#9 流星の落ちた地で
現在、帝国軍の占領下にある都市。この都市は特徴的な真円の湖のほとりに位置し、今現在は帝国軍の侵攻拠点となっている。
その都市の湖畔にある宿の一室。バルコニーで湖を眺めながら、キミヒコはくつろいでいた。備え付けのリクライニングチェアに背を預けながら、揺れる湖面をぼんやりと眺めている。傍にはホワイトが直立していた。
「こういったことは、これきりにしてくださいよ。キミヒコさん」
キミヒコの背後、部屋の中から声がかかる。
心底困ったという表情のラミーがそこにいた。
「わかってる。ホワイトにはよく言って聞かせるよ」
「人形ではなく、あなたに言ってるんですがね……」
キミヒコの言葉に、ラミーはため息混じりにそう返す。
「おいおい。あらかじめ俺は言っといたはずだぞ。こいつは護衛向きじゃない。何があっても責任は取れないってな」
「……まあいいですよ。あなたの意向は、将軍にはよく伝わったようですし……そのお陰で、私の仕事もやりやすくなる」
「それは重畳。これからもよろしく頼むよ、中尉」
キミヒコがそう言うと、ラミーは肩をすくめて部屋を出ていった。
扉が閉まる音が聞こえてから、キミヒコは少し体を浮かせて伸びをした。
そんなキミヒコに、ホワイトが声をかける。
「結局、よく意味がわかりませんでしたが……あれでよかったので?」
「問題なし。お前の仕事はまったく完璧だった。よくやってくれたな、ホワイト」
労いの言葉をかけながら、キミヒコはその手を人形の頭の上に置く。
帝国軍と王国の使節との会談。その際にこの人形がやった挑発はキミヒコの仕込みだった。
「司令部の連中、お前の魅力を理解していないらしいからな。デモンストレーションをしてやったんだ。ふふ……あの頭でっかちども、さぞ怯えたことだろうよ」
笑みを浮かべながら、キミヒコはそんなことを呟く。
ホワイトには言葉の意味がよくわかっていないらしい。顎に手を当て、コテンと首を傾げる。
「……ここは組織として、上意下達が行き過ぎなんだよ。俺たちを、勝手にそこに組み込んだつもりになられちゃ、困るってこと」
「だから、あえて反抗的な態度を取ったと?」
「まあそうだ。前金を払ったからって、なんでもかんでも命令できると思われちゃ、たまらんからな」
このところの軍司令部からは、自分たちをいいように使おうという雰囲気をキミヒコは感じていた。
今回の件もそうだ。
会談に来たオルレアを始末するのならともかく、いざというときの護衛としてホワイトを使われるのには不満があった。護衛というのは建前で、本当のところは駆け引きの駒、見せ札としての役割だろうとキミヒコは邪推していた。
抹殺対象である騎士オルレアの前にホワイトを出せば、敵はこちらの実力を推し量るはずである。何かしらの対策を練ろうとすることもあるかもしれない。
そんな考えで、ホワイトを護衛に差し向けるのを嫌がっていたのだが、今回の仕事の標的が来るとなれば拒否はできない。結局は引き受けてしまった。
「では、今後は軍の要請は拒否すると」
「そこまではしない。気軽になんでも要請しない程度の気遣いをしてくれれば、それでいい。その辺の調整はラミーがうまくやるだろう」
キミヒコがやった司令部への嫌がらせは、自分たちへの配慮を引き出すのが目的の一つだった。
今回の件でホワイトの扱いを慎重なものとしてくれれば、キミヒコたちの無駄働きは減るはずだ。
今までは司令部の判断が優先されていたようだが、今後は担当窓口の将校であるラミーの意見が重視されることだろう。彼なら本当に必要な仕事を回してくれるはずである。
「ところでお前、騎士オルレアと会ったよな。どうだった? 殺れそうか?」
「問題ないです。次、会敵したなら始末します」
淡々と言うホワイトだったが、キミヒコにはそれが自信過剰なように感じられた。
こいつ、どっかで釘を刺した方がいいな。タイマンなら負けはないだろうが、騎士オルレアは油断できる相手じゃない……。
そんな心配をしていると、ホワイトがキミヒコの方へと身を寄せてきた。
「いっそ、今回始末してしまえば楽だったのでは?」
人形がしなだれかかりながら、耳元でそんなことを囁いてくる。
「向こうが挑発に乗ってくれれば、それでよかったんだがな……」
残念そうにキミヒコはそう返事をする。
あわよくば、あの場でオルレアを殺害してやろうという目論見もあったのだが、その機会は訪れなかった。雇い主への嫌がらせを平然と敢行したキミヒコではあるが、最低限の分別はある。さすがに、こちらから手を出すわけにはいかない。
「ま、仕方ない。あそこで騎士オルレアを殺って、こんな戦争からはさっさと引き上げるのが理想だったが……そうそううまくはいかんさ」
「というより、軍はどうしてあの場で殺さなかったのでしょうか。交渉とやらも、なんの進展もありませんでしたし」
会話を重ねながら、キミヒコはホワイトを抱き寄せる。
軽い体だ。こんな華奢な人形が、戦場で殺戮を重ね、敵からも味方からも恐れられるとは。
キミヒコはその事実に感嘆しながらも会話を続ける。
「戦争にもルールってものがある。帝国軍だって、この国の住人を皆殺しに来たわけじゃない。今はその気がなくとも、いずれは手打ちにするはずだ。敵とのチャンネルは維持しないとな」
「ただの殺し合いなのに、面倒なことです」
人形の声色は平静そのものだが、その手足は怪しく蠢き、主人の体に絡みつく。キミヒコの首にホワイトの腕が回され、うなじに細い指が添えられミミズのように這い回っている。
されるがまま、自身に絡みつく人形の好きにさせているキミヒコの耳に、呼び鈴の音が響いた。
それに対して言葉を発さずに、キミヒコは無言でホワイトを見つめる。
「ルームサービスのようです。武器の携行や殺意はありません」
糸による感知能力で、ホワイトが部屋の外の人間について教えてくれた。
そういえば、宿に酒とつまみを頼んでいたな……。結構遅い……いや、ラミーとの話が終わるのを待ってたのか。
そんなことを思い返しながら、キミヒコはホワイトを自身の体の上から降ろして、立ち上がる。
「どうぞ。鍵は閉めてないから、そのまま入ってくれ」
部屋のドアに近づいて、宿の人間にそう声をかける。
キミヒコの入室の許可を受けてルームサービスに来た従業員が「失礼します」と言って入ってくる。彼が押してきた配膳ワゴンには、注文していた軽食とウイスキーボトルが置かれていた。
「ああ、グラスは二つ頼むよ」
「承知しました」
従業員は部屋のテーブルに持ってきた品物をテキパキと並べていく。
「あの湖、あんなに綺麗な円形ってのも珍しいね」
配膳中の従業員に、キミヒコはそんなことを尋ねる。
あの湖はこの都市の観光名所であるらしい。常であれば、ガイドを雇って観光案内をしてもらうところなのだが、今は戦時下である。キミヒコは不要な外出を控えていた。
そんな次第で、この従業員に軽く観光名所のレクチャーをしてもらうことを思いついたのだ。もちろん、チップを渡すのを忘れない。
「ええ、そうでしょう。あの湖は流星が落ちた跡だと言われてるんですよ」
「流星?」
チップをもらって顔を綻ばせながら、従業員が解説してくれる。
いわく、あの湖は大昔に落ちてきた隕石によってできたものらしい。
隕石落下の当時、この国は戦争中だった。現在のように他国からの侵攻を受けて、滅亡寸前という状況だったらしい。
そんな中、偶然隕石が飛んできて敵軍の陣地に落下。敵の軍勢は消し炭となり、王国は救われめでたしめでたしという話だ。
あまりに王国側に都合の良すぎる奇跡で、荒唐無稽な話である。
……神風みたいなものか。別に敵軍を狙って落ちてきたわけじゃなそうだが、プロパガンダの一環でそんな伝説に仕立てたというところかな……。隕石ってのが本当なら、だが。
湖の由来、隕石の伝説を話半分で聴きながら、キミヒコはそんなことを思う。
そして、この伝説の真偽はともかくとして、気に障る点もあった。ニコニコ顔で解説してくれた従業員に、キミヒコは忠告をすることにする。
「ほぉう……そりゃあ、注意しないといけないな。……俺も、侵略者に雇われた人間だからな」
キミヒコの言葉に、従業員の顔が青くなる。己の失言を、いまさら悟ったらしい。
「冗談だ。……ただ、他の連中には気をつけろよ。気が短いやつもいるからな」
キミヒコの言葉に、従業員の男は深々と頭を下げて部屋を出ていった。
それを見送ってからキミヒコは部屋のソファに腰を下ろす。それに付き添うようにして、ホワイトもその隣に腰を落ち着けた。その手にはグラスが二つあり、片方をキミヒコに手渡してくる。
そのグラスを受け取り、人形の手に残ったもう片方と軽くぶつけあう。カチンという心地よい音と共に、グラスの中の琥珀色の液体が揺れた。
「隕石か。本当かねぇ……。ホワイト、どう思う?」
ウイスキーに口をつけてから、キミヒコがそんなことを尋ねる。
「断定はできませんが、可能性は大きいでしょう」
意外なことに、ホワイトは先ほどの話に信憑性があると言う。
「ほぉ……根拠は?」
「この都市の地層には、隕鉄と考えられる成分が多く含まれています」
「……なるほど」
ホワイトの根拠は、ひどく科学的なものだった。
この人形は視覚や嗅覚がない代わりに、魔力糸が触角のような感覚器官としての役割を担っている。
普段の生活でも、インクの質感や成分を検知して文字を読んだりもしていた。同じ要領で、地層の成分なども調べることができるのだろう。
「ま、奇跡はそうそう起こらないから奇跡なんだ。隕石なんて、落ちてきてたまるかよ」
そんなことをぼやきながら、キミヒコはグラスをあおった。




