#26 偽りの感情
アデラインの家の前、そこにキミヒコとホワイトは二人で立っていた。
「……監視はどうだ?」
「それらしき存在はありませんね」
「マジで監視してないのかよ。教会はなに考えてんだ……。市議会を抑えてるからって、余裕ぶっこきすぎだろ」
言語教会は、アデラインという殺人鬼を野放しにしているらしい。三日後には死んでもらう予定とはいえ、無茶苦茶である。
逃亡したり、やぶれかぶれで暴れられたりしたらどうするんだとキミヒコは思ったが、これからその殺人鬼に接触するには都合がいいとも思った。
キミヒコがアデラインと親しくしていたのは有名な話だ。変な勘繰りをされるのは避けたいところである。
呼び鈴を鳴らすこともなく、ドアノブに手をかけると扉はそのまま開いた。鍵はかけられていない。
無言のまま、キミヒコは中に入っていく。ホワイトもそれに続いた。
玄関、リビング、ダイニング。それぞれの場所を、家主の了承も得ずに勝手に見て回るが、アデラインの姿はない。
「あの女でしたら、地下室ですよ」
ホワイトが言う。
キミヒコはそれに「そうか」とだけ返して、言われたとおりに地下室へ向かった。
コツンコツンと、石造りの階段を降りるたびに足音が響く。ホワイトが手にもつ、マッチの明かりは、ひどく心もとない。
目的の地下室の扉の前まで到着する。扉の隙間からは、明かりが漏れている。ホワイトの言うとおり、中にいるらしい。
キミヒコはノックをすることもなく、中へと入った。
部屋中央の作業台。そこにアデラインが突っ伏すようにして項垂れていた。
「ずいぶん、簡素な部屋になったな」
地下室はキミヒコが言ったとおり、あのおぞましさを演出していた眼球たちは全てなくなっていた。今は空になった棚と中央の作業台があるだけの部屋となっている。
「……誰のせいですか、誰の。なんの用です?」
生気のない声でアデラインが言う。さんざんに泣き腫らしたのだろう。その目は真っ赤に充血していた。
「明朝、この都市を離れるから、その挨拶……かな」
この場に至るまで、用件がなにかなど考えてこなかったので、キミヒコはいい加減な理由をでっちあげる。
アデラインはそれに対して「そうですか」と言うだけだった。
それきりしばらく、二人の間に言葉はなかった。
「裏切ったんですね、キミヒコさん。私と同じだと思ったのに」
唐突にアデラインが口を開いた。
「別に裏切ってない。お前が炎術師だなんて俺は喋ってないぞ。ああなったのは、厚生局に尻尾をつかまれたからだろう? 不運とミスが重なった結果だ。……まあ、最終的に厚生局の依頼を受けはしたがね」
「それを裏切りというのです。私と同じ……仲間だって思ってたのに、どうして……」
「勝手な思い込みだな。赤の他人を、どうして同じだなんて思う? 俺は目玉を集めたいだなんて、思ったことはない」
キミヒコの拒絶の言葉に、アデラインは力なく首を振る。
「その人形は、大いなる意思から授かったのでしょう? その子は、あなたの意に沿うように用意されたはずです。なら、あなたの本質は……」
続きの言葉を紡ぐことはなく、アデラインは黙ってしまう。キミヒコとしても聞きたいわけではないため、続きを促したりはしない。
「……口封じに来たんですか?」
それまで話を切って、アデラインが問いかけてくる。
キミヒコの想定外の質問だったが、言われてみれば腑に落ちることだ。ここで彼女を始末すれば、後顧の憂いはなくなる。
「違ったんですか? 私、あなたが真世界の人だなんて、誰にも言ってないですから。私をこの場で殺せば、それでおしまいですよ」
キミヒコが答えずにいると、アデラインはそんなことを言う。どうやら、捨て鉢な気分になっているらしかった。
どう話をしていいかわからずにキミヒコが目を泳がしていると、彼女が突っ伏している作業台の脇に、小瓶があるのが見える。
「……その小瓶は?」
「言語教会からの餞別品です。三日のうちに、これで自害しろと、そういうわけですね」
「逃げないのか?」
「逃げれば、死よりも苦しいことになるでしょう。私は教会の裏の顔を知っていますからね。だからこんな、三日の猶予なんて馬鹿な制度をやる余裕がある……」
教会深部は魔の巣窟であると、キミヒコはアデラインから聞いていた。
死よりも苦しい目にあわせられる。それを理解しているアデラインだから、逃げることはないと教会は高を括っているらしい。
「……さっきも言ったが、俺たちは明日の朝、この都市を出立する。教会の鐘が鳴る時間に、中央東公園から貸し切りの馬車でな」
「……なにを言っているのですか?」
本当になにを言っているのか。キミヒコは自分でもわけがわからなかった。
絶対にやめるべきだと理性は判断しているのに、口から出る言葉が止まらない。
「教会は監視をつけていないらしいから、好きにすればいいさ」
「キミヒコさん、私のこと、嫌いになったんじゃないんですか……? 私を連れていけば、もうまともな人生は送れませんよ」
「ははっ。まともな人生だって? 俺なんか、騎士殺しやら王殺しをやって、もうそこら中から追われてるよ」
キミヒコがおどけるように言う。
列強国の反動勢力に小国の女王。確かにそれらに恨まれてはいるが、彼らは国外まで追ってくるような気概はなかった。言語教会は、それらとはわけが違う相手だ。
頭の中で警戒アラートが鳴り響いているが、キミヒコはそれを無視した。
「キミヒコさん……私、私ね……」
「まあ、覚えておいてくれ。明朝、鐘の鳴る時間に、最初に出会った場所にいるからさ」
それだけ言って、キミヒコは返事を聞かずに地下室をあとにした。
◇
「俺はいったい、なにやってんだろう……」
教会宿舎の自室にて、キミヒコがぼやく。
その傍に控えるホワイトが呆れたように口を開いた。
「貴方。このところ、行動に一貫性がないというか精彩を欠くというか……意図がつかめません。特に今回は極めつきです。支離滅裂とはこのことですね」
「うるせー、自覚はしてんだよ。言葉に出さないでくれ」
ホワイトの駄目出しに、キミヒコはぐうの音も出ない。
実際、自分で自分の行動が理解できない。わざわざこの事件に首を突っ込んで、アデラインを役所に突き出しておきながら、なんであんな誘いをしてしまったのか。
キミヒコはあれからずっと自問していた。
「あの女をどうしたいんですか?」
「わからん」
「絆されましたか?」
「……俺は常々、女は顔だと思っていた。だがあいつは中身も大事だと教えてくれた。すげー悪い意味でな」
顔はよくとも、中身は異常な殺人鬼。アデラインはそんな女である。
だから絆されるなんてことありえない。そう続けようとして、キミヒコは言葉に詰まった。
ホワイトの絆されたかという問いを否定できない。彼女に、死んでほしくないと思っている。
なんでこんなふうに思ってしまっているのだろうか。キミヒコは考える、自分にとってアデラインの好ましい点はなにがあるか。彼女の特大のマイナス点はいったん脇に置いて、思案にふける。
顔が好み、話していて楽しい、料理が美味しい、自分に危害を加えない。パッとこれだけ思いついたが、これくらいの理由で自分がどうにかなるとは思えない。
やはり、ただの気の迷いか。そう断じて思考を打ち切ろうとする間際に、キミヒコは思い付いた。
彼女は、自分を好きだと言ってくれた。
その理由に思い至って、キミヒコは愕然とする。
「ははは。チョロすぎるだろ、俺」
生身の、剥き出しの好意に当てられて、ただそれだけで相手に絆されてしまう。自らの子供のような感性を自覚して、キミヒコは笑ってしまった。
我ながら、子供っぽいな……。だがまあ、そういうことなら、助けてやるのも悪くはないか。
今生は好きに生きると決めているのだから、今回も勝手気ままに振る舞えばいい。キミヒコは、そう思った。
「いったい、どうして笑っているのですか?」
「んー? いやなに、どうやら本当に、あの頭のおかしい女に絆されているらしくてな。意味不明で笑えてくるだろ?」
「やれやれ。どうやら、錯乱しているらしいですね」
「はあ? 錯乱……?」
自分から「絆されましたか?」などと聞いておいて、肯定したら錯乱したなどと言われる。理不尽なことを言われているとキミヒコは感じた。
「だって、絆されるなんてことあります? 貴方がそんなに、他人に執着するはずないでしょう?」
唐突に冷や水をかけられたような、キミヒコはそんな気分になる。
ホワイトの指摘は、キミヒコの感情や理論をすり抜けて、胸の奥へとストンと落ちたのだ。
――人間も、捨てたもんじゃないんだぜ?
昼にシモンから言われた、そんな言葉が脳裏によぎる。あれも、ホワイトの指摘どおりの自分だから、シモンはそう言ったのだ。
「……うるさいな。どうせ俺は、人間不信のエゴイストだよ」
「実に結構なことです。素敵ですよ。……であるなら、貴方の意思、そして願いを、もう一度よく考えてみては?」
一度決めたことに水を差しにくるホワイトに、キミヒコは苛立つ。
「人形のくせに、よくも喋る。お前がなんと言おうが、もう決めたことだ」
「まあ、それならそれでいいですよ。たとえ偽りのことであっても、貴方のしたいこと、私が全部してあげますから」
吐き捨てるように言ったキミヒコのセリフに、人形は平然と、そしてどこか優しく、そんな返事をしてみせた。




