#23 ヘイダルゾーン
すっかり日も落ちて、星明かりが市内を照らしだした頃、キミヒコはアデラインの家に招かれて夕食をとっていた。傍にはホワイトが控えているが、アデラインはそれを気にした様子はない。
本人が自信があるというだけのことはあり、アデラインの手料理は大したものだった。この夕食会は急遽決まったにも拘わらず、よくもこれだけの料理を用意できたものだと、キミヒコは感心していた。
「ご馳走様。おいしかったよ。手料理なんて、久しぶりだ」
「ふふ……。お粗末様でした」
食事が終わり、アデラインは食器を片付けている。
彼女が席を離れたの確認してから、キミヒコは横目でホワイトを見やる。ホワイトに変わった様子はない。どうやら、キミヒコの安全は確保されているらしい。
席を立ち、今度は室内の様子を見て回る。特に変わったところはない。一人で住むには大きすぎる家だが、掃除は行き届いていた。ただ、飾り気はあまりなく、どことなく殺風景な家のように感じられる。
ダイニングをあとにして、今度はリビングへと向かう。簡素で飾り気がない、ソファとテーブルがあるだけの部屋だ。あちこち見回してみるが、ここも特に目を惹かれるようなものはないようだった。
することもなくなり、キミヒコはソファに腰掛け、葉巻を一服しようと懐から取り出す。葉巻を口に咥えると、すぐ近くで人の気配がした。いつの間にか、アデラインがキミヒコのすぐそばに立っている。どうやら食事の後片付けを終えたらしい。
彼女はキミヒコの隣に腰掛け、そっと肩を寄せ、咥えられた葉巻の先に指を触れさせる。彼女の指先に明かりが灯り、葉巻に火がついた。キミヒコの口腔内に、煙が満ちる。
「ねえ……キミヒコさん……。今晩、どうでしょう。泊まっていかれては……?」
しなだれかかるようにして、キミヒコの耳元でアデラインが囁く。
「そういうのは、もう少しお互いの理解を深めてから、かな……。これでも奥手なんだ、俺は」
「理解を深めてから、ですか。……これ以上、私のなにを理解したいんですか?」
キミヒコのつれない返事に、アデラインは口を尖らせる。その耳が赤く染まっていることに、キミヒコは気が付いた。どうやら、羞恥心を堪えての、彼女の精一杯の誘惑だったらしい。
「なんでもさ。趣味とか好きなこととか……逆に嫌いなこととか。あとは、この先の人生の展望とか、したいこととかさ」
言いながら、キミヒコは視線をそれとなく逸らす。その先にはホワイトが変わらぬ様子でぼんやりと佇んでいる。まだ、危険ではない。そのことを確認しキミヒコは安堵した。
「趣味、趣味ですか……」
趣味という言葉に反応して、アデラインは考え込んでいる。
「あ、ありますけど……でもキミヒコさんに見せるのは、ちょっと……恥ずかしいかもです。そういうキミヒコさんはどんな趣味があるんですか?」
「俺? 俺はまあ普通かな。酒とか葉巻とか……」
あとは風俗。さすがにそれは口に出さないが、キミヒコの趣味などそれくらいである。
自分は言ったのだから、今度はそちらの番。キミヒコはそういう視線を向けた。
家の中の様子を見るに、アデラインに趣味らしい趣味はなさそうである。強いて言うのなら料理だろうか。だが料理が趣味だとして、それは恥ずかしがるようなものではない。
「う、うぅん……そう、ですね……。私、あるものを収集していまして、それが趣味……になるかもしれません」
「収集? なにかコレクションでもあるのか?」
なにかを集めるのも、趣味の定番ではある。そのコレクションの内容によっては、恥ずかしがるようなものもあるだろう。
「ええ、まあ……」
アデラインの返事は歯切れが悪い。
いったいなにを収集しているのだろうか。なにか幼い少女趣味のようなもので、恥ずかしがっているのかもしれない。
キミヒコがそんな推察をしていると、アデラインが意を決したように口を開く。
「……私のコレクション、見てみます?」
◇
コツンコツンと、石造りの階段を降りるたびに足音が響く。
キミヒコとホワイトはアデラインに先導され、地下室への階段を降りていた。ずいぶんと下まで続いている。
地下室自体は不自然ではない。メドーザ市では定期的にあるドラゴン襲撃に備えるため、地下室がある家は多かった。
「そ、その、何度も言いましたが……私の趣味を見ても、引かないでくださいね」
キミヒコの前を歩くアデラインが、恥じらうように言う。
「もちろん。趣味なんて、人それぞれだろう?」
キミヒコの声は平静そのものだったが、その額には脂汗が滲んでいる。
地下室で隠れるようにしてなにかを集めている。その怪しすぎる趣味に、猛烈に嫌な予感がしていた。
だが、アデラインの態度は、なにか犯罪的なまずいものを見せる忌避感というよりは、ただの羞恥心のような雰囲気である。
自身の予感はただの杞憂で、本当は大したことはないのではないか。ただの子供っぽいぬいぐるみ収集とか、その辺ではないだろうか。
そんな淡い期待をしていると、目的地に到着したようだ。階下の先に、扉が見える。
扉をくぐる前から、キミヒコはこの地下室の嫌な気配を感じ取れた。なにか、異臭がするのだ。ツンとした刺激臭。薬品かなにかの臭いだろうか。
警戒するキミヒコをよそに、アデラインがゆっくりと扉を開け中に入っていく。キミヒコもホワイトを連れて、それに続いた。
地下室は薄暗く、アデラインの持つキャンドルの火だけが頼りない光源となっている。四方の壁面に棚がびっしりと並べられ、その上にはビンらしきものが所狭しと置かれていた。
ビンの中にある何かが、朧げな光を反射して、星のようにまたたいている。
あのビンの中身はなんだろうとキミヒコが考えていると、アデラインが指を鳴らした。パチンという音ともに、部屋中央に吊り下げられたランタンに、火が灯る。
地下室が明るく照らされ、キミヒコは絶句した。
ビンの中身は目玉だった。おそらく、人間の。
無数の眼球が部屋中央へ、キミヒコたちの方へと瞳を向けて、薬液で満たされたビンの中で浮いていた。
血の気が引き、冷や汗が噴き出る。それでもなんとか悲鳴をあげるのを堪えているキミヒコの耳に、アデラインの恥じらう声が響く。
「は、恥ずかしいです。私、キミヒコさんに、はしたない女だと思われないか不安で……」
羞恥に悶えるように首を振り、アデラインはそんなことを言う。
……はしたないとか、そんな次元の話じゃねえだろ、これ。頭おかしいよこの女。
アデラインの異常性を目の当たりにし、キミヒコは二の句を継げない。
これらの眼球の持ち主がどうなったのか、そんなことは聞くまでもない。ご丁寧に、ビンに貼られたラベルに詳細が記載されている。
――XXXX年XX月XX日
――氏名:ハロルド・ヒューイック
――性別:男性
――年齢:九歳
――職業:なし
――備考:XX区X番通りの裏路地にて取得。生前、教会寓話の講演会にて邂逅。深い青の瞳が美しい。対象が一人で帰路へと就く際に両眼球を採取。他部位はその場にて焼却処分。
たまたま近くにあった、ビンのラベルにはそんなことが書かれていた。
「そ、その眼球が気になりますか……? キミヒコさん」
「……ああ、うん。綺麗な目玉だな」
上擦った声で問いかけてくるアデラインに、キミヒコは内心の動揺を必死に抑えてそう返す。
「で、ですよね! この眼球の持ち主は当時十歳ないくらいだったんですけど、死ぬ直前の眼差しが本当に綺麗で……。眼球だけというのも洗練されていていいのですが、この子ばかりは表情も合わせて頭部とセットで保管したかったんです。だけど、それだと持って帰るのが大変で――」
キミヒコが否定的な言葉を発さないことに安堵したのか、アデラインは顔を明るくして饒舌に語り出した。
「――とまあ、そんな感じの表情で私を見つめていたんです。その時の暗い、青色の瞳……完璧でした……。見せてあげられなくて本当に残念です」
「そ、そっかー」
見たくねーよこのサイコ女が。思わずそんな言葉が口から漏れそうになるが、抑える。今、アデラインを刺激するのは避けたい。キミヒコはそう考えていた。
ホワイト、ホワイトホワイトホワイト……! 大丈夫か? 大丈夫なんだよな? 俺たち大丈夫なんだよな……!?
心の安寧を図るため、キミヒコは頭の中でホワイトに助けを求める。そして、目を泳がせて、ホワイトを視界に収めた。不安、心細さ、そして恐怖。それらを自分の絶対の味方にわかってもらおうと、視線に力を込めて送る。
ホワイトはそれを受けて、首をかしげてみせた。その金色の瞳はいつもどおりで、なにもわかっていなさそうである。
なんともいつもどおりのその様子に、キミヒコは脱力した。だが、気が抜けたことで多少、冷静にもなれた。それに、ホワイトがいつもどおりということは、身の安全はまだ保障されているということだ。
いったん心を落ち着けて、部屋の中を見て回ることにする。
「あ、キミヒコさん。その台の標本は、ホルマリンによる固定処理中のものです。毒性があるので触らないでくださいね」
部屋中央の作業台に近づくキミヒコに、そんな声がかかる。
「そこではなく壁際の棚にあるものでしたら、全てホルマリンの固定化処理は終えてます。薬液はアルコールになってますので毒性はありません。なんでしたら、手にとっていただいたり、舐めたりしても大丈夫ですよ!」
「いや、どれも綺麗な標本だし……汚したら悪いから、遠慮しておこうかな……」
生理的嫌悪感が顔に出るのを抑えて、丁重にお断りする。
舐めるって、なんだよ……。もしかして、普段からそんなことしてんの……?
アデラインの言葉を真面目に考えると、吐き気がしてくる。努めてなにも考えないようにしながら、キミヒコは作業台に視線を落とした。
台の上のビンの中身、鳶色の瞳のその眼球と、まだ貼り付けられていない書きかけのラベルに書かれた氏名に、見覚えがあった。
「これ、ブラムド司教か……」
「ええ。ご存知でしょうが、最近採取したものです」
キミヒコを熱心にミサへと誘い、その言語能力を手放しで称賛してくれた司教。ブラムドの変わり果てた姿が、そこにはあった。
「これだけやって、よく足がつかないな」
「あら、知ってるでしょう? 私、魔力コントロールは得意なんですよ。余計なものは消してしまえば問題ないです」
「だが、しくじったんだろ? 司教のことは。左腕が処分できずに、事件になった」
キミヒコの指摘に、アデラインは苦い顔をする。
「まあ、彼のことは想定外でしたからね……。私のこの趣味を察知してたらしいんですよ」
「らしいってのは?」
「前の逢引のあとのことなんですけど、キミヒコさんがよくミサに連れ出されていたあの聖堂に、呼び出されたんです。手紙で、失踪者たちのことで話があるって書いてあって……。まったく、困ってしまいます」
探りを入れるキミヒコに、アデラインはなんの警戒もなく経緯を説明してくれる。
いつもの天体観測が、彼女の中では逢引ということになっているのは考えないようにしながら、キミヒコは慎重に言葉を選んだ。
「……どこで司教は勘づいたんだろうな」
「言語教会が研究機関であると、以前にお話ししましたよね。研究資材の販路を、教会は独自に構築しています。標本のための薬液はそこから入手していました」
「そこから辿られたってわけかい」
「おそらくは。彼は司教の位にいましたから、販路の存在は知っていた……。どうやってかはわかりませんが、私の購入履歴を見て、怪しまれたのかもしれません」
「怪しまれるような履歴だったのか?」
「まあ、薬液自体は問題ないと思いますが……継続的に購入していましたからね。私がその手の研究をしているとは思ってなくて、不審に感じたのでしょう。実際、研究ではなく、この趣味のために使ってましたし」
アデラインはキミヒコをまったく疑っていないらしく、探るような問いかけにも遠慮なく答えてくれる。
どうやらブラムドは、炎術師云々の情報を厚生局から得たことは黙っていたようだ。
「……吐かせなかったのか?」
「私、拷問は素人で……。腕を不意打ちで落としてから、殺さないよういたぶったんですけど、うまくいかなかったんですよね。手間取っている間に、落とした腕を窓から放り捨てられて処分し損ねました。探したんですけど、物陰に落ちたらしくてすぐには……。あまり時間もかけられませんでしたし」
残酷な事実を、なんてことはないかのように並べ立てるアデライン。
この狂人に殺される間際、ブラムドはいったいどんな思いだったろうか。最期の最期に、自身の腕を残すことでこの事件を伝えるための、ダイイングメッセージとしたのだろう。
そして、ブラムドの最後の頼み。あれがどういう意味だったのか、キミヒコにはわからなかった。
自身の死を予見していて、後を継いでほしいということなのか。あるいは、この異常者を憐れんでのことなのだろうか。
「……なあ、俺が密告したとは思わないのか? 炎術師の件をさ」
「はい? どうしてです? ありえないでしょう」
ブラムドの話をこれ以上聞いていられなくて、話題を切り替える。
ともすれば、自身が疑われかねないデリケートな話題だったが、アデラインにはキミヒコを疑うという発想はないらしい。
「だって、あなたと私は、同じじゃないですか……仲間です」
うっとりと頬を紅潮させて、アデラインが言う。
その言葉はキミヒコには意味不明で、無言のまま探るような視線をアデラインに向ける。
「あなたの人形は、大いなる意思への願いで誕生したのでしょう? あなたは血肉の通った存在ではなく、その人形を求めた。人の心を持った存在ではなく、その人形を求めた。私に近い魔力性質を持った、その人形を求めたんですよね……?」
「なにが言いたい?」
「ふふ、うふふふ……。わかってるくせに、意地悪ですね……」
わかるわけないし、わかりたくもない。妖しく笑うアデラインの言葉に、キミヒコはそう思った。
こいつ、俺を同類だと思ってやがるのか……。それで、急に俺に接近するようになったってわけね。いくらなんでも、思い込みが激しすぎるだろ……。
アデラインが唐突に自身に好意を向けてきた理由を、今ここで、ようやくキミヒコは理解した。この狂人は仲間を欲していたのだ。
そして意外にも思う。キミヒコの知る小説や映画では、こういった殺人鬼は一匹狼の印象だった。
「キミヒコさん、二つ目の願いは考えてありますか?」
アデラインが突拍子もないことを問いかけてきた。
二つ目とはなんだと訝しむキミヒコに、彼女は言葉を続ける。
「大いなる意思は、一度願いを叶えた存在を注視しているそうですよ。再びの接触機会があるということです。神聖言語を拝領した聖人も、今際の際に二つ目の願いを叶えてもらったとか」
初耳の情報だった。もしまた、なんでも願いを叶えてくれるのならありがたいことである。
だが、今この場ではそんなことは考えられない。あるかもわからない、そんな先のチャンスのことより、この状況をどうするかが重要だ。
「最初に会ったとき、どうして声をかけてきたんだ?」
願いについての質問を無視して、キミヒコはそんなことを問いかけた。
「……あのとき、品定めの最中でしたから。それをあなたが見ていたから、不審に思われたかと思って、探りを入れにいったんです。……杞憂だったんですけどね」
あれが運命の出会いだったと言わんばかりに、アデラインはうっとりと目を細める。そして、キミヒコの胸元へとそっと顔を寄せてきた。
キミヒコはそれを引き剥がしたいのを堪えて、お望み通りに両手をその背に回してやる。彼女はキミヒコの胸板に頬擦りをしながら、熱っぽい息を吐いた。
そんな状態のまま、キミヒコはあることを検討していた。
このヤバイ女を今ここで始末するか。それを考えている。
厚生局がご所望の物的証拠は、この地下室に山積みである。殺してもまず問題ない。ホワイトに任せれば簡単に済むことだ。正当防衛を主張すれば当然認められるし、むしろ称賛されるだろう。加えて、キミヒコの出自の口封じにもなる。
だが大司教という位が問題だ。無断で余計なことをやって、教会に睨まれるのは勘弁だという思いもあった。その辺を考えるのなら、厚生局に任せてしまうのが無難なところだ。
冷たい目をしながら、そんなことを考えているキミヒコを、いつの間にかアデラインが顔を上げて見つめていた。
「あ……キミヒコさん、その目、格好いいです……好き……。本当に好き……」
熱に浮かされ、うわ言のようにアデラインが呟く。
その顔を見たくなくて、キミヒコが視線を逸らした先に、特徴的なビンがあった。その標本だけ、他と明らかに違っている。
異様に大きいし、標本ラベルもなぜか簡素だ。
気になって注視すると、そのビンに貼られたラベルには「お父さん」とだけ書かれていた。




