一〇 第一章・転移直後 陸上自衛隊出動
一〇
日本の異世界転移が起きて次の日の朝午前5時、日の出とともに八戸、厚木、岩国、鹿屋、那覇の各基地より、海上自衛隊の哨戒機が日本の排他的経済水域全体への警戒監視任務のために飛び立っていった。
この時点で、日本周辺の洋上で警戒活動にあたっていた護衛艦と巡視船から、100を超える隻数の不審船が日本本土を目指しているとの報告が、官邸に入っていた。
「これは、どうみてもあれでしょうね」
三時間ほど仮眠をとってから着替えて顔を洗った畠山武雄首相は、内閣危機管理センターで馬場健司統合幕僚長と海上保安庁長官から不審船対処について報告を受け、あきれたような声をもらした。
すでに時刻は午前6時を過ぎており、全国にJアラートが発せられている。それにあわせて全国各地では、警察が出動する自衛隊のために道路の封鎖を進めており、通勤や配送の民間車両に混乱が発生しつつあった。
「日本が転移するのを待ち構えていた、としか考えられませんね」
「ルキフェラ帝のレポートにも、我が国の転移先の予想位置の記述がありました。我々は重力波変動で異世界転移を予測しましたが、こちらの世界では魔法で検知することができるようです」
現在進行形で発生している事案を前にして、畠山首相は、転移早々に防衛出動を発令できるよう準備しておいたことに、深い安堵の感情を覚えていた。
これが事前情報無しに異世界転移なぞしていたら、今頃何が起きたのかさえ把握できずに大混乱におちいっていたのは確実である。当然、今押し寄せてきている不審船の日本領土への侵入を防ぐこともできず、国民に大きな被害が出ていたであろうことは想像するだに難くはない。
午前六時にテレビやネットで、異世界転移の発生と多数の不審船が来寇していること、それに対処するために防衛出動を発令したことを記者会見で発表した畠山首相は、今のところマスメディアが国民のパニックをあおるような報道をしていないことにもほっとしていた。
そんな首相の言葉に文部科学副大臣は、手元の資料の山をひっくり返して引っ張り出した、ルキフェラ帝が日本政府に提出した転移についてのレポートを読み返していた。彼がここ内閣危機管理センターに入っているのは、文部科学大臣が仮眠に入ったのでその交代としてである。
当然、文部科学大臣だけでなく、他の国家安全保障会議メンバーらも副大臣と交代して仮眠に入っていた。
不審船の日本領土侵入は、早ければ今夜夜半から明日の朝にかけて発生することが確実視されており、その時にクリアな思考状態で対応できるようにするためである。寝不足の頭でこの有事に的確に対応できると過信するような者は、今の内閣では閣僚の椅子を与えられてはいない。
「転移直後の混乱に乗じて乱妨狼藉に及ぶ、と。行動様式が中世そのままですね」
「現在逮捕した現地人の武装も、大半が刀剣類であり、船舶の武装も前装滑腔砲との報告が入っております。ただ、一部懸念される報告が上がってきております」
「なんですか? 統幕長」
馬場健司統合幕僚長は、情報本部長から手渡された報告書にざっと目を通し、気になったポイントを指摘した。
「不審船乗組員の武装ですが、一部にはボルトアクション式ライフル銃が存在し、その威力が口径や銃弾形状と不釣り合いな威力を有している、との報告が入っております。またそれに付随して、一部の盾や鎧の中には、臨検隊が発砲した小銃弾では貫通しなかった物もあった、と」
「それは、なんです? やはり魔法、ということですかね?」
「現時点では確証はありません。ですが、ただの金属製の弾頭が着弾した際に、雷光を発したり火炎を発したり、という事例が報告されています。魔法という可能性は、排除できません」
馬場統幕長の言葉に、その場にいる全員が胡乱気な表情になった。ただ畠山首相だけは、表情を引き締めるとさらに報告をうながした。
「自衛官、海上保安官に死傷者はでましたか?」
「自衛官の受傷者は、確認できている数で十一名、うち死者は二名です」
「海上保安官の死傷者は、負傷者二十四名、死者五名とのことです」
馬場統幕長に続いて、海上保安庁長官も死傷者についての報告を口にした。
その数に畠山首相は一瞬唖然とした表情になったが、すぐに気を取り直したかのように元の表情に戻った。
「……死傷者について今は後回しにします。今はとにかく国民に被害を出さないようにするために全力をつくしましょう。できますか、自衛隊と海保は?」
「今回の事案を、不審船対処から不明武装勢力による侵略対処に変更し、対テロ戦闘を前提として武器使用の制限を外していただけるのであれば、確実に」
「……海保は、あくまで警備救難組織です。その武装は、自衛警告目的のものであって、敵を攻撃するためのものではありません」
自信満々に言い切った馬場統合幕僚長と、苦虫をかみつぶしたような表情になった海上保安庁長官の対照的な言葉に、畠山首相は二度三度とうなずいた。
「現時点では不審船に対して、これを侵略者として無差別に攻撃するわけにはゆきません。ただしそれは、自衛官や海上保安官の損害を許容するものでもありません。内閣総理大臣として、自衛行為のために必要な武器の使用は全て許可します。これを現場に徹底して下さい。これは警察も同じです。よろしくお願いします」
「了解いたしました」
畠山首相の言葉に警察庁長官は、はっきりとした声で返事をした。
秋田県に配置されている自衛隊部隊は、陸上自衛隊が秋田市に駐屯させている北部方面隊第6師団第5旅団第21普通科連隊であり、航空自衛隊が美郷町六郷基地に配置している第9航空団の二つである。
空自六郷基地は、太平洋戦争末期に陸軍が秘匿飛行場として建設したものを敗戦後米軍が接収し拡張したもので、北海道戦争の際に三沢基地とともに津軽海峡を越えて出撃する作戦機の出撃基地として使用された。そして休戦が成立してのち1957年に航空自衛隊に引き渡され、F-86F戦闘機を装備する二個飛行隊が配備されていた。
2025年現在では、F-15J/DJ戦闘機を装備する第205、第207飛行隊が配置され、津軽海峡を中心とした本州北部周辺空域および日本海上の防空にあたっている。
その六郷基地を発進したF-15J二機が、秋田県男鹿半島沖90海里の地点で東進する不審船を発見したのは、8月17日午前6時3分のことである。本来は海自八戸基地に展開するP-1哨戒機が洋上監視を実施する予定であったのだが、あまりにも多数の不審船の来寇に監視にあてられる機体が不足してしまっていたため、空自にも洋上監視の任務が回ってきたのだ。
「ブレイズ01よりトーラス・コントロール、不審船は東南に向け速度8ノット前後で移動中」
『トーラス・コントロールよりブレイズ、不審船に武装は確認できるか?」
「ネガティブ、目視では確認できない」
洋上を8ノットで進む船の詳細を、高空を400ノットで飛ぶ戦闘機で目で確認するというのに無理があるのだ。そもそもF-15Jは、低空での低速飛行は苦手とする機体なのである。むしろ洋上で木造の帆船を発見できたことが、パイロットの優秀さを証明しているといえた。
『トーラス・コントロールよりブレイズ、護衛艦も巡視船も回せる船は一隻もない。そのまま監視を続行せよ』
「ブレイズ01、了解」
『ブレイズ02、了解』
ブレイズ編隊が発見した不審船は、交代で飛来するF-15Jの監視する中、秋田県の子吉川の河口にある本荘港に侵入した。
港内の民間人は秋田県警の誘導によって避難しており、秋田市から急行した第21普通科連隊第4中隊が港周辺に展開していた。
「ドローンから映像入ります」
中隊指揮所に選んだショッピングモールの駐車場に設置した天幕の中で、中隊長の峰山航大3等陸佐は、広域多目的無線機を経由して受信されている映像に見入っていた。
液晶モニターの中では、この漁港に係留されている漁船らとそう変わらないサイズの帆船が、子吉川に入って北側の本荘マリーナキャンプ場わきの川岸に停泊したところである。
「中隊長、第1小隊を前に出しますか?」
中隊本部付き幕僚である運用訓練幹部の2等陸尉が、予備として拘置しておいた小隊を侵入者にあてるかどうか聞いてくる。
歳のせいかたるんできた顎にこぶしをあて、峰山3佐はモニターを見る目をすがめた。
「向こうが手を出すまで撃てんからなあ。森の中で近接戦闘をやらせたくはない。ないんだが、市街地に隣接しているからなあ。……マリーナに展開している第2小隊に侵入阻止を命じる。第1小隊は、市街地側の森林境界線を突撃破砕線として展開させろ」
「はい」
「第1、第2小隊に、流れ弾が市街地に入らんよう注意させろ。民間人は避難したことになっているが、実際のところはわからん」
この本荘港は漁港で、町の住人も老人が多い。警察が避難誘導を行ったとはいっても、身体的な問題から避難できずに家に残っている者がいる可能性は高い。震災時の避難支援で峰山3佐は、家から離れたがらずごねる老人を、これまでさんざん相手をしてきた経験があった。
『第2小隊長より、本部、送れ』
「こちら本部、第2小隊長、送れ」
『意見具申、キャンプ場西側道路と東側森林内を通る道路の二方向から、装甲車を先頭に小隊を推進させ、敵を包囲したい。送れ』
第2小隊長の意見具申は、峰山3佐の懸念をまっこうから無視するような内容であった。
だが、今のところ不審船から船員らは、縄梯子を使って船から降りようとしているところで、子吉川の護岸をよじのぼるところまではいっていない。
「中隊長より第2小隊長、子吉川到達までの所要時間はどれくらいかかりそうだ? 送れ」
『……同時突入なら10分程度を想定。送れ』
「中隊長了解。第2小隊は子吉川川岸で敵上陸部隊を包囲、投降を勧告せよ。自衛戦闘のための武器の使用を許可する。終わり」
『第2小隊長、了解。終わり』
峰山3佐は、あえて第2小隊長の積極策に許可を出した。
中隊には、82式装輪装甲車が13両と82式指揮通信車が1両配備されている。
82式装輪装甲車は、フランスのVAB装輪装甲車を参考にして小松製作所が開発製造した、六輪式の歩兵輸送用装甲車である。配備が始まった1983年より30年以上にわたって生産され続け、北海道の第二、第五、第七師団と北九州の第四師団以外の各師団隷下の普通科中隊を輸送する装甲トラックとして全国に配備されていた。
この82式装輪装甲車をベースとして、指揮通信車、化学防護車、そして87式偵察警戒車等が開発され、本土では国民がもっとも目にする機会の多い陸自のAFVであった。
ちなみに陸自のネットワーク戦への対応が進んだことにより、戦闘部隊の中隊本部には改修された82式指揮通信車が配備されるようになり、情報通信偵察基盤のかなめとして運用されている。
この第21普通科連隊第4中隊の各普通科小隊には、12.7ミリ機銃を搭載した82式装甲車が四両づつ配備されており、小隊指揮班と小銃分隊三個の輸送を担当している。これを使えば、89式自動小銃と予備弾倉、防弾チョッキにヘルメット、その他あわせて30キログラムもの装備を装着した普通科隊員を、あっという間に敵前に展開させるのも難しくはない。
『第1小隊長から本部、送れ』
「こちら本部、第1小隊、送れ」
『小隊本部、介護センター前到着。川岸を射界におさめた。敵が川岸を市街地方向に進出する場合、これを阻止する。各分隊は森林境界線に沿って展開中。送れ』
「本部了解、現在第2小隊が敵を包囲するべく移動中、敵に動きがあったら伝える。送れ」
『第1小隊長、了解。これより待機する。終わり』
子吉川北岸上空を飛んでいるドローンから送られてくる映像には、キャンプ場の森林東側に沿った路上に第1小隊の82式装輪装甲車が間隔をあけて停車しており、第2小隊の82式が不審船の停泊地に森の中を東西から接近する様子が映っている。
さすがに普通科中隊に配備される程度のドローンのカメラでは、森林内に展開する普通科隊員まで撮影するのは難しい。万年貧乏の陸上自衛隊には、ドローンに高解像度の赤外画像暗視装置を搭載するような金はないのである。
「不審船から降りた連中が岸にあがったな。対戦車小隊は、軽MATで不審船を攻撃できる状態で待機。射撃命令は中隊長が下令する」
「対戦車小隊より了解報告」
「第3小隊、迫撃砲小隊はそのまま待機せよ」
峰山3佐は、モニターの中で動く米粒のような大きさの82式装輪装甲車を目で追いながら、同時に連隊本部から送られてくる秋田県内の状況にも注意を払った。
なにしろ不審船は、日本全国各地に五月雨式に侵入しようとしてきているのだ。いつここ以外の沿岸部にやってきて、中隊を転進させることになるかわかったものではない。
「第2小隊、攻撃発起位置に展開します」
「中隊長、了解。行動開始は第2小隊長の判断に任せる」
82式装輪装甲車から降車した二十名ほどの普通科隊員達が、不審船を包囲するように森の中に展開した。
「第2小隊、前進開始します」