スベる葬式
拙いながらも、人生で二作目の小説が出来ました。前作とは打って変わり、かなり手癖的に書き殴りました。お手柔らかに、感想、アドバイスなどいただけると嬉しいです。
母、江崎春江が亡くなったのは、令和元年八月十五日、終戦から七十四年目にあたる終戦記念日のことであった。
突如として宣告された余命半年を巻きに巻いて、僅か一月で亡くなったのはせっかちな母らしいと言えばらしいのだが、多くの国民が戦没者を追悼し、黙祷を捧げる非常に覚えやすいこの日を命日にしたのは意図的でないのか、と俺は訝しんだ。誰も母を弔うべく黙祷を捧げる訳ではないものの、些か承認欲求の強い母であったものだから、さぞ毎年己の命日を楽しみにしていくのであろう、と歯痒い思い。まぁでも、間もなく荼毘に付されるのだからそれくらいの楽しみは許してやってもよかろう。
余命宣告があった直後、モッズスーツの老舗、洋服の並木で仕立てた喪服をタイトに着こなした俺は、グリースとハードワックスを混ぜた整髪料で櫛を駆使してオールバックに頭髪を固めて着座。しっかり者で粋な喪主、長男の慎也って感じで、フロアの参列者の注目を一身に浴びている。
読経が始まった。
四つ打ちの木魚に合わせ、ザ・ホワイト・ストライプスのセブンネイションアーミーを脳内で垂れ流していたところ、僧侶に促され、喪主である俺から焼香の流れとなった。精悍な顔つきで背筋を伸ばし、僧侶と参列者へ一礼。焼香台へと辿り着いた俺は、むんずと抹香を摘み、三度、額へ近づけた直後、抹香を口にした。涎とともにネチョと吐き出し、「トドメだ」と言わんばかりに香炉にくべてやった。僧侶は怪訝な表情で俺を見つめていた。
続けざまに、弟、達也の焼香の番となったのだが、兄の一連の動作を真似て「トドメだ」とばかりに涎まみれの抹香を香炉にくべていた。こいつは大学生になっても正しい焼香のやり方を知らんのか、阿呆が、と思ったが兄弟揃ってそうするものだから、かような宗派であると判断したのであろう参列者は皆、俺考案の焼香を「トドメだ」とばかりに遂行した。香炉は涎にまみれていた。
読経を終えた僧侶が退場すると、参列者らとともに棺に花を入れたりだとか、棺に釘を打ったりだとかしていたが、なんらの感情も沸かなかった。極めて作業的に終えると、司会に促され、喪主の挨拶となった。
長かった。
俺はこの時を待っていた。
女手一つで二人の息子を育て上げた母。残された兄弟二人。母との思い出や感謝を述べるとともに、これからは兄弟仲睦まじく、逞しく、助け合いながら生きていく決意を宣言するであろう感動のクライマックスが今ここに。こいつは涙なしには見届けられぬ、といった雰囲気の中、「泣く準備は出来ていた」と言わんばかりに高揚した参列者の面々。
しかし、俺はこれから盛大にスベる。
台無しにする。
幼少に遡る。
「わぁ」だか「ぎゃあ」だか、奇声を上げながら、弟の達也と脇目も振らず店内を走り回っていた。前方から歩いてくる女に気が付かぬまま、俺は女の買い物袋に激突した。たしかに、何かが割れる様な感触があった。驚愕した女は、買い物袋から割れた卵を取り出すと、「ちっ」という舌打ちをした。大人の冷たい舌打ちを聞くのは初めてだった。
「すみません、ウチの子が……弁償します。申し訳ありません!」
いつの間にやら背後から現れた母が、平身低頭、女に謝っていた。女は謝られている間中、「糞餓鬼」とでも思っているような表情で俺を眺めていた。
弁償と、買い物を終えて車に戻ると、
「お店で走ったら危ないってことぐらい分かるでしょ!? しかもなんで母さんが謝ってるのにあんた謝らんの? 馬鹿なん? 糞が」
ヒステリックに大声で怒鳴り散らしながら、母は俺の頭を何度も殴った。達也は気の毒そうに俺を見ていた。
中学一年、俺は野球部であった。
当時、互いの肩を順に殴り合うというだけの、頭の悪そうな野蛮極まりない「肩パン」という遊びが流行っていた。冬休み初日、矢鱈とテンションの上がっていた四組の松田が俺の左肩を力強く二発殴った。
「おい、二発は反則だろ」
と肩を押さえながら俺が言うと、
「肩パンに反則とかねぇだろ。ほら、次はお前、やっていいから」
と憎たらしい笑みを浮かべながら、松田は右肩を差し出した。
大いに憤慨した俺は、力任せに三発、殴った。「いてっ」だか吐かして、膝から崩れ落ちた松田は苦悶の表情を浮かべながらジッとしていた。ざまぁみやがれ、と暫く床に蹲る松田をぼんやり眺めていると、いつの間にか人だかりが出来、先生やなんかも駆け寄ってきた。遂には背骨でも折れたのかというくらいにグニャリと横たわって、担架で運ばれていった松田は、骨折、全治一ヶ月。右投げの投手だった。
担任の先生から報告を受けた母は、真っ青な顔をして、俺を睨んだ。
「あんたいい加減にしなよ! ホントどうかしてんね!」
怒鳴り散らしながら、何度も足蹴りをされた後、俺は冬休みの間中、自室に全裸で軟禁された。毎食、ご飯と味噌汁だけが運ばれた。年越しは全裸だった。時折、達也が母の目を盗んで、夕食の一部であったであろう、ハンバーグの欠片や、卵焼きの欠片、マグロの赤身なんかを運んできた。内緒で飼ってるペットだな、と思った。寒かった。野球がしたかった。
達也はこの時も気の毒そうに俺を見ていた。
出来損ないの兄とは大きく異なり、達也は成績優秀、容姿端麗、聖人君子な弟だった。
達也は幼少から母の寵愛を受けながら、同級生などにも愛され、余裕綽々で難関大学に受かった。「将来も安定ね。たっちゃんはお母さんをラクにさせてね」などと吐かした後で、母は必ずといっていいほど俺を見やり、「それに比べ、あんたはホント駄目なんだから」と付け加えた。
やはりこの時も、達也は気の毒そうに俺を見ていた。
喪主の挨拶を終えた俺は、スベった、やりきった、と思った。
俺がマイクスタンドに立った直後から、あちらこちらで聞こえていたすすり泣きは、開口一番、「これは先週でしたかね、いや、二週間前でしたか、私がこないだキャバクラに行った時の話なんですけどねぇ」と言った瞬間、一斉に止まった。
ここは先途と、続けざまに母とはなんら関係のないキャバクラで付いたキャストの話や、その帰り道、したたかに酔って嘔吐していたところ、通りすがりの女子大生に笑われていたことなど、特段なんらのオチもないことを、殊更、得意げな表情で身振り手振りを交えながら、時折目を見開くなどして熱っぽく語った。
叔父の聡さんは、開始早々に今すぐこの場から逃げ出したいといった様子だったが、逃すつもりは毛頭ない。俺はその後も、なんの実りもない話を約十五分間に渡り、続けた。無意味な十五分。静かだった。物音ひとつ立たなかった。
「ご静聴ありがとうございました」
と言って毅然とした振る舞いのまま自席に戻ったが、拍手ひとつ起こらなかった。参列者の誰もが一刻も早く帰りたそうにしていた。
互いに目を見合わせながら、とんでもない葬式に来たものだな、といった目配せをしていた。
ざまぁみやがれ、これがあんたの最後だ、と勝利を確信した俺は母の遺影を見やった。
優しく微笑んでいやがった。
「おおう、シンちゃん、でっこうなったなぁ」
インターホンが立て続けに鳴り、ドアを威圧的に叩く音がし、なんぞなんぞと慌てて開けてみると、五十がらみのオッサンが立っていた。スベった葬式から一年が経とうとしていた。
「まぁ、でっこうなるわな。春江と離婚したんもおめぇが五歳の頃だったもんな。ご無沙汰、ご無沙汰、父ちゃんだよ」
そう言うと、見慣れぬ父、江崎悟は、やおらドスドスと上がり込み、さも当然であるかのように居間に座った。確かに、かつて俺を育てた父はこういうなんとなく嫌な感じであったな、と思った。
「いやー、まぁ、かい摘んで言うんだけどさ、養育費払ってたんだわぁ。何年も。消費者金融とかにもお世話になって。ほら、俺ギャンブルとか好きじゃん? つっても知らねぇか。けっこう首回んなくてね。ほんと今日だって火の車に乗ってきた様なもんよ。熱かったわ。燃えてんだもん。そりゃ熱いよな。くっだらな。でさでさ、死んだじゃん? 春江。死亡保険金、ちょうだいって話よ。俺だって鬼じゃない、全部とは言わないよ。六割かな。うん、妥当な線だ。良い線だ。うんうん、いい父親だ」
「いや、でも受取人は俺と達也だし、養育費だって離婚したんだから仕方がないじゃんか」
俺は力ない声で答えた。
「まぁそうなんだけどね、でも俺、達也となんの面識もないようなもんだし、どうも解せないっていうかな、他人と言ってもいいような餓鬼じゃん。だって一歳にもなってなかったんじゃないかな。え、あいつが達也? ほら、やっぱ知らねぇ」
ドアの前で、達也が心配そうにこちらを見ていた。何か言おうとはしてみるものの、威圧的な父に怯えている様子でもあった。
「じゃあ、分かった分かった、達也の受け取った死亡保険金だけ、全部ください。十割。可愛いシンちゃんはゼロね。保険金丸儲けよ。ほら、これまでの恩返しってのかな、故郷に錦を上げるっての? いや、これは全然違うか。まぁあれだ、良い大学にも入れたんだろ? それくらいの権利はあってもいいと思うんだ、父ちゃんにも。そういうのが、本当の親子、キズナってもんだと父ちゃん思うんだよな。人の道、人のあるべき道ってのかな」
視界が暗くなっていく。外道とは父のためにあった言葉であったか。
死ぬまで、俺にはこいつの血が流れている。
「兄ちゃん、ありがとな」
「ん?」
「いや、ほら、父ちゃんのこと」
「あぁ」
あの日、父に金をせびられた俺は、視界が暗くなってからのことをよく覚えていない。
すうっと僅かにメンソールみたいな爽快感を一瞬だけ感じ、我に返った時には、テーブルは裏返っていたし、椅子の脚はひん曲がって転がっていた。食器は割れ、灰皿は煙草ともども床にぶち撒けられていた。恐れおののいた様子の父が、血走った目を見開き、「親不孝!」とだけ上ずった声で捨て台詞を吐き、出ていった直後、俺はそのまま卒倒してしまったようである。あれ以来、父が家に訪れることはなかった。
「兄ちゃんさ、母ちゃんも大変だったと思うんよ。あんなのに捕まって、ようやく離婚したのに子ども二人も育てなくっちゃで」
「うん」
父の件があった後、叔父の聡さんから聞かされた話によると、かの父は養育費の不払いも度々あったそうだ。イカれた父と関わって面倒な思いをするくらいなら、母は生活費を切り詰めながら、労働時間を増やすことを選んだらしい。
母の墓前に線香を手向け、手を合わせた俺は、悪かった、とだけ伝えた。
寺を出て、自宅までの道すがら、一年前をふと思い出して、俺は達也に聞いてみた。
「そういえばさ、俺、挨拶したじゃん、葬式で。あれどうだった?」
立ち止まり、達也は少し考えるような素振りを見せると、
「スベってた。さすが兄ちゃん、って思った。狙いどおりの大成功で、最悪の空気だった」
と言った。
じゃあ、あの焼香は? と聞くと、兄に恥をかかすものか、と一心不乱に真似をした、と答えた。
それから堰を切ったように達也は、運動会のリレーのアンカーの際、ゴボウ抜きで優勝したこと、引退試合で満塁ホームランを打ったこと、文化祭のバンドで上裸になって体育館の床を転がり、駆けずり回って歌っていたこと、初めての彼女がのちに地下アイドルで人気を博すほどの美人だったこと。いつだって同級生にも鼻高々に自慢し、自分は学力以外、何も勝てないなと思い続けていたことなどを話し始めた。
「いやー、暑いね。夏だねぇ」
などと言い、俺は達也に顔を見られないよう、下を向きながら歩いた。
市内に防災無線からアナウンスが流れた。
八月十五日、終戦記念日。恒久平和への願いもそこそこに、その他諸々の感情が入り乱れ。
黙祷。
読んでいただき、本当にありがとうございました。明日から新潟に帰省します。父も母も兄もいます。