が出た! その責任をどうとるのか、それを聞いているんです! お答えいただきたい、総理!!」
「今回の転移において、国民の皆様に多くの被害者が出てしまったことに、深く慚愧の念を抱いております。その責任はひとえに内閣総理大臣である自分にあると考えております」
畠山首相が、ひたすら全ての責任は自分にある、の一点張りで答弁を繰り返すので、野党議員は政府や自衛隊の責任を追及しきることができないでいる。そのせいか彼らの質問はさらにヒートアップし支離滅裂になってゆくばかりであった。
この日の議事は、野党議員による首相を難詰する質疑応答のみに終始し、結局防衛出動の是非について採決は行われなかった。
国会での議事が終わり、永田町の首相官邸に戻ってきた畠山首相を出迎えたのは、ルクシニア帝國からの特使であるヨルハド・ルツ=ヴィス大使と各種協定について協議を進めている早河太一外務大臣であった。
「お疲れ様でした、総理」
「そちらもお疲れ様です、早河さん。それで、先方の反応はどうでした?」
「はい、パラヴィジュラ諸島の譲渡については問題は無さそうです。帝國本土のインフラ整備事業ですが、両国が出資する形で公社を設立し、その株式を我が国と帝國で分割するという形になりました。今、出資比率について検討中です」
両国の安全保障がかかっているパラヴィジュラ諸島については、すでに相互防衛条約が締結されていることもあって、早い段階で合意にいたっていた。
しかし、帝國本土のインフラ事業については、それを統括する公社の設立までは合意をみたものの、公社に対する資本の出資比率で意見の一致をみずに議論が繰り返されている。
「とはいえ、ルツ=ヴィス大使も落としどころは見えているようで。先方の出資比率が日本側を上回るならば条件次第ではのむ、というところでしょうか」
「それならば問題ありませんね。いざとなれば資本の追加投入という手もありますから」
そもそも日本国とルクシニア帝國の国家総生産額は、二十倍から三十倍ものひらきあると考えられているのだ。事業の進捗具合によっては、日本側が資本金の上乗せを行えば容易にイニシアチブをとれるというのが、畠山首相と早河外相の一致した認識なのである。
二十一世紀の地球の金融市場で無視できない存在感を保ち続けた日本が、こと金がからむ話で、二十世紀初頭レベルの経済理論の帝國を相手にして出し抜かれるという可能性は極めて低い。だからこそルツ=ヴィス大使も、帝国側の発言力の確保にやっきになっていると日本側は考えていた。
「それで、協定の調印は、次の通常国会までに行えそうですか?」
「はい。インフラ整備では向こうに花を持たせて、防衛協力で実を持たせる。それでまとまりそうです」
「自動参戦条項について、先方はあきらめてくれそうですか?」
「はい。かわりに紛争予想地域への自衛隊の事前展開と、有事における参戦条件について相互に詳細を規定するという形でまとまりそうです」
ルクシニア帝國が求めている戦時の自動参戦条項について、日本側は今現在のこの世界の国際情勢が不明であることと、防衛関連法規の改正に時間がかかることを理由に拒否していた。そのかわり、イリオン連邦に対して戦争抑止となるだけの戦力を事前に帝國に派遣する、という形で当座をしのぎ、両国が相手国の紛争に対してどのような条件ならば参戦する義務が発生するのか、詳細を覚書という形でとりかわすことにする、というところで妥協が成立する見込みがたったというところであった。
「わかりました。それで問題はないでしょう。まとまり次第、閣議にかけてから国会での承認手続きに入ります」
「では」
「はい。これで早河さんが、次の総理ですね。……私が自分で「北」との関係を清算したかったのですが、それはお任せします」
畠山首相は、肩を落とし疲れたような笑いを浮かべた。
それに対して早河大臣は、ただひたすら頭を下げることしかできない。
「……ありがとうございます、総理。党内はまとまりましたか?」
「はい。この未曾有の危機に瀕して、野党もマスコミも地球にいた頃の感覚のままですから、さすがに危機感が足りない、というのが党内の一致した空気ですね。……秋の通常国会までに総裁選を終わらせて、解散総選挙までもってゆきたいものです」
そもそも畠山首相は、この異世界転移における諸々の責任をとる形で辞職するハラを決めていたのだ。
なにしろ転移直後の事件事故に現地人の来寇によるものも合わせるならば、国民に二万人を超える被害者が出ているのである。そのうち死者は、民間人に自衛官、海上保安官、警察官、消防士、各自治体職員なども含めて軽く千人を超える。政治とは結果が全てである以上、誰かがその責任をとらねばならないわけであり、そしてそれは内閣総理大臣である畠山武雄以外にとれる者はいなかった。
「本当は、畠山さんに副総理と財務大臣を兼任していただきたかったのですが」
「まあ、五年も総理をさせていただけたのです。あとは早河さんにお任せしますよ」
「はい。あとはお任せください」
早河太一外相は、椅子から立ち上がると、畠山武雄首相に向かって深々と腰を折って一礼した。
ルクシニア帝國からルツ=ヴィス大使を長とする使節団が到着して二週間が過ぎた。
国会では連立与党による強行採決によって防衛出動が事後承認され、それと同時に被災者支援のための特別法も可決された。
この間、野党はひたすら畠山首相を難詰するばかりで具体的な議論を一切おこなわなかった。その結果、マスメディアの徹底的なえこひいきと偏向報道が行われたにも関わらず、国民からの支持率は下がるところまで下がりきってしまった。
「本日、こうしてルクシニア帝國と日本国との間に友好関係の確立がなされたことを、心から喜ばしく思います。日本国の皆様におかれましては、どうか帝國を良き友人として信頼していただけるよう心から願うものです」
その日赤坂離宮で記者会見に応じたルツ=ヴィス大使は、満面の笑顔で記者団に向けて、帝國と日本の間に各種協定が締結されたことを発表していた。
「日本国は、ルクシニア帝國の国土開発に全力で協力することで互いの意見の一致をみました。そのために両国で共同出資した公社を設立し、資本金は日本側が40%、ルクシニア側が60%を出資することに決まりました。また、南西諸島南西にあるパラヴィジュラ諸島の領有権が、帝國より日本国に有償で譲渡されることも決定いたしました。詳細は後日現地調査後に公表いたしますが、各種地下資源が豊富に埋蔵されているとのことです」
同じように満面の笑みを浮かべた早河大臣が、記者団に向かって今回の協定の成果を発表する。
「そして、日本国はルクシニア帝國との相互防衛条約にもとづき、防衛装備品の輸出を行うことを決定いたしました。詳細は今後の交渉次第となりますが、これはルクシニアが他国からの侵略の脅威に対して十分な抑止力を獲得できるように、という意図のもとに行われるものです」
日本国は、ルクシニア帝國に戦車、火砲、対戦車兵器、その他の防衛装備品の供与を決定したのである。
ただし譲渡される装備品は、最新のものではなく昭和の頃に配備されたものをレストアして供与することになったのであるが。
なにしろルクシニア帝國の技術レベルは、日本と比較して百年は遅れているとみなせるのである。電子機器満載の最新装備なぞ、高価すぎる上に維持する費用だけで国が傾きかねない。
そういうわけで三菱重工をはじめとする防衛産業各企業も、整備拠点の開設のみならず、防衛装備庁主導ではあるが帝國の国産兵器開発に協力することが協定で定められたのであった。
「日本国は、この新世界において、新たな一歩を踏み出しました。国民の皆様におかれましては、どうか我が国が新世界で存続し、発展し繁栄するためにともに力をつくしていただきたく思います」
早河大臣がルツ=ヴィス大使と固く握手を交わす姿は、テレビでネットで新聞で雑誌で、日本国のみならずルクシニア帝國や日本人民共和国でも報道されたのであった。