十五 第一章・転移直後 日本国の回答
十五
ルクシニア帝國のヨルハド・ルツ=ヴィス大使より提示された条件をめぐって、永田町の首相官邸では閣僚達の間ではげしい議論がかわされていた。すでに夜もふけているというのにもかかわらず、誰も疲れた様子をみせるようなこともない。
「このルクシニア帝國のインフラ整備構想は、我が国経済にとって貴重な時間稼ぎになるのは確実です。道路、鉄道、港湾、水利、電力、通信、我が国から輸出できるものはいくらでもあるんです」
興奮気味に経済産業大臣が、手にした「帝國国土開発大綱草案」の写しを手のひらで叩いた。なにしろ2012年の政権奪回以降、保守党は大規模な金融緩和と公共事業を行って日本の景気を上向かせようとしてきたが、その効果が出るまで十年近くかかったのだ。
この異世界転移という未曽有の激甚災害による経済的損失は、百七十兆円にも達する規模にもなるとの試算が出ており、2025年度のGDPは20%以上低下するとさえささやかれている。この経済的損失からくる不況からの脱出のために、相当な規模の有効需要の創出が必要であることは、この場にいる全員が共有する認識であった。
「確かに我が国は今、空前の金余り状態になっている。だが、帝國は人族以外の種族の国家なのだろう? あまり深く関わりすぎると、他の人族の国家との関係締結の障害にならないか? 一国のみに全てを賭けるのはあまりにもリスクが大きすぎる」
財務大臣が経済産業大臣の興奮に水をかけるような発言をする。
確かに今の日本は、官民問わず膨大な資金が貯めこまれている。だがそれは、地球世界で日本国が有していた金融財産、知財、各種産業基盤を売却した結果得たものであって、下手な使い方をしてしまえば取り返しがつかない性質のものでもあるのだ。
左派政権時代に格段にふくらんだ赤字国債と社会保障費の負担をどう軽くするか、その上で有事を前提としてふくれあがる一方の防衛費の捻出に苦労しているのが財務省なのである。財務大臣としては、そう簡単にうまい話に乗れるわけもない。
「それに、今の我が国の産業界に、帝國での公共事業に全面的に乗り出せる余力があるのかね? 地方の公共事業ですら事業未達が頻発しているのだろう?」
「それについては経産省としても理解しています。ですから、帝國との合弁事業という形で向こうのマンパワーも活用するわけですよ。先方が欲しているのは技術であって、マンパワーではないのですから」
「今国会で審議中の「経済安全保障法」改正案を骨抜きにするようなものではないのか? 我が国がこの世界で唯一持っているアドバンテージは、先端技術とその研究開発基盤であることを軽視するべきではない」
「その先端技術を用いた製品の開発と生産の基盤を維持するための市場と資源を、帝國は日本に提供するとまで言っているのです。しかも売却されるパラビジュラ諸島は、ニューギニア諸島を凌駕する面積を有し、平野地帯もかなりの規模です。ここの開拓が進めば、食料自給率の向上どころか、海外輸出すら視野に入れられるようになります。そうですね、農林水産大臣?」
突然話をふられた農林水産大臣は、あわてて手元の資料を手に取ってページをめくった。
「……確かにパラビジュラ諸島は、気候風土は地球のフィリピン諸島に近く水資源も豊富なようですな。それに面積の半分以上が平野地帯であり、農業生産も期待できそうではあります」
「つまり、我が国の第一次産業の活性化も見込めるというわけですよ」
「とはいえ、現地住人は森妖精族、えー、資料を見る限りですと、ファンタジーものでいうところのエルフ、とでもいうのでしょうか、我々人間とは別の種族のようですね。彼らをどうするか、まずそれを考えねばならないかと」
農林水産大臣のあまり乗り気ではない表情にも、当然それなりの理由というものがある。
かつてパラビジュラ諸島は、複数の森妖精族の王国が割拠していた土地であり、長いことルクシニア帝國を宗主国としてあおいでいた。
ところが三十年ほど前に、南方大陸と北方大陸がもっとも近づく海峡をふさぐように、転移国家の群島が現れたのである。当然のように両大陸の人族はその転移国家に略奪に向かい、少なくない数の死者を出しつつも多くの財貨を奪い盗るというまねをやらかした。
その人族の略奪行は、パラビジュラ諸島の森妖精族の国々にまでおよび、帝國は宗主国として軍を発して人族の賊徒らを追い払った。その過程で少なくない数の森妖精族の王国が、疲弊し混乱状態におちいったのである。
北方大陸と南方大陸の間にはさまるように現れたその群島は、そのために地政学的な要衝として争奪戦の対象となり、何度も戦場となった。そして帝國は、転移国家を援助するという名目で転移してきた群島に大軍を上陸させ、事実上の保護国として傘下におさめたのである。
だがその転移国家も、イリオン人民社会主義連邦が転移してきて帝國に戦争をしかけたために、その過程で連邦に軍事占領されてしまった。今ではかの国は、連邦の植民地としてほそぼそと生きながらえている状態にあるという。
そしてパラビジュラ諸島も、勢いに乗った連邦軍の侵攻を受け、少なくない戦争被害を受けるにいたった。
帝國は、肌の色こそ違えど同じ森妖精族同士で結託されるよりはと、パラビジュラ諸島に大軍を派遣して連邦軍を撃退し、そのまま群島を自らの領土に編入したのである。
「こういってはなんですが、いくら資源豊富とはいいましても、戦争で荒廃した土地を獲得しても復興に必要なコストは軽くない負担となるでしょう。まして長期にわたるインフラ整備が必要となる第一次産業を根付かせるには、よほどの覚悟をもって取り組まなくてはならないかと。帝國本土のインフラ整備と、パラビジュラ諸島のインフラ整備、これ同時にやれる余裕が我が国ありますかね?」
「金ならあるんだ、帝國のインフラ整備はあくまで技術援助で済ませられる。人と物はパラビジュラ諸島につぎこめばいいだろう」
「異種族を日本国に受け入れるのか、それとも我が国が独立まで面倒をみるのか、そこをはっきり決めないと戦前の植民地経営の二の舞になるだけでは? 朝鮮半島がどうなったか、よくご存じでしょう」
「地理的には台湾を参考にするべきだろう。大陸と地続きではないというだけでも、十分に投資する価値はある」
「帝國と抗争中の軍事国家が狙っている土地ですよ? 情勢から考えるならば、朝鮮半島のほうが近いと思いますが」
ヒートアップし続ける経済産業大臣と、むきになってひたすら冷や水をかけつづける農林水産大臣のやりとりを、見ていられなくなった早河太一外務大臣が二人の間にわって入った。
「今我が国は、北に日本人民共和国という脅威が残ったままであることを思い出していただきたい。パラビジュラ諸島をイリオン連邦とやらに奪われて、また二正面での戦争を考えねばならない状況におちいるべきではないのでは?」
日本人民共和国のことをすっかり失念していた経済産業大臣と農林水産大臣は、口をつぐんでそっと視線を早河大臣からそらした。
早河大臣は防衛大臣に顔を向けると、ゆっくりと確認するように話かけた。
「今「北」は、不審船の来寇に対処するとして、北方大陸への侵攻を行っている。これは事実ですね?」
「……はい。自衛隊は、「北」が旅団規模の部隊を大陸に投入したことを確認しております」
「「北」から接触はありませんでしたか?」
あったこと前提でのが早河大臣の質問に、防衛大臣は観念したかのように口をひらいた。
「ありました。向こうが伝えてきたのは、転移直前にロシアから核弾頭を入手した、という内容です。もし今手薄になっている北海道に自衛隊を侵攻させるならば、躊躇無く最大限の実力行使を実施する、と、共産党中央委員会で決定した、と」
防衛大臣の言葉に、閣僚達は騒然となった。
日本人民共和国の核武装は、朝鮮民主主義人民共和国の核保有以前から懸念されており、アメリカとともに日本が最も神経をとがらせていた情報である。
共和国は、地球にあった頃は除け者国家呼ばわりされていたイスラエルや南アフリカと積極的に関係を持ち、国連制裁の抜け穴となって両国に各種支援をおこなっていたのは当時有名な話であった。中東戦争の結果、欧州各国が産油国であるアラブ諸国におもねってイスラエルとの関係を切るなか、共和国は変わらず関係を持ち続けたくらいである。そして南アフリカも同様に、アパルトヘイト問題で世界中から制裁を受けていてもそれには同調せず、関係を維持し続けていた。
冷戦終了後、南アフリカが保有していた核兵器が欧米の圧力によって放棄させられた過程で、日本人民共和国にも核兵器開発技術がわたっていたことが明らかになった。当然のように日本とアメリカはIAEAを使って核査察の受け入れをせまり、共和国もこれを受け入れた。そして共和国が核兵器を保有していないことが確認されると同時に、ソ連領北樺太のノグリキ市で稼働している黒鉛炉の原子力発電所と核物質濃縮や再処理のための施設に核燃料貯蔵施設が、日本人民共和国の資本で建設されていたという事実が明らかになったのである。
この問題に対しロシア連邦政府は、あくまでサハリンプロジェクトに必要な電力を供給するために日本人民共和国から出資を受けて建設したもの、という態度をとり続けた。核物質関係の施設も、共和国が建設した原子力発電施設への燃料供給基地であると表明し、軍事利用のためのものではないと主張し続けた。
当時は朝鮮半島の非核化の問題の方が重要視され、ロシアが核物質の管理を行っている以上は問題にもしづらく、日本人民共和国の核武装については限りなく黒に近いグレーとされてきたのである。
「……やはり核を入手していたか」
「本来ならば国家安全保障会議のメンバーのみに開示するべき情報ですが、日本人民共和国側が近々情報公開するつもりである、と、自衛隊に通告してきました。なので、私から情報の開示を許可しました。皆さんもそのつもりでいて下さい」
畠山武雄首相が、表情を消したまま閣僚らにくぎをさした。今の日本の国内情勢で「北」の核保有の情報を公開するのは、国民のヒステリーに火に油をそそぐことになる。すでに不審船来寇による国民被害について、マスメディアはヒステリックに政府と与党保守党の責任を問う論陣をはっており、世論がどう動くか予想がつかなくなるからだ。
「私は、帝國からの申し出は基本的に受けてよいのではないか、と考えます」
「総理、よろしいのですか?」
畠山首相の言葉に、財務大臣が何かを確認するかのように問いかけた。
その質問に対して首相は、一度大きくうなずいてから再度口をひらいた。
「前にも話しましたが、今この世界で我が国と同じ価値観を共有できるのは、日本人民共和国だけです。いかに帝國が我が国に対して融和的であっても、やはり異世界の文明国であり、種族すら違う国家であることに変わりはありません」
自分の意見をまず述べた畠山首相は、さらに言葉を続ける。
「帝國のインフラ整備事業は、我が国からも出資し、あくまで両国の共同事業としましょう。やはり事業は、金を出す側の発言力が強くなります。その上でパラビジュラ諸島も、まずは我が国の領土として編入し、再独立を念頭において開発援助をしましょう。……かつて日本人は、異民族を支配し統治することに失敗しました。なのに異種族を支配し同化するのは、まず不可能でしょうし世論も許さないでしょう」
畠山首相の言葉に、財務大臣が疑問を口にする。
「それでは、あまりにも我が国の持ち出しが多すぎるのではありませんか? 確かに日本人が植民地統治が下手なのは事実でしょう。ですが、最初から利益を度外視するのはいかがなものかと」
「利益ならあります。我が国が覇権主義国家ではない、と、この世界の他の転移国家に証明することができます。これは、将来的に我が国が各国に経済的に進出する際に、大きなアドバンテージとなります」
「……即物的な利益ではなく、信用と信頼の担保とする、ということですか?」
「はい。日本は、あくまで加工貿易によって国が成り立っていることを、忘れてはならないと考えます。ならば他国からの信用と信頼こそが、最も重要で貴重な資産となるのではありませんか?」
畠山首相の言葉に、閣僚達は皆が納得したような表情となった。
その彼らを見渡した首相は、早河大臣に向かってはっきりと宣言した。
「帝國が独立を維持し経済的に発展してゆくことを日本が援助し続けることは、戦後の日米関係と同様に、我が国にとってかけがえのない財産となるはずです。我が国はこの世界の南北の大陸に挟まれた位置に転移してしまいました。ならば、海の向こうの沿岸諸国全てを我が国の友好国とすることが、我が国の存続に必要となるでしょう。それを念頭において今後の帝國との交渉にのぞんでいただきたい。よろしいですね?」
「はい、総理」
早河大臣の力強い返事に、畠山首相は満足そうにうなずいた。
早河大臣は、首相があえて言葉にしなかった真の目論見を理解していた。植民地経営は、基本的に現地人の恨みを買うばかりで長期的にはペイしない。ならば利益となる部分への優先的アクセス権を独占し、経済的利権を確保するにとどめるのが最もコストパフォーマンスに優れるのだ。
幸いといっては語弊があるが、パラヴィジュラ諸島の住民は、戦争によって疲弊し経済再建のための援助を欲していると予想できる。ならば、彼らを助けて感謝を受けつつ、資源という利権を手中に収めてしまえばよい。
住民は独立国家として自尊心を満足させられ、日本国は各種資源を事実上独占できる。当然、得られる利益は住人にも還元するし、産業の振興にも協力する。だが、近代経済において最も肝となる金融と流通だけは、日本が独占するのだ。
早河大臣は、これでルツ=ヴィス大使から今回の交渉でのポイントを取り返せると確信したのであった。