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灰色の空が変わるまで  作者: 白兼 海
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ただいま




 ゆっくりと覚醒する意識と共に目を開けると勢いよく体を起こした。


 キョロキョロと辺りを見回すと、見覚えのある部屋の様子に驚きと戸惑いを覚えた。


 「私の………部屋?」


 古びたタンスに、壁に貼られた『絶対合格!』と自分で文字を書いた紙。


 どれもが見覚えのある物で懐かしさを感じるけど、目に映るどれもが私を困惑させる。


 「どうゆう状況?」


 そう呟き部屋をぐるりと一周眺めると壁に貼られたカレンダーが目に映る。


 「2016年……」


 六年前のカレンダーに唖然とする中、段々と浮かぶこの状況になる前の事───


 大学に合格して上京した私はあの男と出会い、一度も実家には帰っていない。

 あの男に言われるがまま独り暮らしをしていたアパートも引き払い、割り当てられた風俗店のサービスをする部屋が私の家になったけど、あの男に薬漬けにされ心も体も支配されていた私は何の疑問も抱かなかった。

 寝てようがお客がきたら叩き起こされ、薬を打たれた後にサービスを強要される心身共にすり減っていく毎日。


 そしてボーイに犯され、あの男に薬を打たれた………


 絶望していた日々と最後の記憶を回想していると、ふとある可能性が頭を過る。


 「まさか……戻った?」


 慌てて勉強机に置かれた高校生の時に使っていたスマホを確認すると2016のデジタル文字を表示していた。


 「まだだ、まだ」


 スマホを操作してアドレス帳を開く。

 風俗にいた時の私のスマホはお客とあの男の名前しか無かった。


 何度も何度もアドレス帳を確認して、お客の名前と忌まわしいあの男の名前を探す。


 スマホは高校生の時の物だからヤツラの名前などあるはずがない。でもちゃんと確認しなければこの現実を受け入れられない。


 「無い!……良かった……」


 力の抜けた私はその場にへたれ込んだ。


 そして確信した。


 過去に戻ってきたと。


 やり直せる嬉しさとあの地獄だった日々を抜け出せた事に涙が溢れてくる。


 「わだじ、わだじ、抜げ出ぜだんだ」


 感情が涙でダミ声になった声で漏れ出る。


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔は人前でとても見せる事は出来ないだろう。


 でも私はどうしても今すぐに伝えたかった。


 あの男と出会い、疎遠になったたった一人の大切な肉親、お母さんに一言たけどずっと言えなかった言葉……


 爆発する感情のまま私は部屋を飛び出した。


 部屋を出てすぐ左手に玄関があって、正面にキッチンがある。


 そこに二人掛けのテーブルが置いてあり、テーブルの上に置かれた味噌汁からは湯気が立っていた。


 キッチンの窓から差し込む明るい光がテーブルを照らしてキラキラと輝いて見え、あの風俗店で暮らしていた時との違いをまざまざと見せ付けている。


 「おがぁさん、どこ?」


 何処にも見当たらないお母さんを探すように辺りを見渡す。


 私とお母さんの部屋、それとキッチンにトイレとお風呂場しかない家は広くないのにお母さんはいないい。


 湯気が立つ味噌汁は入れたばかりだと分かり、それはお母さんがついさっきまでここにいたことを示している。

 なのに何処にもお母さんがいない事に小さな不安感が押し寄せてくる。


 「おがぁざん、おがぁざん、どご?どごなの?」


 次第に大きくなる不安感は私を飲み込み、過呼吸を引き起こすと私は床に崩れ落ちた。


 「あ゛っがっ……あ゛っ」


 息も吸えず、助けを呼ぼうにも上手く声も出せない。

 もがき苦しむ私は爪を立て喉を掻きむしり床を転げ回る。


 突然私との繋がりを断ち切られたお母さんはどれだけ心配していたか想像もつかない。


 あの男に人生を狂わされたあの時に言えなかった一言、「ただいま」と伝えたかった。


 たったそれだけの小さな願いも叶わないほどの罪をあの地獄は私に課せたのか?

 過去に戻れたと思ったこの状況は夢なのか?


 そんな不安感がもがき苦しむ私を見て嘲笑うあの男の姿を浮かび上がらせる。


 『ほらな、結局こうなる』


 違う!


 『お前なんて結局そうなる運命だったんだわ』


 違う!違う!


 『俺と会っても会わなくても変わらないんだよぉぉぉぉぉぉ!!!』


 うるさい!うるさい!

 違う!違う!違うからぁぁぁ!


 私は、私は過去に戻ったんだ。あの地獄から抜け出せたんだ。絶対にお母さんに「ただいま」って伝えるんだ。だからあなた……お前には負けない。


 私の心からの決意があの男の幻を目の前から掻き消したその時、お母さんの悲鳴が部屋に響き渡った。


 「キャー!アヤネ!アヤネ!しっかりして!!」


 駆け寄ってきたお母さんが私を抱き起こす。


 「おがっ…おがあざん……」


 久しぶりに見たお母さんの顔は心配そうにしていた。突然娘が倒れていたら誰だって心配するだろう。


 (ごめんね心配かけて)


 声を出せない私は心の中で謝った。


 「アヤネしっかりするの、ゆっくりでいい、ゆっくりでいいから息を吸って」


 背中をポンと叩くお母さんの手のリズムに合わせて浅い呼吸を繰り返す。


 段々と呼吸が落ち着いてくるとお母さんが口を開いた。


 「アヤネ、もう大丈夫?」


 私は頷くと勢いよくお母さんに抱きついた。


 「お母さん、お母さ~ん」

 「あらあら、どうしたのかしらねこの子は……」


 泣きわめく私の頭をお母さんが優しく撫でてくれる。小さな子供をあやすような手付きが心地よくて心がポカポカと温かくなった。


 「お母さん、あのね、私お母さんに伝えたい事があるんだ」


 少し落ち着いた私はそう言ってお母さんの胸に顔を埋めたまま鼻を啜る。


 「アヤネなぁに?」


 息を吸い込みお母さんの胸元を離れ、お母さんの顔を見つめた。そして今できる最高の笑顔を作った。


 「お母さんただいま」


 ずっと言えなかった言葉でありずっと言いたかった言葉………やっとそれを口にする事が出来た。


 泣きすぎてぐちゃぐちゃになった私の顔は上手く笑えてるか分からないし、お母さんはきっと意味が分からないだろう。でも、きっと大丈夫。


 だって、


 「アヤネお帰り」


 と言ってお母さんが私を抱き締めてくれたから


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