#8 停戦交渉
ヴィアゴル王国の都市と都市とを結ぶ公道。片側の都市はすでに帝国により占領され、その道は半ば帝国の勢力圏となっていた。
そんな公道を進む馬車が一台。王国側の都市、ビルケナウ市から帝国の勢力圏に向けて進んでいる。馬車の屋根には、王国旗と白旗が掲げられていた。
「文官連中はいったい何を考えているのでしょう? 早く前線に送ってくれと、閣下がさんざん言ったにもかかわらず、それを押し留めておきながら……。防衛線が破られるや否や、今度は停戦交渉に行ってこいとは……」
「なんにも考えてないんだろう。場当たり的な対応をしてるだけだ。……クライン卿も、さぞ無念だったろう」
馬車の中の二人の男が、悪態の混じった会話を続けている。
瓜二つの顔を持つこの二人の若い男は、双子の兄弟であり、同じ騎士に仕える従騎士だった。
「そもそも帝国と良好な関係を築く気がないのであれば、最初からカイラリィの参戦要請に応じて、共同であたるべきでした」
「侵攻されてから慌てて泣きついても、な。カイラリィは王国を見捨てる気だ。先に不義理を働いたのはこっちだから、文句は言えん。仮に助ける気があったとしても、あちらもすでに青息吐息だ。そんな余裕もないだろう」
二人の愚痴は続く。
主な内容は、王国の外交政策および現在の戦争指導についてだ。
「レナード、レイ。そこまでにしておけ」
そんな従騎士たちの様子を見かねて、主である騎士がたしなめる。
ダークブラウンの髪を束ね後頭部でまとめた、凛々しい顔つきの女性だ。傍らには細身の曲剣と分厚い刀身の大剣がある。
王国最強にして、アマルテア全土においても最強と謳われる、騎士オルレアである。
「我々は軍の人間だ。政には、口出しをするべきではない」
静かな、しかし確かな圧力を感じさせる声で、オルレアが言う。
一見して二十代にも見える彼女の容貌だが、その実、年齢は四十路を超えている。従騎士を諌めるその声には、年相応の貫禄があった。
「しかし、閣下……上層部の稚拙な対応はあまりにも……」
主に諫められてなお、レイが言い募る。
王国の指導層に対して、よほどの不満を抱えているらしい。
「閣下の力を当て込んで一戦交えることを決めたのに、肝心の閣下を王都から動かそうとしないとは……。あれでは、クライン卿は見捨てられたも同然です」
「それに、現在のこの任務もいかがなものかと思われます。今まで閣下を軽々に動かせぬなどと言っておきながら、今度はほぼ単独で交渉に行ってこいなどと……。これでは迷走していると言わざるを得ませんよ」
レイの言葉に同調して、レナードまでもが王国の対応を痛烈に非難する。
常なら従順そのものである従騎士二人の有様に、オルレアはため息をつきたくなるが、それ以上は何も言わなかった。二人の気持ちを理解できなくもなかったからだ。
王国上層部はアマルテア最強の騎士に、夢を見過ぎだった。
騎士オルレアがいれば、どこかで一勝くらいはできる。そこで有利な条件を引き出して講和すればいい。
騎士オルレアならば、単独で敵地に入ってもなんとでもなる。もし帝国が襲ってきても、逆に返り討ちにくらいしてくれる。
これらのような、上層部の夢見がちな楽観論。その原因の一翼を担っているのが、自身の存在であることを、オルレアは嘆いていた。
「せめて……せめて、カイラリィと連携が取れていれば……」
レイが心底口惜しいといった雰囲気で呟く。
ヴィアゴル王国は元々、シュバーデン帝国とは国境を接してはいなかった。
列強同士の戦争が始まり、カイラリィが劣勢となると、王国を取り巻く状況は変わっていった。
長年の友好国であるカイラリィからは、何度も参戦の要求があったのだが、王国はそれを拒否。列強同士による壮絶なる戦いになど、巻き込まれたくはない。そういった理由から、中立国であることに拘り、その旨を双方の陣営に宣告していた。
その結果が、これである。
カイラリィは首都の寸前まで追い詰められ、王国は帝国の支配領域と国境を接するようになってしまった。そして今回の帝国の軍事侵攻につながることとなる。
「あまり、カイラリィには期待するな。あの老帝国とて列強の一角だ。弱者への姿勢は、他と変わらんよ」
オルレアが諦観を含んだ声色で、そう言った。
今次戦争は、三つの列強国による熾烈な争いとなっている。現在この国を舞台とした戦場は、それらの国にとっては副次的な戦線の一つにすぎない。
いずれの列強国も、自国の権益のためならばなんでもやった。条約を平然と破ったり、弱小国を手前勝手な都合で蹂躙したりと、もはや仁義なき戦いの様相を呈している。
「……おしゃべりはここまでだ。敵地に入るぞ」
馬車がある地点を通過すると、オルレアがそう告げた。
その瞬間、馬車の中の空気は一気に張り詰める。それを受け従騎士二人もまた、表情を一変させ、その口を閉じた。
◇
「話にならんな」
帝国軍の占領下にある都市、その行政庁舎。今現在は、帝国軍により徴発され、司令部が置かれているその建物の一室で、会談が行われていた。
「現在の状況で、この条件での降伏は認められない」
感情の起伏に乏しい声色でそう告げるのは、侵攻軍司令官、ウォーターマン将軍だ。
そろそろ還暦を迎えるはずのこの男は、筋骨隆々の巨漢といった風貌で、まるで歳を感じさせない。それでいて物静かで、落ち着いた雰囲気も持っていた。
「それは、ウォーターマン将軍の意見なので?」
交渉テーブルの反対側に座るオルレアが問い返す。
「そうだ。そしてそれは、そのまま帝国の意見と受け取ってもらって結構」
ウォーターマンの言葉に、オルレアは眉を顰めた。
「我々は帝国軍であり、帝国の意志そのものである、ということだ。オルレア卿はその意味を理解しておられないようだな」
将軍の言葉どおり、帝国は軍が強権を握っている国であることは、オルレアも知ってはいた。
だが、この部屋には文官らしき人間は一人もいない。それどころか、王国側の親書を読んだのはウォーターマンただ一人である。周囲の武官にすらそれを見せもしない。
ただ一人の軍人の独断で、そこまでできる権限があるのか。あるいは王国側からの交渉など、最初から応じる意思が皆無なのか。
「……親書の内容を、王国はすぐに実現する用意がある。メリエス姫は――」
「くどい。現時点で交渉の余地はない。姫がビルケナウ市にいようが、人質として送られてこようが、関係ない」
食い下がるオルレアの言葉は、切って捨てられた。
顔色を少しも変えずにいるオルレアだが、内心では己の荒れ狂う激情を抑えつけるのに必死だった。
騎士オルレアとメリエス姫の関係は深い。オルレアは姫を自分の娘のように可愛がっていた。
そんなメリエス姫は現在、対帝国の最前線都市であるビルケナウ市まで来ている。
開戦前、帝国が王国に突きつけた条項の一つに、メリエス姫を帝国皇室に嫁がせるというものがあった。まるで添え物のように、最後に付け加えられていた条項だ。
自身の身を捧げれば、帝国との交渉を進めるのに少しばかりでも足しになるのではないか。
メリエス姫はそんな覚悟で、オルレアを含む周囲の制止を振り払ってビルケナウ市まで来ている。
だが、そんな姫の覚悟などなんの意味もないと、オルレアの眼前の男はそう言った。
「では、帝国の代理人である将軍にお聞きしたい。……帝国はこの戦争、どこに落とし所があると考える? まさか、我々を殺し尽くす気でもあるまい?」
「無条件降伏。それ以外に選択肢はない」
「……仮に無条件降伏したとして、王国をどうするおつもりか?」
「それはそちらが降伏した後に、こちらから通達することだ」
オルレアはウォーターマンと不毛なやりとりを続けるが、まるで進展はない。
無条件降伏、王国がそれをすればどうなるだろうか。
まず、軍は完全に解体されるだろう。騎士は戦犯として処刑されるか、そうでなくとも騎士武装と騎士位は取り上げられる。王家の存続もかなり怪しい。お家お取り潰しも十分にあり得る。
最後に待つのは、徹底的な搾取だ。帝国はゴトランタとカイラリィとの戦争遂行のため、王国に存在するリソースを使い潰すだろう。
そんな未来は到底認められない。
言葉で駄目なら、暴力で訴えるか。
一瞬、そんな考えが脳裏によぎるが、それを実行に移さない程度にはオルレアは冷静だった。
この交渉にあたって、オルレアは武器を取り上げられてはいない。だが当然、帝国側にもいざという時のための暴力装置が揃っている。部屋には臨戦態勢の暗黒騎士が四人もいた。
さらにいえば、ここでウォーターマン将軍を討ち果たしたとして、帝国軍が止まる保証もない。帝国軍は、大将首を取られたくらいでどうこうなる組織ではないというのが、オルレアの見立てだ。
そして、オルレアに戦闘を躊躇わせる最大の理由。不気味な糸を蠢かせる白い人形が一体、部屋の隅で佇んでいる。
あれが噂の悪魔か。……クライン卿、やはり討たれたか。
人形のその手には、オルレアに見覚えのあるものが握られていた。オルレアの戦友、騎士クラインの両刃剣だ。
消息不明となった彼の生存は絶望視されていたが、こうしてそれを目の当たりにすることで、オルレアの心は波立った。
「気になりますか?」
不意にそんな声が響いた。
透きとおるような美しさの、少女の声。それは、あのおぞましい人形から発せられている。
「私が殺りました」
オルレアとその従騎士たちが唖然として、人形を見る。
彼女らだけではない、帝国軍の面々ですら呆気に取られていた。
「ホワイト殿、お控え願おうか。今は――」
「あの騎士の男と従騎士の女は、私が殺しましたよ」
ウォーターマンの言葉を無視して、人形が続ける。
「女の方は、臓物を抉ってから首の骨を踏み潰しました。男の方は、矢を二十本ばかり投擲して、身体中を串刺しにしました。その後に心臓を抉って、首を引きちぎりました」
淡々とそんな言葉を紡ぎながら、人形は糸を蠢かせる。
糸はその手の両刃剣に絡みつき、ゆらゆらと揺れている。その様は、騎士クラインの誇りを穢すよう。オルレアにはそう見えた。
「女を殺したあとに、男の方は言ってましたよ。殺してやる、と。何度も何度も言ってました」
これは自身に向けた挑発だと、オルレアはそう受け取った。そしてそれは、帝国軍の意図するところではないことも理解していた。
ウォーターマンを初めとした帝国の武官たちの顔色は、皆一様に青く染まっている。
武官の一人が、傍の兵士に何事か耳打ちするのがオルレアの目に留まる。「人形遣いを呼べ」と、そう言ったのがオルレアには聞き取れた。指示を受けた兵士は慌てたように部屋を出ていった。
「……将軍は、この場において、流血をお望みなのか?」
言葉に怒気を乗せて、オルレアが警告する。
それを受けて、暗黒騎士たちが剣の柄に手を当てた。場に、一触即発の空気が流れる。
「そのような意図はない。……オルレア卿は、ずいぶんと神経質のようだな。しょせん、人形の戯言だ」
ウォーターマンの声は平坦なものだったが、その顔色から彼の心中が窺える。口にした言い訳も苦しいものだ。
「互いに話すことも、もうあるまい。親書は確かに受け取った。……お帰り願おうか」
ウォーターマンは一方的に話を締めて、この交渉の席を終わらせにかかる。オルレアとしても、この不毛な会談を終わらせることに否やはない。
会談終了のための形式的な会話を交わし、オルレアは静かに席を立つ。そのまま、従騎士を引き連れ退室した。
その間人形は、冒涜的な魔力を、糸を、ただ揺らめかせていた。




