#25 三日の猶予
アデラインが宗教裁判にかけられた翌日、キミヒコはとあるレストランでヘンリックと会っていた。シモンも同席している。
キミヒコたちの働きを労うため、ヘンリックの奢りでこのような昼食会が開かれていた。
厚生局の働きにより、メドーザ市に潜んでいた殺人鬼は除かれることとなった。だが、ヘンリックは浮かない顔をしている。
「君たち、すまない……。私の力が及ばないばかりに、君たちの努力をふいにしてしまった。この事件はもう、表に出ることはないだろう……」
心底やるせないといったふうに、ヘンリックが言った。
目玉が欲しいという常軌を逸した理由で、三桁近くもの人間を殺害したアデラインは、言語教会を破門された。まだ生かされてはいるが、もう長い命ではない。
だがアデラインの兇状は、世間には伏せられることになってしまった。例の眼球標本という決定的証拠を、厚生局が完全に押さえたにも拘わらずである。
高位の聖職者が大量殺人鬼だった。そんなことを表に出せるわけがないと、教会は持ちうる政治力を総動員して隠蔽にかかったらしい。キミヒコの下にも、この件についてはしきりに「お願い」が来た。
キミヒコとしては、教会に喧嘩を売る気はなかったので、可能な範囲で「お願い」には応じていた。無論、厚生局への義理に反しない程度にだ。
当初、この事件への対処において教会は完全に出遅れていた。そんな状況からここまで持っていけるとは、やはり言語教会は強大な組織である。そのことを、キミヒコは改めて実感していた。
「遺族にも知らせないので?」
シモンがヘンリックに尋ねる。
「そうだ。犠牲者たちの遺族は、いなくなった家族の帰りをずっと待つことになる。待ち人がすでに、死んでいるとも知らずにね……」
「……そうですか」
そんな二人の会話を、キミヒコは無言で聞いていた。キミヒコとしては正直、そんなことはどうでもいいことだった。他に気になってしょうがないことがあったからだ。
気になるのはアデラインのことだ。あの宗教裁判の際の彼女の嗚咽が、耳に残っていて不快だった。思い返すたびに、どうにも苛ついて仕方がなかった。
「まだ生かされているようですが、彼女はどうなりますかね?」
タイミングを見計らい、二人の会話に割って入って、そんなことをキミヒコが問う。
「三日の猶予だそうだ。それまでは好きにさせているらしいんだが……。本音を言えば、早く処分してほしいんだがね……」
「三日? それは、あれですか? クワンリーの昔話の……」
「そうだ。古臭い昔話の創作かと思っていたが、本当にそういう制度があるらしい。なんの意味があるのか、三日間の猶予をあの殺人鬼に与えるんだと。宗教家どもの考えることはわからんね……」
ヘンリックの回答に、キミヒコは困惑した。
おいおい、あの英雄様と同じ待遇かよ。三日も猶予があれば、俺なら絶対に逃げるぞ。教会は馬鹿なのか……?
キミヒコの怪訝な顔を見て、ヘンリックも苦い顔だ。彼はキミヒコと同様の懸念を抱いているらしかった。
「さすがに、厳重な監視をしていると思いたいが……もうこの件は、教会の管轄だからな……。ただまあ、仮に逃げ出せたとして、あの殺人鬼に安息の地はもうないだろう。この大陸のどこにいようが、教会は必ずあれを処分する」
アデラインは必ず処刑される。ヘンリックは、その点においては教会を信頼しているらしい。
言語教会は発祥地であるカリストはおろか、このアマルテアの地、そしてさらに東のアドラステアにまで根を張る巨大組織である。おまけに、騎士すら何人も抱えている。
教会に命を狙われればこの大陸に安息の地がないというのは、誇張でもなんでもない事実だろう。
「さて、そろそろお暇させてもらおうか。……君たち、もうこの都市を離れるのだったな。公職に携わるものとして、君たちの働きに感謝する」
そう言って、ヘンリックはキミヒコとシモンにそれぞれ感謝の握手をして、去っていった。
テーブルには、キミヒコとシモンだけが残される。
「そうか。キミヒコも、メドーザ市から出ていくのか」
「ああ。明朝にここを発つ。……お前は?」
「俺はもう行くよ。お前と違って、俺はここでの活動が教会にバレたらヤバそうだからな。早い方がいい」
相変わらず、はしっこい男である。実際、教会相手に不法侵入やらなにやらを繰り返していたらしいので、シモンの言うことに間違いはない。
「なあ、好奇心から尋ねるんだが。あの殺人鬼と、本当になにもなかったのか?」
「……前に言ったとおりだよ。それだけだ。どうしてそんなことが気になる?」
「俺が気にするというより、キミヒコがあの女のことを気にしてる感じだからさ」
キミヒコとアデラインの関係を、シモンが邪推する。
キミヒコとしては、触れてほしくない話題だった。
「まさかと思うが、あの殺人鬼に変な同情でもしてないだろうな?」
「あのなぁ……俺がそんなやつに見えるか? だいたい、俺が突き出したんだぞ」
キミヒコはそう言いつつも、内心では動揺していた。
同情だと? 馬鹿馬鹿しい。あんな頭のおかしい女に同情なんてするわけない。俺があの女を厚生局に突き出してやったんだ。
アデラインが捕縛される一助を担ったのがキミヒコである。あのおぞましい地下室の秘密を厚生局に報告し、彼女が家を空けた隙をついて、あの大量の眼球標本は押収された。
自分がやったのは当然のことで、後悔などあるはずがない。キミヒコは、そう自分に言い聞かせた。
「どーだか。お前、友達だろうが恋人だろうが突き出すだろ。それはそれ、これはこれみたいなタイプじゃん」
「なら、尚のこと問題ないだろ。俺があいつを助けるわけないだろうが」
「まあ、それは、そうなるがよ……。ま、この話はそれでいいとしてさ」
この話は終わったらしいが、まだ他になにかあるらしい。
キミヒコはゲンナリした。この男は妙に鋭い所があるうえ、ここ最近は遠慮がない。話していて疲れるのだ。
「同じ魔獣使いとして、老婆心で言っておくが……。お前、あの人形に取り憑かれないように注意しろよ」
「はあ? 取り憑かれる? なんだよそれ……」
「お前は……なんか、うまく言えないんだが……。あの人形がなにをやっても、許しちまうような気がしてな」
シモンの言葉はいつになく曖昧で、どういう意味かとキミヒコは首をかしげた。
それを見て、シモンは頭を掻きながら再び口を開く。
「なんつーか、ううん、そうだな……。お前自身のためにあの人形を使うのはいいんだけど、あの人形のためにお前があれこれするのはやめた方がいい。あの人形には入れ込むなってこと。……人間も、捨てたもんじゃないんだぜ?」
シモンの最後の言葉は、どこか寂しげだった。
キミヒコはシモンのことを、心の底からは信用していない。人間関係とはそういうものだと思っていた。だが、シモンの見解はそれと異なるらしい。
このドライな男は、自分と同類だと思っていたのでキミヒコは目を瞬かせた。
「……忠告は受け取っておく。だが、ホワイトは俺が、俺自身のための道具として使ってきた。これまでもそうだし、これからもそうだ。変なことにはならんよ」
「ならいいさ。……さて、俺もそろそろお暇させてもらおうかね。じゃあなキミヒコ。お前さんとはいろいろあったが、結構楽しかったぜ」
「おう。じゃあな、シモン。達者でな」
それだけ会話を交わして、シモンもまた、このレストランから出て行った。
テーブルには、キミヒコひとりが残された。
もうとっくにランチは食べ終わり、食後のコーヒーだけが、キミヒコの目の前にある。
「……ホワイト。来てくれ」
冷め切ったコーヒーを飲みながら、キミヒコが呟く。
しばらくして、レストランの入り口の方から、ホワイトが現れた。キミヒコのいるテーブルまでまっすぐに歩いてきて、向かい側の椅子へと腰掛ける。
「呼びましたか?」
「ああ。……お前、紅茶とコーヒー、どっちがいい?」
「貴方が飲みたい方にしてください」
キミヒコの無意味な質問に、人形はそう返す。
キミヒコは笑いながら「じゃあコーヒーだな」と言って、給仕に向けて手を挙げる。そうして、注文を取りにきた給仕にコーヒーを二つ注文した。ホワイトの分と自分のおかわりの分だ。ついでに砂糖とミルクもたっぷり入れてもらう。なんだか甘いものが欲しい気分だった。
「……貴方、砂糖はほどほどにした方がいいのでは? 高いし、摂取しすぎですよ」
「ここの代金はヘンリック議員のツケ払いだから気にするな。それと、俺は甘党だから砂糖は多ければ多いほどいいの」
程なくして、注文のコーヒー二つがテーブルに並べられる。来るなりそれを、キミヒコは口に含んだ。
温かくて、甘い。キミヒコは心が落ち着くのを感じる。
「アデラインのやつ、あと三日の命だってよ」
「はあ、そうですか」
何気なく発したキミヒコの言葉に、ホワイトは気の無い返事をする。
「なあ、お前から見て、あいつってどうだったんだ? あいつと会ってるとき、お前は常に攻撃可能な位置にいたが、仕掛けることはなかったよな」
「どうと言われましても。仕掛けなかったのは、あの女から害意を感じなかったのと、貴方が常々、殺しはやめろと言っているからではないですか」
やめろと言ってもやめないくせに。キミヒコはそう思ったが、それよりもアデラインに害意があったかどうかの話が気になった。
「あいつは、頭のおかしいシリアルキラーだぞ。本当に害意とか殺意はなかったのか?」
「あの女は、貴方に危害を加える素振りはありませんでしたよ。放置しても問題ないと思ってました。それに、自らの嗜好のためになにか他の生物を殺すなんて、ごく普通のことなのでは?」
ホワイトの主観においては、アデラインのやったことは異常ではないし、キミヒコに対する害意もない。そういうことだった。
「普通のことか……獣ならそうかもな。だが、人間としては普通じゃない」
「面妖な話です。人間も獣の一種にすぎないと思うのですが」
ホワイトの相変わらずな感性に、キミヒコはため息を漏らす。
自分のコーヒーを飲み干し、今度はホワイトの目の前のものに手をつけようとして、ホワイトと目が合った。人形の金色の瞳が、じっとキミヒコを見つめている。
「そんなに気になるのなら、会いに行けばいいのでは? まだ生きてるんでしょう?」
ホワイトの言葉に、キミヒコは二の句を継げなかった。




