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クズ野郎異世界紀行  作者: 伊野 乙通
ep.4 クルーエル・ドクトリン
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#7 プレゼントタイム

雨宮(あめみや)さん』


 どこからか、声がした。


『雨宮さん、今週末に課内のみんなで懇親会があるんですけど……どうでしょう?』


 女の声がする。面倒でたまらない、他人の声だ。


『そ、そうですか。残念です。もし予定が空いたら、いつでも声をかけてくださいね』


 煩雑に書類が置かれたデスクに、動作の重たいPC。年季の入っている黄ばんだキーボードにマウス。

 窓の外は暗い。すっかり日が落ちているようだ。


『あいつは付き合いが……から……無駄……て……』


『ああ、雨宮くん。この資料なんだけどさ、悪いけど明日までに……』


 遠くから聞こえる不快な声に、近くから聞こえる迷惑な声。

 それらに反応せずにぼんやりとしていると、周囲の景色が暗転した。


 今度は昼下がり、白を基調とした建物の一室だった。


『お待たせしました、雨宮さん。今回も処方内容に変わりありませんね。用法は先生の指示通り、一日三回、毎食後に一錠です。眠気には気を付けてください』


 白衣の女性が、カウンター越しに言葉を投げかけてくる。カウンターの上には、何事かプリントしてある白い紙袋。


『え? いや、それは駄目ですよ。処方せんの日数でしか薬局では出せません。それにこの薬は日数制限があるので、三十日以上は無理なんです。来月またクリニックを受診して、先生から処方せんをもらってくださいね』


 紙袋を手に、自動ドアの前に立つ。

 天井近くのセンサーが赤く点灯し、ガラスのドアが左右に割れる。ドアの向こうの光が、視界いっぱいに広がった。


『いつまでも、そうして無言でいられてはね……』


 夕焼け空の、茜色の光が差し込む一室。窓を背に、夕陽を遮ることで真っ黒に映る複数の人影。

 影法師たちが、悪意と疑念と怒りに満ちた言葉を、穏やかな雰囲気を装って投げかけてくる。


『なあ、正直に話してくれないか? 魔が差してしまったんだろう?』


『君以外に考えられないんだよ、雨宮くん』


 忌まわしい言葉が、連続して耳を打つ。


『着服……円はどこに……会社として……だが……信じた……ないが……』


『ご実家は……弁護士……ら……の……ご両親も……』


『それに……薬……科の通院歴……で……面接では……』


 視界がぼやけ、耳に入ってくる音声にノイズが走る。

 不愉快で、嫌悪に満ちて、どうしようもない言葉の羅列。それらがどんどん遠くなっていく。


『………………』


 無音。もう何も聞こえない。

 そして、もう何も見えない。目の前は真っ暗だ。


 なぜ暗いのか。そう考えた後に、気が付いた。瞼を閉じているからだ。目の前が真っ暗なのは当たり前だ。

 瞼を開けると、目の前に光が広がって、弾けた。



「おはようございます、貴方」


「うん……おはよう。ホワイト」


 瞼を開けたキミヒコの目に映るのは、宿の一室の天井だった。

 先程の夢の影響か、視界になにか違和感があるような気がする。何度もまばたきをしてから、キミヒコは思い出した。


 ああ、そうか。俺、もう左目が駄目になってたな……。


 夢の中の視界に比べ、今の視界は狭かった。


 眼帯を探して、ベッドサイドのテーブルに手をやるキミヒコに、同じベッドで横になっていたホワイトがすり寄ってくる。

 ホワイトはキミヒコの顔にそっと手を添えると、その左目に眼帯を優しく取り付けた。


「ん……ありがとう、ホワイト」


 言いながら、キミヒコはホワイトを抱き寄せ、その胸元に顔を埋めながら再び横になる。ドレス越しに、人形の硬質な感触が、顔いっぱいに伝わってくる。


「夢を見ましたか?」


 されるがままのホワイトが、そんなことを聞いてきた。


「ああ、見たよ。この世界はいつも夢見が悪い……」


「……なにが見えました? 過去? それとも未来?」


「過去……この世界に来る前。昔のことだ」


 昨日の飲み会のせいだろう。家名がどうこうなどという話題が頭に残っていて、夢に影響したらしい。


「てか、未来のことなんて見えないだろ……」


 ホワイトの発言に対して、キミヒコはそうこぼした。


「この世界の存在がこの世界を観測するのなら、そうでしょうね」


 キミヒコが怪訝な顔をしていると、ホワイトはさらに説明を補足する。


「この宇宙は三次元空間と一次元時間で構成されています。時間は、過去から未来への方向性が存在し、それは不可逆なものです。だから、現在から未来を見ることはできない。通常ならですが」


「俺とお前は通常ではないと。高次元の存在とでも言うつもりか?」


「いえ、大いなる意思のような上位者ならともかく、私たちの観測可能な次元に差異はありません。私たちも、縦、横、奥行きの三本の空間軸と、過去から未来への一本の時間軸の中で存在しています」


 ファンタジーのような、物理学のような、キミヒコにはよくわからない解説をホワイトが続ける。


「ですが、私と貴方はこの世界の外部から入り込んだ存在です。時空の位相がズレて存在しています。運命に囚われていない、と言い換えてもいいでしょう。それにより、時間軸の歪みを観測することもある」


「ふーん、なるほどー。さっぱりわかんねぇ」


 興味なさげに、キミヒコが言う。


 ホワイトのこの講釈を聞くのは初めてではない。その能力の一端を確認した際にも聞いたことがある。


 ホワイトには、なぜ魔術的な拘束や結界が無効なのか。直近の話なら、帝国軍がホワイトから周囲への安全保証のため、厳重な魔術封印を施したことがある。だがそれは、まったく効果がなかった。

 その理由が、今の話にも出てきた「時空の位相のズレ」である。


 この特性により、結界などの手段でホワイトを拘束することはできない。同様に他の世界から来たキミヒコにも、この特性は備わっているらしい。

 なにやら複雑な理屈があるらしいが、キミヒコの理解の及ばない話であるし、あまり興味もなかった。


「まあ、良くない夢を見たとしても、気にされることはないということです」


「仮に良くない未来を見たとして、気にしないわけないだろ」


「言ったでしょう? 私たちはこの世界の運命からは外れた存在です。過去、未来、そして今この時この一瞬。全ては貴方と私の手の内にある。運命など、しょせんは我らの奴隷に過ぎないということです」


 キミヒコの頭をその胸元に抱きながら、ホワイトはそんなことを言う。


 どうやら、嫌な夢を見て気落ちしている主人を慰めているつもりらしい。付き合いの長いキミヒコには、それがわかった。

 おおよそ、常人には理解できない慰め方だが、キミヒコにはそれが心地よく思えた。


「それはそれとして、貴方。昨日は休肝日だったはずですが」


 今度は小言が始まった。昨日のラミーとミルヒとの飲み会について、たしなめられているらしい。

 確かに昨日は酒を飲まないと決めた日ではあったが、キミヒコにも言い分はあった。


「そう言うなよ……。雇われとはいえ、付き合いってものも大切なんだよ」


 先程の夢の内容を反芻しながら、言い訳する。

 組織で孤立した者の末路を、キミヒコは骨身に染みていた。


「別にアルコールを介する付き合いでなくともいいでしょう。……貴方、そんなことだから片目を失うようなことに――」


 くどくどと文句を垂れるホワイトに、「大きなお世話だ」とか「うるせー馬鹿」など、いい加減な返事を繰り返していると、キミヒコは突然に思い付くことがあった。


「なあ、自分のことで今気が付いたんだけど」


 まだ続いていたホワイトの諫言を遮り、キミヒコが自らの思い付きを切り出す。


「俺って攻撃的なコミュニケーションが結構好き……いや、憧れてたんだな」


「……はい?」


 いつも一歩引いていて、丁寧な口調で当たり障りのない言葉を繰り返す。昔はそれを苦痛と感じたことはなかったし、それしか知らなかった。

 今ホワイトとしているような、攻撃的な言葉の応酬。こうした気の置けないコミュニケーションは存外悪くない。そんなことを唐突に思いついた。


「まあわからんなら、それでいい。俺はお前のことが好きなんだと、再認識したってだけ」


 よくわかっていない雰囲気の人形に、キミヒコはそんなことを言う。

 そして今度は逆に、人形の頭を自身の胸元へ手繰り寄せて、抱き締めた。


「ふん……雨宮公彦(あめみやきみひこ)、か。馬鹿でマヌケな、あんなクズ野郎はとっくにくたばった。俺は違う。もう、あんな……」


 過去への決別の言葉を呟くキミヒコの背に、人形はそっと手を這わした。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 左目が駄目になってるのに右目に眼帯つけてない?
[良い点]  不器用な慰め方がかえって好感を抱かせる例。 [一言]  白い悪魔が白い天使に。
[良い点] これは良いイチャイチャですね
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